「あの…そらちゃん。言ってもいいですか?実は僕、結婚を考えてるのですが…」

 

 「私、一人暮らししているから家事は得意ですよ。でも、今は考えさせてください」

 

 「すぐに返事しなくても大丈夫です。いきなり言っちゃってごめんなさい」

 

 「こちらこそ気にしてませんよ。自分の節約料理をSNSでアップするのが今の楽しみです。おかげでフォロワーもできました。まだ一桁ですけどね。一度見てください」そらは得意げに話した。

 

 「節約料理ですか?僕も自炊してますから参考にしたいです。あ、もちろんフォローもしますよ。僕はそらちゃんの素朴な人柄にひかれて君となら幸せになれると思ってます」

 

 「ありがとう。今まで一度も言われたことがなかったから嬉しいです。一緒に幸せになれればいいですね」彼女はピコと前向きに結婚を考えるようになった。

 

 「いいぞ!!似合いのカップルだ!」と、仲間たちは二人を祝福し、二人は照れくさそうに微笑んだ。

 

 「でも…お金がないから式を挙げれなくて…」

 

 「その心配はご無用。俺たちで何とかするよ」

 

 「私たちも協力するわ」

 

 「気を遣わなくても大丈夫です。籍入れるだけで十分です。な、そらちゃん」仲間たちが気遣いしてくれるが、ピコとそらは自分たちで幸せな家庭を築いていくと決めたのだ。

 

 「うん、そうね。お金はなくても愛があれば…」

 

 「そらちゃんの言う通りだよ。愛や幸せはお金で買うものじゃないですよ」

 

 数か月後、二人は晴れて入籍し、裕一郎宅に居候していたピコはそらの住むアパートで新しい生活を始めた。いずれはマイホームを手に入れるつもりだ。そして、新しい事務所を立ち上げることになった。ちっぽけだけど「Office MIDORI」のときより大きくするのが夢だ。裕一郎らモデルやスタッフたちもバックアップした。

 

 「事務所の名前を考えてるのだが…そうだな…」名付けは思うように決まらない。

 

 「そうだ!”スカイペガサス”はどうだろうか…」そらの名前からヒントを得たのだ。

 

 「でも、それだと私だけの事務所になっちゃうから…今一つしっくりこないし…」

 

 「いいじゃない。僕はそれでいいと思ってるよ」

 

 「じゃあ”スカイペガサス”に決定だな!」新しい事務所の名前は「スカイペガサス」。社長はそらになった。

 

 「私に社長が務まるか不安ですけど、先輩・仲間たちの力を借りながら、ともに成長していこうと思います」この名前はペガサスが空に向かって大きく羽ばたく姿を将来の事務所のイメージと重ねているのだ。

 

 「素敵な名前です。名前に負けないよう発展するといいですね」そんな時、事務所のドアをドンドン叩く音が聞こえた。やってきたのは「Office MIDORI」の元社長・小山田エツコと元チーフスタイリストの黒井翠だった。そして、入り口で待ち構えていたのは、もはや”一人前”となったそらだった。

 

 「このたびは、あんたに”貧乏””田舎者””能無し”とひどい言葉を浴びせて、本当に申し訳ございませんでした」

 

 「あたしのなけなしのお金をあげます。これで許してもらえますか」エツコと翠は土下座をしながら謝罪をしたが、そらはきっぱりと言った。

 

 「私たちが欲しいのはお金ではなく、心からの謝罪です」

 

 「二度とバカにしたり罵ったりしません。お願いします。許してください」

 

 「わかりました。あなたたちとは、もう関りがありませんから、ここから去ってください。今までお世話になりました」

 弱気な面しか見せてなかったそらの強気な一言に、さすがの二人も小さく縮こまった。あれだけ強がりで高圧的だったが、肩を落としながらこの場を去った。

 

 「さ、気分一新、頑張るぞ!」

 

 

 (つづく)

 

 

 

 

 看板モデルとチーフスタイリストがいなくなった「Office MIDORI」では、事務所の今後について話した。チーフだった黒井翠が去ってから存続が危ぶまれているだけでなく、看板モデル・目崎まりあ亡き後、所属モデルたちの移籍は不可避だった。特に水林裕一郎はいくつのも大手からオファーが届いており、本人もその気だったようだ。しかし、それでも彼が「Office MIDORI」にとどまったのは愛着があるからだ。たとえ小さな事務所でも、仲間たちに支えられ、声をかけてくれたデザイナー兼スカウトマンの九十九遥への恩が忘れらないと。彼への恩を返したいために”ともに頑張っていこう”と約束していたからだ。彼の存在が裕一郎の成長の糧になっていたのだった。だが、専属スタイリストの翠がすべてをブチ壊したのだ。

