小動物とエクリ
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行為と依存

 

 

第二部 旧制度の「公」の世界

第三章 観客ーー見知らぬ人たちの集まり

「中産階級」とは社会での地位の梯子の中間にいる人を指すが、どのようにしてそこに達したかは示していない。

都市は見知らね人たち同士が出会いやすい環境である。しかしながら、「見知らぬ人」とは、二つの非常に異なった種類の人物像になりうる。

見知らぬ人とはよそ者と同義語となり、人々がアイデンティティの感覚を十分にもっていて、誰が自分たちに属し、誰がそうでないかを定める規則ができている所に現れるものである。

新しい階級の出現は、多くの人々がそれとは気づかずにお互いにますます類似していく見知らぬ人たちの環境をつくっていく。

見知らぬ人たちからなる環境における観客の問題は、劇場での観客の問題と同一視されてきた。

つまり誰ひとりとしてある一定の種類の人物のための妥当な振舞いの規準が何であるのか本当に確信がもてない状況のなかで、とのように振る舞うことで信頼を喚起するかという問題である。

一つの解決方法は、出会いにさいしてすべての人々が根拠がなくとも「妥当」で「信じられる」ものとして扱うことに合意する振舞いを、人々が創りだし、借用し、模倣することである。この振舞いはそれぞれの個人的生活とは距離があり、したがって人々にお互いに何者であるかを明確にさせようと強いるものではない。これが生じるとき、公的な地理の誕生が近づいているのである。

 

 

誰が都市に来たか

人は雑多な大衆に対処するのに、どのような知識、過去の経験のどのような類似に訴えるのであろうか?

彼らはどこに住んだか

都市は結晶体に置き換えて考えられねばならないものだ。結晶体はそれを構成する物質がさらに多く導入されることに構造を再構成するものである。

お互いに観客である見知らぬ人たちは、それでも社会集団の階層性の構造が都市によって触られないままに残っていたなら、演技することの負担、当面の状況の枠内だけで信頼を呼び起こす必要の多くを回避したかもしれない。

階層制は見知らぬ人たちに対処するには不確定な規準となったがために、観客の問題が生じたのだった。

 

 

都市のブルジョワ階級の変化

人々が家族の絆を絶って都市に来たとき、家柄、つきあい、伝統は役に立たなかった。

 

 

第四章 公的な役割

ちょうど俳優が舞台の外での自分の性格を明らかにすることなしに人々の感情に影響を与えたように、彼の用いた信頼のコードが観客にとって同様の目的に役立った。

人々はお互いの感情を喚起するのに互いに自分を明確にしようとする必要もない。

今度は、この橋渡しによって、人々は非個人的な立場で社交的になる手段を得たのだった。

秩序は、混乱に対する反応であるが、また混乱の超越でもあった。

身体はマネキン人形である

身体は、遊ぶための楽しい玩具になったように思われた。

平等主義を好む社会の論理によると、人々は必要がないときには社会的相違を表したりはしないものである。

私的領域はより自然であり、身体はそれ自体で表現するものとして現れた。

家庭にいるときとは違って、身体は衣服で飾られるべき一つの形だったのである。

劇場での衣装の用い方は、まさに日常生活での外見についてのルールーーマネキン人形としての身体ーーを精巧にしたものであった。

公的環境のなかで、自分をしるしづけるためのルールは、奇妙な、手に負えないものになろう。つまり見知らぬ人たちの外見から「さらに多く」を読み取りながら、男性も女性も見知らぬ人たちを理解するにあたっていっそう混乱した気持ちをもつことになろう。

 

 

話し言葉は記号である

非個人的で抽象的なしきたりに生活が支配されている人々がどうして自己表現にこのように内発的で自由なのだろうか。

彼らの内発性は、表現的であるためには自分を裸にしなければならないという考えを咎めるものだ。

内発性とわれわれが「人工性」と呼ぶにいたったものとの間に何か隠れた、必然的な関係があるのだろうか?

その関係は、象徴というよりは記号の問題としての話し言葉の原理に具体的に表れている。

劇場での内発性は社会的身分の問題であった。

現代の用語では「象徴」とは他のあるもの、または複数の他のあるものを表す記号として定義される。われわれは、例えば、象徴には「指示対象」がある、「先行するもの」があるなどと語る。

記号を解読するという考えの社会的起源の一つは、今から一世紀に遡ることができ十九世紀の都市で行われるようになった外見の解釈という作業にある。外見は内部に隠されている真の個人をおおう被いだというわけである。

話すことは、力強く、効果的で、とりわけそれだけで完結した、感情に訴える陳述をすることであった。

話された言葉は、ある瞬間において現実であり、ポイントは以前に何が起こったか、またこれから何が起きることになっているかに関係なく信じられるがゆえに、観客の内発性もまた即座に解き放たれたのである。身振りの背後で実際に語られていることを知るために人々が瞬間瞬間に解読作業をおこなう必要はなかった。これがポイントの論理であった。つまり、内発性は人工性の産物だったのである。

今度は公園の散歩が、以前にはコーヒーハウスが提供していたあの階級間の社交性を全体として維持していく手段になった。しかし、その過程で話し言葉のあり方は変化していたのである。

コメディ・フランセーズでの十八世紀の態度と、〈芸術〉と向き合うときは黙ってすわっている、現代の劇場の観客の態度との間には大変な相違がある。それは話し言葉のルール、衣服、衣装についても同様である。記号を経験することーー大声で、黙して、などーーが、記号が何であるかを定めるのだ。


非個人的領域は情熱的である

「公的な」振舞いとは、第一に、自己、自己の直接の歴史、環境、および必要から、ある距離をおいた行動の問題である。第二に、この行動は多様性を体験することを伴っている。この定義は時間と場所の限定を必要としない。

衣服のためのマネキン人形としての身体は、人目を意識した公的な服装様式であった。

記号としての話し言葉もまた公の現象の試練に応じた。それは自己からある距離をおいた活動であり、街では一般原理についての一般的な言語であり、劇場では、人は個人的な気紛れや感動の高揚にしたがってではなく、ふさわしい、しきたりにのっとった瞬間に刺激を受けた。

視覚的な原理は、身分という見地から、また空想の立場から、身体を恣意的に特徴づけることを伴っていた。言葉の原理は、身体の特徴を恣意的に否定することを伴っていた。しかしながら、これら両方の原理が共有しているのは、象徴の拒否、すなわち、しきたりの裏にはしきたりが指示している、「真の」意味であるところの、内的な、隠された真実があるという考え方を拒否することである。それゆえに、視覚的原理と言葉の原理はともに「公的な」表現の定義を鮮明にするーーそれは反象徴的である。
 ところで、もし公的領域が感情のある様式にすぎないのなら、公的なもののいかなる分析もここで中止すべきである。なぜならば、これらの視覚的原理や言葉の原理は公の場で感じるための手段だからである。しかしながら、公的なものとはまたひとつの地理でもあるのだ。それは私的なものという、もう一つの領域に関連して存在している。公であることは社会におけるより大きな均衡の一部である。さらに、より大きな全体の一部として、それは政治的行動、権利の概念、家族の構成、そして国家に対する制限などの点に関して意味をもっている。

 

 

第五章 「公」と「私」

十九世紀以前には、自己に近いこの領域は、自分だけの、もしくは他人とは違った独自の個性の表現のための領域とは考えられていなかった。私的なものと個人的なものとはまだ結びつけられてはいなかったのである。個人の感情の特殊性はまだ社会的形態をもっていなかった、なぜならそのかわりに、自己に近いこの領域は、人間の、自然にそなわった普遍的な「共感」によって定められていたからだ。社会は一つの分子であった。

