小動物とエクリ -2ページ目

解釈の修正|カリカチュア = テクネー ③

 

 

第八章 模倣論

 

国家 – 社会主義は私たちの社会におけるーー保留されていると同時に差し迫ったーー永遠に潜在的な「可能性」として、現代人の意識に絶えずつきまとっているのである。それは国家 – 社会主義が、いついかなるときにも明確に規定された政策としてあらわれることがなかったからであるしたとえ、その「イデオロギー」の方はあますところなく明確化されていたとしても。このことを鮮やかに示したのは、ハンナ・アレントであるーー国家 – 社会主義が自らの姿をあらわすのは、政治的なものの真理としてである。だからこそ国家 – 社会主義は、いかなる「政治学」も、いや政治哲学でさえ到達できない政治的なものの非政治的本質を、白日のもとにーーたちまち陰ってしまうがーーさらけだすのである。ところが、政治的なもののこういった本質を求めるべきところは芸術の側だとしても、いかなる美学も芸術哲学もまた、芸術と政治的なものとの切っても切れないきずなをときほぐすことはできないのだ。というのも、その諸カテゴリーー実際上、すべてがプラトン哲学から派生しているーーの出発点には、政治的なもの(「宗教」)こそが芸術の真理だという、その伝統全体を支配している前提があるからである。ハイデガーが一ー彼の三〇年代の計画が明らかに美学の「克服」であるという点で国家 – 社会主義が隠蔽すると同時にあばきだす政治的なものの本質にたいする特権的な接近、おそらくは唯一可能な接近に道を開くのはそれゆえである。この点にかんしては、とにもかくにもハイデガーを読まなければならない。ただし彼が語りえないでいるもののなかに、あるいはもっと厳密に言えば、彼が言わんとしていることからーー絶えずそこにその痕跡を残し刻印を押しながらーー倦むことなく逃れ去っていくものの中に読みとらねばならない。それには二つの理由がある。一つは、三四年の「決裂」はあるにしても、国家 – 社会主義へのハイデガーの連座であるーーその背景には本質的に、(歴史の)主体を復権させようとする、民族を対象にした一種の「先験的仮象」がある。ところが、そこでは脱 – 自的なDasein 〔現存在〕と(「根源的な脱自」としての時間性の)有限性とにかんする思惟は、Mitsein〔共同存在〕と、交感的本質、あるいは、たんに本質存在(民族ーーギリシア民族であろうとドイツ民族であろうとーーつまり言語)とを混同することを禁止しなければならなかったはずなのである。もう一つは、最初のものよりはるかに理解しがたいが、(あいも変わらず〔同一性〕と〔一致〕としての真理の規定に関係づけられた)ミメーシスにたいする哲学的な、つまり、この場合はプラトン的な断罪への、ハイデガーのきわめて謎めいた追従である。ところが、テクネーの思催は、厳密にアリストテレス的なしかたで、根本的な模倣論から発しているのである。
 以上のような条件において、ハイデガーは何をかいまみせてくれるのだろうか。
 ある程度の明証性をもって、まず第一に言えるのは、国家 – 社会主義は、ドイツの闘争の歴史ーー『反時代的考察』第二編のニーチェのなかに、ドイツが最終的にそのもっとも広汎に流布したテーマ設定を見出したようなものとしての闘争の歴史ーーのなかに位置しているということである。

(3)

人間の本質 はここでは、人間に存在を開示する関係としてあらわれる。人間存在は、把握と沈思の必然性であるがゆえに、テクネーー知を通しての存在の作品化ーーを引きうける自由への参加の必然性(Nötigung〔強制〕)である。かくして歴史は存在するのである。」

(4)

教会は普遍的なものとして自らの起源をローマにもっているが、その教会がローマ人の言語そのものを現在にいたるまで保持してきたのである。その教育の源泉は、ラテン福音書の側にあっては教父であった。私たちの法律もまた光栄にも、ローマ法から自らの方向づけを導きだしている。重苦しいゲルマン的堅牢さにとって、ローマから私たちのもとに到来した教会と法の峻厳な義務をうけいれ、その規律のなかに自ら維持されることは必要なことであった。このことによってはじめて、ヨーロッパ的性格は和らぎを得、自由への適性を獲得したのであった。かくしてヨーロッパの人間性はついに自己を自己のもとにおいて見出し、現在へと目を投ずるにいたり、こうして異邦よりもたらされた歴史的な要は放棄されることになったのである。そのときから、人間は自己の祖国にあることになった。この状態を享受するために、ギリシア人へとむかうことになった。ラテン語とローマ的性格は数会と法律学にまかせておこう。いっそう高慢かつ自由な学問(哲学)、ならびに私たちの芸術の自由な美しさは、知ってのようにそれらへの嗜好と愛と同様、ギリシア的生に根ざしている。哲学も芸術もギリシア的生の精神を汲んだのである。もしノスタルジーを抱くことがゆるされるならば、それは、こうした国、こうした存在にたいしてであろう。
 ここで前もって指摘しておくが、ヘーゲルはさらにこの「故郷」というモチーフを原地性 にきわめて厳密なしかたで結びつけている。

もちろんギリシア人とドイツ人の深い類似性の説明にもなっている。「自己のもとにおいて」という比喩表現が、そうした類似性の手掛かりである。そしてこの比喩表現は当然、哲学のなかにその安らぎを見出す。

私たちは共通の精神、ある祖国への帰属精神によって結ばれているのである。日常生活において、私たちは自己のもとでくつろぎを感じている人たちのもとや家族のなかにあってくつろぐ。彼らが自己の満足を見出すのは自己自身のうちであって、外部や彼方にではない。
 
 ギリシア人が真に自己のもとにあるのと同様、哲学とはまさしくこのこと、すなわち真に自己のもとにあることなのであるーー人間は故郷にある自己のもとにおける自己の精神のなかにあらんことを。
 ヘーゲルは原地性のテーマを思弁的に再推敲するのと同じくして、(精神の)普遍性すなわち「一切の特殊性からの自由」のために、最終的な撞着語法 を切り捨てる(「自己のーもとに」は精神以外の場所をもたないのだ)ーー有限性の思惟には、もちろんこうしたことはなしえないだろう。それでも、このような「自己のーもとに」の認識がギリシア-ドイツに特有なものであることに変わりはない。フィヒテはすでにこのことを声高に主張していた。そしてハイデガーはその記憶によみがえってくること以上のことをするだろう。

ようするにドイツは、歴史的存在に接近しようとする試みにおいて、また民族または国民として「世界史のなかで特徴づけられ」ようとする試みにおいて、端的に精髄を希求したのである。しかし精髄は定義からして模倣不可能である。そしてドイツがある種の精神的 – 歴史的な精神障害とか分裂病に屈してーーヘルダーリンからニーチェにいたるまでの、そのもっとも威光にみちた天才たちの何人かは、その前駆的徴候(であり犠牲者)であったーー、文字通り疲弊しつくしてしまうのもまた、この精髄の模倣の不可能性ゆえなのである。しかも、分裂病的論理のみが、唯一、〈殲滅)という考えられないことを可能にすることができたのであった。そして現在のドイツの分割はこのプロセスを象徴的に示しているのである。ドイツはいまだに存在しないのだ。存在しないという苦しみのなか以外には。
 政治的なもの、いずれにしても近代における政治的なものにかんして言えば、このドイツの運命が明らかにしているのは、そのプロセスの本質的な部分とは国家的同一化のプロセスであったということ、そしておそらく、いまなおそうであるということである。これこそがニーチェの直観、しかも、それ自体は非「国家主義的」直観であった。社会主義とアメリカにたいして不安を抱いていたニーチェは、労働とか生産が、いや人間の自己 – 生産ですら、政治や歴史にかんしては決定的なものだという考えには与しなかった。彼にとって決定的なのは、諸民族が自らの芸術的能力によって自己 – 形成をすることであった。とはいえ、私がつねにフロイトから「同一化」という語を借用しているのは、それが結局は、模倣のプロセスの争点を指示するために私たちが自由にできる唯一の語であるからだし、またとくに、その美学 – 心理学的文脈と縁を切ればーーそもそもこの語には、こうした文脈においては疑問の余地があるーー、固有と専有、 固有化と非固有化または非専有等々という、この文脈よりももっと強い網の目に引きつけられるからである。過度に図式化して言えば、少なくともプラトン以来、政治的な教育もしくは育成、政治的は模倣のプロセスを起点にして考えられている。ところが、プラトンはまさしく政治的なものの(哲学的)自己 – 確立を夢見て、言いかえれば、模倣論的ダブル・バインドのなかにあって、実際、イデアのそれ自体、範例的な(またそれゆえ模倣論理の領域に展している)理念と明確な対照をなしつつ、模倣のプロセスをしりぞけているのである。逆に、哲学的なものの完成ーーおよび、これは出発点においては不可分であるが、プラトン哲学の転倒ーーの領域では、シラーの表現にしたがえば、人類の「美的教育」のプログラムが形をなしてくる。ここでは価値の「逆転」は重要でない。 〈洞窟〉の「神話」ーー一切の「神話的」起源をもたない、自己 – 形成され、自己 – 確立された神話ーがプラトンの政治的計画の基礎づけになっていることは偶然ではない。モデル(手本)が固有化のつねに逆説的な命令ーーきみがきみであるためには私を模倣しなさいーーであるならば、同一化、もしくは専有ーー〈自己〉の自己に – なることーーはつねに、モデルの専有として、言いかえれば専有の手段の専有として考えられただろう。こうした事態がどのように機能するかは、このプロセスの経験論的 – 人類学的記述のなかに苦もなくみることができる。事実、ジラールは、実際は『精神現象学』における欲望の弁証法についてのコジェーヴの解釈を下敷きにしながら(だが、弁証法とはまさしく、ダブル・バインドの解決、言いかえれば模倣の逆説性の止場にたいして抱きつづけられた希望ではないだろうか)、このことをあますところなく明示している。それでも、いかにして、そしてとくに、なぜ、同一性(固有性もしくは固有で – あること)が模倣における専有から生じるかの問いは、そのまま残されているのである。
 自己との同一性が他者を前提とすることは自明ではない。というのも他者もまた、端的に、同一なるものを前提とするからである。弁証法の原理のヘーゲル的公式、つまり同一性とは同一性と差異との同一性であるという公式は、実際には、起源における同一性の贈与を前提としているのである。思弁的弁証法は同一なるものの終末論である。そしてこの論理が、多少とも明示的に、ミメーシスの解釈の基礎に存するかぎりにおいて、同じものから他なるものへとーー同じものの権威のもとでーー際限なく循環することしかできないだろう。しかしながらもっと厳密に考えれば、模倣論理はこの図式をもつれさせ、ぐらつかせる。模倣の弁証法化には、主体が、たとえ潜在的にではあっても、前提となるからである。だが模倣は、定義からしてこうした前提をゆるさない。ディドロがきわめて強固に確証したのがこのことである。すなわち、潜在的に自己に同一の、もしくは自己に関係づけられたいかなる主体も、模倣のプロセスより先にーーこのプロセスを不可能にするのでなければーー存在することはできないのである。何ものかが生存するとしても、それはプラトンが信じているような実体、すなわち、モデルがやってきて自らの「類型」を刻印したり、自らの、形を刻みこんだりするような、まったき柔軟性、あるいは可塑性をもった実体ではない。こうした実体は実際にはすでに一個の主体なのである。そしてエイドス〔形相〕ーー広くは形的なものーーが同一なるものの前提そのものだとしても、模倣のプロセスを検討することができる可能性をあたえる出発点は形相的なものではない。しかも一つの伝統全体(これはナチズムで頂点に達する)が政治的なものは個人と共同体の虚構性に依存すると考えたのは、プラトンからニーチェとヴァーグナー、さらにはユンガーにいたるまでーーいや、ハイデガー、いずれにしてもトラークルの読者としてのハイデガーにいたるまで(だが、このことを私たちに教えてくれたのは彼なのだ)ーー、こうした形相的なものが、私が存在 – 類型学と呼ぶことができると考えたものの形で模倣論の基礎に横たわっているからである。

