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会津に舞い降りた黒い白鳥


大河ドラマ「八重の桜」が面白い。綾瀬はるかが愛らしいし、風吹ジュン、秋吉久美子、宮崎美子、黒田メイサなどの女優陣がみんな、とても良い。

それにしても幕末に会津藩に起きたことは驚くべきことだ。

200年以上、営々と平和に続いてきた藩の人々の暮らしは、幕末の混乱に不条理に巻き込まれ、城下町は南から来た敵に完膚なきまでに破壊された。領主の松平容保が京都守護職に任命されてから会津戦争までわずか6年。この間、幕府の大政奉還を挟み、会津にとって状況は徐々に刻々に悪化し、戊辰戦争で多くの若者が戦死。敵が会津に入ってきた最後には女子供も戦死したり自害した。

戦国時代の話ではない。ペリー来航から15年を経た1868年、官軍の兵の多くはすでに丁髷を切り、洋服を着て、ライフル銃を撃っている。対する会津でも甲冑に身を固めた人の傍らには洋服を着た人がちらほら。幕末は武士道や封建道徳が人々の心に根付いている反面、すでに西洋的な風物、科学技術や思想が相当日本に流入していた過渡的な時代だったことが分かる。

多分、大多数の日本人は幕府にも薩長にも同調せず、激動する時代の方向性と処世を考えあぐねていた。結果的に、江戸をはじめとする大半の地域で戦乱は起きず、多くの人は無血のうちに新しい時代を迎えた。

そんななか、薩長の新政府の正当性と権威を確立するための「標的」となった会津藩は可哀相とした言いようがない。アナクロな薙刀を手に戦った若き黒木メイサは銃弾に倒れ、西田敏行の妻の宮崎美子は、敵の来襲を前に娘たちをはじめとする22人の家族とともに自宅で集団で切腹して果てる。あーあ。自殺しないで、逃げたりして生き延びていたら、じきに敵も味方もない時代に移行したのに。

これらの人々、会津戦争の10年前には自分の藩がまるごと滅ぼされるなんて悪いシナリオは思いもよらなかっただろう。占い師にそうなるって言われても、笑い飛ばしていただろう。あるいは最後の最後まで、城下に敵が攻め込み、腹に刀を突き刺す瞬間まで現実にリアリティが感じられなかったかもしれない。

一方、戦争を生き残った会津の人々は、明治の新しいパラダイムの中で、それぞれの状況に適応してそれぞれの人生を生きた。後半生、京都で新島襄と結婚して新たな人生を切り開き、教育活動に身を捧げた八重さんの後半生がこれからの大河ドラマで見られる。

八重さんと同時代の会津人による、「ある明治人の一生 」という本も極めて興味深い。この本は、後世、陸軍大将にまで出世した柴五郎という人の「つぶやき」を部下だった石光真人という人が本にしたもの。柴五郎さんは会津戦争で母や姉妹を失った後、餓死寸前の生活など塗炭の思いで生き延びた。幸運によって陸軍兵学校に入ってからは、フランスに留学するなど、前半生とまるで違った人生を送り、昭和まで生きた。この本を読むと、会津戦争を生き延びた人々は、決して私たちとかけ離れた時代劇の登場人物ではないことが分かる。

会津人の運命を知れば知るほど、人生計画とか、長期的視点とか、保険とか、貯蓄とか、人生を平穏な一直線のものと考えて将来に備えるという態度そのものが、平穏な時代に限られたものだと実感する。会津藩は10世代以上、平和な暮らしが続いた後、突然、ストンと不条理に終焉が訪れた。

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2008年の金融危機を予測したといわれる哲学者でトレーダーのナシーム・タレブは、帰納的に推論が不可能な、だが絶対起きないとは言えない現象をブラックスワンと名づけた(オーストラリアにしか生息しない黒い白鳥の存在を旧世界の学者は知らず経験に基づいて「全ての白鳥は白い」と定義されていた。経験に基づくこうした定義は、オーストラリア大陸で黒い白鳥が初めて観測された途端に当然のように否定された)。タレブの本に登場する上のグラフでは、右端の曲線の急落がブラックスワンだ。急落は、いくら急落以前の曲線の推移を眺めても、統計分析しても予想できない。

タレブはブラックスワンは人々が「統計学的」に予想するより頻繁に起きる現象だとしている。こうした考えは、タレブ自身が1970年代にレバノン内乱で平和な自分の社会がある日突然崩壊した経験に裏付けられている。

会津戦争は、会津の人々の上に舞い降りた黒い白鳥だった。

私やあなたの人生や、その子供たちの人生に将来、黒い白鳥が舞い降りるのだろうか? それともそんなものは知らず仕舞いに人生を終えるだろうか? ブラックスワンに備えることは難しい。なにせ、いつ、何が舞い降りるか分からないのがブラックスワンなのだから。

おそらく、会津戦争を体験して生きた八重さんや柴五郎さんに人生のアドバイスを尋ねたら、「常識を常識と思うな。現在起きていることを当たり前で、永遠に続くものと思うな」という答えが返ってくるだろう。

ノストラダムスやマヤの予言を妄信することは愚かしい。だが、会津戦争や、広島・長崎の原爆投下、ガダルカナル島の戦い、ポルポトの大虐殺、文化大革命といった史実を学ぶことは、精神衛生上も良い効果がある。