人権という近代的概念は自然と文化の対立から来ている。

精神的権利をもっているのは自然のままの人間であって、個人ではない。まさに自然にそなわったものは非個人的であり個々人のものではないがゆえに、すべての人間は友愛や幸福を要求できるのである。
 人間は幸福になる権利があるという観念は、特に近代の、西欧の思想である。

われわれの祖先は、幸福の追求に具体的な社会的形態を与えようとして、この対立を何とか表現できるイメージや経験を見つけようと苦心した。それを表現するために彼らが見つけた一つの方法は、公と私を区別することであった。

自然なものを私的なもの、文化を公的なものと同一視することによって、自然と文化について考える一つの方法として役立った。

パブリックとプライヴェイトの対照を通じて文化と自然の対立が明確になればなるほど、家族は自然の現象として考えられた。

心理学は、生理学にもとづくというよりは、自然の分類学ーーつまり、異なった種の行動の分類ーーにもとづいた科学であった。

いかに社会的環境が異なっていても、人々が共有していたのは自然な思いやりであり、他人が必要としているものに対する自然な感受性であった。人々が自然権をもつことは、そのような人間性の定義の論理的な帰結だった。

フランク・マニュアルのうまい表現によると、啓蒙運動はその神々に対して「敬意を払ってはいたが、決して追従する関係ではなかった」。〈自然〉は中世の迷信とは違い、結局のところ、人間に自分の能力に対する絶望よりは、希望の根拠をあたえたのである。自然と私に対する文化と公の対立ということで表されたときのこの態度の意味は、二つの領域の関係はまったくの敵対というよりは、抑制と均衡の問題だということである。私的な領域は、因習的、恣意的な表現のコードがいかに人の現実感覚の全体を支配するものであるかという点から、公的な領域を抑制すべきものであった。これらの境界を越えた所に、人はいかなる因習の命令によっても抹殺できない生活、自己表現の形式、そして一組の権利をもっているというわけである。しかし同様に、公的な領域もまた私的な領域に対する矯正手段だった。自然人は動物であり、それゆえに公的な領域は、家族愛のコードだけにしたがって営まれている生活が生みだす自然の欠陥を矯正した。その欠陥は不作法ということだった。文化の欠点が不正であるとすれば、自然の欠点はその野蛮さであった。
 このようなわけで、公と私の領域について話すさいには、それらを一つの分子として考えなければならない。それらは共存する人間の表現様式であり、異なった社会環境に位置しながら、お互いに相手を正すものであった。

われわれはパブリックとプライヴェイトを固定した状態として描くほうが容易であるためにそういうものとして語っている。実際は、それらは複雑な進化の連鎖であったのである。


公的な表現には限界がある

大人にとって話し言葉とは、自分自身の言葉を、公の場で用いることの問題になった。

子供たちを一つの階級として、大人の階級からは切り離すことになった。

幼年時代という特別な状態に徐々に関心が高まるにつれ、公的な表現にある限界がしるされるようになったのはこういう次第なのだ。その限界とは、公的な領域は社会のなかで大人の遊戯のために取っておかれてある場所だと言うこともできるであろうし、あるいは大人がその外側では遊ぶことができない境界だと言うこともできる。

もし子供が公に属さないならば、子供が家族に属する条件は何であっただろうか?

自然な表現は公的領域の外にある

「世話」とは通常、絶えざる身体的な懲罰だと解釈されていた。

人々はいまや、人類の一つの特別な、依存的な種類が、身体の活動によって生み出さることに気づいた。

子供を保護することを正当とする理由は、もし人が本質的に無防備であるならば、人は生まれ、境遇、あるいは両親の性癖といった附随的な事情を越えて養育と快適さへの権利をもつというものである。こうして、家族関係は拡大された。

まさに子供の自然な弱さが、こうした弱さにつけこむことが可能で、子供を「取るに足らないもの」とした両親に始まる社会に対して、子供に権利を与えたのである。

共感の理論はまだこれから本当の学問的な扱いを受けねばならないものである。

自然な共感は「欲求」に関わるものだが、これらの欲求を感じている人々の真の要求を上回っていない「欲求」に関わっている。

適度な欲求とは、ヤングマンの言葉によれば「個人の付随的な事情によるものでなく、人類に適切な」欲求なのである。

人が自然に行動するときには単純に行動するものだと信じることが、論理的に必然となった。自然の秩序は複雑でありーーそれも非常に複雑で、特定のいかなる現象も、また社会的状況も、自然の秩序を完全に表現することはできなかった。

親であることの困難さに取りつかれている時代に、子供の養育が他の社会的な関わりよりも複雑でない、とみられることなどは理解しがたいことである。

弱者を養育する自然の義務と全人類の間をつなぐ精神的欲望の概念は、ある階級の人々が耐えるべき、あるいは別の階級の人々に加えるべき苦痛に自然の制限を加えたのだった。

その認識から、論理的に必然な次の段階は、自然な表現の原理をまさにしきたりの概念そのものの制限としてみることである。

「社交のたしなみはガアガアと騒々しい楽しいお喋りから成り立っている。満ち足りたげっぷが談話のもっとも高度な形式となる」

「公」と「私」は社会をつくる
一つの分子のようなものである

パブリックな表現様式とプライヴェイトな表現様式は、正反対というよりは選択の対象である。パブリックな場所では、社会秩序の問題は記号の創造によって対処された。

公的なものは人間が創造したものであり、私的なものは人間の条件であった。
 このバランスはわれわれがいま非個人性と呼ぶものによって構成されており、「個人の性格がもつ偶然的な性質」は、パブリックな場でもプライヴェイトな場においても社交の原理にはならなかった。そして、そこから第二の構造が出てくる。つまり、公的なしきたりの唯一の制限は、自然な共感という観点から想像できるような制限である。

自然の秩序の原理は中庸の原理である。社会のしきたりは、それが苦悩や苦痛といった行き過ぎを生みだしたときにのみ制限を受けたのである。

 

 

分子は分裂した

哲学の進歩や普及から現代の世代が得ている主な利点の一つは、不必要な恐怖からの解放と、にせの警報から免れていることである。常のものであれ偶然のものである、かつての無知な時代に大変な驚きを拡げた異常な外見は、探究心によって守られている者の気晴らしとなるものではない。『にせの警報』

政治の言語は私的な生活からは隔たっていた。

自由は自然な共感という枠組みの一部ではなく、公の秩序としてのしきたりの観念に対立した。それは何だったのか?

もし自由を求める叫びによって分子構造が分裂したとすれば、公的生活への真の挑戦は、自由ではなく、「象徴」の力としての個人の個性であった。


第六章 俳優としての人間

エリック・エリクソンが与えた意味では、アイデンティティとは、人が成りたいと思う人間と、世界が彼に成ることを許す人間との交わる点である。

俳優としてのパブリックな人間ーーしかしこのイメージは、いかに喚起力が強いにしても不完全なものである。

これは感情のアイデンティティに由来している。つまり、パブリックな俳優とは、感情を提示する人間なのである。

憐れみは独立した感情として存在しているのであり、その経験ごとに変わるところの、したがってそのときどきの経験に依存しているものではない。

身振りをつくったり、場面をととのえたりすることは、それをより表現力のあるものにするものではない。むしろその逆である、というのは、ひとたび一般的なパターンに合わせられたとなると、その体験はより「真正」でないように思われるだろうからである。同じように、感情の表示の原理は非社会的である。

文化が感情の提示から感情の表示を信頼するように変わって、正確に報告された個人の経験が表現力があると思えるようになると、公的な人間は機能を失い、したがってアイデンティティを失う。公的な人間が意味のあるアイデンティティを失うにつれて、表現そのものはますます社会的でなくなるのである。