 ー、模倣の主体(主格的属格)ーー模倣者と言ってもいいーーがそれ自体として何ものでもないこと、あるいはディドロにしたがえば「固有のものとして何ものも」もたないことである。つまり、あらかじめ主体であってはならない。このことは生来の非特性、「すべての役割への適性」を前提とするーーただし、この非特性なり適性なりが、今度はそれ自体が主体や実体とみなされないという条件においてである。(これはー一否定神学的意味での一存在 – 類型学の「否定的」ヴァリアントである。)
 二、したがって「横倣の主体」は根源的に……にたいして開かれた、あるいは根源的に「自己の外にある」ーー脱 – 自的な「存在」(存在者という意味での)でなければならない。これはまさしくハイデガー的 Da-sein 〔現-存在〕「である」ところのものである。しかしこの脱自的 エクスタティックな(脱)構成 コンスティテュシオン はーー有限性について密な考え方をすればーーそれ自体、欠陥もしくは不十分さと考えなければならない。主体とは起源においては主体の障害なのである。そしてこの障害は主体の、果実のように裂開した内密性そのものなのだ。あるいはこれを言いかえれば、差延 differance が主体の根源にあって、主体に主体(つまり、第一に安定した存在者)たることを永遠に禁じ、それを本質的に死すべきものとして決定しているのである。ジャック・デリダはこの生来の障害を欠在 desistanseと呼ぶよう私に示唆している。この欠在がなければまた、いかなる(自己もしくは他者への)関係も成立しえないだろうし意識も社会性も存在しないのである。
 「主体」は欠在する。それゆえ、主体は根源的に虚構可能であり、それに先立つあるモデル、あるいは諸モデルの代補によってしか自己自身にしいつか自己自身に接近できるとしてーー接近できない。このプロセスの弁証法的記述はつねに可能である。というのも、このプロセスは結局は根源的な媒介にもとづいているからである。だが、その弁証法的記述が可能なのは、欠在を、たとえ最初の契機だとしても、一契機として指定することに帰着する自己同一性の目的論を犠牲にしているからである。ところで極度に困難なのはおそらく、欠在が抵抗するということ、言いかえれば逆説的に構成的だということである。これがまさしく、ラカンが「言語への予め – 記入べすること)〔予備登記〕」について語るさいに指摘したことであるーーたとえ「未成熟」のモチーフ、鏡像段階、あるいは「神経症患者の個人的神話」の記述が、ある種の弁証法的図式を呼びよせる原因になっているとはいえ(ラカンは「欲望の弁証法」については軽々には語っていない)。じつは、模倣をイミタティオについての古典主義的思惟から奪い取らなければならない。そしてそれを厳密な模倣論の光でもって思惟しなおさなければならないのだ。
 根源的な代補の構造は、テクネーとピュシスの関係の構造そのものである。フィロストラトス(三世紀)の『絵画論』Tableauxのなかに、つぎのような奇妙な命題が見出される。

自然そのものと同じ年齢をもつ発明なのである。

 テクネーとピュシスの関係は、したがってともなる誕生の関係である。つまり、テクネーとピュンスは共 – 起源的なのである。このことはどう理解すべきだろうかーーハイデガーが絶えず考えるようにうながしていることを起点にしないとすれば。すなわち、テクネーとはピュシスの本質的「好隠性」 によって、あるいは、結局は同じことになるが、アレーティア〔真理〕を構成するレーテー〔忘却〕によって要請される代替物だということである。それゆえ、テクネー(ミメーシス)とは、二次的な鏡映像的な表象、あるいは再現的・複写的表象という意味での表現なのではない。そうではなく、それはフランス語においてこの語がもっている十全な意味での、すなわち現前化させるという意味での表現なのだ。困難なのは、あいかわらず、根源的二次性を考えることーーあるいはむしろ、起源が二次的であり、はじめから分割され延べ送りされているということ、つまり差延においてあるということを考えることである。換言すれば、困難は、同一性の論理にしたがわせることなく、〔それ自身のなかで異なっていること〕を、〈同じもの〉を考えることである。しかしまさしくこのヘラクレイトスの警句が、ヘルダーリンにとっては美の(芸術の)本質を指し示していた。彼が模倣の逆説性を考えたのは、この警句を起点にしてである。この逆説性の論理、あるいは私がやむをえず誇張論理(これは無限の循環と「調和的」緊張の論理である)と呼んでいるものは、見かけはどうあろうとも、ホンブルク時代の偉大なエッセーからしてすでに、弁証法的論理の裏をかき、言うなればあらかじめそれをぐらつかせているのである。
 純粋な生命においては、自然と芸術はたんに調和的に対立しているだけである。芸術は自然の開花・完成である。自然は芸術ーー異なってはいるが調和的な種に属している芸術ーーとのきずなによってしか神的なものにならない。そのとき両者のそれぞれは、あますところなくそれであることができるところのものであり、一方が他方の欠如ーーそれぞれが個別的なものとしてあますところなくあることができるためには、必然的にもたなければならない欠如ーーを補いつつ結びついているのである。これこそが完成である。

 ところで、言うことができるのは、このことをハイデガーは、はじめから(つまり、ナチズムとの「決裂」のときからすでに)きわめてはっきりみていたということ、そして、これが晩年の技術の本質と言語にかんする省察にいたるまで彼の思惟を導いていくということである。そして同時に、何ものかが彼の目に隠されているということであるーーあたかも彼が唐突にミメーシスを排除したことが、知らず知らずに彼を、結局は伝統的なーーつまりプラトン的なーー模倣論、テクネーを虚構に連れもどす模倣論のなかに閉じこめてしまったかのように。これについて、私は二つの手掛かりをみる。
 第一にハイデガーは、最初は芸術作品にかんして、〔立て集め〕という語に飛びつき、これに〔立てる〕のあらゆる様式一ー芸術にかんしては(作りだす)、(表現する)、(確立する、構成する)ーーの集合を意味させている。これを通じて彼は、真理が形態のなかに構成されていることとしてのその本質において、作品の規定を確立しようとしているのである。

『学長就任演説』(あるいは『根拠の本質について』)の存在-類型学的モチーフと共鳴しあい、作品の「創造者」と「守護者」との分担を、すなわち芸術の「使命」の構成的分担を、配分していることにかわりはない。つづいて、ハイデガーが、ほぼ二〇年前には(だがその間、おそらくは先例のない歴史の「急変」が起こっていた)芸術作品にはあてはまっていた事柄を近代技術にふりむけたこと、またそれと並行して、言語にかんして線の問題をふたたび取りあげたことは、ナチズムをその「真理」においてあばきだすまでに、思惟がいかなる「政治的」行程をたどらなければならなかったかを十分に明らかに示している。
 他方、第二の手掛かりについては、ハイデガーが結局は存在 – 類型学を告発し、神の死と主体の無限化(超越性にたいする「逆超越性」)の精神的 – 歴史的領域において、形または形態、押し型そして刻印という存在 – 類型学的なテーマ群をプラトン哲学のたんなる転倒だとしてしりぞけるにはーーしかし、このテーマ群は一九三三年以来、一貫して彼のものだったー一一九五五年とユンガー宛の書簡(『存在の問いへ(の寄与)』)を待たなければならないだろう。このことは結局、ハイデガーがつぎの事実を決定的にあばきだしたのは、〈第三帝国〉の崩壊後、一〇年を経過してからでしかないということである。すなわち、国家 – 社会主義(唯美主義)とはプラトニズムの転倒の真理、あるいはプラトンが戦ったものーーもっとも、彼自身は専制政治に譲歩していたがーーの復活の真理、言いかえれば虚構としての技術、および虚構としての政治的なものにかんする思惟の真理であった、ということである。それは西洋の「神話化」の最後の試みであった。いや、そんなことはない。それはおそらく政治の最後の唯美化であった。

 

第九章 神話

 

私の仮説は、ハイデガーが断絶したものとは、ドイツ神話の政治 – 虚構ーーすなわち、ナチ神話として定義できるようなものと、いずれにしても(存在の思惟との底知れぬほどの非通約性にもかかわらず)ひじょうに近いものーー以外の何ものでもない、ということである。
 「ナチ神話」という表現を、ナチズムがそのイデオロギーやプロパガンダのプログラムに入れていたらしい、何らかの(ゲルマン的、インド – ヨーロッパ的、等々の)神話の再活性化とか、クリークやボイムラーの「思想」の核心をなしていたミュトス(ロゴスまたはラティオ〔理性〕に対立するものとしての)の宣揚の意味にうけとってはならない。こうした神話の再評価はナチ神話の構築と無縁ではない(この再評価はハイデガーのなかにもないわけではない)。しかしそれはナチ神話構築の一つの帰結にすぎない。言いかえれば、ナチズムの神話への意志、つまりナチズムにとって、自己自身(運動、つぎに国家)を神話 として、あるいはある神話の実現 effectuationーー作品化 ミーズ・アン・ウーヴルと活性化運動 アニマシオンーーとして提示したいという意志の一帰結にすぎないのだ。この意味でーそして、このことはローゼンベルクのなかに完全に読み取ることができるーーこの神話は「神話学的なもの」とはまったく異なっている。それは、「力 ピュイサンス」、一個人・一民族がもつ根本的な諸力と方向性を結集した力そのもの、すなわち受肉した具体的で深い同一性がもつ力なのだ。この力を、ローゼンベルクは夢の力、直接的な全面的賛同によって自己が同一化されるあるイメージの投影の力として解釈している。このようなイメージは、通常、神話がそこに還元される「寓話化 ファビュラシオン」には似ても似つかない。それはある類型ーー同一性のモデルであるとともに実現され形になったこの同一性として考えられた類型ーーの具象化なのである。そして今度はこの類型が夢に「人間をそっくりそのまま」とらえることを可能にさせるという意味で、夢にその真理をあたえる。

