会いたい人はたくさんいる。

でも誰に今一番会いたいか…一番、会わなければいけないのかと考えるならば

わたしは



今、入院している父方の祖母に会いたい。





2年前まで通っていた高校は家から電車で1時間と遠かったのだが、その高校の近くの病院に、祖母は入院している。

わたしは今大学生で上京しているが、あの頃、どうしてもっと頻繁に見舞わなかったのか、と後悔している。

父も「ババアも会いたいだろうから見舞い行かないか?」とよく言っていたが(父は口は悪いし、祖母とも仲はよくなかったが、祖母のことを思っていたのだと思う)わたしはあまりいい顔をしなかった。


今では会いたいと思っても直ぐに会いに行くことはできない。


東京と東北の実家との距離は、遠すぎる。




わたしが物心つく頃から、母と祖母は仲が悪かった。

父と母との結婚を反対された時からのようだ。

母は育ちの良い家柄だったので、田舎の普通より、寧ろ質素に暮らしている家では歓迎されなかったようだ。

逆もまたしかりで父は母方の祖父に猛反対されたようだったが、そちらは丸く収まっていたように思える。


父には姉と妹がいて、その2人の家族もやってきて、喧嘩染みた話し合いが行われたのも覚えている。

わたしはとても小さい頃だったが、初めて胃が痛くなったのは、その時だったかもしれない。

とにかく子供は母親に影響されるもの…わたしも母親に影響されてか、父方の親戚同様、母との喧嘩の当人でもある祖母が嫌いになった。



母が泣くのが、嫌だったのだ。



けれど、思い返してみれば、祖母はわたしには優しかったと思う。

マザコンとも言える程母好きな弟は思い切り祖母を毛嫌いしていて、暴言を吐いていたから、祖母も流石にその様子には憤慨しているようだったが

わたしには、何の問題も起こさない存在だった。

祖母は家にいる時、わたしにお菓子をくれたが、煎餅などあまり好きではなくて嫌な顔をして「弟にあげて」と断ったのを覚えている。それは祖父も同様だ。


小学校の頃、年末に父が「何だかお年玉くれるみたいだから会いに行って来い」と言ったので祖母と祖父に会いに行った(別居状態だったので…)。

たくさんくれると思っていたお年玉が、母方の家よりかなり少なくて、クリスマスプレゼントだといって一緒にくれた絵の具のセットも『クリスマスプレゼント=ゲーム』というように、何だか高級志向になってしまったマセた子供のわたしには全然嬉しくなくて、祖母と祖父に嫌悪の顔を見せたのを覚えている。





凄く、後悔しているのだ、わたしは。

凄く、馬鹿な子供だったと、後悔しているのだ。





入院する前はぶくぶくに太っていた祖母…病院で最後に見た時には、痛々しいほどにやせ細っていた。

祖母の痴呆はどんどん進んでいると思う。

今は亡き母方の曾祖母の痴呆が進んだ時、わたしは親戚の人と間違われたことがある。

祖母もいつか、わたしを母と間違えたりする日が来るのだろうか…わたしと母を間違えて嫌悪の表情を見せるのだろうか

もう、わたしの言葉の意味は伝わらないのだろうか…

それでも

祖母が生きているうちに会って

「ばあちゃん、ありがとね」

一言、伝えたい。

いろんな思いが、篭ってる言葉だから。


「じいちゃん、ありがとね」

同じく祖父にも伝えたい。

祖父の痴呆も進んでいる。

ちなみに一度、母と間違われそうになった。

けれど祖父は休みになって実家にわたしが帰ると、笑顔で迎えてくれる。

一つ屋根の下、別居状態は続いているけれど…

実家にはいるはずだから、年末に実家に帰って、会ったらきちんと笑顔で言うんだ。



「ありがとう」



色んな想いが、篭っている言葉だから。