心の給湯室 ~誰がやってもいい仕事を今日も続けるあなたへ~ -2ページ目

心の給湯室 ~誰がやってもいい仕事を今日も続けるあなたへ~

 ●作り笑顔で周囲に合せるあなたへ
 ●いつも損している気がするあなたへ
 ●このまま人生終わっちゃうの?と焦るあなたへ
 ●やりたいことがわからないあなたへ
 ●自分を好きになれないあなたへ

心の給湯室に立ち寄ってみませんか。

「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。


私、結婚相談所のスタッフをやっていたことがあるんです。

やってみたら全然自分に合わなくて

結局1年ほどで辞めてしまいました。

でも「そこに身をおかなければ見えない世界」を

いろいろ見られて勉強になりましたけどね。

今回は、そのときのエピソードを、ひとつご紹介します。

ある女性会員さん、入会までは割とスムーズで、本人もやる気を見せて

「ガンガンお見合いして、早く成婚退会したいです!」

とおっしゃっていたんです。

ところがいざ活動できる状態になったとたん、ピタリと動きが止まりました。

自分からお見合いの申し込みもせず
(ガンガン申し込みますと言っていたのに)

お見合いの申し込みが来ても、お断りしてしまう
(全部受ける勢いで頑張ります!と言っていたのに)

何かあったのかと思い、面接の時間を設けました。

そこで彼女は、こんなお話を始めました。

「どんな人かも分からないのに、お見合いを受けたら失礼な気がして・・・」

どんな人か分かっていたら、お見合いする必要ないですよね(^_^;)

さらに

「ちゃんと仕事しなきゃと思って、派遣会社に登録したんです」

つまり、就職活動で忙しく、お見合いする時間も気力もない、と。

続いて

「お料理に自信がないので、お料理教室に通おうと思っているんです」

そうすると、ますますお見合いにかける時間は減るとのこと。。。

私、しばらく話を聞いていたのですが、ついにこう言いました。


「○○さん、結婚したいんですよね?」


それを聞いて、彼女は最初はびっくりしたように

「もちろんです」

と言っていましたが、そのうち言葉もなく考え込んでいました。

そして数ヶ月後

「特に理由はないのですが、退会したくなりました」

という理由(?)で、退会されていきました。

彼女は心底「結婚したい」と思って登録したのでしょうか?

真意は本人にしか分からないことですけどね。

エピソードはここまでです。

人が行動を起こす動機は、人によって違います。

すべての人が、心から「○○をやりたい」と思って動くわけじゃない。

頭では「○○したい!」と思って動いていても

無意識では全然違うこと、むしろ

「○○したくない」

なんて思いがあることも珍しくありません。

この場合、本人は自分の意志で「○○したい!」と思っている「つもり」でも

実は、他人の価値観、世間体、社会通念といった

自分の思いじゃないものに縛られ、突き動かされていることが多いんです。

そういう「自分以外のもの」を「自分の意志」と思い込んで

取り込んでいる人って多いので、自覚がないこともよくあるんですが。

こういうときは

頭と心がバラバラ

になっているんですね。

そういう状態だと、いくら頭は「○○したい!」と熱くなっていても

「○○したくない」としか思えない動きをしてしまうんです。

無意識の力は、それほど強大なんですね。

もし、あなたが何か「やりたい」「やらなければ」と思っているのに

なんだかうまくいかない、いやむしろ遠ざかっている気がする・・・

ということがあるならば、自分の「行動」を観察してみて下さい。

そこに本音が表れていることが多いです。


やっていることはやりたいこと
やっていないことはやりたくないこと



まずはこれを見つめ、受け入れていくと

意識と無意識は少しずつ一致していくんですよね。


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「心の給湯室」は、あなたの心の声が
「本当は何と言っているのか?」
を聞き、やりたいことができる自分になるようサポートします。


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では、今日の記事はここまでです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

一億総ストレス時代、なんて言われている現代。

確かにストレスは心の疲れの大きな原因になります。

セラピーやカウンセリングなどを受ける人も

心の疲れを癒して元気度を上げたい

という目的をお持ちの方がたくさんいらっしゃいます。

人は、どんなときにストレスを感じると思いますか?

