心の給湯室 ~誰がやってもいい仕事を今日も続けるあなたへ~

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「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

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自分のやりたいことが分からない

生き生きと充実した人生を送るために
欠かせないことは

やりたいことをやり
やりたくないことはやらない


これ、最近の風潮だなあと感じます。


ここでハタと困るのが
やりたいことが分からない
という人たちです。

まるでそれがないと
生きる資格がないかのように焦り
「やりたいこと」を求めてさまよい始めます。


でも見つからない。分からない。


そんな時、占いに頼る人も多いのではないでしょうか。

(ちなみに、私も占いは大好きです・笑)

心理の世界にいると、占いを生業にしている人と
知り合うことも多いのですが

私の周りの占い師さんたちは

鑑定の結果を参考にし、最終的には自分で決めてね

というスタンスの人ばかりです。

私もそれが占い師の在り方だと思うし
自分が占いをしていただくときも、そうしています。

でも、それを物足りないとか無責任と感じる人もいる。

私はどうすればいいんですか?
何をすればいいのか教えて下さい


と、明確な指示を与えて欲しがるんですね。
(お金払ってんだから、という主張のもとに)

ここで「好きにすればいいんです」なんて言うと
パンチが飛んでくるので(知り合いの占い師談)

・これが向いていますよ
・こんなことをやってみたらどうですか?


など、鑑定結果から分かる限りのアドバイスをします。

でもここで、とても興味深い現象が起きるんです。

「やりたいことが分からない」
「どうすればいいか教えて下さい」

という主張が強い人ほど、何を助言しても

「それは無理です」
「興味ありません」
「向いているとは思えません」


など、片っ端から否定するんですね。

それならばと
「そうですか。じゃあ何がやりたいですか?」
と聞いてみると

「分かりません」
「特にありません」
「それを聞きにきているんです」


・・・あとは延々このやり取りが繰り返されるわけです。

中には埒が明かないからと
満足させてくれる場を求めて
占いジプシーや依存になる人もいますね。

このやり取りから見えてくるのは
やりたいことは分からないけど
やりたくないことは分かっている


というよりむしろ
何もしたくない
という状態じゃないかと思うんです。

やりたいことがないとか
分からないというのは
「何もしたくない」とほぼイコールなんですよ。

そんなときに他人から「ああしろこうしろ」
と言われたって、やる気になんかなるわけない。

世間の風潮から
「やりたいこと」が生きるための
必須アイテムみたいに思えて
焦ってるだけではないですか?

まずはそこに気づくことが大事です。


その上での「やりたいこと」ですが
これも自分で制限をかけて
分からなくしていることが多いんです。

「世間体の良いものじゃないとダメ」
「みんなから賞賛されるものじゃないとダメ」
「稼げる可能性を秘めてないとダメ」


のようにね。

本当は誰にでもやりたいことはあるんだけど
「これはダメ、それもダメ」
と自分でリストから排除してしまう。

そして
「本当にやりたいこと」以外のエリアを
やりたいことを求めて探しまわる
んです。

そこを探しても見つからないよって場所を(^_^;)


(人によっては、育ってきた環境も影響しています)


じゃあどうすればいいの?って話ですが
まずは一般論とか世間体とか他人の評価とか
仕事になるかとか、そういうのを一切考えずに

「自分の好きなこと」を考えてみて下さい。

散歩が好き
家具のほこりを取るのが好き
ウィンドーショッピングが好き
鼻歌を歌うのが好き
旅のパンフレットを眺めるのが好き
 ・
 ・
 ・
え?そんなことでいいの?と思わずに
浮かんだものを「やりたいこと」として
やってみて下さい。

誰にも叱られませんから大丈夫です(^_^)
やりたいこと、結構ありませんか?

アホらしいなど、否定しないで下さいね。

「好き」ってとても主観的な感情なので
他人と比べるものではないし
もし比べてもお互い理解できないことも多々あります。

それでいいんです。

「私はこれが好きなんだ」
と丸ごと受け入れることが
「やりたいこと」を見つける大きな1歩になりますよ。


ただし・・・

「やりたいこと」のあるなしは
人生をバラ色にも灰色にもしないし
あなたの価値を左右するものでもない


ということは忘れないで下さいね(^_^)


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では、今日の記事はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

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プロフィールにも書いたことですが
やはりちゃんと記事にしておきたくて
今日は書いてみようと思います。

心のことを語るとき、いろんな例え話を
用いることが多いのですが
今日は身体に例えてみます。

よく言われているように
心と身体は繋がっている
ということもあるので。


「心に微熱を出している状態」のまま
生きている人がとても多いなあと感じています。

熱があるのに、なぜそのままにしておくのか?

