時は流れ「Office MIDORI」では、チーフだった翠が去ってから職場は穏やかな空気に変わり、スタッフたちも仕事がスムーズに運ぶようになった。その時、玉恵のスマホの着信音が鳴った。まりあの母・美雪からだ。

 

 「もしもし、初見ですが…」

 

 「玉恵さん、娘が…危篤なんです…私たちはずっと付き添いでいます…」美雪は動揺しながら娘の病状を知らせた。

 

 (ええっ?まりあちゃんが…)

 「お母さん、とりあえず落ち着いてください。これから病院へ向かいますので」玉恵たちスタッフは車を乗り合わせて急いで病院に向かった。病院に到着すると、

 

 「何号室だっけ?」

 

 「567号室よ」やがてまりあのいる病室に入ると、両親、姉夫婦が付き添いをしていた。

 

 「親御さん、お姉さん、お疲れ様です。大勢詰めかけてすみません」

 (みんな…皆、来てくれたんだ…)彼女は酸素マスクを付けられ、点滴の針も刺されて、呼吸も苦しそうだった。うつろな眼差しで仲間たちを見つめていた。

 

 「まりあちゃん、しっかりして!返事して!」

 

 「まりあ、俺だよ。裕一郎だよ。聞こえるか?」

 

 「お願い!まりあさん、目を覚まして!私を見て!」

 

 やがて虫の息となり、意識も朦朧とし、臨終が近づいてきているのを感じた。

 (私、このまま息絶えるのだろうか…まだしにたくない…元気になってまたモデルの仕事がしたい…)まりあは涙を浮かべ、モデル復帰は叶わずに終えてしまうのだろう、と思うとやるせない気持ちだ。

 

 「私の手を握り返して!」すると、彼女は玉恵や唯子、そらの手を握り返してくれた。だが、その手は冷たくなっていた。両親と姉は、

 「仲間たちの優しさに、娘も嬉しいと思ってます。皆に出会えて感謝しています」

 

 まりあは、一筋の涙を流すと、ゆっくり目を閉じた。主治医がやってきて酸素マスクを外すと、体温が下がり心拍数モニターの波も打たなくなり一直線を描くようになった。

 「あらゆる方法を試みましたが回復の見込みがありません。まことに残念ですが、ご臨終です」

 

 (皆、ありがとう…皆に見守られ私は幸せです…)

 そして、彼女は家族や仲間が見守る中、永遠の眠りについた。

 

 「まりあ!まりあ!どうして親より先立つの!」母・美雪が叫んだ。だが、いくら叫んでも返答がないまりあには母の気持ちは届かなかった。

 

 あまりにも早すぎる彼女の死に仲間たちはすすり泣きした。

 「まりあちゃん、まだまだ若いのにあんまりだよ…ショーも出たかったのに果たせなかったなんて…あなたには”Office MIDORI”を背負っていく存在なのに…あなたがいなくなったら、これからどうするの…」専属スタイリストの玉恵は涙が止まらなかった。

 

 「まりあさん、今までありがとうございました。チーフにやられっぱなしだったの時に、あなたに助けられました。あなたがいなければ私はこの仕事を続けてなかったと思います。本当に感謝しています」と、そらも涙を流しながら話した。

 

 社長のエツコも、

 「あんたには色々迷惑をかけてきた。だから天国で私たちを見守っておくれ」

 

 しばらくして、まりあの亡骸は葬儀場に運ばれた。同時に家族や仲間たちもそちらに向かった。葬儀場ではホールスタッフたちがまりあを棺に納めて葬儀の準備を始めた。

 (この現実を受け入れられない…悔しい…まりあちゃんは事務所の”宝”だもの…)

 

 

 (つづく)

 

 「そうだ!お天気いいから公園あたりを散歩しましょうよ」玉恵は散歩に連れていくことを考えた。

 

 「いいよね。せっかくいい天気だし、きれいな空気吸いたいよね。それにリフレッシュにもなるし」母・美雪は賛成だ。

 

 そして玉恵・エツコ・翠の三人は、車椅子のまりあを押しながら近所の公園まで散歩に行った。空は雲一つない青空で穏やかな日差しがさしていた。まさに散歩日和だ。

 

 「いってらっしゃい。気をつけてね」

 

 「久しぶりの外の空気、なんておいしいのだろう」まりあは大喜び。三人も彼女の笑顔を見て一安心だった。木々の緑を見ていると、普段の喧騒を忘れるほどだった。

 

 「こうやって歩いてるのも、最後にならなければいいが…」まりあは再び入院生活に入ると思うと、もうそこには戻りたくない気持ちになった。

 

 「まりあちゃんの好きな食べ物ってなんだっけ?」

 

 「マグロのお寿司かな」

 