そう質問すると

・合わない人との人間関係
・仕事がうまくいかない
・人生がうまくいかない


のように、嫌なことや辛いことなどを原因にあげる方がほとんどです。

確かにそうですが、そういうネガティブなことだけとは限らないんです。

嫌なことやしんどいことだけでなく、他人から見ると羨ましいことや

一般的に見て「よい変化」に対しても、ストレスが生じることがあるんです。

例えば結婚や昇進。

長い人生の中では大切な、しかも嬉しい変化という印象があります。

でもこういう新しい世界は、同時に未知の世界でもありますよね。

だから不安や戸惑いも多く、心に大きな負担となっている場合も少なくないんです。

ところで、ストレスを感じたとき、あなたはどのように対処しますか?

・信頼できる人に相談する
・そこから離れてゆっくり休む
・身体を動かして発散する


など、自分なりの対処法をお持ちの方が多いものです。

そして嫌な上司とか、仕事がうまくいってないなど

「負の原因」がはっきり分かっているほど

「このストレスのせいで、今自分の心は疲れているんだ」

と認識しやすいんですね。

なので自分なりの対処法で、早めに対応もできるんです。


(※それでもスッキリしない場合は、心の給湯室にお越しくださいね(笑))


でもね、本来なら喜ぶべきことが原因となって心が疲れている場合、

本人はそれをストレスとは感じないんですね。

というより、感じてはいけない、というほうが正確かもしれません。

周囲からも「おめでとう」なんて声をかけれらたりしますしね。

だからますますストレスを実感しにくくなっていくんです。

そして体調が優れなかったり、気分がふさいだりしても

「こんなに幸せなはずなのに、何で調子が悪いんだろう?自分はダメな人間だ」

などと自分を責め始めたりします。

そしてますます頑張って、ますます調子が悪くなっていく・・・

そんな負のスパイラルにはまってしまうんです。

私たちは、人生の中で、絶えずいろいろな出来事や変化と遭遇しています。

はたから見れば喜ぶべきこと、嬉しいはずのことでも、

本人にとってはストレスになることがいくらでもあるのです。

周囲の評価がどうであろうと
自分の心がSOSを発しているなら
その声を聴き逃さないで下さいね。



「心の給湯室」は、ストレスの原因に善悪をつけません。

あなたの心の声を一緒に聴き、自分のペースで変化に慣れていけるようサポートします。


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では、今日の記事はここまでです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

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・こんなことも知らないなんて、社会人失格ですよね。

・これくらいできないと、無能なヤツって思われますよね。

・この年齢で恋人がいないなんて、恥ずかしいですよね。

・この年齢で独身なんて、魅力のない人と思われますよね。

・(結婚したのに)まだ子どもがいないなんておかしいと言われますよね。


お悩みを伺っていると、よくこんな表現と出会います。

こんなことをしたらどう思われるだろう・・・

こんなこともできなかったらどう思われるだろう・・・


他人の目や、人からの評価がどうにも気になってしまう人がいますよね。

良く思われれば嬉しくなり、批判されると落ち込む。

外からの評価に一喜一憂するのは、とても疲れる生き方だと思うんですね。

自分の価値がいつもぐらついているのって、心が落ち着かないですもんね。

冒頭のお話に出てくる

社会人失格
無能
恥ずかしい人
魅力のない人
おかしい人

などの評価ですけど、お話下さる人たちは、みんな

「一般論」
「社会通念」

という、分かっているようでよく分かっていないもの(笑)と比較して

失格とか無能とかおっしゃっている「つもり」だと思うんですね。

でもね、人は、自分の中にあるものしか出せない

というイキモノなんですね。

何を言いたいのかというと

社会人失格と思っているのも
無能と思っているのも
恥ずかしい人と思っているのも
魅力のない人と思っているのも
おかしい人と思っているのも

その他大勢の他人ではなく、あなた自身ということ。

冒頭に赤字で書いたことは

あなたが他人からそう評価されるのではなく
そういう他人を見たとき、あなたがくだす評価


ということなんです。

少しややこしいけど(^_^;)

心理の分野でいうと「投影」といって

自分の中にあるものを、自分が映写機となって
外野というスクリーンに映し出して見ている


という状態です。

人の考え方や価値観って、人の数だけあって当たり前だと思うんですね。

だから、同じものを見ても、失格と思う人も、合格と思う人もいるし

恥ずかしいと思う人がいれば、まるで気にしない人だっている。

だから「こんなんじゃ~って思われますよね」という聞き方をされても

「そういう人もいるし、そうじゃない人もいます」

私はそういうアイマイ極まりないお答えしかできないのです(^_^;)

そう申し上げると

「いやでも普通は・・・」
「常識的に言って・・・」

と、何とか私の答えを誘導しようとされる方もいらっしゃいます。

その「普通」や「常識」いつ、どこで、どうやって作り上げられたものでしょうね?