 社長の小山田エツコは、

 「ここまで大きくしても、人材が離れていけば弱小事務所に成り下がってしまう。いつかは畳もうかと思っている。立て直すのも無理がある」と、詰んでいるのだ。そこで、裕一郎は「新たに事務所を一から作ろうよ」と提案をした。彼も大手事務所に引き抜かれる噂があったが、弱小であれど「Office MIDORI」を守っていく気持ちが強かった。もちろんそこにいるモデルたちの引き留めもする。

 

 「ここにいるメンバーで、なんとかやっていけそうじゃないか。俺もバックアップするよ」

 

 「心強いですね。そんな手もあるとは」それを聞いて裕一郎はニヤリと笑った。

 

 「さっそく実行に移すか!」

 

 すると、エツコは突然、

 「私は社長としての役割を終えた。これからはあんたたちに任せる」と、あっさりと社長職を退く決心をした。彼女は再び夫が店長を務めるスーパーで働くつもりだ。

 

 「社長、長い間お疲れ様でした。新しい事務所を立ち上げて、これまで以上に発展させるぞー!”Office MIDORI"は今日限りで解散だ!」

 その時だった。裕一郎は付き人の”ピコ”こと土家亜希良と天馬そらに新しい事務所の経営を任せることを考えた。

 (マジですか…?)

 そらは、

 「私じゃとても務まらないです。ところで、ピコさんって誰なのか、一度もお会いしたことがなくて…」

 

 「そういえば、そらちゃん、ピコとは一度も会ってないんだな。近いうちに会いにいこうか」彼女は不安を抱えながらピコと会う約束をした。数日後、彼は事務所にやってきて、そらと顔を合わせた。二人は初対面で、互いの印象はおとなしくて地味だけど忍耐強く、また家庭環境も似ているため、親近感を持つようになった。

 

 「はじめまして…天馬そらと申します」

 

 「こちらこそはじめまして。土家亜希良です。皆から”ピコ”と呼ばれてます。だからそらちゃんもそう呼んでください」

 

 「そうなんですか。可愛らしい呼び名ですね。でもいいのですか?」ピコは照れくさそうに微笑んでいた。

 

 「自分、その呼び名、気に入ってます。元々は”ピコレット”なんだけどね」側にいた裕一郎たちは、

 

 「なかなか似合いじゃねーか。チビ同士で陰キャなとこもな」

 

 「ゆうさん、失礼です!そらちゃん、チビじゃないですよ」

 

 「ごめんごめん」皆、大笑い。

 

 「そらちゃんも苦労されてたんですね。お父さんを亡くしてお母さん一人で育てて…」

 

 「ええ。母さんも持病があって無理のできない体なんです。思うように働けなくて、いずれは私が親孝行するつもりでしたから」

 

 「僕も父一人で育ったけど、ろくな仕事に就いてなかったから学校では”お前の親父の仕事、底辺だな”といつも馬鹿にされてました。ガードマンしてましたけど、どこが底辺なんでしょうかね?」

 

 「ガードマンって、警備員のことかしら。それだって立派な職業ですよ。その人たちのおかげで日々の安全が守られてるのを知らないのでしょうか。それを底辺と馬鹿にするなんて失礼しちゃう」

 

 「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいです。天国の父も喜んでくれます」

 

 「お父さん、亡くなったの?」

 

 「うん。僕が中学生の頃、ガンになって。それも末期、余命半年と告げられたときは気が狂いそうになりましたよ。僕のために一生懸命働いてメシを食わせて学校に行かせて…そのかいもなく、四十手前で息を引き取ったんです」

 

 「お父さん、まだ若いのに…お母さんは?」

 

 「まだ物心がつかない頃、男を作って出て行ったよ。だから顔を知らないんだ」

 

 「ひどいです!母より女を選んだなんて…まして可愛い盛りに…あ、今でも可愛いですよ、ピコちゃん」ピコは頬を赤くしながら、

 

 「そらちゃん、ハーフっぽいけど、もしかして、お父さんが?」

 

 「私も父さんの顔を知らないのです。交通事故でなくしましたから…。物心がついて自分の髪や瞳の色で皆と違うことに気づいて…母さんに訊いてみたけど教えてくれないの。おかげで学校でもいじめに遭って”やーい外人”だの”片親”だの”ててなし子”って」

 

 「そうだったんだ…僕もそうだったよ。悔しくて悔しくて。親父と一緒に泣いたよ」

 

 「同じ境遇だったんですね。私も寂しかったです」

 

 「これも運命でしょうか。君とならなんとなく上手くやっていけそうな気がして…」ピコもそらも外見や生育環境がほぼ同じなところもあり意気投合し、色々と盛り上がった。

 

 「えー?本当ですか?でも私と一緒になっても幸せになれないし苦労するだけですよ。お金もないから…」

 

 「その心配はないです。いくらお金があっても幸せとは限りません。それで人生を棒に振ることだってあります」

 