分析家、批評家であったルソーは、予言者でもあって、公の秩序が真正な私的な感情と政治的抑圧との結合にもとづいた生活に屈服するだろうと予言している。

俳優としての人間についての常識的見解

必要によっても、あるいは他人が人の過去についてもっている知識によっても、固定された外見、役割はないのであるから。

ディドロによる俳優の演技の逆説

人々がお互いに直接的、自発的に反応しあう世界は、表現がしばしば歪められる世界である。二人の人間の間の表現が自然になればなるほど、彼らはより信頼性のない表現しかできないのだ。

繰り返しが可能であることがまさに記号の本質である。

本来的に表現をおこなう社会的行為は繰り返しが可能なものである。

自分から距離をおいた外見は計算できるものであり、外見をつくる人間は、置かれた環境によって話す言葉や身体の衣装を変えることができる。

劇場としての都市にたいするルソーの告発

社交性が余暇の成果なのである。

しかしながら、人々がより相互に行為しあえばしあうほど、人々はお互いに依存するようになる。かくして、私たちがパブリックと呼んできた社交性の形態を、ルソーは相互依存の社会関係と考えた。

……そもそも役に扮して演じることで、俳優は一個人としての自己の存在を減ずるものなのである。

自主性を失うことの重大さは人々が遊んでいることで隠されてしまう。つまり、人々は自分を失うことに快感を経験する。

劇場は自己の喪失を引き起こすものなのだ。

都市における社会関係の複雑さそのものは、人柄を物質的条件から読み取ることを困難にしている。

余暇がある状態では、人々はますますただ接触する喜びのために相互に影響しあうからでる。人々が必要性の制約の外で相互に影響しあうようになればなるほど、人々はますます俳優になる。しかし、それは特別な種類の俳優であるーー

演技とは堕落したものであり、人が外見をもてあそぶことで得ようと欲するものは喝采だけである。

評判の追求が美徳の追及にとって代わるのだ。

公的生活を演ずることで、彼らは本来の美徳との接触を失う。芸術家と大都市が調和し、その結果は道徳の乱れである。

芸術作品は心理学的調査の報告のようなものなのだ。一連の互いに依存する社会関係にはじまる大都市の芸術は、自己の虚構化と様色化を生みだす。


ルソーによる提示と表示の対比の一端

自分を誰と比べることもない。彼のあらゆる可能性は彼自身の内にあるのだ。

俳優が悪いのは、彼なり彼女なりが、侮辱や称賛にたいし敏感になって、善と悪、美徳と悪徳の定義の存在する世界に出入りすることなのである。人々は共同体の価値基準を行動に表すことで他人からの評判を得ようと努力するために、それが何であれ、共同体の価値基準があまりにも重要になっているのである。

 

 

小都市についてのルソーの要約

……人々がより模倣的でないために、そこにはより多くの独創的な精神、より多くの創意に富んだ努力、より多くの真に新しいものが見られる。手本になるものがほとんどないので、それぞれがより多くのものを自身自身から引き出し、自分がおこなうすべてのことにより多くの自分を投じている。

 

 

ルソーの予言

名声を獲得しようとして、他人に便宜をはかろうとして、あるいは親切にしようとしてでさえ、ポーズをとるときは、各人は結局は自分自身の魂をもたなくなるように思える。

この限界のない自由を人々は個人の体験を象徴化することによって理解しようと望んだのだ。


『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦、高階悟訳/訳より抜粋し、引用。

 

通り抜けるためのスペース

 

 

それぞれが自分のなかにひきこもり、ほかの者たちすべての運命にたいして他人であるかのように振る舞う。彼にとっては自分の子供と良き友人たちだけが人類のすべてなのである。

彼は自分自身のなかにだけ、また自分自身のためにだけ存在するのだ。

ーートクヴィル

第一部 公共性の問題

第一章 公的領域

現代はしばしば、ローマ帝国が衰退の道をたどった時期にたとえられる。

ローマ人の公的生活が血の気のないものになるしたがい、彼らは私生活において、みずからの感情のエネルギーのための新たな焦点、献身と信念の新たな原則をさがし求めた。

この献身は近東のさまざまな宗派に向けられ、そのなかでキリスト教が徐々に支配的なものになった。ついにはキリスト教は密かにおこなわれる霊的な献身ではなくなって、それ自体が公的な秩序の新たな原則となったのである。
 今日、公的な生活はやはり形式的な義務の問題となっている。

われわれが求めるのは、原理ではなくて内省であり、自分の心はどうなのか、自分の感情で真正なものは何かの想いなのである。

私的生活の心理に関する現代のもろもろの考えは混乱している。

各々の自我が、本人の最大の重荷になっている。自分を知ることは世界を知る手段ではなく、目的になってしまっている。そして、かくも自分にとらわれているがゆえに、われわれは私的な原理に到達したり、自らの個性がいかなるものか自分や他人に明確に説明したりすることがきわめて困難なのである。

人々は、非個人的な意味のコードによってのみ適切に扱える公的な事柄を、個人的な感情によって処理しようとしているのである。

表現とは何かに関する何らかの理論なしに公的生活における表現の空虚さについて語るのは難しい。

 

 

公的領域外の愛

公の世界は、親密な感情の世界に代わって、人々が自分を注ぎこむことができる、いま一つの対抗する世界なのだ。

ナルシズムとは、「この人物、あの出来事が、私にとって何を意味するか」という強迫観念なのだ。

ナルシズムは、かくして、自己の要求へのあくなき熱中と、その要求の充足の妨害という二重の性質をもつのである。

自己をとりまく境界は自己を孤立させるものではなく、じっさいに他人とのコミュニケーションを促進しうるものである。

常識として、善人が悪い行いをすることをわれわれは承知しているが、この真正さを問題にする考えは、われわれが常識を用いるのを難しくするものだ。

われわれの性衝動は解放されたとはいえ、われわれはピューリタンの世界を規定した自己正当化の範囲内でとどまっている。

ナルシズム的感情は、しばしば私は十分に善良であろうとか、私は十分能力があるだろうとか、その種の取り憑かれたような疑問に集中するものである。社会がこうした感情を動員し、行為のもつ客観的な性質を縮小して行為者の感情の主観的状態の重要さを膨れ上がらせるとき、行為の自己正当化についてのこうした疑問は、「象徴的行為」を経由して、系統的に表面に出てくることになる。いまや公的な関心と私的な関心との間でなされる取捨選択は、自己の正当性についてのこうした取り憑かれたような疑問を動員することで、プロテスタンティズムの倫理のもつもっとも腐食性のつよい要素をふたたび目覚めさせてしまったのである、しかももはや信心深くもなく、また物質的な富が道徳的な資本の一形態であると確信することもない文化において。

さらに誤解を招くのは、それらが治療的な解決を示唆して、人々をこの自己投入から覚まさせればよいとしていることであるーーまるで、人々の社会的意志をむしばんで、欲望を変えてしまった環境が、個人が変わればにわかに両腕を拡げて歓迎するとでもいうかのようである。

 

 

死んだ公的空間

公的領域が空虚なものとして捨て去られるのに比例して、個人的なヴィジョンが産みだされるようになる。

ミニチュアの公共広場の復活が形の上では宣言されていながら、機能は人々と多様な活動を混ぜあわせる公共広場の性質を壊しているのである。

公共の空間は通り抜けるためのスペースであって、そこに居るところではない。

「垂直な全体に対する交通フロー支援ネクサス」なのである。翻訳すると、公共の空間は動きの派生物になったというのがその意味である。

みんながお互いを監視しあっていれば、社交は減り、沈黙が唯一の防御の形態になる。

人々は間に何かはっきりわかる障壁があればあるほどますます社交的になるのであり、それはちょうど、人々を集めることだけを唯一の目的とする特別の公共の場所を人々が必要とするのと同じことである。

