★ロレッタ・ゴッジ (vf) Loretta Goggi

本名ロレッタ・ゴッジ(Loretta Goggi) 1950年5月29日ローマ生。歌手、女優、声優、テレビ司会者、ショーガール、物真似タレント、作家、放送ディレクター。歌手デビュー時はロレッタを使っています。

 

 3姉妹の真ん中で、43年生の姉年リリアナ(Liliana)と53年生の妹ダニエラ(Daniela)がおり、ダニエラも芸能界入りし83年サンレモ音楽祭にも出場しました。

 

                         

 

活動期間:1959 –現在

所属レコード会社:        RCA Italiana, Durium, CGD, CBS, Hispavox(スペイン盤), Polydor Records, WEA, Fonit Cetra, Tri Angle, Warner Music, Sony

サンレモ音楽祭出場1回:1981年第2位

オフィシャルサイトhttps://web.archive.org/web/20131016081500/http://www.lorettagoggi.it/index1bb.htm

 

 

 ロレッタ・ゴッジは1950年5月29日、ローマ代議院議員ジュリオ・ゴッジ(Giulio Goggi)を父に、カンパニア(Campania)州の山中にある小さな町チルチェッロ(Circello)出身の母コンスタンツァ(Costanza)の次女としてローマの旧ボルジア邸であるスフォルツァ・チェザリーニ宮(Vicolo Sforza-Cesarini)で生まれました。

 

 幼い頃父から熱心に歌と音楽の教育を受けました。1958年ロレッタが8才の時に、ベルナデットへの聖母の出現の100周年を祝うために出版されたオーディオ・ブックス「ルルド1858年の奇跡(Lourdes 1858)」で、他の俳優とともに小さな羊飼い役としてフランス語の対話を録音しました。

 

 62年TV映画監督のアントン・ジュリオ・マヤノ(Anton Giulio Majano)に見出され、TVドラマ「Sotto Processo」で子役デビューをしました。(正確に言えばこの番組のリハーサルが60年6月10日から始まったので、これが芸能人としての始まりになります。)

 

 ロレッタは子役俳優として62年マヤノ監督のTVミニシリーズ映画「Una Tragedia Americana」、63年同監督でドストエフスキー原作「罪と罰」のTVミニシリーズ映画「Delitto e castigo」、ヴィットリオ・ブリニョーレ(Vittorio Brignole, )監督のRAI-TV番組「Robinson non deve morire」、サンドロ・ボルキ(Sandro Bolchi) 監督のTVミニシリーズ映画「Demetrio Pianelli」に出演します。

 

 一方声優としてコンサート・ホール・ソサエティーが扱うオーディオブック「ジョヴァンニ・セバスティアーノ・バッハの素晴らしい物語(La Meravigliosa Storia Di Giovanni Sebastiano Bach)」で俳優ウバルド・ライ(Ubaldo Lai)とナレーションを、オーディオ・ブックスのレコード「Fanciulli Di Fatima」をカトリック教会系のパオリーネ出版(Edizioni Paoline)から出しています。

 

E-30 (1963年 Introduzione Alla Musica – Orpheus(Concert Hall Society,)) 25cm LP La Meravigliosa Storia Di Giovanni Sebastiano Bach [Ubaldo Lai, Loretta Goggi]

1.La Vita E La Musica Di Bach I

2. La Vita E La Musica Di Bach II

E-30  F・SA 33-4

F・SA 33-4 (1967年 EP – Edizioni Paoline ) 25cm LP I Fanciulli Di Fatima [C. Capone, L. Goggi*, M. Davide, M. Nicolotti, V. Degli Abbati](audiostoria in cui recita con altri attori,)

1.I Fanciulli Di Fatima

2.I Fanciulli Di Fatima

 

 歌手として本格デビューも63年になります。56年ジャン・ギャバン(Jean Gabin)主演、ジル・グランジェ(Gilles Grangier)監督のフランス映画「Le Sang à la tête (Sangue Alla Testa)」を7年遅れでイタリア版公開の際に、主題歌をニコ・フィデンコ(Nico Fidenco))が作り、ロレッタが歌う事になりました。

 

 A面の”Se La Cercherai”は幸運にも国内盤で64年4月アリダ・ケッリ(Alica Chelli)のシングル盤”鉄道員のテーマ (LA DEDICO A TE)”のB面で”悲しきマンドリン”として発売されました。

 

PM 45-3173 (1963年 RCA Italiana           —  RCA Italiana) Se La Cercherai (悲しきマンドリン)/Moscacieca Twist [Pubblicato col solo nome di battesimo LORETTA ロレッタとして]

 PM 45-3173  

 

 64年にもマヤノ監督のTVミニシリーズ映画「La Cittadella」、65年12月に放送されたヴィットリオ・コッタファーヴィ(Vittorio Cottafavi)監督のTV3話シリーズ映画「Vita di Dante」66年マリオ・ランディ(Mario Landi)監督の「Le inchieste del commissario Maigret,(イタリア版メグレ警視)」の第2シリーズ第1話「Non si uccidono i poveri diavoli」にも出演しました。

 

 またロレッタは60年代半ば以降、舞台演劇やこども向けドラマの出演や、ワーナー・アニメ「バッグス・バニー (Bugs Bunny)」シリーズなどに出てくるドラ猫シルベスター(Sylvester Cat)をイジっているカナリア”ピヨコちゃん”ことトrゥイーティー(canarino Titti)の声の吹替えた声優でもありました。クレジットはされていませんが、この頃から劇場映画にも出演するようになります。

 

