翠が帰った後、職場がパッと明るくなり、ピリピリした雰囲気もなくなっていた。
「あー、パワハラ女がいなくなって清々したわ」玉恵らスタッフたちも一安心。そらも、チーフがいなくなってもやっていける、と自信満々だ。ただ心配なのが、まりあの体調だ。数日経っても事務所に連絡がなく、一週間が過ぎようとしている。社長のエツコは、
「何考えてるんだ。具合悪くなって休むにせよ連絡入れるのが常識ってもんだろ。事務所を背負ってく人間として恥ずかしくないのか」と、憤っていた。
専属スタイリストの玉恵は心配のあまり、彼女の家に訪ねるため許可を取った。あくる日、玉恵はまりあの自宅を訪ねると、玄関から出てきたのは母の美雪だった。彼女の家はごく普通の一軒家で、派手な印象はなかった。
「はじめまして。私はまりあちゃんのスタイリストを担当しております、初見玉恵です」
「こんにちは。いつも娘がお世話になってます。どうぞ、こちらへ」美雪は玉恵をリビングに招き、お茶をいれた。
「ありがとうございます」
「玉恵さん、娘のことなんですが…」美雪は重い口を開くと、
「実は…ステージ4のガンです…あなたたちには言いづらかったから黙っていてすみません」
「えっ…?たしか風邪で休むとは言ってました。でも長引くとは考えられないし…まさかガンだったなんて…」玉恵は信じられない顔をしながら言った。
「何日経っても具合がよくならないから病院で検査してもらったんです。そしたらガンだったなんて…主人も私も信じられなくて食事が喉を通らなくて、すごくショックです」
「それは辛いですね。何のガンだったのですか」
「白血病です。そればかりか、全身の臓器に転移してしまって…」
「そんなにひどくなるまで放っておいたのですか?」
「ええ。自覚症状がなかったから、日常生活には差し支えないと本人も言ってました」
「そういえば、最近食欲なかったり顔色も悪いし、少し動いただけでも疲れると言ってました」
「主人も私も気づかなかった…早く気づいてればあんな辛い思いをしないのに…食欲もないから、野菜ジュースや果物しか摂らなくなって。だからみるみる痩せて…」美雪の眼には涙を浮かべていた。悔やんでも悔やみきれない、ただただ自分を責めた。
「親御さんは悪くありません。自覚症状も人によって違います。彼女、なかなか口に出せなかったんですよ。仕事優先だったし事務所の看板背負ってるだけに、色々プレッシャーがあったんだと思います。親御さんにも心配かけたくなかったですし」
「仕事一筋だったのね…私たちも娘に期待して生活を支えてくれて助かってるの。主人は会社をリストラされて交通整備員を細々とやってて、私は専業主婦だけど、それだとさすがに厳しいのでパートを始めようかと」
「それは大変ですね。彼女が入院生活になると、ますます苦しくなりますよね」
「そのために生活を切り詰めないといけないし、主人の貯金もいくらかありますが、それも底をつきそうで…」
「私、近いうちに病院に見舞いに行ってきます。どうかお大事になさってください。では失礼します」と、玉恵は美雪に言い残して目崎家を後にした。彼女は帰路につきながら、
(あんなになるまで放っておいて…まりあちゃん、かなりストレス溜めこんでたんだろうな…)と思っていた。
翌日、玉恵は仕事を休み、まりあが入院している病院へ見舞いに行った。
「えっと…567号室だっけ…?あ、ここだ」
すると、病室の出入口のドアに”面会謝絶”の貼り紙があった。
(どうして…)彼女はしぶしぶ病院から出て、母・美雪に電話をかけた。
「もしもし、お母さんですか?昨日はお邪魔しました。さっき見舞いに行きましたけど、”面会謝絶”になってました。なぜですか」
「ごめんなさい。言い忘れてましたが家族以外面会できないことになってます」
「それをどうして…」
「娘はほとんど食事を摂らず点滴と抗ガン剤でなんとか生き延びてる状態です。こんな状況で見舞いに来られても、娘も意識が回復する兆候がなく絶望的になってるんです」
「かなり進行してるのですね…特に若い人は進行が早い、と聞きます」
「年齢は関係ないですよ。若い人でもお年寄りでも生存率は高いですし。娘の場合、たまたま症状が進んでましたから」
「もし、早期発見なら助かってたのですね。彼女、無理がたたってたかもしれませんね」
「心配してくれてありがとう。くれぐれもご自愛ください。」
「ありがとうございます。お互いに気をつけましょうね」
(そうだったんだ…まりあちゃん余命どれくらいなんだろう…あれだけ進行してたら長くないのかも…早く気付いてたら移植なり助かる手段はいくらでもあったのに…)と悔やんでいるが、すでに手遅れのようだ。その後、まりあは無菌室に移された。
(つづく)