ーー人間は社交的になるためには他人から親しく観察されることからある距離を必要とする。親密な接触を増せば、社交性は減る。ここに官僚的な能率の一つの形の論理がある。

性的な拘束から自らを解放したのも、内へと向かったのも第二次世界大戦後に生まれた世代である。公的な領域の物理的な破壊の大半がおこったのもこの同じ世代においてなのだ。

それらは旧制度の崩壊と、新しい資本主義の世俗的、都市的文化の形成とともにはじまったひとつの変化が生みだしたものなのである。


公的領域における変化

人は公の場で自分を作るのであり、私の領域、なかんずく家庭内の経験において自分の自然の姿を実現するのである。

公と私はいっしょになって、今日なら社会関係の「世界」と呼ばれるであろうようなものを創造したのだった。

公的生活の変容は、ちょうどとりわけ強権な運動選手が、見たところ力の衰えもなく若い時期を越えて生き残り、それから突然、絶えず内側から肉体を蝕んでいた衰えを明らかにして、急に駄目になるのに似ている。

都市のパブリックな文化に対する産業資本主義の二重の関係は、第一に資本主義が十九世紀のブルジョワ社会に誘発した私生活中心の圧力にあった。そして第二に、大量生産と大量流通によって引き起こされた、パブリックな場における物質生活、とりわけ衣服に関しての「神秘化」にあった。

公的秩序を支配し、形成しようという意志が徐々にむしばまれ、人々はそれから自分を保護することにますます力点においた。家族はこうした盾の一つになった。

家族関係を基準に用いて、人々は公的領域を啓蒙思潮におけるようにある限られた一組の社会関係として知覚するのではなく、むしろ公的生活を道徳的に劣ったものと見たのである。

世俗的なものの見方は十八世紀から十九世紀にかけて徹底的に変わった。「ものごとと人々」は、十八世紀には〈自然〉の秩序の内に場所を割り当てられることが可能だったときに理解できた。この〈自然〉の秩序は物理的な、触れることのできるものではなく、また世間的なものごとによって要約されることは決してなかった。

したがって〈自然〉の秩序とは、超越的なものとして世俗的なものをみる考え方だったのである。

事実は体系よりも信じることができたーーというよりも、論理的に配列された事実が体系となった。現象が場所を得てはいたが〈自然〉が現象を超越していた十八世紀の〈自然〉の秩序はこうして覆された。

ある人が作っている外見は、具体的な確かなものであるがゆえに、どれも何かしらの点で真実なのである。

区別することは、何であれ間違いになりうるからだ。

もし見知らぬ人たちに自分を曝すことをしないならば、人格的な力は発達しないかもしれないーーあまりにも無邪気だったりするかもしれないのである。

前世紀にあっては、公的な経験は人格の形成につながるようになった。

私生活中心化、商品の物神崇拝、あるいは世俗主義といった、見たところ抽象的な諸力は、われわれの生活にどのような点で関係しているのだろうか?

 

 

現在のなかの過去

今日、人々は日常の言葉のなかで、何事かを「無意識に」するとか、本当の気持ちをほかの誰かに明らかにすることになる「無意識の」間違いをするとか述べる。

それが明らかにしているのは、感情は意志とは無関係に露呈することの信念であり、その信念は公的生活と私的生活の重みのかけかたがバランスを失うようになるにつれて前世紀に形づくられたものである。

より広いレベルでは、ヴィクトリア朝時代の最盛期に人々は衣服や話し方が個性を露見させると信じた。

他人には意図しない話し方の癖や、身振りや、さらには身の振り方などで明らかになっつしまうと恐れたのである。
 結果は、私的な感情とその公的な表現の境界線が消えて、統制する意志の力がおよばないことにもなった。公と私の境界線はもはや決然とした人間の手による仕事ではなくなった。

今日「無意識の」振舞いと間違った名前がついているものは、こうした公の場での意志とは無関係の性格の露見という考え方に原形があるのである。

すでに言及したことだが、公の場で売られている物には心理的イメージが重ね合わされた。

公的な人物が他人に自分の感じるものを提示する、こうした彼の感情の表示こそが信頼を呼び起こすのである。 

もし人が自分が感じることを表さざるをえず、かつ公の場でのいかなる感情、言明、議論の真実も話している人の性格によるものだとするならば、いったい人々はどうして見抜かれるのを避けることができようか。唯一の確かな防衛は、感じないようにすること、表すべき感情をまったく持たないようにすることである。

公的な行動とは観察、受動的な参加、ある種ののぞき行為の問題となった。「目の美食学」とバルザックはそれを呼んだ。

知識はもはや社会的な交際によって生みだされるものではなくなったのである。

近代の公的生活のじつに多くにつきまとっている可視性と孤立のパラドックスは、前世紀に形を成した公の場における沈黙への権利にはじまった。他人にとっての可能性のさなかにおける孤立とは、この混沌としてはいるがいぜん人を引きつける領域にあえて踏み込んでいくときに、あくまで黙している権利を主張することの論理的帰結であった。

親密さは、公的な問題を公的なものの存在を否認することで解決しようという試みなのだ。どのような否認とも同じく、これは過去のより破壊的な面をいっそう堅固に固めてしまっただけであった。十九世紀はまだ終わってはいない。


第二章 役割

例えば、常識からすると、社交の中心としての都市の通りや広場が郊外のリビングルームにとってかわられたことには、自己の問題にますます没入していくことと何か関係がありそうである。が、そのような関連の正確な意味は何であろうか、またそれから派生する問題は何であろうか?

その問題とは、人間が表現をおこなう社会的条件のことである。

こうした質問は、今日では〈芸術〉というきわめて特別な保護区域に孤立しているように見えるエネルギーを、いったいいかなるときに人間は自然に、大騒ぎすることなく、求めるのかを問うことなのである。

しかし、私への執着が侵食している芸術とは何なのであろうか?
 方法の問題と発育不全な表現の間には関係がある。自己没入の内に浪費されている技巧性は演技の技巧性である。演技は成功するためには見知らぬ人たちからなる観衆を必要とするが、親しい人たちの間では演技は無意味なもの、さらには破壊的なものですらある。作法、しきたり、儀式の身振りといった形をとった演技は、公的な関係が形づくられる材料そのものであり、そこから公的な関係は感情的な意味を引き出している。社会的条件が公共の広場を侵食すればするほど、人々はますます演技の能力の行使を日常的に抑制されることになる。

このような演技の形態は「役割」である。したがって、近代文化における公と私の推移を理解する一つの方法は、こうした公的な「役割」の歴史的変化を調べることであろう。

つまり人々が自分自身の感情を表現することにかかわるとき、人々はあまり表現をしていない、ということにある。

『誠実さと真生さ』のなかで、トリリングは自己表出が表現の行為とならない条件を示そうとした。

誠実とは、トリリングによれば私において感じられたことの公の場での表出であり、真正とは、感じようとする自らの試みの別の人間への直接的な表出である。真正というあり方は公と私の区別を消してしまう。人間らしさは他人を傷つけるような感情を慎むことに本来あるのかもしれないということ、偽装や自己抑制は道徳を表現しているかもしれないということーー真正の庇護のもとではこうした考えは何を意味することもなくなってしまう。かわって、自己開示が信憑性と真実の普遍的な尺度になるが、他人に自分を明かすことで何が開示されるというのだろうか?