 「じゃ、買ってくるね」三人は帰宅途中、スーパーに寄ってマグロのお寿司を買うと、早く食べたい!とまりあは待ちきれない様子だった。そして帰宅。

 

 「お母さん、ただいま~」

 

 「おかえり」

 

 「まりあちゃん、とても喜んでましたよ。私たちも元気をもらいました」と、玉恵。母の美雪も、

 

 「よかったわね。顔の色つやもよくなったみたい」

 

 「そうですか。それはよかったです。思いっきり楽しんできましたよ」その後、まりあは好物のマグロのお寿司をペロリと平らげ食欲も増してきた。

 

 「おいしい~これで元気になりそう」彼女はゴキゲンだった。三人も嬉しそうな姿を見て眼を細めた。

 

 「短いながら楽しい一日でした。今日はありがとうございました。まりあちゃん、元気になって再びモデルの舞台に立てるよう祈っています。お母さんもくれぐれもご自愛ください。お父さんにもよろしくお伝えください。それでは失礼します」

 

 「皆ありがとう!必ずよくなってモデル界に戻ってきます!」

 三人はまりあと美雪にお礼を言って目崎家を後にした。あれから三人は和気あいあいと語りながら事務所に戻った。

 

 「おかえり。どうだった?」と。唯子が言うと、

 

 「散歩に連れってたけど、すごく喜んでたよ。そしたら途端に元気になったみたい」

 

 「それはよかったです。これでよくなるといいですね」と、そらは眼を輝かせた。

 

 メイク室に行くと、全身コーデされた衣装がクローゼットにしまわれていた。それは、まりあが”ミドコレ”で着るはずだった衣装だった。コーデしたのは、もちろん玉恵だ。至るところにきらびやかなレースが施され、暖色系でまとめられた彼女らしいコーデだった。翠に切り刻まれずになんとか免れた。

 (まりあちゃん、これを着るんだったんだ…楽しみにしていたのになあ…元気になったら、これを着てショーに出てほしいな)

 

 「先輩、何見てるのですか」そらは玉恵に訊いてみると、

 

 「見て、私がコーデしたの。綺麗でしょ。まりあちゃんが”ミドコレ”で着る予定だったの」

 

 「素敵ですね。でも無事でよかったです。チーフに切り刻まれるところでしたよ」

 

 「そうなんよ。それだけは何としても”死守”したかったから」

 

 「大事にしてほしいですね。いつか着れるのが楽しみですね」そらは振り返ってみると、エツコと翠がいた。

 (あれ?チーフ、もう来ないと思ってたのに…どういうこと?)

 

 「まりあさんに会ってきたのですね。あなたたちのやってきたこと、彼女は許してくれましたか?」

 

 「なんとか許してくれたよ」

 

 「…そうですか」

 

 「もう会えないと思って、この場で謝っておこうかと…」翠の口調は職場を去ってから随分穏やかになった。

 

 「ところで、お子さんは?」

 

 「施設に預けたよ。その方がこの子にとって幸せになるかと。あたしも運よく安いアパートで暮らすことになったよ」

 

 「よかったですね」

 

 「あたしは天涯孤独になってしまった。家族に見放され、両親からも縁を切られ、兄さんたちからも消息が絶たれて…」

 

 「それって、自業自得ではないでしょうか」翠から一方的にやられていたそらは、立場が逆転したかのように感じた。翠は彼女に噛みついたり反論することもなくなっていた。

 

 「チーフにはひどいことをされてきました。私がせっかくコーデした衣装も、あの出来事のせいで一生忘れません。今さら反省しても許されるとでも思ってるのでしょうか」

 

 「…そら、悪かったよ。あたし心を入れ替えて、いつかまた、この業界に戻ってくるよ」

 

 エツコも、

 「彼女もこう言ってるのだから許してあげなよ」そしてエツコと翠はそらに一切口出しせず、彼女の元から離れていった。だが、翠はこれまでの自分の軽率な発言や行動に冷静さを取り戻すが、再びこの業界に戻るのは難しいだろう。

 

 「あー、やれやれ。あの二人に散々振り回されてきたもの。いなくなって清々しちゃった」と、そらはホッとした。

 

 

 (つづく)

 

 

 次の日、玉恵は「Office MIDORI」で、まりあの容体について話した。

 「まりあちゃん、実は白血病だったんです…。しかもかなり症状が進んでて、あちこちに転移してて予断を許さない状況になってます。おそらく余命も半年くらいでしょう。先日、見舞いに行ってきましたが、面会を断られました。あれから無菌室に移されたそうです」

 