このゲルマン的魂がギリシア的魂ーーこれもまたアーリア的であるーーにならって、政治的なもの(名誉と国家)をFormwillen すなわち形成することへの意志、および形式または Gestaltung 〔形態化〕への意志として、つまり作品として夢見ているかぎりにおいてである。
 もちろん、この神話の存在 – 類型学的解釈は、ある種の人種主義と一致する。というのも、ゲルマン的魂とはここでは、血と大地への帰国によってのみ人種として成り立つ人種の魂だからである。そして私たちは、このギリシア的原地性の熱狂的(および「科学的」)
反復が、唯一の父からの生誕という夢の必然的な到達点であることはうすうす知っているのである。しかし人種主義は存在 – 類型学の帰結であって、その逆ではない。「魂の自由はーーとローゼンベルクは説明するGestalt 〔形態〕である。Gestalt は造形的につねに制限されている。この制限[これが形を切り離し、類型の輪郭の線を引く]は人種によって条件付けられている。だがこの人種は、ある限定されたの外形なのである」。人種ーー言いかえれば(そして、これがまさしく神話の内容である。神話とは人種の神話なのだ)、それは形成する力、類型、すなわち神話の所持者の同一性である。この完全な循環性 シルキュラリテここには、シェリングがコールリッジから借用したトーゴリーが認められるーーは、つぎのこと以外の何ものも意味していない。すなわち、神話(人種の)とは神話の神話、あるいは、もろもろの神話を形成する力の神話なのである。美学 – 政治的内在主義の論理そのものによる「神話創造 ミトボイエーシス」それ自体ーーそこには類型もふくめられるーーの神話は、虚構を形成しかつ虚構として形成される。だからこそ、自己自身以外の何ものをも意味しない神話は、純然たる自己 – 形成の領域に属し、自らの類型による民族の(あるいは人種のーーなぜなら völkischは決定不能なものだからであるーー)自己 – 確立であることが明らかになる、またはそのようなものとして実証されるのである。したがって、以上のようにして帰結された存在-類型学のなかでたまたま完成することになるのは、主体性の(意志の意志の)存在論である。ナチズムとはナチ神話、すなわち絶対的主体としての、自己自身であらんとする(自己の)純然たる意志としての、アーリア的類型なのである。
 このことからいくつもの帰結を導きだすことができる。
 一、「イデオロギー」は、多様な融合的パフォーマンスと同様、たとえば「プロパガンダの技術」のような手段などではまったくない。アーリア神話の自己 – 生産は、それ自体として目的である。民族または人種の自己同一性の、受肉した直接的な(体験されたーーとローゼンベルクは言っている。彼は Erlebnis〔体験〕という用語をいつも使っているーー)内在的実現としての目的である。その目的とはここでは、神話と類型への純粋な贅同、全面的な関与である。ローゼンベルクはつぎのように書いている。「一つの人種の生命とは[……]神秘的総合の形成である。」ファシズムは一般に大衆操作の技術に還元されるが、これはまちがいである。ファシズムとはむしろ、大衆がそのなかで同一性を見出す感動の作品化なのだ。
 二、神話の力の覚醒ーー自己 – 創造的な挙措ーーは、理性のもろもろの抽象的普遍概念
の論理的矛盾が明らかになったときから、また近代人のもろもろの信仰(キリスト教および人類それ自体への信仰)ーーこれは結局、活力を失った神話にほかならないーーが崩壊したときから、一つの必然である。だがここでも思いちがいをしてはならない。ナチズムは、それが、その目には他の何ものよりもいっそう力強い、つまりいっそう効果的なファ二タス〔人間性〕の規定にもとづいているかぎりにおいて、ヒューマニズムなのである。絶対的自己 – 創造の主体は、たとえ、直接的に自然的な立場(人種の特殊性)において近代的主体のあらゆる規定を超越しているとしても、同じこれらの規定を集めて具体化し(スターリニズムが絶対的自己 – 生産の主体によってそうしたように)、一般的な言い方をすれば、主体そのものとして自己を確立する。この主体に普遍性ーーおそらくこの普遍性がヒューマニズムにおけるフマニタスを一般に受け入れられた意味で定義するーーが欠けているとしても、だからといってナチズムが反ーヒューマニズムだというわけではない。
ナチズムはそれを端的に、もろもろの「夢想」の実現と具体的に – なるの論理ーーこの論理には他に多くの例があるだろうがのなかに組み入れるのである。
 三、ユダヤ人はこのように定義されたフマニタスに属していない。というのも、彼らは夢も神話ももたないからである。モーリス・ブランショはただしくつぎのように書いている。「ユダヤ人は、[……]神話の拒絶、偶像の放棄、掟の尊重によって示されるある倫理的秩序の承認を[……]体現している。ユダヤ人のなかで、”ユダヤ人の神話”のなかで、ヒトラーが一掃しようとするのは、まさしく神話から解放された人間なのだ。」この「神話の拒絶」こそがまさしく、ユダヤ人が一つの類型も構成しない理由である。彼らは一ーとローゼンベルクは言っているSeelengestalt〔霊魂の形態〕をもたない。したがってRaBengestalt 〔人種形態〕をもたない。それは形をもたない非-美的な「民族」であり、定義からして自己-虚構化 オトーフィクシオヌマンのプロセスのなかに入りえず、一個の主体をなしえない。すなわち、固有-存在〔固有 – である〕 エートル – プロブルをなしえない。ユダヤ人をーーとローゼンベルクはさらに言うーーゲルマン人の「正反対」ーー反 – 類型ーーではなく、ゲルマン人と矛盾するものーー類型の不在そのものーーにするのは、ユダヤ人の定めえない(恐るべき)非固有性である。ここから彼らはいかなる文化、いかなる国家にでも入りこむという特有の能力を引きだす。彼らはKulturbegrinder 〔文化創始者〕でもKulturschopfer〔文化創造者〕でもない。たんなるKulturträger、文明の運搬者一ー彼らが寄生して絶えず堕落させる危険のある、文明の運搬者なのだ。ようするに、ユダヤ人はかぎりなく模倣的な存在である。言いかえれば、いかなる芸術も産出せず、いかなる専有にも到達しない際限がないと同時に非有機的なーー果てしないミメーシスなのである。不安定化そのものなのである。
 これはナチスの存在- 類型学の一例、そっけないまでに要約された一例にすぎない。
もろもろの特徴からただちに見ることができることであるが、この図式を、同じ時代にユンガーが、〈労働者〉のGestalt 〔形態〕についておこなっている言説の上に、いわんや、ハイデガーが芸術作品、Dichtung 〔詩作〕、民族、歴史についておこなっている言説の上にはーーそもそも彼はローゼンベルクにたいする軽蔑を決して隠したことがなかったーー重ね合わせることは絶対にできない。このような紹介では哲学的な一貫性と論理がローゼンベルクに備わっているように見えるかもしれないが、彼にはそうしたものが全面的に欠如しているのだから、それはなおさら不可能である。『二〇世紀の神話』は仲間うちにしか通じない、くり返しだらけの、読む意欲を喪失させるような雑駁たる代物で、当時の「スタイル」をなしていた、騒々しい紋切り型の断定だけでできている、例の権威主義的で主意主義的な饒舌に属しているのである。どうしても混同するわけにはいかない。いずれにしても、ユダヤ人排斥論は乗り越えがたい差異をなしているのだ。
 それでも、ある程度の高さからすれば、すなわち歴史のなかでの私たちの立場なき立場、および一九六八年五月、当時、不可避的に(タカ派的な革命的形式でもって、またーー再興するなら再興させておいた方がよかったのだーー陳腐なそしてそれに劣らず不可避的な妥協ーー妥協こそがかろうじて我慢できる唯一の政治的現実であって、これが西洋の政治的企ての破局的完成にかたくなに抵抗したのだったーーでもって)再構築されようとしていた原 – 政治 アルケオーポリティック がはっきりした見通しのもとに放棄されたという事実ーーこれは一種の政治的実験であったが、その政治的であるにとどまらない諸帰結は、いまだにすべてが感得されているわけではないーーが、今日、私たちにあたえているある程度の高さからすれば、根本的に言わんとしていることは、どちらも同じことなのである。

「われわれは単純さのなかに美を耕す。そして堅固さに欠けていないわけではない精神のことがらを。」

「耕す」という語は、このテクストにはまったく無縁のラテン的なひびきをもっている。ハンナ・アレントは逆に、きわめて大胆な解釈を取っている。「われわれは政治的判断の内部において美を愛する[エウテレイアは、ねらいのただしさと解された場合、政治的な”美徳”そのものとなるだろう]。そしてわれわれは脆弱さという蛮族的悪徳なしに哲学する。」コルネリウス・カストリアディスについて言えば、彼はこの政治的判断への言及を「ありそうもない」と判断し、つぎのように敷衍して訳している。「われわれは美と知恵への愛、およびこの愛が惹起する行動になかに、その愛と行動によって在る。われわれは美と知恵によって、美と知恵とともに、美と知恵をとおして生きているーーだが常軌を逸した言動と脆弱さから逃れつつである。」
 私は字義的解釈を取ることにしよう。すなわち、「われわれは質素さをともなった美、および脆弱さをもたない知を愛する」。「質素さ」はここでは経済的なカテゴリーである。つまりエウテレイアが意味したのは、政治的であろうとなかろうと判断の「ただしいねらい」では決してなく、使用される手段の単純さであった。それは豪奢、華美の不在ーーそして何よりもまず出費の不在である。言いかえれば、厳格さ、さらには簡素さである。逆に、マラキアはまさしく脆弱さを意味する。事実、これは典型的な蛮族的悪徳、すなわち東洋的悪徳である。(トゥキュディデスの)ペリクレスの文は、逆境と資源の不在に直面して鍛えあげられた、このーーニーチェが言うように「尊大な小民族」の芸術と思惟が結合した実践ーーペリクレスはこれを凌駕できないまでの高さにもちあげるすべを知っていたーーのなかにあるヒロイズムーー品位ーーを称賛している。苦境 Not にさらされ、と、ドイツとギリシアを同一視しつつ三〇年代のハイデガーは言うだろう。テクネー(芸術と知)の総力をあげて、存在者のおおわれて – あること エートル・ヴォワレ の圧倒する力にたいして蜂起せよと呼びかけながら。
 だとすれば、ポリス・アテネの固有性をなすものと英雄的単独性を言うために芸術と哲学を結びつけているこの文のなかにあるのは、私たちの「デモクラシー」の創設憲章なのではなく、恐怖のなかで成就したプログラム、私たちがそのーー言うなればーー決定的に句切られた相続人であるプログラムであると言って、どうしていけないことがあるだろうか。

 


後記 3

すなわち、国家 – 社会主義のイデオロギーにおいては、いやさらにしもっと広くはーー多くの点から、ドイツ・イデオロギーと呼ぶことのできるものにおいては、ユダヤ教は(ときとして、キリスト教と結合したものでさえ)ヨーロッパ文化にたいして、つまり根源的にはギリシアまたはギリシアーローマ文化にたいして「異物 コール・エトランジェ」であるという事実である。

私が分析的にのべていることを、私の考えであるとは思わないでいただきたい。私が「ハイデガー主義」であるからといって、なかんずく存在の〈歴史〉のなかには少なくともハイデガーが指摘した時代区分以外にも時代区分があり、哲学的なものの構成のなかには、ヘーゲルのつぎにハイデガーが再 – 刻印〔指摘〕している行程以外にも行程があると考えていけないことにはまったくならない。じつはーーこの点についても、私は自明のことだと思っていたーー、私が問題視しているのは有機性の理念であり、その背後にある固有性の理念である。つまり私は芸術作品としての民族という虚構を信じないのと同じく、ヨーロッパの「固有体」の幻想に与していない。
 しかし私が拒絶するものを私の考えであるとみなされるのと同様、私が意図していないことを私の意因だとされることがある。たとえばーーだがこれは一例という以上のものだーーナチズムの成立過程をたどりなおすというのではないが(ご承知のように、私の論の進め方は歴史家のそれではない)、にもかかわらずナチズムの起源を探求し、あるいはそれの説明的図式を提示しようという意図である。そしてその上で、労働と社会管理の技術的変化の問題の方が反ユダヤ主義の問題よりも決定的であるとか、あるいはまた、反ユダヤ主義の現象は、(ナチの指導者の養成のなかにまでみることのできる)何世紀にもわたるルター派の教育やイエズス会の影響のもとにあったヨーロッパの宗教史から切り離したら説明できはしないとかいって反対するーーその場合には、ここでもまただが、〈殲滅〉の供機の論理が私には理解できていないことになるのである。その結果、私の「ギリシア的モデル」(少々、アカデミズム臭がする)と私の芸術にかんする問い(これが唯美主義のにおいがするとでもいうのだろうか)によって、私はナチズムの純粋に哲学的な一種の釈明をおこなおうとしたことになる。そしてこの釈明たるや、完全にスキャンダラスでないときには、言うまでもなく極端に有用のおけないものであり客観性を欠いたものなのだ(私はペリクレスからヒトラーに真っ直ぐな線を引き、あたかも私の隠された意図とはキリスト数の無実を証明することでもあるかのように、アテネをーーにもかかわらずデモクラシーの誕生の地であるアテネをー一押しつぶしているのである)。

私は一つの文を、ただ一つの文だけを切り離している。そのエコーは、思うに、二〇〇〇年以上の歳月を経て、ある種のドイツ思想のなかに、すなわち強迫観念となるまでに「ギリシア的モデル」に取りつかれ、国家社会主義のなかで展開されたものとーーいやむしろ、大半は展開され損なったものと無縁でないある種のドイツ思想のなかに反響している。私が語っているのはまさしく「綱領」についてである。実際、私は一種の「イデオロギー的綱領」のことを考えているのだ。しかじかの「思想の巨匠」がナチ・イデオロギーの責任者であると言っているのではない。そうではなく、ナチズムは「哲学的な」遺産を、いかに変形され堕落していようとも受けついでいるのだ。そして、その遺産の重要さあるいは重さは、思うに、あまりにも過小評価されてきた。

〈第三帝国〉における芸術、都市計画、建築、礼儀作法ーーあるいは反対推論により、教会にたいする確固たる敵意ーーが示しているように、一〇〇年以上も前から学校・大学制度のプログラムに組みこまれていた「ギリシアへの夢想」は、三〇年代のドイツにおいて極度の高まりをみせているのである。
 そう仮定すれば、私の「ギリシア的モデル」(そもそもこれは、どちらかといえばペリクレス以前、デモクラシーの出現以前のギリシアをモデルにしたものである)は、ナチズムと反ユダヤ主義の「釈明」などではない。それは、ナチズムたいするハイデガーの批判的言説が明らかにしているように、ナチズムの埋もれた顕現せざる(または、不完全にしか顕現しなかった)真理であって、まさにそのようなものとして、まちがいなく影響力をもちつづけてきたのである。私が国家- 社会主義の下に国家 – 唯美主義をあばきだすことができると考えるのはそれゆえである(そもそも私はーーそう言ったということにされはしたがーー国家 – 唯美主義をハイデガーのせいだなどとは一度も言っていない。ハイデガーはまさしく、「決裂」の翌日にしてすでに、美学つまり西洋の芸術哲学全体に挑戦し、芸術の問題をまったく別の土台に立脚させようとした最初の人なのだ)。この国家 – 唯美主義が、たとえそれにぎっしりつめこまれている「科学的」ながらくたから解放されていなくても(だが、結局はこれもまたハイデガーが示していることだがーーニーチェにおいては、唯美主義と生物学とはどうしようもなく混じりあっているのである)、反ユダヤ主義のヒトラー的ヴァリアントのなかに決定的なしかたで入りこんでいるということーー私が主張しているのはこのことである。だからと言って、これが反ユダヤ主義という大衆的現象の「釈明」になっているとは思わない。こう言ってよければ、問題なのは原因ではまったくない。私がやむをえず本質という表現で語っているのは、それゆえである。
 つまり、本質について言えば、私の直観とは、模倣(言いかえれば、形而上学がこの語のもとに理解しているもの)が近代政治の形成において決定的であるということである。だが、そこにおいて問題になっているのは、おそらくアルカイズム、つまりプルタルコスのうちから残存したものであって、だからおそらくは、厳密な意味での近代政治は存在しないということである。これがハイデガーがかいまみた困難であると私は思う。そこから「ギリシアのはじまり」にかんする彼の錯綜した戦略(にもかかわらず私は、この戦略は模倣的論理を免れているとは思っていない)、また六六年の『シュピーゲル』誌上での〈対談〉における彼の幻滅させるような指摘ーーそこで彼は、デモクラシーが技術時代に対応するにもっともふさわしい政治形態だとは確信できないと言っているーーがやってくるのである。大多数の私の同時代人にとっては、デモクラシーは決して譲ることのできない最後の言葉となっているが、私はそうした人たちとは逆に、困難は残存しており、いまなお私たちの眼前にあるとじている。そして私が、デモクラシーは恐怖と隷属の制度を前提としないまったく別の「モデル」がない以上ーー今日、「かろうじて我慢できる唯一の政治的現実」であると考えているとしても、私たちの背後に(あまり多く)警官はいないということを口実にして、また私たちの労働が(あまり多く)搾取されていないことをロ実にして、デモクラシーを疑問視することをやめるようなことがあってはならないと、私が確信していけないということにはならないのだ。