ある人が感じられたものの客観的な内容よりも純粋に感じることに心を集中すればするほど、ますます主観性それ自体が目的となり、ますます表現は希薄になるのかもしれない。自己に没頭した状態のもとでは、自分の束の間の開示は不定形なものになる。

『孤独な群衆』におけるリースマンの議論はそれに対立する極に向かってはいる。

実のところ、空虚な公的領域と果たせない過重な仕事を負わせられた親密な領域の間の不均衡を無意識に強化していたのだった。

というのも実際にあったのは彼の指摘とは逆の動き、というのは彼の指摘とは逆の動き、つまり他人指向型の社会から内部指向型の社会への動きだったからである。リースマンの功績はこの一般的で多岐にわたる問題に社会心理学のことばを生みだしたことだった。

公衆は自分と同様の他人からなっているので、公的な事柄は官僚と国の職員の手に委ねることができ、彼らが共通の(つまり平等な)利益に気を配るのである。生活の魅力ある問題はそこでますます心理的な性質のものとなるーー市民たちは国家を信用して、親しい領分の外側で起こっていることへの関心を失ってしまうからである。その結果はどうであろうか?

自我の満足はますます難しくなるだろう。なぜなら、トクヴィルの議論によれば、いかなる感情的な関係にしても意味あるものになれるのは、それが個人主義の「孤独な表現を閉ざした道」ではなく、むしろ社会的関係の綱の一部として認められるときに限られるからである。

トリリングの著作にも、またリースマンの著作にも、平等が親密なヴィジョンの「原因となる」という考えはない。

 

 

役割

役割には特別な種類の信念がふくまれている。このことはそのような信念を二つの同系の言葉、「イデオロギー」と「価値」から区別することでわかるかもしれない。

人間の行動と人間の道徳には何か区別があり、科学者は前者のみを扱うものだと考える傾向があるということなのだろう。

それはまさに公と私の比重の変化に関係しており、現代の指導的な役割分析家、アーヴィング・ゴフマンの著作にありありと表れている。

ここにあるのは場面があっても筋のない社会の姿である。そしてこの社会学には筋がない、歴史がないがゆえに、劇場では意味をもつ登場人物なるものがそこにはいない、というのも彼らの行為は人々の生活に何の変化も起こさないからである。あるのはただ終わりのない適応なのだ。人々は行動するが、経験をもつことはないのである。

ーーそれはすなわち感情を呼び起こすような社会的関係を想像しえないことであり、人々がただ撤退、「調停」、「宥和」によってのみ行動し、また自分の行動を管理する公的生活しか想像できないことである。


公的な役割

役割演技の条件が変わり、それがますます表現の問題でなくなり、ますます他のものの中立化と宥和の問題になったのは、どうして起こったことだろうか?

公的な生活と親密な生活との不均衡が大きくなるにつれて、人々はますます表現を希薄にしていった。心理的な真正さを強調することで、人々は俳優のもつ基本的な創造の力、自己の外側のイメージによって演じ、それに感情を没入する能力を開発できないために、日々の生活で人々は非芸術的になった。そこでわれわれは、演劇的であることと親密さとの間には特別の敵対的な関係があるとの仮説に到達する。演劇的であることは、強力な公的生活にたいしても同等に、特別な親しい関係をもっているのである。

どちらの領域でも、表現は比較的見知らね人たちからなる環境のなかで起こる。強力な公的生活をもつ社会にあっては、舞台と街の領域の間に類似性があってしかるべきだろう。

公的生活が衰えるにつれて、こうした類似性も減退するはずである。舞台と街のこの関係を研究するための必然的な場は大都市である。群衆のなかの見知らぬ人たちの生活がもっともはっきりと見え、見知らぬ人たち同志の交渉が特別の重要性をもつようになるのはこの環境においてである。

メディアとは、表現の目的をもついかなる試みもさらに中立的、機能的なコミュニケーションの観念にとってかわられてしまった、民衆芸術の定式化なのである。「メディアはメッセージである」とは、表現そのものがメッセージの流れに還元されるときにのみ意味をもつ金言なのだ。

したがって、舞台芸術と社会的関係を結びつけるに当たっては、真剣で、本物の、純粋な芸術は、一般的な社会条件を理解するのに役立つことができるという考えを、率直に快く受け入れなければならない。

 

 

都市における公的な役割

劇場は社会一般とではなく、ある特定の種類の社会ーー大都市ーーと問題を共有している。その問題とは観客の問題でありーーとりわけ、見知らね人たちの環境のなかで、自分の外見への信頼をどうして呼び起こすかの問題である。

都市とは何かについてのさまざまな考え方は、たぶん都市の数と同じくらい多いことだろう。

もっとも単純なものは、都市とは見知らぬ人たちが出会いそうな居城地、というものだ。この定義が正しいものであるためには、その居城地には異質な大勢の住民がいなければならない。

見知らぬ人たちが触れ合って生活するこの環境には、俳優が劇場で向き合う観客の問題に類似した観客の問題があるのである。

劇場ではわれわれは俳優にたいして自分たちが見知らぬ人たちであるかのように振る舞うのであり、そこで俳優のほうは役を信じさせるようにしなければならない。

舞台と街の橋渡しが、観客の問題に応えて生じるときに、公的な地理が生まれる。なぜなら、その時、未知の人たちと想像上の人物の双方の現実性を、単一の領域におけるかごとく信じることが可能だからである。

人は芸術の領域で前者から学べることを、非個人的な社会生活という特別の領域で後者から学ぶ、あるいはそれに応用することができるだろう。したがって、まさに本当の意味で、芸術は人生の教師になりえよう。人の意識の想像力の限界が拡げられたのである。ちょうど、他人をかついだり、それらしくよそおったりといったことが道徳的に本当ではないように見える時代には、こうした限界が狭められるように。

何が真実であり、それゆえに信じられるかを判断する想像力は、自己がいつも日常的に感じているものによって確認する必要に縛られていないからである。

公的なものが崩壊するにつれて、記号はいっそう主観的になるのである。
 劇場を社会に関係づけるこれら四つの論理的構造は不規則動詞のようなものだ。ひとたび活用を覚えてしまえば使うことができるのである。

公的な領域がますます曖昧になるにつれて、社会が人間の表現能力をどのように理解するかを示す条件は提示から表示へと移ったのだった。

 

 

証明か、もっともらしさか?

経験的な社会研究において「証明」という語は不幸な意味をもつようになったーー一定の調査の過程をへて提出された説明以外はいかなる説明もふさわしくない、ということである。

排除による真実の尺度では、新しい証拠の発見によって生じた矛盾は、もとの議論の無効を意味するはずのものなのだ。なぜなら、同じ主題についての二つの対立する解釈がどうして等しく正しいことがありえようか?証拠を検討しつくすことで排除することに基礎をおくこの経験主義は、私の考えでは知的誠実についてのいかなる本物の考えにも反するものだ。◉われわれが知的誠実に到達するのは、まさしく矛盾の真実性を認め、不変の陳述にいたろうとする望みをいっさい避けることによってである。証拠を検討しつくすという規範は実際問題として奇妙なものである。それは焦点をますます小さくすることにならざるをえないようであり、そこでわれわれがらある主題について「知る」ことが多ければ多いほと、ますます多くの細部を知ることになる。知性の麻痺がこの形式の証明の必然的な産物である。なぜならそれはすべての事実がーーいつかーー手に入るまでは、一切の判断を下さないように求めているのである。

質的な研究の研究者はもっともらしさという重荷を自分に課しているのだ。

経験的なもっともらしさとは、具体的に記述できる現象間の論理的な結びつきを示すことの問題なのだ。


『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦、高階悟訳/訳より抜粋し、引用。

 

空間詞

 

 