 「貧しくても心は豊か、ってことなのね」

 (そういえば、チーフ、いや翠さんはお金持ちでも一気に転落人生になっちゃったものね…)

 

 

 (つづく)

 

 やがてモデル仲間やスタッフたちも葬儀場に到着。すると、まりあの変わり果てた姿に棺の前でむせび泣いた。棺に納められた彼女は青白い顔だったが、玉恵によってメイクを施され、濃い目のファンデーションに薄紅色のリップを付けた。その表情は穏やかで、まるでモデルとして生き返ったように感じた。その時、彼女はあることを思いついた。

 「そういえば、まりあちゃんが”ミドコレ”で着る予定だった衣装があるけど、それを棺に納めましょうよ」

 

 「なるほど!きっと天国でショーを開くかも」

 

 「ちょっと事務所に行ってくる!」

 まりあが”ミドコレ”で着る衣装を「Office MIDORI」まで急いで取りに行った。

 

 「早く戻ってきてね~」

 葬儀場からは歩いて三十分はかかる。玉恵は息を切らしながら走っていった。

 (こんな時、自転車があれば…)やっとの思いで事務所に着くと、

 (これだわ…これをまりあちゃんに…)彼女はその衣装をクローゼットから取り出して葬儀場まで持っていき、まりあの棺に納めた。唯子やそらたちは、

 

 「すごーい。すごく似合ってる。こんな姿でショーを見たかったのに…」と残念がっていたが、まりあにとって天国でその夢が叶うのだろう。

 

 彼女が入院中、ベッドの脇や枕元には自分が描いた絵画が数十枚置かれていた。無菌室にいる以外、退屈な入院生活を紛らわせるため、クレヨンや色鉛筆をで風景画などを描いていた。画家としての顔も持っており、両親はいつかはこれらの作品を遺作展として開きたいと考えているそうだ。いずれは実現しそうだ。

 

 「それ、名案です!素晴らしい作品ばかりだし、彼女の画家としての評価もますます上がりますよ」玉恵たちスタッフもその案に喜んでいた。

 「まりあさん、絵が上手ですもんね。読モ時代のファンもたくさん見に来てくれると思います」

 

 やがて、「EMILS」時代の読モ仲間、ファンが次々とやってきて、まりあの亡骸と対面すると、途端に泣き崩れた。

 「ま…まさか…まりあちゃんが…ともにしてきた仲間…あなたが心の支えだったのに…悲しすぎる…」

 

 「死ぬのはまだ早すぎる!自分の親より先に逝くなんて…!」

 

 「こんな綺麗な姿で、あの世に旅立つなんて…」

 「EMILS」の読モ仲間たちは彼女の死を受け入れられない様子だった。

 

 そして告別式当日ー

 家族や親族、職場や「EMILS」時代の読モ仲間、大勢のファンたちが参列した。その中にはすでに職場を去った翠もいた。祭壇には優しく微笑むまりあの遺影が飾られていた。遺族を代表して、父の麟太郎が挨拶をした。

 

 「本日はご多用にもかかわらず娘のためにご会葬、ご焼香を賜りましてまことにありがとうございます。存命中はモデルとして活躍されておりました。モデルとして軌道に乗り娘なりに仕事を楽しんでおりましたところ、末期の白血病だったのがわかり、しかも全身にわたり転移していました。長く生きてもせいぜい一年、私たち親はとてもショックで夜も寝付けないほどでした。それでも娘は病と闘い入院生活を全うしました。大好きな絵も描いていました。それだけが入院生活の楽しみでした。必ず回復してステージに立つ、と意気込んでいましたが叶うことなく私たち家族が見守る中、安らかに息を引き取りました。二十七歳という短い生涯でしたが、娘にとっては”太く短い”人生だと思っております。私たちの想いは天国に旅立っても変わりません。皆様方のご厚意を厚く感謝いたしますとともに、今後も我々遺族や友人へ故人同様のご指導、ご鞭撻をよろしくお願いいたします」

 

 参列者たちは、最後の別れとして、メッセージを書いた手紙や花束が、まりあの棺を覆いつくし、涙を流した。そして出棺。親族たちが棺を担ぎ霊柩車に乗せると火葬場に向かった。参列者たちは手を合わせ、静かに見送り彼女の冥福を祈った。

 (まりあちゃん、どうか安らかに。またモデルとして生まれ変わってきてね…)

 

 翠は社長のエツコとともに、

 (まりあ、あんたにさんざん嫌な思いさせてすまない。天国でもモデルでやってくれよな)と、仲間の死を偲んだ。

 

 二十七歳ーまだまだこれからだというのに、人生終えるのはあまりにも早すぎる。ウエディングドレスを着たかっただろう。子供を産んで抱っこしたかっただろう。幸せな家族を築きたかっただろう。お金を貯めてマイホームを建てたかっただろう。まりあもきっとこんな夢を描いていたのだろう。

 

 

 (つづく)