それもまた、スクリーンに映し出された「自分(だけ)の考え」なのかもしれません。

「人からされていることは、自分がしていること」

ちょっと受け入れにくいスタンスかもしれませんが、

これが「自分軸」や他人の評価に振り回されない生き方の基礎を作ります。

「心の給湯室」はそのサポートを致します。

人の評価が気になって生きづらいという方は、その思いをこっそり吐き出してみませんか?


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では、今日の記事はここまでです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。






「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

以前、あるセミナーのお手伝いをさせていただいたときのお話です。

開始前に、同じお手伝い人のたちと、打ち合わせを兼ねてランチをしたんですね。

その人たちは、全員笑顔がキラキラしていて、声にも張りがあって

何を話すのも、前のめりですごく楽しそうなんです。

私はセミナーのサポートをするのも、それが初めてでした。

良い経験になると思って立候補して関わらせていただいたんですが、

とにかく緊張していたし、周りは「ポジティブ思考の成功者」ばっかり。

その輝きがまぶしすぎてね。

「場違いなとこに来ちゃったなあ」って次第に萎縮しちゃったんです。

そういう気持ちは言葉にも出るんですよね。

話しかけてもらっても

「いえ私なんか全然」
「差がありすぎて、恥ずかしいです」

なんて自虐的なことばっかり言っちゃったんです(恥)

普段はあんまりそういうこと言うほうじゃないんですけどね。
(↑小さな声で自己弁護)

そしたら周りの人たちが、相変わらず張りのある声で

「なんでそんな言い方するの?」
「そういうこと言うと、その通りの現実を引き寄せるわよ!」
「潜在意識で自己否定してると、こういう時に出るのよねっ」


など、口々に私の発言にダメ出しし始めたんですね。

おっしゃる通り。その言い分は正しいんです。

あえて「善か悪か」で仕分けすれば、私のほうが悪いんです。

ちょっとそれますがコミュニケーションって言葉のやり取りだけじゃないんですね。

むしろ言葉で伝わるのは3割程度。

あとは非言語から、多くをやり取りしているんです。

非言語とは、表情とか仕草とか目線とか声の調子など、言葉以外の部分ですね。

例えば「楽しい?」って聞いて「楽しいよ」と答えてもらっても

全然楽しさが伝わってこないことってありませんか?

それは、相手の声が暗いとか、目が笑ってないとか、顔が疲れ切ってるとか、

言葉以外の部分から「楽しくないオーラ」を受け取っているからなんです。

話を戻します。

周りの人たちの言っていることは正しい。

それは十分分かっているし、申し訳ないと思いつつ、このとき私は


ネガティブな発言に対して、なんてネガティブなんだろう


という思いが否めませんでした。

たぶん、非言語からそれを感じ取っていたんでしょうね。

でも、だから誰が悪いとか、そういう話じゃないんです。


(※注 「心の給湯室」では、善悪、正誤などのジャッジは致しません)


いつも前向きでポジティブ思考でいることが大事。

一般的にはそう言われています。

そうすれば幸せを引き寄せる、とも。

でも、物事はすべて光と影、陰と陽がワンセットで存在しています。

だからポジティブ「だけ」な人なんていないし、

逆にネガティブ「だけ」の人もいるわけないんです。

ポジティブ思考は確かに大事だけど、自分のネガティブな部分を否定したり

見ないフリをした上に成り立つポジティブは、すごくもろいんです。

自分のネガティブな部分をいかに受け入れ、うまく付き合っていくか。

それが、ポジティブの質(?)を左右すると言っても過言ではないと思います。

もちろん、ネガティブ100%な人から常にネガティブビームを浴びせられれば

誰でも逃げたくなると思います。

(そういうときは、逃げていいんです)