 「てっきり風邪が長引いて肺炎起こしてたかと思ってた。まさか白血病だったなんて…」モデル仲間やスタッフたちはショックを隠せず、仕事も思うように捗れなかった。そんな日々が数週間続き、その時だった。玉恵のスマホの着信音が鳴った。まりあの母・美雪からだ。玉恵は彼女に連絡先を教えていたのだった。

 

 「もしもし、お母さん?この間はありがとうございました」

 

 「急にビックリさせてごめんなさいね。娘の容体が落ち着いてきたので外泊の許可が下りたのです。一週間後になりますが、たった二日間だけど、ぜひとも会いに来てくださいね。おそらく最後になるだろうけど、娘も楽しみにしてますよ」

 

 「そうですか!ぜひ会いに行きます!その節はお世話になります!」

 

 「しばらく無菌室で過ごしていましたが、一般病棟に移りました。ただ、大勢で来られると身体の負担になりますから、せいぜい二、三人まででお願いしますね。娘も早く元気になって仕事に戻れるように主人も私も祈ってます」

 

 「誰からよ」と、社長のエツコ。

 

 「まりあちゃんのお母さんからよ」

 

 「私、会いに行きたい!」

 エツコは翠と一緒に行くことを考えているが、翠はすでにいなくなったし、来られてもまたひと悶着しそうだ。しかし、彼女はその場で謝りたいと、どうしても行きたいというのだ。

 (チーフが謝ったところで許してくれるとでも思ってるのか。まりあちゃん、彼女に対してかなり恨みを持ってるからね)

 

 エツコは皆に声をかけた。

 「私と、翠と、あと一人…」

(なんで社長とチーフが行かなきゃなんないの?まりあさん、いい迷惑だよ)

 

 「異議あり!」

 

 「あら、何が不満なの?彼女に謝りたいのよ」結局、エツコ・翠・玉恵が会いに行くことになった。エツコはさっそく翠に連絡を取ると、

 

 「まりあが今ガンで入院してて、明後日から二日間外泊だって」

 

 「そうだったんだ…でももう関りがないから。行きたければ社長が行ってきたら?」

 

 「何無責任なこと言ってる!会いに行くにせよ最後だろうよ!彼女に謝っておこうよ」

 

 「……」翠は何も言い返すことなく沈黙していた。

 

 そして一週間後、まりあの外泊の日がやってきた。彼女は車椅子に乗せられ、抗ガン剤の影響か自慢の長い黒髪は抜け、ショートボブのカツラに白いニット帽を被っていた。ずっとベッド上での生活のため、一人で歩けないほど足腰が弱りだいぶ痩せ細っていた。

 「こんにちは。お邪魔します」

 

 母の美雪が出迎えてくれた。

 「この度は娘に会いにきてくれてありがとうございます。ご覧の通り、娘は病と闘っています。接するときは優しくしてあげてください」

 

 変わり果てたまりあを見たエツコと翠は、

 「まりあさんにひどいことをしてしまい、すまないと思ってます。彼女に会えるのは最後だと思って、この場を借りて謝りたいのです。本当に申し訳ございませんでした」と、土下座しながら謝った。

 

 「あなたがたが娘に何をしたのかわかりませんが、気持ちは伝わりました」と母の美雪が言うと、

 

 「やっと許してくださるのですか。元気になって戻ってきてください」とエツコはホッと安心した。とはいっても、この時だけ”善人”ぶってるのがミエミエだろうけど。

 

 すると、まりあが重い口を開くと、

 「皆ありがとう。私は生きててもあと半年。助かる見込みもほとんどなくなりました。でも命ある限り、一日一日悔いのないよう過ごしていきます」その言葉を聞いた翠は涙を浮かべた。

 

 「チーフ、どうしたの、子供は?」

 

 「施設に預けたよ」

 

 「ええっ?自分で育てるって…」

 

 「色々考えたけど、そっちの方が幸せになれるかと」

 

 「他人の男とデキた子供まで捨てるとは…」まりあのその一言で翠はキレそうになったが、そこはぐっとこらえていた。そして、

 

 「まりあ、ごめん…。あんたに散々ひどいことをしてきた。ケガをさせたことも謝らなかった。だから許して…」

 

 「許す許さないの問題じゃないです。あなたが十分反省してるのならそれでいいです。”Office MIDORI”がますます発展するように祈ってます」

 

 翠はとうとう泣き崩れ、

 「ごめんね…ゴメンね…あんたが楽しみにしていたショーをブチ壊して…それなのに他人のせいにして…チーフとしてやってはいけない行為だったし、恥ずかしかった…」

 (それって、”なんとかの眼に涙”というんだっけ?)

 

 エツコも、

 「翠もちゃんと謝ってるのだから、これからはスタッフ一同、力を合わせて事務所を発展させていくよ」と決意した。

 

 

 (つづく)