翠は病院の売店に向かう途中、待合室にある本棚に目を向けると週刊誌を見つけた。

 ("週刊適当”…?)

 その週刊誌を手にすると、表紙の見出しに”人気俳優・水樹リョウ、謎の美女と深夜で密会””お相手は人気スタイリストM”と書かれていた。

 水樹リョウードラマやCMで引っ張りだこの若手俳優だ。記事を読んでいると、身長差カップルが腕を組みながらホテルから出てくる写真が載っていた。女は背中の真ん中まで伸びた髪を束ね、黒いキャップ・サングラスをかけ、リョウもお揃いのキャップにサングラス姿だった。また、女のお腹は膨らんでいた。女の正体については”人気スタイリストM”になっているが、彼には付き合ってる彼女がいるのだ。「Office MIDORI」の看板モデル・目崎まりあだ。「EMILS」の読モ出身のキャリア豊富なモデルで、画家としての顔も持つ。だが彼女はスタイリストではない。おそらく彼女でないのは確かだ。噂によると、同じ「Office MIDORI」のあるモデルの専属スタイリストではないかと思われる。しかも何度もデートを目撃されているという。そのスタイリストMとまりあとは顔を合わせるたびに取っ組み合いの喧嘩をするほどの険悪な仲だ。

 

 翠はその”スタイリストM”が自分しかいないと思っていた。リョウはまりあと結婚前提で付き合っていた。ある日、私用でリョウの元にやってきた翠が一目惚れして強引に交際を申し込んだ。彼女には夫も子供もいるし財力もある。彼にはそのことは内緒にしていた。結局まりあは彼と喧嘩別れをした。まりあいわく、”女が私たちの仲を強引に引き裂こうとした。彼も女の言いなりになって、私と彼女とどっちが大事なの?あなたはお金で惚れ込んだの?”と言ってあっさり別れたそうだ。

 

 それからリョウは翠と付き合い始めた。彼はまりあと気性が被る翠をすっかり気に入り、順調に交際を続けていた。そんな”予想外”なことが起こった。彼の子供を身ごもったのだ。彼女にはすでに四歳の娘・萌木がおり、堕胎も考えていた。父親が違うことで娘を不憫にさせたくないからだ。しかし命は命、命を粗末にしたくない、父親が違っても大事に育てよう。この子にとって幸せになれると思って…。日に日に大きくなるお腹に夫になんていえばいいのか、やはり娘のために堕ろすべきか。でも弟か妹がほしい娘にとって心待ちにしてるはずだ。翠は悩みに悩んだ。産むか堕ろすか、最後まで考えた。産むことに関してはリョウは賛成していた。だが、彼はあれ以来行方をくらました。売れっ子役者の価値を落としたくないため、この件は封印していた。しかし、週刊誌に取り上げられ、そればかりでなくSNSでも拡散され、あっという間に広まってしまった。隠し子が発覚されると、彼へのイメージがガタ落ちになり、契約事務所も解除、出演予定のドラマやCMもすべてキャンセル。彼は”スタイリストM”こと黒井翠に億単位の損害賠償を請求するつもりでいるそうだ。

 

 その噂は事務所内でも持ちきりだった。”スタイリストM”は翠以外考えられなかった。それどころか、まりあとは犬猿の仲で二人の間には不穏な空気が流れている。ちなみにまりあの専属スタイリストは二番手の玉恵の担当となっている。まりあは(ざまーみろ!バカだよ、あいつ。旦那以外の子供なんて育てられるわけないのに)と、翠を蔑視し自業自得と思っているのだ。

 

 スタッフたちの反応も翠への不信感を募らせ、

 「どう見てもあのお腹、怪しいと思ってたよ。食べ過ぎでなるわけないでしょ。本当に旦那さんとの子供なのかなって」

 

 「えーっ?!チーフが不倫?」

 

 「そうよ、間違いないよ」

 

 「自分のことは棚に上げてやりたい放題しちゃって。そらちゃんを悪者にして。悪者はチーフでしょ。温室育ちでちやほやされたたもの。財力がなかったら、ただの自己中女よ」

 

 まりあも、

 「やっぱりそうだったんだ…人の彼氏を奪った脳内お花畑女、あいつは絶許だから!」と、悔しさと憤りでいっぱいだ。

 