第0章 はじめに

0-4
文は入れ子構造をしている。

文 sentence : 大文字で始めピリオドで終える、文章の一区切り
節 clause : 文を構成する要素のうち、主述の構造を持つもの。
句 phrase : 文や節を構成する要素のうち、主述の構造をもたないもの。
語 word : スペースで区切られる文の単位。辞書の見出しになる。

◎「節」全体が品詞化し、より高次のレベルの「句」を構成する

「節」を組み上げるものは句である。

「一語から成る句を語と呼ぶ」

◎文の構成要素も、そのまま文に成りうる。

◎節と句の間には段差がある。

その段差を作るものが「構文」(syntax)です。

英語を身につけるということは、文の大きなブロックの構成に反応できる能力を獲得することに他なりません。

まとめ

・節は容易に句に含まれる。
・句は語である
(または語を寄せ集めたり、組み上げたりしたものである)。
・文は節である
(または節を寄せ集めたり、組み上げたりしたものである)。

0-5
「寄せ集める」と「組み上げる」は同じではない。

複数の語が「句」になるときも、「寄せ集め」と「組み入れ」の対照が見られます。

本書は、英語の構造をきちんと解明することを通して、英語という、日本語とは形の違う意味伝達の世界と交わることを目指します。

英語という言語は、自然界のより広範なコミュニケーションとどのように接続しているか。動物の意思伝達や夢における隠喩的な伝達と、どこが共通して、どこが決定的に分断しているのか。

I think therefore I am.(吾おもう、故に吾あり)

モノには属性がありますが、コトバは基本的に関係性の中でのみ機能する。

第1章
英語文は真実を綴るので、その窮屈さから逃げる方法がいろいろ用意されていること。

1-1
英語のYesは「はい」ではない。

You're not tired, are you?
疲れていません、よね?

No. I' m not.
はい、疲れてません。

英語のNo, はそもそも相手に対する「返事」ではないのです。相手の言ったことへの賛否ではなく、一つの否定的事実(negation)を知らせる言葉です。

Yes, (as a matter of fact,) I am.
いやあ(実際)疲れてるんで。

日本語の「はい」の役割は対人肯定。相手の意に従う、同意する、受け入れる。それ自体「よいお返事」なのです。

日本語が、相手の発言に合わせて「はい」と「いいえ」を使い分けるのは、そもそも日本語という言語が、相手との関係を最優先する言語だから。想像するに、古代からそういう形になっていて、漢語や西洋語との接触をものともせず、今もその形を保っている言語だからでしょう。
 一方、ある出来事が事実であるかないかを肯定否定で切り分ける英語は、相手との関係の保全より、まず事実の補捉を優先させる、
そのような暮らしと文化を絡みながら進化変転してきた言語の一つが英語であるといえます。

1-4
事実ではない想いは、直説法では語らない

仮想法を使いこなす近道は、実は直接法に親しむこと。直説法に「ゲンジツ感」を感じられるようになれば、ゲンジツ感を出してはまずいところは、仮想法で逃げるといいことに気づくでしょう。

1-5
助動詞は現実の不確かさに文を合わせる。

英語な場合、直接法による叙実文が命題と変わらぬ構造をしているうえに、SVで文を始めてしまうので、発話の意図を調節する機構が文尾にほとんど残されない。

英語はどうしても言い切りに走りがち。婉曲化の柵に乏しい言語であることはたしかでしょう。

1-6
willは現在形である。

willが「意図する」だとすると、shallは語源的に「負う(owe)」という意味です。

willを使ったIt will happen.が最も客観的に響く。

willを使うと話者の判断はこもらなくなって、未来に起こりうることを、あたかも出来事自体の動きに任せて言うことができる。そういう、いわば「出来事まかせの構え(心のモード)」を法助動詞willは醸し出すというわけてす。

 

 

第2章
英語は日本語とまるで違った相貌をしていること。

2-1
英語文は日本語文とつくりが違う

まず英語は、語順によって大きく意味を変える言語だということ。したがって統語の感覚を身につけることが、話す力・聞く力をつけるためにも重要です。

(Sは主語、Vは述語動詞で、Xは動詞を補う部分)

日本語で思考している私たちは、基本的な思いがSVXの構造を成して湧き上がってくる感覚に慣れていません。

文のパーツは生き物のように、分離統合が可能なのです。どういう形をしていればくっつくのか、その感覚を磨いていきましょう。

2-2
日本語に「人称代名詞」はない。

まとめ

・ 構文上の必要性がないからだ
・日本で「代名詞」と呼ばれるものは実は呼称なので、その選択に、私たちはしばしば気恥ずかしい思いをする。
・英語のyouは構文上必要とされる、単なる記号としての二人称代名詞であって、相手を指す呼び名ではない。

2-3
SVOは強い力でつながれている。

主語に立つときの形が「主格」、他動詞や前置詞の後に来るときの形が「目的格」でした。「目的」という語は紛らわしいのですが、objectとはsubject(主語)が向かい合う「対象」だと理解してください。

動詞を挟んで、主語と対象を向かい合わせる。その際に、日本語のように、つなぎの助詞のような言葉を入れない。この方式が、英語構文の核でありキモであると申し上げておきましょう。   

2-4
英語文は構造に収まりたがる。

顔の見えない人に対しての「(そこにいるの)だーれ?」はWho is it?です。見知らぬ人に面と向かって言うWho are you?とは大間違いです。

日本語は主語を「省略する」のではなく、述語だけで安定する言語なのです。

ああいやだ。 I hate it.
了解です。 I got it.
本当だって。 I mean it.
やってけない。 I can't go on.

2-5
日本語は、背骨を持つ代わりに根を下ろす。

英仏語はクリスマスツリー型
日本語は盆栽型

2-6
「ここはどこ?」は英語にならない。

英語の前置詞は、ほとんど空間的なイメージを表します。in, on, at, over, through, between…。

「空間詞」を日本語は活用しません。

これは日本語が客観的で平等主義的な空間を前提にしていないことと関係します。さし上げたり、へり下ったり、対人関係の上下にこだわり、〈内 うち〉を家や自分と同一視する言語は、どうしてもあっさりとした物理的に な空間になじみにくいのでしょう。

たとえば「ここはどこですか?」という日本語。これは英語で、Where am I?とか、Where are we?となります。"Where is here?"では英語になりません。

英語は、〈うち〉を抱えず、記号としてのIやyouが公的空間で行動し、反応するというモデルによっています。いわば「空間言語」。その特徴が、Where am I?という疑問文によく現れている。この空間に「ある」ものは、Iだろうと、youだろうと、すべて物理的に、きわめて平等に「ある」と見なすことができます。

『雪国』川端康成(1948)

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
The train came out of the long tunnel into the snow country.