 

『政治という虚構――ハイデガー、芸術そして政治』フィリップ・ラクー=ラバルト /著浅利誠・大谷尚文 /訳
 

句切りのとき| 間接法 = 法 ②

 

 

第五章 句切り

 このような出来事を、この語にヘルダーリンがあたえた意味で句切りと呼ぶよう提案したい。
 周知のように、ヘルダーリンにとって、悲劇の構造は規則づけられている。だからこそ計算可能なのである。この構造の規則とは、表象(Vorstellungen)間の交代(Wechsel)または律動的な継起の規則である。ヘルダーリンが「表象」(彼はこれに感情と推論を結びつけている)と呼ぶのは、悲劇的英雄ーーすなわち、カント的な意味で「受容性の体系」として定義された「全的な人間」ーーが、「要素」つまり神的なものの「影響下にあるかぎりにおいて」、舞台上で自己を展開していく、その様式のことである。諸表象のこの交代あるいは交換は、悲劇的アゴーン〔闘争〕に、つまりやがてヘーゲルが人倫的実体の分割された二つの可能態のあいだの葛藤として叙述するものに、その地位をあたえるのである。しかしながら、ヘルダーリンの場合は、闘争的交換(「すべては言説対言説である」)はたんなる継起よりも均衡の方へと近づいていく。ヘーゲルが考えているように、葛藤の二つの極のいずれもが他方にたいして勝利できないからではなく、ヘルダーリンによれば「悲劇的 激情[この語はフランス語である]は、じつは文字通り空虚であり、これ以上ないほど関係を欠如している」からである。彼は付言してつぎのように書いている。

それゆえ、もろもろの表象の律動的継起ーー激情 トランスポール が自らを表現する(再現する)(sich darstellt)のはこれを通じてであるーーのなかで、韻律学で旬切りと名づけられているもの、すなわち純然たる言葉、反律動的な中断が、諸表象の一ーその絶頂におけるーー堰を切ったような交換に対処する(begegnen)ために必要となる。出現するのが、もはや諸表象の交換ではなく、それ自体における表象であるために。
〔ヘルダーリン「『オイディプス』への注解」〕

すなわち、句切りのときとは、諸表象の葛藤の真理がそれとして出現するときだということである。表象はそのとき「それ自体として」出現するのである。

「自然の力[Naturmacht' 神的なものの別名]

この自然の力は人間を、その内的な生の中心点において、生命の領域から悲劇的に引き離し、別世界、つまり死者の離心的な領域へと連れ去るのである。

 悲劇的なものの表現(現)(Darstellung)は、何よりもまずつぎの事実に根拠をおいている。すなわち、神 - と- 人間がいかにして交合するか、いかにして、はてしなく、自然の力と人間のもっとも内的なものとが、熱狂のなかで〈一者〉と化すか、というこの途方もないこと(das Ungeheure)は、無際限の〈一者〉と化すことが無際限の分離によって自らを浄化する(sich reiniget)ことによって理解されるという事実に根拠をおいている。
〔ヘルダーリン「『アンティゴネー』への注解」〕

 ここにおいても、アリストテレスのカタルシスの、形市上学的に転換された反響を認めるのは、それほどむずかしいことではない。悲劇は英雄の死を通じて、人間と神との無限の共謀、すなわち両者の「交合」と「熱狂のなかで〈一者〉と化す」という、この純然たる怪物性または途方もなさ(ヒュブリス)を表象するのである。したがって、悲劇固有の効果とは、熱狂の「空虚な激情」を「浄化する」ことである。悲劇の教訓とは厳密な意味でカント的である。したがって、形式においてはユダヤ的である。

「受容性の体系」と定義された人間には、イントゥス・オリギナリウスintuitus originarius 〔根源的直観〕ー一本来的に形市に上学的「肉体を超越する」激情ーーは禁じられている。ヘルダーリンは、ピンダロスの断片一ー彼はこれに「法」(Das Gesetz)という題をつけているーーを解説しながら書いている。「直接的なものは、死すべきものにも不死のものにも、不可能である。だが厳密な間接性とは法である。」悲劇を基礎づけ秩序づけるのは、この法である。これを有限性の〈法〉と名づけることができる。
 悲劇においてはーーだが歴史においても、以下のごとくである。歴史の悲劇は象徴以上のものである(実際には、悲劇は歴史の構造的母体である。あるいはこう言った方がよければ、悲劇的〈法〉とは歴史性そのものである)ーー有限性の法は〈神〉の「定言的な方向転換」の形式をとる。これが人間にとって、地上の方に向きを変えよという定言的命令をなすのである。だから、無限の分離のとき、これが〈神〉と人間を「句切る」のであって、以来、〈神〉と人間は、「世界の流れに欠落が生じないように、また〈天上〉の記憶が失わないかのように、不忠実さという極度に忘却的な形式のなかでコミュニケイトしあうのである。というのも、〈神〉の不忠実さは、もっとも記憶すべき[behalten:記憶にとどめる]ものだからである」。事実、これが、〈法〉そのものなのだ。
忠実な不忠実さーー〈法〉の尊重ーーというこの逆説、これを命じるのはもちろん悲劇の論理そのものであり、この悲劇の論理とはつねに無限に逆説的な論理(無限の逆説性)であるが、この逆説をヘルダーリンはつぎのようにのべている。

 このようなとき、人間は忘却する、自己自身と〈神〉とを。そして、たしかに敬虔なしかたではあるが、裏切りもののように、ふり返る。ーー苦悩[Leiden:パトス]のぎりぎりの極限においては、時間または空間の条件しか、実際、もはや残されていない。
 この極限において人間は自己自身を忘却する。というのも、人間はまるごとそのときの内部にあるからである。

(1) それゆえ、悲劇は他のすべての作品と同様、計算可能である。この計算の原理と正当化は〈法〉それ自体である。〈法〉について「注解[Anmerkungen]」の冒頭ではつぎのようにのべられている。「人間たちのあいだでは、何ごとについても、とくに、つぎの事実を視野におさめておかなければならない。すなわち、それが何ものかであるということ言いかえれば、それがその発現(Erscheinung)の手段[Mittel: ヘルダーリンはこれに対応するフランス語の単語を括弧にいれて書いている。これが手段 moyenである]によって認識することのできる何ものかであるということ、そしてそれがどのように制約されているかは、明確にされ、学ばれうるということである。」

〈神〉は不忠実である。というのも、〈神〉は時間に他ならないからである。そして両者ともに不忠実である。〈時間〉は不忠実である。というのも、このようなときにおいては、〈時間〉は定言的に向きを変えるからであり、〈時間〉のうちにあって、はじめと終わりは端的にもはや韻を踏むことがないからである。人間は不忠実である。というのも、このときの内部にあって、人間は定言的な方向転換をおこなわなければならないからであり、かくして、その後、人間は、端的にもはや最初の状況と同等になることはできないからである。
 
 このテクストはながい注釈を必要とするだろう。 

 悲劇的な「とき」とは、空虚または零のときーー直接的なものの無効性それ自体のーーであり、純然たる間際または純然たる切分法、すなわち流れもしくは継起の「反律動的な」中断である。〈神〉は直接的には深淵として、〈神〉の退去したあとのカオスとしてあたえられる。ヘルダーリンが「注釈」に先立つ註のなかで、悲劇の表現〔再現〕を、そこにおいては「記号=0」である唯一無二の表現(再現)と定義したのはそれゆえである。そして指摘しておかなければならないのは、このーー自己と〈神〉とのーー「忘却」のときとは、一切の記憶と一切の(忠実な)不忠実さの、つまり何よりもまず一切の思惟の可能性の条件だということである。第二に、この直接的なものの直接的退去、この「定言的」方向転換ーーこれは純粋に、端的に、破局である一ー、にたいし、人間は否応なく服従しなければならない。悲劇本来のギリシア的形式においては、この服従は直接的に死という形をとる。アンティゴネーの運命「〈神〉は死の形象のなかにあらわれる」。悲劇の「近代的」形式においては、それにひきかえ(彼がここでほのめかしているのは、このことである)、服従とは間接的なものの、すなわち有限性の受諾である。知の過剰の形象(「余分な目」)であるオイディプスの運命ーーこれは私たちの運命でもある(ヘルダーリンにとっても、他の多くのものにとっても、西洋はオイディプス的である)ーーとは「思惟しえぬもののもとでの彷徨」である。しかしながらこの場合、運命はつぎの事実、すなわち、ひとたび〈神〉が、すなわち〈時間〉が(『アンティゴネー』の翻訳では、ゼウスは「時間の父」と言われている)逆に - 向きを変えると〔回転すると〕ーーそしてこれは、悲劇的切れ目、無の出来、純粋な出来事であるーー、はじめと終わりはもはや韻を踏まない、という事実からやってくる。そして、この運命を背負った人間は「その後[・・・・・]端的に、もはや最初の状況と同等になることはできない」のである。

悲劇的なとぎれは、かくして同時に、不可逆的、かつ一貫性のない(調和を欠いた)時間性を開始する。というのも、句切りのあとにくるものは、以前にあったものと決して同等になることができないからであり、終わりはもはやはじまりに似ることは決してないからである。「句切られた」人間は、文字どおり、時間性から自らを止揚することはないのである。
 
句切りとは、歴史のなかで、歴史を中断させ、別の歴史の可能性を開く、あるいは歴史に一切の可能性を閉ざすものだと言うことができるだろう。だが、ここで二つの詳細な説明が絶対に必要である。
 一、句切りは、純粋な出来事、すなわち空虚または零の出来事ーーそこでは、退去または非-有が、自らをあらわにすることなくあらわにするーーについて以外は言うことができない。
 二、句切りは、直接性の試み(いきすぎ)すなわち有限性のーー歴史的なーー〈法〉にたいする過ちを中断する、あるいは断ち切るためにしかない。
 アウシュヴィッツーーこの「答えなき出来事」とブランショは言っているーーの場合は、これら二つの必要条件が、いまいましくも言われているように、「みたされ」ているのである。そして、思うに、近代史においてはこれ一度きりである(アウシュヴィッツが、これまで私たちが知っている歴史とはまったく別の歴史を開く、または閉ざすのはそれゆえである)。ただし、つぎの事実をのぞいてーーだがこれもすべてを変化させるものであることに変わりはないーーすなわち、アウシュヴィッツは解体の場だという事実をのぞいてである。死でさえない、たんなる粛清(カタルシスの、名をもたぬ堕落)という前代未聞の形象のもとで「定言的な方向転換」をこうむるものたちは、直接性を欲したり過ちを犯したりしたものたちではなく、過ちを犯したものたち〔ナチ〕によって、文字通り、ごみ捨て場であることを押しつけられたものたちなのである(カタルシスの、依然として名をもたぬ堕落)ーーアウシュヴィッツを、やはり文字通りドイツの(そしてヨーロッパの)ごみ捨て場と化すことによって。アウシュヴィッツの「神学的」意味については、これがあるとしても私には意見をのべることができない(もっとも、〈神〉の退去以上に無情な「〈神〉の沈黙」は、私には人間のパティン〔受苦〕が耐えしのぶことのできる一切の限度を越えていると思われる)。せいぜい私に言えることは、アウシュヴィッツは同時に悲劇以上でも以下でもある外 - 悲劇的なものに属しているということである。以上というのは〔神と人間の〕はてしない分離は絶対に常軌を逸しているからである。以下というのは、これについては、いかなる表現(上演)も不可能だからであり、アウシュヴィッツがまさにこれたついては、もろ一度論じることにしようーー芸術の西洋的理念すなわちテクネー、のくずに他ならないからである。
 これが不幸にして、ハイデガーがーーただし彼は句切りについては精通していた(結局、Ereignis〔性起〕とはそれ以外の何だろうか)ーーハイデガーのみが、私たちに理解させてくれることなのである。ただし彼は、アウシュヴィッツのうちに、現代の歴史的な句切りを認めることを執拗に拒んだのではあったが。