でも、何事も程度問題。

ちょっとしたネガティブな言動も許せなくて、過敏に反応して苦しくなったり、

激しくバッシングしたくなったり、排除したくなる。

それは、自分の中のネガティブな部分を、忌み嫌い過ぎているせいかもしれません。

ネガティブさ、ダークな面なんて、持っているのが当たり前です。

良いとか悪いではなく「あるよね」と受け入れるだけでいいんです。

自分の一部として、じょうずに付き合っていくこと。

それが「自分らしく生きる」ことにつながっていくんですよね。


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では、今日の記事はここまでです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


こんにちは。

「心の給湯室」へようこそ。

管理人の浅尾泉(あさおいずみ)です。

いい加減、プロフィールシリーズはこの辺で終わらせなければ(^^ゞ

これまで↓
プロフィール(1)~あまりにも普通すぎる人生~
プロフィール(2)~心理カウンセラーへのきっかけと挫折~
プロフィール(3)~異端児の疑問~
プロフィール(4)~心の給湯室でありたい~




心が微熱を出していませんか

自分のカウンセリングのコンセプトと、いかにも組織の事務員らしい(笑)給湯室が
結びつくとは夢にも思いませんでした。

・心を病んでいなくても

・子どものころに壮絶な経験をしていなくても

・世間的に見て特に不自由ない生活をしていても

・一般的に恵まれている「はず」でも

・今この瞬間、緊急に解決すべき悩みを抱えていなくても


思いを吐き出し、受け止めてもらうという自分のメンテナンスは、絶対必要なんです。


むしろ

「決して生きやすくはないけど、大きな悩み(トラブル)はないし、
とりあえず生きているから大丈夫」


なんていうときはヤバいです。

なぜかというとね、それは『心が微熱を出している状態』だからなんです。

身体に置き換えると分かりやすいと思うのですが、微熱で病院に
駆け込む人は少ないと思うんですね。

仕事や家事を休む人もあまりいないと思います。

日本には「微熱くらい気合と根性で治せ」という風潮もありますしね。

でもね、たとえ「微か」でも熱があることには間違いないんですよ。

健康なときと比べると、全力で走れなかったり、何をするにも時間がかかったり、
ごはんがおいしくなかったり、すぐ疲れたり、なんてことがあるはずです。

気合と根性で治ると思っていたら大間違いで、こじらせて大病をまねいた、
なんてことも珍しくありません。

こうなったら強制終了、シャットダウンです。

心も同じ。

微熱のある状態でも、とりあえず生きてはいけるかもしれません。

でも、なんか重苦しいとか、こんなはずじゃないという違和感とか、
よく分からない不安に襲われるなどの感覚といつも隣り合わせ。


これだとありのままの自分を受け入れたり、人生の舵取りをしていくチカラは、
なかなか出てこないんです。

もっとコワいのは「微熱と思っているのは自分だけ」かもしれないということ。

すでに微熱の域は超えている、という人が実は多いんですよ。

あ、脅すつもりはありませんが(笑)


「心の給湯室」へこっそり寄り道して下さい

カウンセリングを受けるには、世間を納得させられるような「お墨付き」が必要。

まだまだそんなふうにとらえられています。

「心の給湯室」はそんな立派なお墨付きのない人にこそ利用してほしいんです。

他人を納得させられるような「明確な理由」を語れないから、クライアントになれない。

そんなのナンセンスだと思いませんか?

世間がクライアントの許可をくれないなら、自分で自分に与えればいい。

「話したい」という気持ちひとつで十分です。

うまく話せる自信なんかいらないです。

「こんな小さな悩みなんて話していいのかな?」という懸念もいらないです。

仕事中にチョロリと給湯室で一息ついたように、人生という王道にも
ちょっとした寄り道があっていい。

その役割を担うのが「心の給湯室」です。

こっそり心の微熱を平熱に戻したら、また何食わぬ顔をして王道を歩いて下さい。

少しだけど、前とは違う自分になって、歩きやすくなっているかもしれません。

パワーチャージしたいとき、癒されたいとき、迷ったとき、

リセットしたいとき、心の整理をしたいとき、一歩踏み出したいとき・・・

「心の給湯室」は全力でサポートします。

あなたを否定したり、上から目線で指示したり、
エラそうなお説教などは絶対にいたしません。


どうか安心して、こそっとお立ち寄り下さいね。


(浅尾泉のプロフィールはこれで終了です)