読者は、作者の一人称に引き入れられ、その内側から世界を見ることになるので、「抜ける」の主語が「私」なのが「汽車」なのかは、問わない。強いて言えば作者の「一人称枠」がトンネルを抜けたのです。

池上嘉彦『英語の感覚・日本語の感覚』(2006)によれば、日本語では「〈自己〉は知覚の原点として知覚の対象にならず、したがって、発話の中で言語化されない」のです。

「日本語は虫の視点、英語は神の視点」
『英語にも主語はなかった』

日本語が一人称枠を移動させながら物を語るのに対し、英語は、高いところから下界を見下ろすようにして語る。そのパノラマの中に「私」も見えている。


「神の視点」とは、金谷氏の説明によると「言語化されようとしている状況から遠く身を引き離して、上空から見下ろしている、そしてスナップ写真のように、瞬間的に事態を把握する」。一方の「虫の視点」はその反対で、「状況そのものの中にあり(……)時間とともに移動する」。

2-7
英語のような日本語も、
結局英語に似ていない

〈誰がーどうした〉という文を作ろうとすると、日本語では余計なことをいっぱい言うハメになる。日本人が英語を訳すときに入り込んでくるたくさんの煩雑な表現は、シンプルな英語でのコミュニケーションでは、実際余計なものである。

ここまでのまとめ

・英語は空間言語である。英語の思考者は、誰にとっても対等な〈空間〉や〈方向〉を、空間詞(空間を詳述する前置詞や副詞)によっててきめ細かく追いながら、自分を含むあらゆる事物を、空間上に配したり動かしたりしている。

・日本語は対人言語である。一人称は〈うち〉に留まり、自分に見えたことや感じたことを、二人称の相手との関係において適切な形に処理して発するための構造になっている。

2-8
日本語には〈内なるワタシ〉がいる。

『日本人の発想、日本語の表現』(1998)森田良行

相撲という格闘技が日本的空間のあり方をどのように表象しているかということが書いてあります。丸い土俵の中心を向いてにらみ合う両者が、互いを外へ押し出そうとする空間は、日本語に内在する私たちの、一人称中心の世界観をそのまま表しているという解釈です。

英語を学ぶにはまず、〈あちら〉のことばを〈うちら〉のことばで組み伏せるような、相撲タイプの学者をやめることです。英語を訪ね、英語のしくみにしたがって、〈うちら〉の心の縛りを解いていく。

日本語には〈うち〉なる私がいて、〈うち〉に湧く思いを、そのまま形容詞の類似で吐き出すようにできている。

これに対し、英語では私=meが〈オモテ〉に出ていて、さまざまな出来事の作用を受ける。その作用をSVOの形式で記述することにより心情を述べるというのが、英語のやり方なのです。

ほら、みっともないでしょ。
Hey, people are watching us.
これは気持ちいい。
This makes me feel great.
お恥ずかしいかぎりです。
It puts me to shame.
そんな……照れます。
You're flattering me.

まとめ

自分を〈うち〉におく日本語では、自発的な感覚を主語を付けずにそのまま出すような語り方を制度化している。これに対して、自分をつねに〈おもて〉の空間に出して考える英語では、対人関係的な感情や物事への関心は自発的に生じるというより、何らかの作用の決定として起こると見る。

2-9
英語空間は記号を動かすゲームのようだ。

ここまで観察した日本語像は、〈うち〉を居所とする者が、相手との関係を慮りながら、内面を表出させるような言葉を連ねるというものでした。

人称変化するのは、主語が三人称単数現在のときだけ。

〈SentenceSpace〉のデフォルト設定
S-V-O

2-10
SVOのどこに来るかで品詞が決まる。

モノと人の関係は、英語ではかなり「対称的」ですが、日本語ではむしろ「対照的」です。

double 「ダブる」
sabotage 「サボる」

 

 

第3章

5つの文型の背後に、2種類の結合が見えること。

3-2
WhereとWhatは大きく違う。

〈Where〉はトコロ、〈What〉はモノ。トコロは副詞、モノは名詞。

空間詞はまた、時間も表現します。というか、英語でも日本語でも、時間の観念は、空間を基盤として、その比喩の上に成り立っているのです。
名詞に空間詞を付ければトコロに転じ、「トコロ」は「状態」「様態」の比喩となる。

英語はそれぞれ分けて、空間の中(in)、面の上(on)、点(at)に振り分ける。

3-3
文は補語だけで自立する。

英語の発想には、発想の根本から[SVO]の形をしている系統と、[C]のみで発想し、あとから、都合に応じてSを付けて、形式動詞のis等で結ぶものがある。

3-4
am/are/isはbeとは違う。

文法は、言葉についての理解をすっきりさせるためにあるものですが、本当に基礎的なことは、語るのが難しいすぎる。というか、言葉で語れるようになっていません。

時間の外側にいるから、isは不変の真実を表すことができる。

3-5
beの領分とdoの領分がある。

象であれ虫であれ、命あるものは〈いる〉。自ら動いてこちらと「対面」できるのはいる。時間の中をうごめく者は〈いる〉。剥製や標本になって命ある世界から出てしまうと、〈ある〉に変わります。

「ある」に先立ってthe Creator(創造主体)の「する」があるわけです。新約聖書のヨハネ伝には「はじめに言葉ありき」と書かれています。

幽霊は「いる」としか言えません。

マッチング・アプリは「恋をなす」ためにあります。

 

 

第4章
文の形成を、名詞の発芽する動詞のはたらきに求めること。

4-1
英語の動詞は、自・他の間を行き来する。

We'll vacum the carpat.
絨毯に掃除機をかけるぞ。

このように英語の動詞は、他動詞のスポットに収まる ーー 1つより2つの名詞と結合するーーことを好む性質があります。
 自動詞と他動詞とで形が変わることは普通ありません。

4-2
1つの動詞が「文型」を横切って使われる。

行為や作用の「対象」ではなく、主語の様態にかかわる語を自動詞を介してつなぐ場合ーーそのような形容詞を、英文法で「補語」と呼んでしました。
 このSVCのパターンに慣れると表現が広がります。

growの基本イメージは、生成・生長・生成変化にあります。

実体に作用する他動詞growと、自動詞なのに自足せず、様態を接続する自動詞grow。文脈を見失わなければしっかりつくものです。

4-6
補語は主語を着脱する。

SVCをSVをカットすることで、Cを別の文に接続することができる。

4-7
文構造は生きている。

茎は葉を生じるもの。
葉はその生じる角度に芽を持つもの。
茎とはかつてその位置に芽があったところのもの。『精神と自然』

生き物を分析するときは、やはり生きた姿の観察から始めるべきでしょう。

もちろん、言語の展開は植物の発芽と生長とは違います。言語は文頭から文尾へ、ペラペラと高速で進むもの。言語の進行と植物の生長は、時間の尺度も、向きも、まるで違うのだから、なぞらえるのは無理ーー

ある「意」が言葉となって現れる際に、動詞句と名詞句に分かれて出てくる、その瞬間に何が起こるのか。

分岐は機械的なものではなく、動詞に宿る「発芽」の仕組みによるのではないか、とも思うに至ったのです。

4-8
部分から、また全体が生まれてくる。

部分だったものが1つの全体に展開するところ。センテンスの運動は、まさにそれではないか、と。

4-9
時のよどみを英語にする。

文の運動は「掛かる」と「ぶら下がる」を原則に、パーツがはっきり分かれる構築物のようでないことを目指しています。ですから、句読点もほとんどない。

第5章
英語に時制は2つだけ、3つの時相をマスターしよう。

5-1
出来事は時を進み、時から抜ける。

状況などを形容する語を様態詞と呼ぶとするなら、goingもgoneも動詞のイメージを内包しつつ様態詞になっている。であるからには当然[S(be)C]の形をとることになります。

「まだ」「いま」「もう」を〈時の三相〉として捉えると、テンス(時制)の考え方も変化しそうです。

テンス(時制)とアスペクト(時相)は別である

継続と完了のアスペクトを感じ取る。

継続相のない、その都度起こることを表す、learn(新たに知る)やlook(視線を向ける)などの動詞は、-ingを付け、learning, lookingの形で、それぞれ「学びが途中である」こと、「今そこを見ている」ことを示すわけです。

5-3
「いる」と「ある」がbeとhaveに対応する。

日本語の進行と完了は、「いる」と「ある」の対比によって表されているのです。

「いる」は「いま・ここに」いること。時間の中をうごめくこと。

「ある」は、動かなくなったものや、山河のように威風堂々と存在するものに使います。「書いてある」は、書いた結果が動かぬ形で「ある」ということ。時の動きの中にあるものは「いる」、時を制して動かぬものは「ある」。この使い分けが日本語の動詞のアスペクトを仕切っていると考えられます。