後記 2

親ユダヤ的態度は反ユダヤ主義のたんなる裏返しでしかないだろうし、またそうである以上、しばしば、きわめていかがわしい反ユダヤ主義を体現していることになるだろう(最近、モーリス・ブランショに知らしめようと、人が躍起になったのが、このことであった)。この論法に二番目の論法が重ねあわされる。この二番目の論法を、つぎの言葉に要約しても歪曲になっていないことを願う。すなわち、人が回避しようとしている人種差別をまぬがれようとしているのだとしても、その人種差別の犠牲者のなかでユダヤ人だけをこのように「特権化する」ことには、神学 - 政治的な意味、さらには端的に神学的な意味(または、もっと悪いことには「神秘主義的な」意味)以外の意味があるだろうか、ということである。そして、こうした視点に立って、私が何度も神の死に言及したり、悲劇における句切りに歴史的な解釈を提案したりしていることに異議を唱えるのである(私の「歴史観」は「観念論的」であるだけでない。破局的-神秘主義的だということになってしまう)。

私には「精神的」かつ「歴史的」な論理以外のいかなる論理が〈殲滅〉を支配しているのか分からない。お望みとあらば、〈殲滅〉は純然たる形而上学的決定、しかも国家 - 社会主義の教義の原理そのものに組みこまれた形而上学的決定に属していると言ってもよい。こう言ったからといって〈殲滅〉のーーハイデガーがこの語にあたえている意味におけるーー技術的性格を否定するつもりは私にはない(私ははっきり逆のことを言っている)。また、〈殲滅〉を他の論理(経済的、軍事的、政治的、等々)から切り離しているからといって、それを非論理的または非合理的だとみなしているのでもない。逆にこのことが意味しているのは、形而上学の展開から〈歴史〉を考えるとき、そしてこの視座それ自体のもとで、西洋の責任を問題にするときーーこれこそハイデガーが絶えずおこなっていたことであるーー、ユダヤ人の虐殺に、それがまさしくユダヤ人の虐殺であるという理由で、触れぬわけにいかないということであり、これがこの議論の趣旨なのである。

だから私が彼に対抗して、だが彼ゆえに試みようとしているのは、こうした重要性を認識することであり、ギリシアーユダヤーラテンが不可分に結びついた西洋それ自体にとって、自らが表明した「ユダヤ的要素」を排除せんとする意志が、何の帰結であるかを考えることなのである。数世紀にわたる反ユダヤ主義は周知のことであった(これは本質的に宗教的な根拠をもっている)。西洋人が殺戮者であることは周知のことであった(本当のことを言えば、西洋人だけではない。だが西洋人は比較を絶する手段を自らにあたえることができた)。また、西洋が自らのうちにある何ものかをつねに憎んできたことすら周知のことであった。または、そう推察することができたのであった。だが西洋が、自己自身における、自己自身にとっての、自己の真理と宣言しているもののなかでーーもっとも初歩的な明白な事実を無視して、西洋に属していないとか、西洋を内部から浸食すると宣告されたものたちの殺戮の、この計算、この計画化のなかでーー完成されるだろうとは、だれが予測できただろう。
 二、私がこの殺戮の他の犠牲者について語らなかったのは、まさしくいかなる「殲滅主義的パトス」をも回避したかったからである。これら犠牲者の運命は、同じ殲滅主義的な論理に属しているが(この観点からすれば、ナチズムは少しも例外的でないという主張には、難なく譲歩しよう)、にもかかわらず同じ「象徴的」ーー少なくともこう言うことができるとすればーー論理には属していないのである。だからといって、犠牲者がみなさんや私のようなヨーロッパのプチブルであれば恐怖は極みに達しているとか(技術的な大量殲滅においては恐怖はいたるところでその極みにある、いやもっとひどいのだ)、ユダヤ人が、たとえばジプシーにまさる何らかの特権者(歴史的、「文化的」、倫理的、等々)であるとか言いたいのではない。これらの殺戮を考察する場合ーーしたがって、苦しみにかんしてはーーそれがだれであれ、特権化すべきいかなる意味が存在するのか私には分からない。そうではなく、このことが意味しているのは、殺戮の形市上学的意義は同一ではないということなのだ。くり返せば、ジェノサイド、またはジェノサイドの意志、つまり内部の敵であれ外部の敵であれその殲滅、そして公然とであれひそかにであれ、儀礼的であれ科学的であれ「有害」だとみなされた社会的「要素」の排除は、歴史上に無数にある。この点からすれば、ナチズムに新しさは何もない。無償で常軌を逸したもろもろの「無益な」虐殺を指摘することさえできる。そして、他の数多くの虐殺は形而上学的あるいは宗教的な狂信に属している。

マルクス主義的「科学」にとって、スターリンがクリミアのタタール人を流刑に処したり、カチンの虐殺を執行したりすることは、少しも必要ではなかった(この「科学」が要求したのはおそらく、スターリンが「科学」についてもっていた考え方では、〈強制収容所〉であった。だが〈強制収容所〉とその数百万人におよぶ死者は、アウシュヴィッツではない。国家- 社会主義がひきあいにだした「科学」、およびその背後にあってヨーロッパと西洋について国家-社会主義が抱いていた理念は、逆に、直接にアウシュヴィッツを支配している。この確認にはいかなる「親ユダヤ主義」も介在していない。そしてヨーロッパがーードイツだけではなく(だがとくにドイツが)「議事日程にのせ」た問題を、少なくとも思惟のために(これ以外のことは私個人の問題であって、他人にはかかわりのないことだし私はそう言おうとしていた。だが、そうではまったくない)ひきうけることは、恥ずべき陰険な反ユダヤ主義を継続させることではないのだ。ヨーロッパが「議事日程にのせ」た問題は、思うに、不可逆的な形でのしかかっているのである。
 三、政治的あるいは社会的、さらには文化的な「ユダヤ人の脅威」という考えは、幻想もしくは構築に属しているという私の主張が支持されたのであるから、犠牲者の選出(いわゆる「ユダヤ人種」に属しているか否かによる)のみならず、排除のために使用された手段もまた、私にたいしてつきつけられたさまざまな反対例にはまったく関係ないとあくまで主張したい。ガス室にかんする議論に嫌悪をおぼえるからといって、いずれにしても、「強制収容所」を経済的な観点から正当化することなどできないということ、アウシュヴィッツを象徴としてもつ収容所は殲滅のためにあったのであり、生産のた
めではないということを忘れてはならない。今世紀が、事実、搾取の名において組織した
(組織しつつある)もろもろの虐殺との質的差異などまったくおかまいなしに、「マルクス主義者」が、アウシュヴィッツは近代(および世界)資本主義の搾取の他の幾多の例の一つにすぎないというとき、この教条主義的な(そして、だれがこれから利益をうるかをみるとき、むしろ下劣な)「差異の解消」は厳密さに欠けており、またそれが仕えているつもりになっている主義を損なっている。(この観点からすれば、同じ「マルクス主義者」は、実際、資本主義の二つの形態ーー国家資本主義と自由主義的資本主義ーーのあいだの、またそこに多少とも重ねあわされる政治体制または政治形態、すなわちスターリニズム、ファシズム、独裁制、およびデモクラシーのあいだの、一切の根本的差異を否認しているのである。)〈殲滅〉が欲得ずくの政治的搾取の対象であったことは認めよう。だからといって、〈殲滅〉をその特殊性において分析することを拒否する理由にはならない。くり返すが、ハイデガーの文章は〈殲滅〉を技術上の現象として規定している点で「絶対に正当である」。だが技術は彼はこのことを知っていた生産や搾取の領域における大きな変化にも(ハイデガーはまた『形而上学の克服』のなかで「原料」と化した人間についても語っている)、武器製造の規模の変化にも還元されえない。その正面ゲートの上部に何が書かれていたとしても、アウシュヴィッツは、公的な虚構のなか以外では労働キャンプではなかった。そしてガス室と火葬炉は武器ではない。
 四、最後に、私がユダヤ人に認めているという「特権」(この奇妙な「特権」の責任者がだれであるかを想起する必要があるだろうか)のみならず、私が「神の死」という哲学素やヘルダーリンによる句切りについて言及していることを、どうして神学しさらには神秘主義ーーに属しているとみなすことができるのか、私にはよく分からない。

私が歴史的なもののために歴史学的なものを犠牲にしているという非難がなされるが、これはたいへんよく理解できる。というのも、私がおこなおうとしているのは、ハイデガーがもろもろの帰結のなかに数えるだけにどうやらとどめている「出来事」を、歴史的なものとして練りあげることだからである。それがうまくいくかどうか、私にはまったく分からない。これはながい困難な作業を必要とする試みであってーー私はのことは百も承知しているーー、私がここに示しているのは、覚書にすぎない。しかし
この覚書は、それ相応の理由があって、神学には何一つ負っていない。(「神秘主義」についてはーーだがそれは正確には何を意味するのか?ーー、私は答えを控えておきたい。)それが何らかの背景をもっているとすれば、それを求めるべきはむしろバタイユによるルイ十六世の死刑執行の象徴化である。だがそうであれば、まったく別の展開を必要とするだろう。たとえヘーゲルとニーチェの歴史思想を考慮の対象にしたり、ロマン主義の歴史記述が「家徴体系」という名であつかった問題を、再度取りあげたり(だからといって、受け入れるというのでは決してない)しなければならないだけだとしても。私の問いはつぎのとおりである。ナチズムを考察するのに、技術(あるいは〈資本〉)を援用するだけで十分だろうか。ニヒリズムの哲学的な定義だけで十分だろうか。私の答えは否定的なものだが、この答えだけではおそらく不十分である。だがいずれにせよ、問いは提起するにあたいするーー私はそう確信している。
 二番目の反論はまったく別な方向にむかっている。そして、これは私をいっそう困惑させる。私はアウシュヴィッツの活動には「供犠的」なものは少しもないと言う。それにたいし、言葉が軽々に発せられるのではない場所から、いや、ある、という答えが返ってくるのである。
この供儀的な側面を否認しようとする私の意図は、まず第一に、宗教的な、そしてその意味で神学的な解釈をしりぞけようとするものであった。一切の信仰の問題を除外すれば、私にはこの解釈が、私が言ったように「欲得ずく」ではないにしても、結局はひとりよがりの気休め的なものだと、どうしても考えざるをえない。というのも、こうした解釈は、ナチズムを精神病理学的かつ悪魔的なものとする解釈と共謀しており、そのようなものとして、とくに合衆国において、いわゆる「自由」世界の無罪証明のプロセスの一部をなしているからである(アメリカのテレビ映画『ホロコースト』ーー私が考えていたのはこれのことであって、『ショアー』〔クロード・ランツマンの映画〕とかツェランの詩のことではないーーは、このことをはっきりと示している)。第二に、哲学は供儀の人類学的解釈にたいして断固として沈黙を守っていると私には感じられるのである。これらの解釈が生贄係のメカニズムと模倣的暴力の分析にもとづいているときには、とくにそうである。

私の意図はこれ以上のものではなかった。私は、虐殺は役人の仕業であったことを指摘したかったのである。ところで、この問題をもう一度考えるにつけ、実際、供儀については、供儀の人類学的な観念を、少なくとも作りなおすことを必要とするような、まったく別の次元で語るべきではないだろうか。そもそも、これはたんなる困惑の告白であるーーこのまま残しておこう。