それは
微熱なら、そのままでも一応生きていける
からです。

心に微熱があるとは、例えば・・・

・自分の本心に気づかないまま微かな違和感とともに生きている
・「一般的」「普通」「常識」とずれている自分を、おかしいと感じている
・他人ができることと自分が出来ないことを比較して落ち込んでいる
・他人の期待を、自分の夢と勘違いして目指している
・やりたいことが見つからない自分を責めている
・他人から押し付けられた価値観に縛られている
 (↑他人のものということにも気づいていない)
・他人からどう思われるか、すごく気になる
・他人から良い評価をもらいたくてつい頑張ってしまう
・いつも自分ばかり損をしているような気がする
・過去の後悔と、未来への不安がいつも消えない
・自分らしさとは何か?が分からなくてモヤモヤする

等々・・・ひと言で言えば「スキッとしない」状態です。

身体が微熱を出しているときも同じですね。
スッキリしないけど、活動停止するほどでもない。

日本人は頑張り屋で無理をする傾向があるので
「これくらい」と自分を叱咤激励して
仕事や勉強や家事などの日常生活をこなすんです。

でもね、熱がないときと比べると
明らかにパフォーマンスは下がっていますよね。

ちょっと動きが鈍くなる。
ちょっと判断が遅くなる。
ちょっと集中力が欠ける。
ちょっとごはんやお酒がおいしくない(笑)

ちょとだから・・・ちょっとだから・・・
と放置したまま無理を重ね続けると
微熱がいつの間にか高熱となり
強制的にストップがかかる・・・かもしれません。

心に微熱がある状態もこれと似ていて
たとえ違和感やズレを感じていても

ちょっと無理をすれば仕事がこなせちゃったり
とりあえず浮かない程度に人に合せられたり
一応ごはんも食べてるし眠ってるし。

だから
「まあいっか」
「人生こんなもんか」
「甘えちゃいかん」
と自分をなだめすかしながら
特に対処もせずに人生を走り続けるんです。

でもね、身体も心も微熱があると
何をするにも(やや)負担がかかる

ひとつひとつは小さくても
その負担は積み重なるほどに疲労が増していきます。

日常生活で言うと、本来のパフォーマンスが
どんどん出せなくなっていきます。

人生で言うと「なんか違う」「これじゃない」
というズレや違和感がどんどん強くなっていくんです。


たかが微熱とあなどるなかれ、です。


さてこの「微熱状態」ですが
身体と心では、ひとつ大きな違いがあります。

それは
心の微熱はすごく気づきにくい
ということです。

身体のように熱いとかだるいとかありませんからね。

中には「微熱が普通」になっていて
それが「自分らしさだ」なんて信じて
疑わない人もいるくらいです。

お話を伺っていて
「あなたすでに微熱の域を超えてますけどー(汗)」
なんて人も少なくないのです。

普通の人みたいに振る舞うために
いつもちょっと無理が必要な人


その負担を自分らしく生きるための
エネルギーにしたほうが良くないですか?

微熱が下がったときのあのスッキリ感を
心でも味わえたら・・・人生はどう変わると思いますか?


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では、今日の記事はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

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あなたは普段から感謝の多い人でしょうか?

それともなかなか「ありがとう」を
感じられないタイプでしょうか?

「ありがとう」の反対語は「当たり前」

誰かに何かをしてもらっても
また自分が何をしてあげても
「こんなの全部当たり前~」
としか思えない日々は
確かに少々殺伐とした感じがします。

「ありがとう」と感謝する気持ちが
心を穏やかにしたり
幸せを感じやすくしてくれる。

引き寄せの法則では、よく言われています。

「ありがとう」は良いことを
どんどん引き寄せる魔法の言葉

っていうのも聞いたことあるかもしれません。

私もこれに異議を唱えるつもりも
真っ向から否定するつもりは全然ないのですが

「こういうこともあるんだよ~」
という視点から、書いてみようと思います。


数年前のことになりますが
一緒にカウンセリングを学んだ仲間が
こんな話をシェアしてくれました。

彼女の友達が
いわゆる「プチうつ状態」
になったことがあるそうなんです。

本人はその原因を
「ありがとう」と言い続けたこと
ととらえていました。

えーー!なにそれ!?と思いますよね。

このお友達は自分のことを
幸薄いタイプと思っていて

とにかく人生嫌なことばっかり!
と、日々げんなりしていたそうです。

何とか自分の人生を好転させたくて

引き寄せとか
自己啓発とか
宇宙の法則とか

そういう本を読み、セミナーに行き
ヒントを得ようと頑張っていたんですね。

その中で知ったのが
「ありがとうは魔法の言葉」でした。

「ありがとう」と言えば
いいことがたくさん起きる!