 66年サンレモ音楽祭の登竜門だった第10回カストロカーロ新人コンテストに出場していました。因みにこの年に優勝はロベルタ・アマデイ(Roberta Amadei)アンナリタ・スピナーチ(Annarita Spinaci)で彼女たちはサンレモ音楽祭の出場権を得ました。

 

同年初めて青春歌謡映画に出演しました。60年代イタリアではヒットしたカンツォーネを題材にした青春映画が量産されていました。歌手やアイドルの出演する他愛もない映画でしたが商業的には成功していました。最初の出演はジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)主演の映画「Mi vedrai tornare」でした。

 

 続いて67年ロレッタが出演したのはアル・バーノの夏のデスク・フェスティヴァル入賞曲で大ヒットした“太陽のある限り”と同じタイトルの映画「Nel Sole」でロミナ・パワー(Romina Power)が共演していました。

 

 68年恩師でもあるマヤノ監督のTVミニシリーズ映画「La Freccia Nera」に主演女優として演じ、番組自体もTV小説ドラマの記録に残る作品となり、ロレッタ・ゴッジの名声も高めました。プライベートでは、ローマの国際言語高校(Liceo Linguistico Internazionale di Roma)を卒業し、社会人として、また芸能人として活動を開始します。

 

 学校向けのラジオなどの番組、ラジオ・バチカンのディスクジョッキー、カトリック教会系出版社のオーディオブックの声優、TVドラマ「La Freccia Nera」のグラビア小説の撮影などの活動が広まります。

 

 特にプロ歌手としてレコード会社ドゥリウムと契約し、69年にはデビュー・シングル”Fino All'Ultimo” / ”Scusa Se Insisto”が発売されました。このデビュー曲”Fino All'Ultimo”はアルバムに収録されておりせん。A面はカンツォーネ然としたバラード系、B面はアメリアッチ風トランペットで始まる軽快な曲で新人デビュー曲ならB面の方が良かったかもしれません。

 

 69年にはもう一つ大きな仕事をしました。ヌメロ・ウーノの親会社RCAイタリアーナとRAIが企画したルーチョ・バッティスティ(Lucio Battisti)デビュー10周年記念バラエティー番組「Incontro con Lucio Battisti」の総合司会をドラマ「La Freccia Nera」で売り出し中の新進女優ロレッタ・ゴッジとTV嫌いのルチオ・バティスティ本人の二人でしました。(本人の記念スペシャルなので断りようがなかったのでしょうが!)

 

 この特番は11月4日に録画され、翌70年2月21日に全国ネットされました。この番組がロレッタ・ゴッジの将来を決めたことは本人ですら気づいてはいなかったでしょう。7才年上のラファエラ・カッラ(Raffaella Carràがロレッタ・ゴッジの先輩として)ショウガール、司会者、TV番組プロデューサーとしての仕事に専念する決断をした時期でもありました。ロレッタはやがてラファエラの後を追っていきますが、ラファエラが成しえなかった仕事もやがてモノにすり時が訪れます。

 

Ld・A-7610 (1969 年Durium — Durium) Fino All'Ultimo/Scusa Se Insisto

Ld・A-7610  Ld・A-7671

Ld・A-7671 (1970年Durium — Durium) Cibù Cibà/Due Ragazzi

 

 ドゥリウム2枚目のシングルがA面の”Cibù Cibà”はオリジナルがユーゴスラヴィアの曲と思われ、パオロ・リミティ(Paolo Limiti)のイタリア語の詞に当時ドゥリウム所属のヌオーヴィ・アンジェリ(I Nuovi Angeli)のリーダー、パキ・カンツィ (Paki Canzi)とプロデューサーのフェリーチェ・ピッカッレダ(Felice Piccarreda)がアレンジした軽快な曲、B面” Due Ragazzi”は昔からある少女のラヴ・バラードです。

 

 71年日本でもヒットしたリン・アンダーソン (Lynn Anderson)っが歌った“ローズ・ガーデン”のイタリア語カヴァーを出しました。B面は子役時代の幼馴染ロベルト・シュヴァリエ(Roberto Chevalier)との共作です。

 

Ld・A-7709 (1971年Durium — Durium) Ti Chiedo Scusa (Rose Garden) (ローズ・ガーデン)/Per Favore!

Ld・A-7709  Ld・A-7722

Ld・A-7722 (1971年Durium — Durium) Io Sto Vivendo Senza Te (あなたのいない世界)/Ciao, Settembre

 

 初めての経験で夏のディスク・フェスティヴァルに出場ましたが、本選には残れませんでした。TVドラマには3本出演し、子供のおとぎ話のキャラクター人形チコとブンのキャンペーン・ソングも出しました。

 

Ld・A-7725 (1971年Durium — Durium) Cico e Bum/Le Buone Azioni Di Cico e Bum

Ld・A-7725

 

 さらに11月東京の武道館で開催された第2回ヤマハ世界歌謡祭のイタリア代表として来日し、”甘い悲しみ (あまく哀しく (Sweet and Sad)) (Dolce, Triste)”を歌いました。

 

 このことは次回1972年以降のお話として進めていきます。

 

 

ロレッタ・ゴッジの国内盤

SS-1432 (1964年4月 VICTOR -日本ビクター) 鉄道員のテーマ (LA DEDICO A TE)/悲しきマンドリン(SE LA CERCHERAI) [アリダ・ケッリ (ALIDA CHELLI)/ロレッタ (LORETTA)]

 

SS-1432

 

 

ロレッタ・ゴッジ2 は次回に続きます