5-8
完了と継続以外にも、時相はあるのだろう。

もうすんだ。 I've done it. 完了
いましてる。 I'm doing it. 継続中
まだしてない(A) I haven't done it yet. 未 
まだしてない(B) I have yet to do it. 未
これからしよう。 I'm going to do it. 未

いまだ起きていない出来事は、"will come"と言うにせよ、"is to come"と言うにせよ、不定詞で語るしかないのではないか。不定詞はその本来の性質からして「未然」のアスペクトが読み取られるべき存在なのではないか、と考えるのです。

未然 I have do it. I have something to do.
完了 I have done it. I have something done.

haveの本意は「不動」「平定」にあります。動く世界を相手にするならbe動詞、I am doing it.となるわけです。

5-9
「To 不定詞」は未来を向く。

I want you to know... 君に知ってほしい
I tried to call you... 君に電話しようとした
I came here to listen... ここに聞きに来た

これからやること things to do
今やっていること things I'm doing
やり終わったこと things (that are) done

 

 

第6章
コトバに上達するとは、意識を無意識へとつなぐこと。

6-1
見つめ合わず、一緒に同じ方を見る。

「英語やフランス語を話すとは、お互いと向かい合うことではなく、一緒に同じ世界を見ようとすること」

言語の基本ポジションとして、近代英語は事実志向性が強く、日本語は、大きな変化を遂げた後の現代も、話者の思いの吐露に適した形をしています。

両者の間に起こることを動詞で表す英語のやり方と、対人的な感情を表す語をそのまま吐き出すことができる日本語とでは、やはり作法がずいぶん違います。

I love you.の気持ちを表現できる形容詞が英語にはない。なぜでしょう。
[2-8]の内容に即して言えば、〈内なる私〉がいないから。互いを覗っていないから、と言っても同じでしょう。

誰にとっても同じに見える空間に物事を配して、ちゃんとSVOに思いを乗せる構えでいくことが結局近道になるーー

その中で重要なポイントが、否定文の作り方にあることにも触れました。否定文を肯定文から切り分ける技術は、簡単なようて、実は奥深い。

6-2
自然は否定を知らない。

ケネス・バーク(1897-1993)
「否定の発明者」

人間は否定を発明した。どういうことでしょう。

言語を獲得し、notを抱え持ったことで、人間は自然から浮き上がった存在になった。そういう、いわば「ねじれ者」としての人間像を、バークはアイロニカルに表現したわけです。
 人間はリンゴを前にして、ただ実を齧るだけでなく、その果実を名付け、シンボル化し、理想化もし、「リンゴらしいリンゴ」を欲し、「こんなのはリンゴではない」と現実を否定し、「もっと美味しいリンゴがあったら」と仮想し、よりよきリンゴをより多く手にする道具と手段を考案し、利益を生んで人の上に立ち、より完全な栽培者への道をひた走る。そういうことをゴリラはしません。

自然の営みを、自然の側から考えてみたとき、そこに否定がないことに気づきます。雲が出て日が隠れるのは、雲が日光を否定しながらではありません。雲も太陽も、何も「打ち消し」ていません。

「否定」は、私たち人間の側で、自然から得たイメージを言語というシンボルに変換する際に生じることーー少なくともバークはそう考えました。

動物にとってのコミュニケーションは常に現在進行形。いつも抜き差しならない緊張をはらんでいることが想像できます。
 人間たちも、関係の流れにとらわれているところは同様です。私たちの感情と生理とは、声高な口調や赤面や半ば無意識の身振りでもって、場の空気や個人の感情についての情報を伝え合っています。関係のゆらめきに応じて、次第に甘ったれた口調になったり、握りしめた拳が次第に震えてきたり、やがて悲しげな沈黙に埋もれたりします。

加えて、言語記号(意味するもの)とその意味とは別物です。「カナシイ」は悲しくありません。

逆に言うと、それ自体はちっとも悲しくない「カナシイ」を口にすることで、想像上の悲しみを伝えることが言語記号を持つ人間にはできるのです。

犬は悲しそうな鳴き声を立てることしかない。その悲しげな「ク〜ン」の発声は「悲しくある」ことの、切り離せない一部です。

6-3
コトバは夢にも根ざしている。

何を何と差異づけるかということには人々の暮らしと文化が作用します。一つの概念を囲いとる意味のフィールドは、それぞれの言語と文化によって大きくなったり小さくてなったりするものです。

6-4
叙実以前に感嘆がある。

山田孝男(1875-1958)

日本語には「もののあはれ」を表現する「換体」という形式があることを主張しようとしたのかもしれません。

コトバの進化を想像すれば、はじめに感嘆法(虚偽を生み出せない感嘆と信仰の心)があり、そこにnotが入り込んで、事実/虚偽から事実を選ぶ直説法の「叙実文」が成立したと考えるのが正しい順番でしょう。

6-5
日本語は、主観的な思いの積み上げを許容する。

対人言語である日本語は、事実を確定しようとする構造を欠いているーーいや、事実を確定せずなるべく相手の判断に委ねる構造を発達させてきたーーんだろうと思います。

日本語の述語は、いわば、その陳述を「真」とする確定機能を必要としないのです。

自分の得た感覚的な情報を相手に届ける、というあたりが妥当だろうか。

そして、ここが重要なのだが、関係の認識をコトバにしないまま文を終えることは日本語では不可能である(書き言葉でも、「です・ます調」「である調」などの選択から逃れられない)。日本語で敬語は大事な「文法カテゴリーー」なのだ。

6-7
隠喩は深い真実だ。

隠喩は言葉遣いというよりも、心の様態の問題です。単なるレトリックでも、言い回しでもありません。私たちの思考が本源的に未分化な無意識とつながっている限り、隠喩的な思考モードはつねに身近なところにあります。

隠喩から醒めるにしたがって、アイデンティティというものが生まれ、単語の意味がかたまり、直訳が可能になる。しかしそれは事後的な状況で、ことばの初めにあるのは隠喩の方です。

助動詞と本動詞にまたがって、所有と平定(コントロール)の他動詞として多大な支配力を発揮するに至ったhave。その用法の変化と拡張について考えることは、私たちの人間の文明について、生体学的な視野で考えることにも通じていくのではないでしょうか。

シェイクスピア
『テンペスト』

人間たちはいろいろと動き回って歴史を作っている気になっているが、実のところはそうやって織られていく夢にすぎない。そしてプロスペロはこう続けますーー

and our little life is rounded with sleep.

我々のちっぽけな命は眠りに囲まれている、明確な輪郭はない、一つの大きな眠りの海に浮いているのだ、と、直接法のis で堂々と言い切るのです。

6-8
隠喩法は言語研究を推進する。

コトバはモノではない。名詞的存在ではない。モノになぞらえるのは悪しき隠喩に染まることだ、とどうしても思ってしまうからです。

ところがコトバはパターンです。

句はつながって節を成し、説は関係詞によって句に丸め込まれる。これが言語のパターンです。

私たちに必要なのは「コトバと生きる」ための知恵です。

カメラを引いて遠ざかって、言葉のツリー全体を、その背景(文脈)と一緒に見るようにしないと、教育の現場に生かせるような知はなかなか生まれない。大つかみの感覚をシンプルかつキッチリと伝える説明は生まれません。
 言語は私たちより大きく、その客観的な姿を目の前にすることがそもそもできないのだと思います。

言語の構造は、私たちの思考や信念を織り上げている構造そのものである。その構造が日本語と英語でずいぶん違う。


『英文法を哲学する』佐藤良明/著より抜粋し引用。

 

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