そう信じ込んだ彼女は
自分の身に起きるすべてのことに
「ありがとう」と言い続けました。

嫌なことが起きれば
悲しい気持ちやつらい気持ちがわいてきます。

怒りや虚しさを感じることもあります。
(人間だもの・笑)

そのすべてを
「感じてはいけない」と封印し

起きる出来事に対して
「すべてのことに感謝。ありがとう」
と言い続けたんです。

そして・・・プチうつ状態になった。

彼女はもともと真面目で頑張り屋なんですね。

そういう人が切羽詰まっていたり
余裕をなくしていると

「これだ!」と思った情報を
頭から鵜呑みにしちゃうことが多いんです。

彼女は
「ありがとうは良いことを引き寄せる魔法の言葉」
を、そのまま鵜呑みにしました。

鵜呑み、怖いです。
ある意味洗脳と同じなので要注意ですよ。

彼女は「ありがとうと言い続けたこと」が
プチうつの原因ととらえていましたが
それはちょっと違うかもです。

ありがとうは悪くない。

彼女は「ありがとう」を唱える前に
「自分の感情を見つめ、受け入れる」
というプロセスを経る必要があったと思うんですね。

でも、それをせず
感情を見ないことにしたり
ないがしろにして溜め込み続けました。

それが原因で
強制終了がかかった
ということだと思うんです。

感情ってね、う○こと同じと言われているんです。
(いきなりこんな話でごめんね^^;)

つまり、出して流せばなんてことないけど
溜め続けると身体にまで良くない影響が出る。

ネガティブな感情を消そうとか
なかったことにしようと頑張るんじゃなくて
「ある」ことを認めてあげる。

「あるんだね」って。
それだけでいいんです。

それが
自分らしく自由でいるための土台作り
だと私は思っています。

今、世間には引き寄せとか
開運の情報が飛び交っています。

それらをじょうずに活かすためにも
まずは自分の中に土台をしっかり作り
受け入れ態勢を整えましょう。


○○すると幸せになれる
△△すると引き寄せが起きる


巷に飛び交っている
いろんなことをやってみたけど
どうも結果が芳しくない

なんてことはありませんか?

もしかすると、あなたの中で
土台作りが必要な時が来ているのかもしれませんよ。


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最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

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誰かに認められたい、褒められたい

そういう欲求を持つことは
人としてかなり普通のことで
特に気にすることもないと思っています。

ただ、その気持ちがあまりに強すぎて
思い通りに認めてもらえないと
イライラしたり激しく落ち込んだり

いつまでもそのことにとらわれて
なかなか立ち直れないでいるのは

人の評価に自分を委ねすぎている
自分の価値は、他人次第
他人の価値観に振り回されすぎ


ということになってしまいます。

何ごとも、ほどほどがいいのかな(^_^)


さて
誰からも認めてもらえない
誰からも褒められない

そんなことが原因で
「自分には価値がない・・・」
と落ち込んでしまうとき

こんなのを聞いたことはありませんか?


自分で自分を認めましょう
自分で自分を褒めましょう



自分に向かって
「よくやっているよね」
「頑張ったよね、私」
のように声をかけてあげるんですね。

確かにこれで効果が出て
元気になる方もいらっしゃいます。

だからこのやり方にダメ出しをするつもりは
毛頭ありません。

ただ
自分で自分を褒めても満たされません
これをやると却ってイライラします
そもそも褒めようとしても言葉が出てきません
なんか、バカみたいに思えちゃうんです(爆)

なんておっしゃる方もいるんですね。

そういう方の内面では、
いったい何が起きているんでしょう?


まず、ちょっと考えてみて欲しいのですが
あなたはどんな人に褒められたり認められたいですか?

「褒めてくれるなら誰でも構わん!」ですか?
うん、そういう人もいるかもしれません。

でも多くの人はやっぱり
自分がリスペクトしている人
からリスペクトしてほしいんじゃないかな?
と思うんですね。

自分が
憧れている人
尊敬している人
好意を持っている人
一目置いている人


等々。。。あるいはそこまでじゃなくても
少なくとも嫌悪感は抱いていない人。

そういう人から認められたり
褒められたりすると、普通は嬉しいですよね。


一方で、褒め言葉など
本来はプラスのはずのエネルギーでも
「あなたには言われたくない!」
なんてことも、あるのではないでしょうか?