 そらも、

 「まさかチーフがあんな人だったとは…彼女を目標にして頑張ってるのに…彼女には失望したわ」とため息をついた、と同時に翠の本性を知りつくし、彼女への不信感を抱くようになった。

 

 数日後、翠は緑人とともに無事に退院。自宅に戻り玄関で出迎えた夫は眉をひそめ、例の週刊誌を持って仁王立ちしていた。一方、萌木は弟ができて喜んでいた。夫は(この子は俺の子ではない。たしかに目鼻立ちが整ってるし、どちら似とは言い切れない。だが、俺にはとても可愛がれそうでない。あいつはいったい何を考えてるんだ…しかも相手は超人気役者じゃないか)そして夫はとうとう堪忍袋の緒が切れ、体を震わせながら、その週刊誌を床に叩きつけた。

 

 「翠!いったいどういうことだ!いったい何を考えてるんだ!もうお前とはやっていけない。どうするつもりだ!どう責任取るんだ!金に釣られた俺も馬鹿だけど、お前はそれ以上に馬鹿だ!言っておくが萌木は俺が面倒見る。お前に育てられたら将来真っ暗だ!」

 

 「ごめん…ごめんなさい…そんなつもりでは…」翠は必死に止めようとするが、夫の考えは変わらない。側で泣く緑人を不憫な思いをさせたくない。しかし自分が軽率な行動で取りかえしつかないことをしたところで後の祭りだ。誰も味方をしてくれなくなったのだ。 

 (この子に辛い思いさせたくない。私が何としても育てなければ…)

 

 弟の誕生を喜んでいた萌木は一転して、

 「パパが違うからヤダ!」

 

 「萌、あんた弟か妹ほしかったんでしょ?一番喜んでたじゃない」

 

 すると夫は、

 「わけのわからん男の子供を孕んで嬉しいのか?出来心で済まされるかよ。なら、そいつと一緒になれよ!もう知らん!俺は萌木と暮らしていく。お前とは用無しだ。勝手にしろ、好きなように生きていけ」

 

 萌木も口を開き、

 「ママなんていらない…」

 

 「え?今なんて言ったの?」

 

 「萌、これからはパパと暮らす…だからママはいらない。ママなんか大嫌い!」

 

 「じゃ、緑人は?」

 

 「わかったか?萌木だってそう言ってるんだ。もうお前を必要としていない。他人になったからな」

 

 「だって萌はあたしの自慢の娘よ。萌に嫌われたらどうすればいいの?」

 

 「とりあえず慰謝料と養育費は請求する。ったく、ふしだらなことしやがって」

 

 「わかったわよ。それで解決できるのなら、あたしは緑人を連れて実家に帰るから」翠は自分の持ち物をさっさとまとめて生まれたばかりの緑人と実家に帰る決心をした。夫との結婚生活は五年で終えた。

 

 

 (つづく)

 その時だった。翠に異変が起きていた。彼女のお腹が日に日に大きくなっていたのだ。これまでは夫や仲間たちにバレないよう、さらしやコルセットを巻いてごまかしてきたが、ここまで大きくなってくるとどうにもならなくなってきたのだ。臨月に入ったのだ。

 「チーフ、ところでどうしたの、そのお腹。もしかして二人目ご懐妊?」

 

 「そんなわけないでしょ。ちょっと食べ過ぎただけだよ」

 

 「どうみてもおかしいですよ。今から病院に行った方がいいですよ」スタッフたちは彼女のお腹を見て違和感を持った。

 

 「大丈夫、大丈夫。大したことないって。ほんと大袈裟なんだから」

  

 そんな強気な翠が急にうずくまるように倒れた。まりあは、

 「ざまーみろ!バチが当たったのよ!」と嘲笑ったが、翠は再びキレて、

 

 「また同じ目に遭わしたろか?」

 

 「あーら、お腹に悪いわよ。あんまりカッカしてると」

 

 「うっせーわ。あんたにはわからないわよ」

 

 「早く救急車呼んで!」唯子たちは慌てて救急車を呼ぼうとすると、

 

 「呼ばなくていいよ…」と翠は声を絞らせた。

 

 「何言ってるのですか。もしものことがあって大変な思いをするのはチーフですよ」

 