第六章 ドイツの歌

テクネーという語は、あの「暗い時代」全体を通じて、いやその枠を越えてすら、変わることなく、すなわち知と翻訳されつづけるだろう。しかしながら、ある注目すべき屈折を認めることができる。一九三三年においては、テクネーは、テオーリアと結びついて、エネルゲイアに通じている。エネルゲイア自体は《am-Werk-sein》として解釈されているが、実際、この文脈ではーーグラネルがおこなっているようにーー「働き - つつ - あること」と翻訳することができる。二年後、この意味でのエネルゲイアはもはや問題ではなくなっている。だが、テクネーにかんする言説はーーその間、芸術にかんする言説と化しているがーー芸術の本質を、アレーティア〔真理〕の《ins-Werk-setzen》すなわち「作品化〔作品のうちにおくこと〕」とする定義で頂点に達している。作品が労働にとってかわったのだ。そして、そのこと自体によってーーと私には思われるのだがーー、この言説の「政治的」な深奥部で、私がこれから国家 - 唯美主義と呼ぶところのものが、国家 - 社会主義にとってかわったのだ。この差異は甚大である。

 一九四五年の遺言のなかで、ハイデガーはこのことについて、きわめて明確な報告をおこなっている。彼はまず最初に、自分の政治参加の深い意味とは何であったかを説明している。

 一九三三年/一九三四年に学長の職にあったことは、それ自体としては取るにたりぬ出来事とはいえ、おそらくは、学問が本質的におかれている形而上学的状況の一徴候である。学問はもはや刷新の試みとしては規定されえない。学問をたんなる技術へと変容させる本質的な変化は、もはや押しとどめようがないのだ。これが、その後の数年間に、私が認識するにいたった事柄なのである(「近代においては世界像の基礎はいかにして形面上学のなかにあるか」を参照)。学長職への就任は、権力に到達した「運動」のなかに、その欠陥と粗雑さを越えて、そのはるか先まで届く一要素、ひょっとしていつの日か、ドイツ的なるもの(das Deutsche)の西洋的かつ歴史的な本質についての熟慮を可能にする一要素をみようとする試みであった。当時、私がこうした可能性を信じていたこと、だから管理者としての活動のために、本来の意味での思惟するという職業を私が放棄したことは、否定しうべくもない。職務において私自身が未熟であったために起こったことの責任については、どんなことがあっても軽減されてはならない。しかしながら、こういったパースペクティヴでは、私にこの職務をひきうけることを決定させた本質的なことはびくともしないのだ。通常の大学活動の地平の内部で、この学長職への就任を裁くしかたはさまざまあるだろう。そして、それらはそれぞれのしかたで正当であろうし、その権利もあるだろう。だが、そういったしかたでは、本質的なことには決して到達できない。そして今日、盲目と化した目に、この本質的なことの地平を開くことは、当時よりもなおいっそうむずかしくなっているのである。

つまりこのわずかな言葉で、ハイデガーは自分の〔ナチ〕加担にかんする二つのおもな理由を想起させている。すなわち、学問〔科学〕つまり知の、あるいはギリシア - 西洋的な定義におけるテクネーの、急速な技術化。いまや彼はこの技術化を不可逆的なものだと判断しているが、一二年前にはこの技術化が、彼の目には学問の守護者と映じていた大学にたいして、学問の本質にかんする根本的な問題提起を要求しているようにみえたのである。および、この第一の理由に密接に関連するものとして、ドイツの精神的な使命、あるいはここで使われている言葉を借用すれば、「ドイツ的なるものの西洋的かつ歴史的な本質」にかんする問いである(フランソワ・フェディエはただしく、das Deutsche [ドイツ的なるもの]の用法はヘルダーリンからの引用だとみなしている)。それからハイデガーは彼の態度から判断しようとするかぎり決して到達できないあの「本質的なこと」に話をもっていく。そして、「盲目と化した目に、この本質的なことの地平を開くことは、当時[「運動」がなだれこんできた時期]よりもなおいっそうむずかしくなっている」と言う。

 本質的なこと、それは私たちがニヒリズムの完成のただなかにあるということ、神が「死んだ」ということ、神性のための一切の空間 - 時間がさえぎられ、おおいつくされてしまったということ、である。だがまた、ニヒリズムからの治癒〔耐え抜き〕)の開始が、詩的な思惟のなかで、またドイツ的なるもの(das Deutsche)の歌のなかで、告げられているということでもあるのだーーああ、詩作。悲しきことに、ドイツ人は詩作にたいして、いまだにわずかなりとも貸す耳をもったことがないのだ。なぜなら、ドイツ人は自分たちを囲繞するニヒリズムの物差しでもって自分たちを組織することに汲々とし、歴史的な概要 レカビチュラシオン(Selbstbehauptung 〔自己主張〕)の本質を見誤っているからである。

ドイツにとって救済があるとすれば、言いかえれば国民としてのドイツが(西洋的 - 世界的な)歴史に自らを書きこみ、自らの精神的 - 歴史的な使命に応える可能性をもつとすれば、それはドイツ人がヘルダーリンに耳を傾けるときでしかない。民族としてあろうとするとき、あるいはそのようなものとして自らを主張しようとするときに、ドイツ人はこれまでわずかなりともヘルダーリンに注意をむけたことがないのだ。
 この言葉は何を意味しているのか。過度に図式化すれば、そこに三つの射程を割りあてることができる。
 一、〈大学〉のSelbstbehauptung 〔自己主張〕の計画への幻滅、ひいてはドイツそのものにたいする幻滅のなかで、学問(これがこの計画全体をささえていたのだ)が芸術に、言いかえれば、この場合には「詩的な思惟」に一歩を譲る。このことは少しも学問の否認や思惟の否認を意味するものではない。そうではなく、それがまちがいなくあらわしているのは、知の、テクネーの本質についての解釈の修正である。学問を Denken und Dichten〔思索(=思惟)と詩作〕でもっておきかえることは、少なくともつぎの点で重大な結果を招かざるをえない。すなわち、以後、歴史的な創設または(再)基礎づけの計画のなかで、歴史的なDasein〔現存在〕の可能性を開く力をひめたものとして考えられるのは、何よりもまず芸術だということである。「芸術作品の起源」についての三番目の講演は、この点にかんしてこの上なく明確である。とは言っても、一瞬たりとも、三三年に自己主張への訴えを正当化していた歴史性の図式は疑問視されていない。『形而上学入門』(一九三五年)は再度、基礎づけのチャンスは始源にあるギリシアの偉大さーーこの偉大さが、偉大さとして、いまなお未来にたくわえられているかぎりにおいて、言いかえれば、それ自体、いまなお、来たるべきものとしてあるかぎりにおいてーー始源にあるギリシアの偉大さの反復〔取り戻し〕のなかにしかないということを、力説しているのである。しかも、事実、このモチーフは、『存在と時間』をみれば依然としてそう理解したくなるけれども、歴史についてのニーチェ的概念から派生しているというよりは、まさしくヘルダーリンによるギリシア人の解釈 - 翻訳に基礎をおいているのだ。すなわち、ドイツは、語りえぬものと思惟されえぬものーーだがしかし、ギリシア人の言葉のなかで発せられ、いまなおそのなかに閉じこめられている、この語りえぬものと思惟されえぬものーーを鳴り響かせることができるようになったとき、自分自身と〈歴史〉とに接近できるようになるだろう。というのも、そのときドイツは自己固有の言語を見出しているだろうからである。
 二、芸術はこうした機能を授与されることができる。なぜなら、その本質において、芸術は Dichtung〔詩作〕だからであり、そして今度はDichtung がもっと本質的にはSprache(言語)として、そして Sprache がSage、すなわち神話として考えられているからである。換言すれば、唯一、神話のみが一ー民族に自己固有の言語に接近することを可能にさせ、ひいては歴史)のなかに自らをかくなるものとして位置づけることを可能にさせることができるからである。詩人の歴史的使命とは、自己の言語を一民族に授与することである。これがーーと『形而上学入門』は想起させているーーギリシア人にたいするホメロスの使命であった。これが、もしドイツ人が耳を傾けることに同意するならば、ドイツ人にだいするヘルダーリソの使命であるだちう。
三、「〈神話〉」はここでは厳密な意味で理解しなければならない。すなわち、ホメロスの言葉はギリシアにその〈神々〉をあたえたのであった。「世界の夜」と「乏しき時代」一ーこれをなおいっそう深刻なものにするのはニヒリズムであって、ニヒリズムにおいては、昼と夜のあいだにいかなる差異ももはや認められなくなり、乏しさももはや感じられすらしなくなっているのだーーにあって、逃れ去った〈神々〉の「もはや……ない」と、来たるべき〈神〉の「いまだ……ない」という二重の否定にうちのめされたこの「時代」にあって、ヘルダーリンの声は、来たるべき〈神〉を告げ知らせ、その到来を準備するーーつまり、名づけることによって、聖なるものの「空間 - 時間」を「あらわにする」ーーあの予言的なまたは天使的な声なのである。
 以上のモチーフにはハイデガーの〈歴史〉についての思想(したがって、彼の「政治」)が整理されて表現されているが、ハイデガーはこれらのモチーフを徹底的に洗いなおしてはいるけれども、連綿とつづいているあるドイツ的な伝統からうけついでいるのである。この伝統はシラー(ゲーテではなく)の〈イエナ〉シュレーゲル兄弟とヘルダーリン、シェリングおよび一部は「若きヘーゲル」ーーに起源をもち、最終的にはヴァーグナーとニーチェを通じて幅を利かせるにいたったものである。いずれにせよ、きわめて多岐にわたる相のもとで、三〇年代の「運動」に反抗のそぶりもみせないドイツを支配しているのだ。ハイデガーの極端な厳密さ、および彼がこの伝統を深くからとらえなおしていることを考慮にいれなければ、彼よりはるかに貧弱な「思想家たち」(たとえばシュペングラー)にはっきりみることができるように、この伝統は一ーロマン主義以上でも以下でもない。しかも〈第三帝国〉の公認のイデオロギーーーかならずしも一枚岩を誇っているわけではないがーーを、その戯画化した形式においてであろうと(大衆むけの)、もっと入念なしかたであろうと(だが堕落していることに変わりはない)、組織的に形成するのは、こういったロマン主義なのだ。たとえば、ゲッベルスはそういった言語を駆使しているが、ローゼンベルク、ボイムラー、あるいはクリークもそうである。芸術にかんするこの発言全体において、党およびその「指導的思想家たち」のWeltanschauung 〔世界観〕(これはヒトラーのお気にいりの概念だった)との競合は一目瞭然である。だからハイデガーは、彼の言語と思想の差異(深層での)がいかなるものであろうと、国家 - 社会主義の言語と「思想」との危険なーーしかもはっきりと分かるーー近似性をつねに呈しているのである。たとえ、彼が、国家 - 社会主義の真理を産出しようとしたからそうなっただけであるとしても。
 しかしながら、二つの決定的な特徴によって、ハイデガー的言説をロマン主義に還元することは絶対に不可能である。
 一、ハイデガーはヘーゲルの『美学』ーー「形面上学全体から出発して考えられている」がゆえに、西洋が所有する芸術にかんする「もっとも包括的な」省察ーー、およびそれがふくんでいる芸術の終焉ないし芸術の死にかかわる判断を、この上なく真剣にうけとっている。このことが意味しているのは、偉大な芸術(すなわち、ギリシア芸術に比肩しうる芸術)の可能性にかんする問いは、相変わらず、問いのままにとどまっているということ、そしてこの問いは、答えのきっかけがあたえられるのが、思惟が芸術について美学の言語を駆使しなくてもよくなった場合のみーーの場合にのみーーであるがゆえに、ますますもって問いのままにとどまらざるをえないということである。美学の言語は、プラトンとアリストテレス以降の、つまりまさしく偉大な芸術の死以降の、哲学全体の言語なのである。
 二、ハイデガーは、私がここでロマン主義と呼んでいるものをつらぬいている近代の三つの戦略から距離を保っている。すなわち、古代にたいする二つの戦略ーシラーによって発明された弁証法的戦略(情感的なものが、それ自身のうちで、それ自身として、素材なものと情感的なものの対立を止揚する)、およびヴァーグナーと初期のニーチェを典型とする再生の戦略ーー、そしていわゆる古代からの解放の戦略、つまり自己 - 創造の戦略であるが、その混乱した反響はローゼンベルクのなかに聞くことができる。事実、いかなる近代も、古代にたいする自己の関係を発明することなくしては構成されえない。近代はまさにその全体がこういった発明のなかにふくまれているのだ。だが、最初の二つの戦略が、或る古代(或るギリシア)を指定するところでーーたとえそれが、ルネッサンスと古典主義にモデルとしての役割を果たしたものよりも、もっとアルカイックで正統的で深遠な古代だとしても(このいっそうアルカイックな古代とは、もちろんニーチェにおいて最終的に「ディオニュンス的」と呼ばれるにいたった古代であるが、それ自体、自らに対立するものがなければ、つまり具体的な形をあたえられることなくしては、思惟しえぬものである)、ハイデガーはヘルダーリンからのまっすぐな系譜のなかにあって、まさしく一度も日の目をみることのなかったギリシアを「発明する」のである。ハイデガー的な意味での反復とは、出来したことのないものの反復である。そもそもこのことがなおも「戦略」という語をもちいることを無意味にするのである。
 しかし、これらの隔たりがいかなるものであろうとーーそしてこれらの隔たりが、一切のロマン主義とのあいだに、いかんや国家-社会主義とのあいだに、のり越えることのできない溝をうがつのであるーー、それでもやはり、歴史的(政治的)な計画における、芸術にかんするハイデガーの言説は、国家- 社会主義の本質」この問題についての主要な言説のなかでは多少ともおおわれたままである本質ーーに鮮明な光を投げかけている。
 これが、と私は思うのだが、あえて国家 - 唯美主義という語をもちいることができる理由である。

