看板モデルとチーフスタイリストがいなくなった「Office MIDORI」では、事務所の今後について話した。チーフだった黒井翠が去ってから存続が危ぶまれているだけでなく、看板モデル・目崎まりあ亡き後、所属モデルたちの移籍は不可避だった。特に水林裕一郎はいくつのも大手からオファーが届いており、本人もその気だったようだ。しかし、それでも彼が「Office MIDORI」にとどまったのは愛着があるからだ。たとえ小さな事務所でも、仲間たちに支えられ、声をかけてくれたデザイナー兼スカウトマンの九十九遥への恩が忘れらないと。彼への恩を返したいために”ともに頑張っていこう”と約束していたからだ。彼の存在が裕一郎の成長の糧になっていたのだった。だが、専属スタイリストの翠がすべてをブチ壊したのだ。
社長の小山田エツコは、
「ここまで大きくしても、人材が離れていけば弱小事務所に成り下がってしまう。いつかは畳もうかと思っている。立て直すのも無理がある」と、詰んでいるのだ。そこで、裕一郎は「新たに事務所を一から作ろうよ」と提案をした。彼も大手事務所に引き抜かれる噂があったが、弱小であれど「Office MIDORI」を守っていく気持ちが強かった。もちろんそこにいるモデルたちの引き留めもする。
「ここにいるメンバーで、なんとかやっていけそうじゃないか。俺もバックアップするよ」
「心強いですね。そんな手もあるとは」それを聞いて裕一郎はニヤリと笑った。
「さっそく実行に移すか!」
すると、エツコは突然、
「私は社長としての役割を終えた。これからはあんたたちに任せる」と、あっさりと社長職を退く決心をした。彼女は再び夫が店長を務めるスーパーで働くつもりだ。
「社長、長い間お疲れ様でした。新しい事務所を立ち上げて、これまで以上に発展させるぞー!”Office MIDORI"は今日限りで解散だ!」
その時だった。裕一郎は付き人の”ピコ”こと土家亜希良と天馬そらに新しい事務所の経営を任せることを考えた。
(マジですか…?)
そらは、
「私じゃとても務まらないです。ところで、ピコさんって誰なのか、一度もお会いしたことがなくて…」
「そういえば、そらちゃん、ピコとは一度も会ってないんだな。近いうちに会いにいこうか」彼女は不安を抱えながらピコと会う約束をした。数日後、彼は事務所にやってきて、そらと顔を合わせた。二人は初対面で、互いの印象はおとなしくて地味だけど忍耐強く、また家庭環境も似ているため、親近感を持つようになった。
「はじめまして…天馬そらと申します」
「こちらこそはじめまして。土家亜希良です。皆から”ピコ”と呼ばれてます。だからそらちゃんもそう呼んでください」
「そうなんですか。可愛らしい呼び名ですね。でもいいのですか?」ピコは照れくさそうに微笑んでいた。
「自分、その呼び名、気に入ってます。元々は”ピコレット”なんだけどね」側にいた裕一郎たちは、
「なかなか似合いじゃねーか。チビ同士で陰キャなとこもな」
「ゆうさん、失礼です!そらちゃん、チビじゃないですよ」
「ごめんごめん」皆、大笑い。
「そらちゃんも苦労されてたんですね。お父さんを亡くしてお母さん一人で育てて…」
「ええ。母さんも持病があって無理のできない体なんです。思うように働けなくて、いずれは私が親孝行するつもりでしたから」
「僕も父一人で育ったけど、ろくな仕事に就いてなかったから学校では”お前の親父の仕事、底辺だな”といつも馬鹿にされてました。ガードマンしてましたけど、どこが底辺なんでしょうかね?」
「ガードマンって、警備員のことかしら。それだって立派な職業ですよ。その人たちのおかげで日々の安全が守られてるのを知らないのでしょうか。それを底辺と馬鹿にするなんて失礼しちゃう」
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいです。天国の父も喜んでくれます」
「お父さん、亡くなったの?」
「うん。僕が中学生の頃、ガンになって。それも末期、余命半年と告げられたときは気が狂いそうになりましたよ。僕のために一生懸命働いてメシを食わせて学校に行かせて…そのかいもなく、四十手前で息を引き取ったんです」
「お父さん、まだ若いのに…お母さんは?」
「まだ物心がつかない頃、男を作って出て行ったよ。だから顔を知らないんだ」
「ひどいです!母より女を選んだなんて…まして可愛い盛りに…あ、今でも可愛いですよ、ピコちゃん」ピコは頬を赤くしながら、
「そらちゃん、ハーフっぽいけど、もしかして、お父さんが?」
「私も父さんの顔を知らないのです。交通事故でなくしましたから…。物心がついて自分の髪や瞳の色で皆と違うことに気づいて…母さんに訊いてみたけど教えてくれないの。おかげで学校でもいじめに遭って”やーい外人”だの”片親”だの”ててなし子”って」
「そうだったんだ…僕もそうだったよ。悔しくて悔しくて。親父と一緒に泣いたよ」
「同じ境遇だったんですね。私も寂しかったです」
「これも運命でしょうか。君とならなんとなく上手くやっていけそうな気がして…」ピコもそらも外見や生育環境がほぼ同じなところもあり意気投合し、色々と盛り上がった。
「えー?本当ですか?でも私と一緒になっても幸せになれないし苦労するだけですよ。お金もないから…」
「その心配はないです。いくらお金があっても幸せとは限りません。それで人生を棒に振ることだってあります」
「貧しくても心は豊か、ってことなのね」
(そういえば、チーフ、いや翠さんはお金持ちでも一気に転落人生になっちゃったものね…)
(つづく)