 翠はなんとか立ち上がろうとしたが、足元がふらついて上手く立てない。倒れそうになったが、唯子とそらが支えてくれた。

 (だから無理しなくても…どこまで意地っぱりだか)スタッフたちは心配するものの、彼女の頑固さに辟易していた。やがて救急車が到着、担架に乗せて病院に運ばれた。

 

 「ここはどこ?」翠が目覚めた場所は病院のベッドだった。この病院は、ついこの間まで裕一郎の妹・咲子が勤めていた。

 

 (だから入院したくなかったのに…)腕には点滴の針が刺されていた。ボーッと天井を見つめながらため息をついた。そして看護師が入ってくるなり、

 

 「早くここから出させて!あたし、ここにいたくない!」と噛みつくと、

 

 「黒井さん、落ち着いてください。もうじき新しい家族が生まれますよ。あと少しの辛抱です」

 (新しい家族?萌に弟?妹?そういえば検診に一度も行ってなかったわ…)すると翠に笑顔がほころんだ。が、不安もあった。

 

 (でもパパは旦那じゃないんだ…もしそのことが旦那にバレてしまったら…)弟か妹の誕生までに、彼女はおとなしくベッドで横たわっていた。

 

 そして数日後、陣痛が起き分娩室へ。男の子を無事出産、「緑人(りょくと)」と名付けた。

 (やっと生まれた…萌に弟が生まれたんだ…でも旦那にわからないようにしないと…もしわかってしまったら”俺の子ではない””DNA鑑定が必要だ”になっちゃうだろう…)

 

 萌木にとって待望の弟の誕生ではあるが、父親が違うと知ったらショックだろう。いっそのこと里親に任せるか養育施設に預けるか考えているが、せっかくお腹痛めて産んだ赤ちゃんを易々と手放せない。

 (ごめんね、緑人…あたしは育てられるだろうか。旦那や萌のことを考えたら…)

 

 

 (つづく)

 

 

 

 そらが”Office MIDORI”に来なくなってから数日経つが、翠を除くスタッフたちは彼女を懸命に探しても見つからなかった。

 (どこかで身を投げ出したのだろうか…)と心配はあがっても、エツコと翠は、

 

 「いつまでいなくなったあの娘の心配をしてんのよ!どうでもいいでしょ!いなくたっても別に困ることじゃないでしょ!私らはいなくなって清々してるわ」

 

 その時、そらは自分のアパートに帰っていた。

 (どうか私を探さないでほしい…)職場を飛び出してからしばらく彷徨う日々を続けていた。そしてこれからについて考えていた。

 

 (疲れたな…寝て忘れるとするか…)やがて眠りにつき、翌日は休みのため、母・五美に電話をかけた。彼女は近くの飲食店で短時間ながらパートをしているが、偶然にもこの日は休みだった。

 「もしもし、母さん…」

 

 「そら、元気でやってるの?ところで、どうしたの?自分の夢はあきらめたの?」

 

 「うん…私やっていけそうでない…一人前になって親孝行したかった。でも現実は甘くなかった。足手まといになってダメ出しばかり喰らって…ごめんね…」

 

 「あんたが辛いのはわかるわ。でも夢はあきらめてはダメよ。一度決めた夢は最後まで貫き通さないと」

 

 「夢はあきらめたくないわ。だけどチーフから”あんたの顔は見たくない、一緒に仕事したくないって”」

 

 「どこの職場でも、そういう人がいるよ。私だって”貧乏”だの”疫病神”だの、ひどく言われてる。それでも自分に言い聞かせてそらのために頑張ってるのよ。気にしたところで仕方ないでしょ?」

 

 「言い方が上から、というか私だけに辛く当たってるの。彼女には逆らえないの」

 

 「そのチーフも業界から崇められてるのでしょ?あんたは彼女に追いつこうと一生懸命になってるのでは?それが裏目に出ているんじゃない?無理があるよ」

 

 「チーフに認められるくらいになりたいけど、彼女の横暴な性格だと無理だよ。やっぱり向いてなかったのかも…」

 

 「何言ってるの!弱音吐いて!自分が選んだ道でしょ?そこから、どうやって生きていくのよ!」

 

 「だって…だって…情けなくて…私が社長やチーフのストレスのはけ口にされてるからどうしようもないよ」

 

 「悔しければ、そのチーフをギャフンと言わせるくらいにならないと」

 