合成の誤謬

去年に続き、今年も並んでゲットした中央区の買い物券。

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この冊子1万円には、1万1000円分のクーポンが入っている。家族2人分、購入上限の10万円まで買った。これで11万円分の買い物が出来る。夫と二人、2時間、雨の中、区民センターの周囲の長い行列に加わった。

こういう買い物券って、確か10年以上前に景気対策で全国で始まったように思う。商店街ロビーの勢力が強いからか、予算が余っているからか、中央区では今でも続いている。


「日用品の買い物が10%オフ」という魅力についつい惹かれてしまうのだが、正味1万円のために2人の働き盛りの大人が貴重な日曜日の午前中を行列に使うのは、果たして生産的な時間の使い方か?と考えれば、

私たちだけでなく、月島では3000人近い人が午前中を潰して買い物券を買ったわけだが、私たちの人々の大半は、こんな風にしてもらう補助金の何倍もの区民税を支払っているわけである。中央区、買い物券を配る代わりに一律、減税してくれた方がずっといいのに。

あるいは、地元商店街の振興のための予算だとしたら、商店街に直接、補助金をばらまけばいいのに。

政府が人々から税金を取り、その一部をばら撒く。ばら撒くために、人々を並ばせる。書類を書かせる。そんなことをするくらいなら、もともと、税金を減らせばいいのに。

得したと考えるのは合成の誤謬。私たちは全体として得をしていない。そして、5000円のために人生の貴重な2時間を無駄にするのは愚かなことだ。

でも、大抵の人は騙されてしまう。

行動経済学の本を読み、金融の仕事をしている私でさえ。

やれやれ。来年はもう絶対、買わないぞ。



チベットフェスティバルのボランティア

ボランティア活動が生活の一部になってから人生が楽しい。

多分、ボランティア活動が、仕事と遊び生産と消費の中間にあるからだと思います

食べるための仕事ではないから、死ぬ気でがんばる必要はないし、長期的な展望も要らない。

でも、そこにやるべき任務があり、果たすべき責任がある。

40歳過ぎると自分の専門分野や社会の立ち位置が固まってしまって、普通、それを簡単に変えるのが難しい。けど、ボランティアなら、気軽に新しいことをはじめられるし、何歳になっても社会勉強ができる

博物館の学芸員にはなれなかったけど、博物館ボランティアならできた。

日本語教師にはなれなかったけど、ボランティアなら日本語は教えられた。

立ち位置を変えることはコスプレみたいで楽しいし、凝り固まった心がほぐされて精神衛生上もいい。

ボランティアは「お金をもらえない仕事と考えることもできるが、「お金のかからない学習や遊び」とも考えられるのだ。

そんな風にして、今回GWの3日間、護国寺のチベットフェスティバルでチベット名物、バター茶とカプセを売るボランティアをしました。

大学のアルバイト時代以来の飲食接客業ですが、沢山のお客さんとじかに触れる仕事はなかなか楽しかったです。

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これがバター茶。プーアル茶のようなBlack Teaを煮出したものに、塩、バター、ミルクを入れてかき混ぜます。チベット本土ではヤクのバターを使うそうですが、ここでは牛のバター。

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できたお茶は大きなヤカンに入れて保存。これをポットに移し変えて販売します。作っているのは、南インドバイラクッペの亡命チベット人社会のお寺、タシルンポ寺から来日されたお坊さんたち。


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カプセは、小麦粉にバターと砂糖を混ぜて、こねて、揚げた素朴なお菓子。チベットでは、お正月(ロサル)の時に沢山作って、こんな風にお供えものにしたり、食べたりするそうです。日本の鏡餅のようなもの?

楽しかったのは、普段、接することのない、チベット仏教のお坊さんたちと身近に接することができたことでした。

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緋色の僧衣と黄色い帽子の色が肌に合って、本当に美しい。

お坊さんによる僧院の問答(弁論術)の模擬実演を見たり、チベットのどぶろくであるチャンを初めて飲んだり(韓国のマッコリと似ていた)、ダラムサラ在住でダライラマ法王の通訳をされているマリアリンチェンさんのミニ講演会を伺ったりもしました。

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日本はアジアでダライ・ラマ法王が訪問を許されている数少ない国だそうです(他の国は中国への配慮のため訪問を認めることができない)。

そして、夜は本堂前で演じられたお坊さんたちによる、チベット伝統の仮面舞踏を見物しました。

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護国寺本堂の伽藍と、デジタル掛け軸の幻想的な映像、チベット楽器の不思議な響き、絢爛たる色と動きは、まるで平安時代にトリップしたよう。

力強く単調な調べと演者の激しい動きは軽いトランス効果があって、一日の労働で疲れた心は幻想の世界を泳ぎました

これを、広大なチベットの草原の乾いた空気に中で見、聴いたら、どんなに素晴らしいだろうな。。。。。。。故国を失い、困難な状況の中で、伝統を失うまいとがんばるチベットの人々を助けたいと思いました。

非日常的な3日間の後今は再び普段通りの生活に戻っていますが、もっとチベットのことが知りたい、学びたいという気持ちが強くなりました

こうした時間をこれからも捻出できるように、もっとチベットについて学べるように、そして、いつかダラムサラに長期滞在して仏教が学べるように、日々の仕事にいそしもうと思います。