(5) 実際は、哲学的観点からすれば、ハイデガー的言説はあらゆる点でロマン主義に還元することができる。厳密に定義されたロマン主義が、その基盤として主体の形而上学を前提としているという、それだけの理由によって。芸術と歴史の哲学の視点から、私がここでロマン主義と呼んでいるのは、直接であろうとなかろうと、ドイツ観念論に淵源する伝統である。



第七章 国家 - 唯美主義

「政治化」はなるほど「全体主義的な」論理の出発点にあるが、当時としては、いかんせん、だれもまぬがれえぬものであった。

すなわちわ、まさしく「政治の唯美化」が本質的に国家 - 社会主義の綱領をなしていた、ということである。あるいは、その計画を。

「すぐれた芸術とそうでない芸術」のあいだにしか区分を認めようとせず、芸術にかんする人種差別、およびこの人種差別のためにドイツ音楽にのしかかっている脅威に抗議したフルトヴェングラーにたいして、ゲッペルズはつぎのように答えている。

あなたがご自身を芸術家だと感じ、人生上の事柄さえ芸術的な観点からご覧になることは、まさしくあなたの権利です。しかし、だからといって、現にドイツで展開されている現象全体にたいして、非政治的な立場にとどまっていていいことにはなりますまい。政治は、いや政治もまた、芸術なのです。ひょっとしたら、存在するもっとも高く、もっともスケールの大きな芸術だとさえ言えるかもしれません。現代ドイツの政治に具体的な形をあたえているわれわれは、粗野な群集をもとにして、民族の堅固で全的なイメージを形成するという高邁な責任をゆだねられた芸術家であると、自らを感じています。芸術と芸術家の使命は、団結させるというだけにとどまりません。もっとはるかに深遠なものです。創造し、具体的な形をあたえ、病んでいるものを排除し、健康なものに道を開くこと、これが芸術と芸術家の義務なのです。かつまた、ドイツの政治家として、私は、あなたによれば存在することになっている、あの唯一の分割線ーーすぐれた芸術とそうでない芸術を分かつ線ーーしか認めないというわけにはいきません。芸術はすぐれたものであるだけにとどまっていてはなりません。芸術はまた民族から生じなければならないのです。あるいは、もっと厳密に言えば、Volkstum〔民族性〕全体から汲みとる芸術のみが、結局はすぐれたものでありうるのですし、芸術が差し向けられている民族にたいして何ごとかを意味することができるのです。

 こうした宣言が孤立的なものだと思ってはならない。それはゲッベルスにおいてもーーこれは彼のお気に入りのテーマの一つだった(「政治は国家の造形芸術である」)体制側の大半の大イデオローグにおいても、いたるところに見出されるのだ。それどころかそれは、ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクが完全に理解したように、ブレヒト - ベンヤミン的直観の延長線上にある系譜のなかで中心的なモチーフとなっているのである。

 堕落した西洋の総合芸術作品としての〈第三帝国〉。ーー私たちには「ヒトラーと芸術」などという章を嘲笑する癖が身についている。そして彼の建築、絵画、文学、あるいは音楽を、前衛芸術に比較して二流のものに格下げしてしまう。だが〈第三帝国〉に特有の他のもろもろの現象の場合と同じく、伝統と来たるべき芸術を告知する種々の徴候とが接続するのをみることができるのは、まさしく彼にとって何よりも大切であったこの分野なのだ。
 また〈第三帝国〉の芸術的意志を、まったく別のところに認めることもできる。

失業とその解消の問題は、それだけで私たちの注目を大いに引くにあたいする。そして、もしヒトラーに断罪や反駁をあまりうけつけない一点があるとすれば、まさしくこの一点である。それに、軍事作戦はレオナルド・ダ・ヴィンチや他の多くの者たちの創意工夫の全体を目覚めさせたのであった。

 リーフェンシュタール。ヒトラーは映画が何を表現するかを知っていた。ところで、私たちはまた映画にたいする彼の関心を、まるで彼が映画をもっぱらプロパガンダの目的に使用しようとしたかのように、軽蔑的にとらえるのになれっこになっている。だが彼がニュルンベルク〔での党大会〕を組織したのはーーいくつかの要素からそう推定できるようにーーただたんにリーフェンシュタールのためだったのではないだろうか。さらにもう少しうがった見方をすれば、第二次世界大戦は、彼の掩蔽壕のなかで毎夜上映されるニュース映画のために、巨費を投じて制作された戦争映画としておこなわれたのではなかっただろうか。[……]セルロイド上に記録されたあれら大群集による式典の芸術的組織化は、崩壊のそれと同様、この運動の全体的プログラムの一部をなしていた。ヒトラーは戦争とニュースフィルムのなかに自分の英雄叙事詩をみていたのである。戦争ニュース映画は、『意志の勝利』、すなわちリーフェンシュタールのニュルンベルクの延長であった。私たちはしばしば自らに問いかけたものである自分がいかにドイツを愛しているかをたえず力説し、ドイツと同一化せんばかりであったヒトラーが、なぜこのドイツをこんなふうに破壊したのか、なぜかくも急速に彼の愛と忠誠を捨てることに同意し、ドイツを崩壊するままにまかせたのか、と。だが、その説明はまさにそこに、この同一化に、ヒトラー=ドイツにあるのだ。それはドイツという形を借りてヒトラーがおこなった恐るべき全的な自殺であった。

 この最後の数行は、明らかにヴァーグナーの四部作のうちの『神々の黄昏』へのほのめかしである。しかも、すぐにジーバーベルクはつぎのようにのべている。「かくして、ヒトラーと〈第三帝国〉の最終的勝利は、戦場では獲得されなかった。

彼はアドルノの教訓を胸にんだのだ。ジーバーベルクの直観はこの教訓よりも深い。そしてある意味では、この直観はブレヒト - ベンヤミンの評定を文字通りにうけとめ、それを過激にしたようなところがある。すなわち、国家 - 社会主義の政治的モデルは、Gesamtkunstwerk(総合芸術作品〕である。

つまりそれは、一民族が自らの国家に集合して、自らがそれであるところのものの表象、そして自らをかくなるものとして基礎づけるものの表象を、自らにあたえる場なのである。だからといって、このことはただたんに、芸術作品(悲劇、音楽劇)がポリスまたは国家の真理を提供するということを意味するものではない。そうではなく、政治的なものそれ自体が、芸術作品のなかで、芸術作品として、自らを設立し、自らを組織する(そして定期的に自らを再 - 創設する)ということなのである。『ヒトラー』の語り手が彼なりのしかたで言っているのは、このことにほかならない。
 
 どんな高校生(ドイツの)でも知っている二千年来の「古くからの図式」とは、明らかにギリシアの図式である。そしてジーバーベルクははっきり意識して「芸術作品としての国家」をプラトンの言葉づかいで喚起しているのだ(「各人は自分のもち分をもち、各人が自分の位置にある」)。

(4)『ヒトラー』の最後のシークェンスの一つで、話者(変幻自在である)コーバーヴィッツは、つぎのような言葉でヒトラーに語りかけている。ドイツの決定的不在はーーあらゆる次元で一ー彼の責任だというのである。「[……]おまえは夕日を、カスパール・ダヴィット・フリードリヒの夕日を、われわれから奪った。おまえは過度に単純化した労働者と農民のイメージで古きドイツを悪趣味化した。[……]政治において失敗した嘆かわしき芸術家にして、かつていかなる人間も経験したことのないほど褒めそやされた死刑執行人よ、おまえはこれをどう釈明するのか。どう説明するのか、私に、子供たちに、孫たちに。彼らは知らないのだ、以前のあの生活を。だれもがみな忘却してしまい、おまえの時代の新しい遺産によって腐敗させられた、この以前の生活を。新しく変身した、古への小市民よ。[……]あらゆることが不可能になってしまった。魔術、神話、仕える、支配する、指導者、権威といった語は、永遠にだめになり、吹き飛ばされ、追放されたのだ。そして、われわれも消し去られたのだ。ここには、もはや二度と何も生えてこない。一民族全体が、精神の持ち主とエリートの民族四散のなかで、存在することをやめてしまったのだ。」

〈第三帝国〉のことを「文化革命」として語りながら([……]民族のための芸術。民族の自己表現の権利」)、彼は「カタストロフ映画」というハリウッド的ステレオタイプは認めないかわりに、「映画としてのカタストロフ」という倒置法をうけいれている。ヒトラーは「あらゆる時代を通じて、最大の映画監督である」。

芸術家と政治家との「模倣におけるライバル性」にかんするこのーー原 -場面とはいわぬまでもーーひじょうに古い場面が、ジーバーベルクの『ヒトラー』のなかで再演されるのである。語り手コーバーヴィッツがヒトラーがドイツ映画をだめにしたと非難するのにたいして、ヒトラーのマリオネットはつぎのように答えている。「ああ、きみまでそんな口のきき方をする。ムルナウ、ルビッチュ、シュテルンベルクと同じじゃないか。それにフリッツ・ラングと。きみはウィーン・アカデミーに入った。きみは芸術家になることができた。建築家に、映画監督に。芸術のなかでさまざまな世界を築くことができたのだ。しかし私はね、政治のなかで私の世界を実現しなければならなかったのだよ。政治上のきたない事柄をさばくために身を犠牲にしたのは、きみじゃないんだ。私は逃げなかった、私は。そして私は、私たちの素質と伝統にのっとって、この使命を果たすべく最善をつくしたのだ。」しかしもちろん、トーンは〔プラトンと〕もはや同じではない……。

あるのは、技術への還元不可能性についての厳密この上ない思惟である。素朴さはおそらく、革命のもつとげとげしさの代償である。そして、見せ物的なものをそのようなものとして明示するためには、この素朴さが必要であったことは言うまでもない。だがテクネーの論理は、人がこの論理をそこに閉じこめたとーーつねにーー主張する、もろもろの単純な対立からなる体系よりもーーつねに狡猾である。
それは定義からして一切の対立の体系を水泡に帰せしめるものでさえある。ジーバーベルクがーー技術にほかならない彼の芸術からしてーーこのことを知らないはずはない。
 だが、こういった、世界が映画になることを疑問視する背後には、ゲッベルスやその他の人たちの宣言の背後にもそうであるがーージーバーベルクはこのこともよく知っているのだーー、実際、二千年におよぶ一つの伝統全体が、または少なくともこの伝統が、〔啓蒙主義〕の末期以降、ドイツ人の思考のなかに生みだした夢が、はっきりと姿をあらわしている。そしてこの夢とは、まさしく芸術作品としての〈都市国家〉の夢なのである。
 区別する必要があるだろう。このことは確実であるが、シュレーゲルは、ヘルダーリンやヘーゲルのように「夢見」てはいない。また、ヘルダーリンやヘーゲルのほうはーーたとえばーーニーチェのように「夢見」てはいない。しかしながら、いくつかの共通点があって、これは完全に特定可能なのである(おそらく、これらの「夢」はきわめて多岐にわたってはいるが、ある唯一の「昼の名残」1ヴィンケルマンの読書ーによって支配されているからである)。これらの共通点から、三つをとりあげよう。決定的な点だと思われるからである。