 「母さん…私に期待しても絶望的だよ。もうタヒぬしかない…私は要らない子なんだ…こんな親不孝な娘なんて要らないでしょ…」

 

 「そんなことないよ。大切な娘だよ。自分が一人前じゃないから、せめて娘のあんただけでも…」

 

 「もういいよ…私に期待しすぎても母さん、疲れるだけだよ。じゃ、切るね…」

 

 そらは長々と五美と話した後、愚痴を聞いてくれるどころか、叱責された。親を喜ばせ、楽にさせたいのはわかっている。だけど自分の非力さを責め、期待に応えられない。励まされたらどれだけ自信につながるか、母はわかってくれない。

    

 そらの父親は、彼女が物心がついてない頃に交通事故で亡くしている。なので父の顔を知らずに育った。彼女はふと思ったのだ。自分は色白でブロンドかかった茶髪に青みがかかった瞳、もしかして父親は外国人だったのか、母・五美にそのことを問いかけたが(あんたには関係ない。外人だろうがなかろうがどうだっていいじゃない。これは私だけの秘密だから)と父については何も教えてくれなかった。

 

 (母さん、秘密や隠し事があるのなら私は怒らないから、教えてほしい。私の父さんは外国人なのか)と。そらはモヤモヤしてスッキリしない。いち早く解決してほしいことなのに、なぜ封印するのか。母が生きている限り、秘密にしたい理由があるのだろうか。でももう天国にいるから会いたくても会えないから仕方ないのか。悩んだところで前に進まない。いつか明かしてくれる、と信じて。

 「さ、明日から仕事。ショーに向けてラストスパート!チーフたちの足手まといになっちゃダメだ!」と気を引き締めた。

 

 翌日、そらが職場復帰すると、唯子たちが、

 「そらちゃん戻ってきてくれたのね~皆心配してたよ」

 

 「ありがとうございます。本番の進み具合はどうなってるのですか?」

 

 「それが…中止になったよ」

 

 「えーっ!?どうしてですか?」

 

 「チーフのせいよ」

 (やっぱりそうだったのね…あの暴れっぷりは尋常じゃなかった。せっかくコーデしても一気に台無しにしちゃったもの。一からやり直すとしても時間がかかるし、当然本番に間に合わない。それに招待されたモデルさんたちもカンカンに怒ってるでしょうね)

 

 「それでチーフはどうなったのですか?」

 

 「まだいるよ。よくクビにならないよ。社長のお気に入りなんだから」

 

 「でも、あの時よりおとなしくなったような…あの件で懲りたのでしょうか?」

 (そういえばチーフ、いつもより元気なさそう…これまではイケイケで自分勝手に振舞ってたもの)

 

 「十分反省してるみたい。同じ過ち繰り返さないって。どうせ、またやらかすよ」

 

 翠はそらに、

 「そらちゃ~ん、あんたのせいで中止になったよ~」

 

 唯子や玉恵は、

 「そらちゃんのせいじゃないでしょ」

 

 モデルのまりあも、

 「自分がブチ壊しておいてよく言うわ。そらちゃんの何が気に入らないのよ」

 

 翠は逆上して、

 「あんたには関係ないでしょ!あたしは自分が気に入らないと、とことん叩きのめさないと気が済まないの!だからあんたもこうしてやるわ!」と、まりあの胸ぐらを掴み、

 

 「きゃっ、やめて!何するのよ!」さらに長い髪を掴み、押し倒され腰を強打した。

 

 「痛い!助けて!」

 (フンッ、あたしに不満があるのなら、こうなるのはわかってるでしょ!)と、翠はしてやったりの表情だ。

 

 「まりあちゃん大丈夫ですか?」専属スタイリストの玉恵は、まりあを起こそうとすると、

 

 「痛い…腰を強く打ったみたい」

 

 「しっかりして、まりあさん」

 腰を強打したため、骨折したかと思っていたが大事には至らなかった。軽い打撲だった。

 

 「チーフ、なんてことをするのですか!ケガさせてモデル生命縮めるつもりなんですか?もし、万が一そうなったら責任をとってくれるのですか?」

 

 「うるさいわね!皆あたしの前から消え失せてよ!」

 (あ~あ、せっかくおとなしくなっても、また同じことやらかすよ。社長もいい加減贔屓するのはやめてよね。潔くクビ切ったらいいのに)  

 

 

 (つづく)