(大変失礼な言い方でごめんなさい)


もうお気づきかもしれませんが
「自分で自分を褒めても満たされない」
という人の中では、同じようなことが
起きていることが多いんです。

そう、こういう人はそもそも
自分が嫌い
なんです。

人は、嫌いな人に褒められても
モチベーションは上がらないんです。

むしろ、イラッとする。

なので自分で自分を「良くやっているね」
と褒めてあげても

「あなたには言われたくない!」
とこれまた自分が反応している(^_^;)

意識と無意識がバトルしている
という感じでしょうか。

知識を仕入れて行使するのはいいのですが
感情面で受け入れられないこともあるんですね。

じゃあどうすればいいかというと、
まずは「繰り返しやる」です。

1回や2回やって違和感を感じても、そこでやめない。

繰り返しやり続けるという行動の効果は絶大です。

何度も何度も自分を褒めていると
少しずつだけど受け入れてもいいかな?
と、気持ちに変化が出てきます。

人はなかなか簡単には変われませんから
少し長い目で見てあげるのも大事です。


もっと大事かなと思うのは
「自分が嫌いという思いに向き合う」
です。

これが根強くあると、やっぱりあれこれ
行動しようとするときのブレーキになります。

心の微熱が取れない人も、よく持っています。

※心の微熱については→コチラをどうぞ

「自分が嫌い」が強い人は、
1度向き合う必要があるかもしれません。

「自分を好きになる方法を知りたい」
という方が多いのですが

そもそも、自分に対して「好き」とか「嫌い」という
ジャッジってどうよ?

  ↑
フォーカスするのはここではないでしょうか?


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探すお手伝いを致します。


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では、今日の記事はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

人に迷惑をかけたくない
という気持ちがすごく強い人がいます。

なんでもひとりでやろうとし
周りに助けてと言わず
できないことも引き受け
体調が悪くても決して休まず
言いたいことも言わず
やりたいこともやらない


その動機が全部
「迷惑をかけたくないから」
だったりする人もいるほどです。

でもね、人には得手不得手があるし
向き不向きもあるのが普通です。

なんでもひとりでやろうとしても
それはハナから不可能な話。

ということを、頭で分かっていても
やっぱり「迷惑をかけたくない」というより

「迷惑をかける恐怖」

から逃れられない。

その葛藤に疲れ果てている人も
少なくありません。

私たちは子どものころ
「人様に迷惑をかけてはいけません」
と言われながら育った人が多いですね。

なので、確かにその影響はあるんですけど
これについてはあとで触れますので
今は別のお話を。

「迷惑をかける恐怖」に
がんじがらめになっている方には
「何をすると『迷惑かけた』と思いますか?」
と、お尋ねすることがあります。

そのお話を伺っているとね
「え?それって迷惑かしら・・・」
というものが結構出てくるんです。

「私はそれ、全然迷惑じゃないですよ」
と言うと

「えっ?マジですか???」
と、怪訝そうな顔をされるんですけどね(^_^;)

つまり、
自分が迷惑と思っていることを
周りが迷惑と思わないことだってごまんとある


良くも悪くも人は自分の思い込みで動きます。

なのでもっと言うと実は
自分が、人にしたら迷惑と思っていることは
自分が、人からされたら迷惑だと思っていること

なんです。

実際「会社を休んだら迷惑をかける」
と思っている人は
誰かが休むと「迷惑だなあ」とムッとするし

「助けてと言ったら迷惑になる」
と思ってひとりで頑張る人は
誰かからヘルプを求められると
「迷惑かけられた」と思ったりしています。

「あれをしたら迷惑かける」
「これを言ったら迷惑になる」

と、やらないことや言わないことを
たくさん抱えている人は
気遣いのできる人なのかもしれません。

でも一方で
人にされたら迷惑と思うことが多い人
という見方もできるんです。

これを「地雷の多い人」と言ったりします。

ではその地雷がどうやって
作られたかというと

前述の
「子どものころに言われたこと」
が大きく影響しています。

「迷惑だからやめなさい」という言われ方で
いろんなことを禁じられら人ほど
地雷はやはり多いのです。

もうお分かりと思いますが
これも「やめなさい」と言った人が
迷惑と思っているから出た言葉。

(多くは親や養育者など身近な大人ですが)

当然、絶対的な真実ではありません。

でも言われたほうは子どもですから
ただただ鵜呑みにしてしまうんですね。

そして
「迷惑をかける恐怖」
についても、迷惑だと激しく叱られたときに

見捨てられるんじゃないか?
という恐怖を味わった。
(子どもには、見捨てられる=死です)

でも迷惑なことをしなければ
「いい子」だと褒めてもらえた。

そんな経験がベースになって
出来上がっていることがあります。

だから「迷惑をかけてはいけない」
という思いが強すぎて
生きづらさの原因にまでなっている人は

・自分の思い通りに他人が考えるわけではない
・人の受け取り方は千差万別
・「迷惑をかける」ことをどう感じているか


なんてことを少し見つめてみると、
今までとは違った視点が得られて
楽になれるかもしれません。

迷惑をかけるって必ずしも悪ではない。

それ(悪という価値観)もまた
外からの刷り込みかもしれませんね。


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