一、政治的なもの(〈都市国家〉)は造形芸術、すなわち育成〔形をやること〕と情報〔内に形を作ること〕、つまり厳密な意味での虚構に属している。これはプラトンの政治 - 教育論的テクスト(何よりも『国家』)に由来する根本的なモチーフであって、これがGestaltung(形象化、形態付与)と Bildungというおおいをまとって、ふたたび出現してくるのである。Bildung という語の多義性は示唆的である(具体的な形をあたえること、構成、組織、教育、文化、等々)。政治的なものがこのように造形芸術に属しているからといって、ポリスが人工的な形成物だとか慣習的な形成物だということは少しも意味していない。そうではなく、政治的なものとは、この語の至高の意味におけるテクネーである。そしてこの意味では、テクネーはピュシス「自然」それ自体の成就と開示として考えられているのである。だからポリスはまた「自然的」でもある。それは、アリストテレスの模倣論の近代的なーーだが実際にはひじょうに古くからのーー解釈によれば、「一民族の精髄」(ギリシアの精髄)から自発的にほとばしりでた「美しき形成物」なのである。

二、ギリシア人は芸術の民族である。だからこそすぐれて政治的な民族である。この命題のいうなれば決定版は、ヘーゲルによってその〈歴史哲学〉にかんする講義のなかであたえられた。その根本規定からすればーとヘーゲルは説明しているーー、ギリシアの精髄は「精神の自由が本質的に自然の刺澈に条件づけられ関係づけられている」、そのようなものである。「精神の活動は、ここではいまだ、自らを表現するための素材と器官を、自己自身のうちに所有してはいない。それは自然からの刺数と素材を必要とする。つまり、それはいまだ自己を自己自身によって決定する自由な精神性ではなく、精神性へと自らを形作りつつある自然的なものである。」だから「ギリシアの精神〔精髄〕は、石から芸術作品を作る造形芸術家なのである」。別な言い方をすれば、このことはギリシアとは端的にテクネーの(あるいは、どちらでも同じことだが、ミメージス〔模倣〕の)場そのものであるということに帰着する。結局は、ヘーゲルはつねにそのように考え、さらにドイツも彼とともに、つねにそのように考えたのである。ところで、ヘーゲルが提示した体系的な説明のなかで、つぎのように定義されたギリシアの精髄の三つのあらわれは、ヘーゲルが「政治的芸術作品」と呼んでいるもののうちで頂点に達する。実際、主観的芸術作品は「人間自身の形成物」、たとえば種々の競技が作りあげる「美しい肉体性」であって、ここでは肉体は「精神の器官」に変容するのである(ヴィンケルマンに起源をもち、ギリシア人の「競技的美徳」にかんするヘルダーリンの考察に引きつがれたこのモチーフは、ドイツ史をつらぬいて、三六年の国際オリンピック大会および〈第三帝国〉のスポーツ奨励政策にまで達するだろう)。では、客観的芸術作品はどうかと言えば、それは「神的世界の形態」であり、「ギリシア的精神という概念そのもの」を対象とする宗教としての芸術(あるいは、その逆)、すなわち「自然的力」としての神的なものの「精神的力」への変容である(この分析は、周知のように古い神々と新しい神々の闘争の場、もしくは人倫的実体の分裂の場としての悲劇の解釈にもとづいている。こうした闘争というヘーゲル固有のテーマ設定の彼方にあって、ここでもまた問題になっているのは、ヘルダーリンからーーさらにはシラーからーーハイデガーにいたるまでのドイツ的伝統に絶えずつきまとっているあるモチーフである。それが二重のギリシアというモチーフなのだ)。最後に、国家が「主観的芸術作品と客観的芸術作品という[……]二つの側面を統一する」。「国家においては、精神は神聖なものとして形成された対象であるというだけでも、美しき肉体性のために主観的に形成された対象であるというだけでもない。それは生き生きとした普遍的精神であって、この生き生きとした普遍的精神はまた、個々の個人の自覚的精神でもあるのだ。」
 ここでもまた、この直観にたいしてヘーゲルの思惟が刻印した個別的な規定は重要ではない。たとえばニーチェは、『悲劇の誕生』の時期に、これとそっくりな直観をえているがヘーゲルとちがってデモクラシーと法律にはごくかぎられた注意しか払わなかった。それでもやはり、両者ともギリシア人にかんしては、政治的なものと美学とを同一化しており、こうした同一化が模的的アゴーン〔闘争〕の出発点にあるのだ。そしてこの模倣的アゴーンのなかに、両者とも(いや彼らばかりでなく多くのものが、じつを言えば実際上、ハイデガーまでをもふくめた全員が)、ドイツが自己に同一化し、存在に到達する可能性の唯一のチャンスをみたのである。
 芸術の宗教を語ったとき、ヘーゲルは適切な言葉を見出したとさえ言っていいだろう。彼は「宗教」をもっとも広い意味で理解していた。すなわち、こうした意味においては、religare〔結びつける:religionの語源の一つ〕(だがこれはラテン語であり、ラテン的モデルである)は政治的なものをふくんでいるのである。ヴァーグナーもそのように理解するだろう。かくしてハイデガーは、あらゆる理由からヴァーグナーに不信を抱いていたにもかかわらず、自己に可能な範囲でーー芸術の「死」というヘーゲル的判決に反してーー「偉大な芸術」のような何ものかを再建しようとしたことで彼に信をおくのである。「芸術の歴史的位置にかんがみれば、総合芸術作品を目ざす努力は本質的なものでありつづけている。その名だけが意味を有している。それが意味するのは第一に、諸芸術はもはや個々別々に実現されるのではなく、それらが分かちがたく結びついて唯一の作品を形成すべく協力しなければならないということである。しかし、こういったどちらかといえば数量的で累積的な統一を越えて、芸術作品は人民共同体の祝祭、すなわち宗教そのものでなければならないのである。」

(17) このことは、いずれにしても「若きヘーゲル」にはあてはまる。彼は、「時代が内的な世界のなかに押し返した人間の状態は、人間がこの内的世界にとどまろうと欲するとき、永遠の死以外でありえないこと」を嘆いていたのであった。「[……]人間の苦悩は、人間にゆるされているがままの人生を人間に軽蔑させる限界の意識と結びついている。」

ギリシアの政治的な理想化は何よりもまず、ドイツの"政治的無価値性"、ブルジョワ世界の非政治性、キリスト数の現実逃避にたいする三重の攻撃の基礎となる。ドイツは"かつて一度も一つの民族であったことがない"[……]。ドイツは”もはや一つの国家ではない"……フランスが"巨大な政治的実験のなかに投げこまれている"のにたいし[……]ドイツ人は自らを防衛することの無能力を露呈し、自分の私的財産を守ることばかりに汲々としている。それ以外のことでは何であれ、"国家権力は彼らには自分の外部に存在する異物のようなものとして感じられる"[……]。

 三、その本質において、政治的なものは有機的〔=器官的〕である。ここでは、この語に二つの音色を響かせなければならない。すなわち organon 〔器官]の下に、ergon 〔作品〕を聴かなければならない。いわゆる「全体主義」の真理が隠されているのは、ここなのである。
 政治的なものが有機的であるということは、ただたんに国家が「生きた全体」であると同時に作品としてとらえられることを意味しているだけではない。国家はまた過度に抽象的な概念、つまり過度に遊離した現実でもある(この点については、晩年のヘーゲルを除外すれば、実際上ドイツ的伝統の全体が、マルクスとニーチェもふくめて意見を同じくしている)。政治的なもののもつ本質的な有機性は、実際には下部 - 政治的な現実、さらには下部 - 社会的な(Gesellschaft 〔利益社会〕の意味での)現実である。それは共同体の有機性である。つまりGemeinschaft〔共同社会〕、あるいは『国家』に注釈をつけるさいのハイデガーが言っているように、Gemeinwesen〔共同体〕なのである。だとすれば、フランス語における《nation》の概念は、もしこれに最初の意味を取りもどさせてやるならば、民族すなわち Volkstumの有機性をうまく表現していることになる。というのも、《nation》の概念は、ーー言葉(国語)を筆頭とするテクネーそのもの、すなわち芸術とは言わぬまでもーーある種のテクネーのみがそれだけで完成し開示することのできる、共同体の自然的または「肉体的」な規定の方をさし示しているからである。もしテクネーがピュシス〔自然〕の増加分として定義されうるとすれば、またこの増加分によってピュシスが自らを「解説し」自らの姿をあらわすのだとすればーーつまりテクネーを、語のアリストテレス - へーゲル的な意味で言明的なものapophantique と言えるとすればーー、政治的な有機性は一つのnation が自らの姿をあらわし、自らを認めるのに必要な増加分である。そしてこれが芸術の政治的機能なのである。

 こうした政治的論理には、生物学主義をあてにしなければならないようなものとか、国民(または言語共同体)を人種でもって置き換えなければならないようなものはーーピュシスの本質についてのまちがった解釈ででもなければーー何もないことは言うまでもない。だが「科学」の権成のもとでピュシスがビオス「生命」として解釈されたりすると、とたんに一切がこの政治的論理をそこ〔生物学主義や人種〕に導いていくことにもなりうるのだ。しかしながら、これはたんに政治的なものの有機的解釈の一つの帰結である。人種差別ーーおよび、とくに反ユダヤ主義ーーとは何よりもまず根本的に美学なのである。(本質からして「ユダヤ人」はカリカチュアである。醜さそのものなのだ。)それゆえ人種差別は、やはり根本的にテクネーの圧倒的な猛威と固く結ばれている。事実、この猛威はテクネーの異常増殖物への徹底的な〔突然〕変異なのであり、この異常増殖物は、しだいにピュシスをおおい隠してしまうようになり、ピュシスの限界を、もはやそれを見ることなく、あるいは「忘れて」しまうことによって、越えでてしまうのである。技術の「致死的」本質といったものがある。その結果、技術の「一切は可能である」が、不可能なものではないにしても、少なくとも思惟不可能なもの(〈殲滅〉あるいは遺伝的操作ーーこれはつねに今日的話題である)を実際に導入する、つまり遂行することになるのである。
 政治的なものの有機的思惟はジャン - リュック・ナンシーが全体主義という用語にかえてーー実際、この用語はきわめて曖味であるーー「内在主義」と呼ぶよう提案したもののなかに、その定義を見出ず。だからといって、〔総動員〕(ユンガー)とか〔全体国家〕(カール・シュミット)、あるいはイタリア人における 〔全体主義国家〕(Impero romano〔ローマ帝国〕と同一視されている)といったモチーフが、この全体主義という用語を完全に廃語にしているわけではない。
もちろん、ハンナ・アレントの仕事もそうである。「内在主義」という語によってナンシーが言わんとしているのは、「本質からして自己自身の本質を自らの作品として産出し、さらにはこの本質をまさしく共同体として産出する人々からなる共同体のねらい」である。言いかえれば、主体としての作品であって作品としての主体であるというロマン主義的な仮定にしたがえば、作品であるのは、内在主義においては共同体そのもの、つまり民族、あるいは国民である。実際、「生きた芸術作品」なのだ。このことは、逆に、死の作品を作る〔死としてふるまう〕ことを妨げるものでは少しもない。
〈近代人〉の形面上学の根源にある主体の無限化あるいは絶対化は、そこに文字通り実行への活路を見出すのである。作品と労働への共同体(国家ーー唯美主義としての国家 - 社会主義)は、こういった表現が可能であれば、自らが作品と化し、自己を自己自身の労働の対象とするのである。かくして、すぐれて主体的なプロセス、つまり自己 - 形成と自己 - 生産のプロセスを完成するのである。それゆえに、このプロセスは自らの真理を「交感的融合」(祝祭あるいは戦争)のなかに、あるいは〈指導者〉、つまりいかなる種類の超越性も表現しているわけではないが、内在的なしかたで共同体的内在主義を体現している〈指導者〉への脱自的同一化のなかに見出す。そして、それゆえにまた、国家 - 唯美主義の基部には、直接的な実現または自己 - 実現の意志があるのである。この直接的なものへの意志こそが、まさしく高まりののちに途切れたのであった。というのも、結局は、これがナチズムのあやまちーー無限のいきすぎーーなのであった。

(21)
「大地の隠された法則は、すべての事物が可能なものーー各事物が知らずにしたがっている可能なものーーの指定された領域のなかで満足して誕生しては死んでいくという慎ましさのなかに、この大地を保っている。白樺は自らの可能なものの境界線を越えることは決してない。蜜蜂の群れは自らの可能なもののなかに住んでいる。唯一、意志のみが、あらゆる方向から技術のなかに居座って、大地を揺さぶり、大きな疲労のなかに、磨耗のなかに、人工的なものの変化のなかに大地をまきこんでいくのである。意志は大地を大地自らの可能なもの意志の周囲で展開してきたがままの可能なものーーから脱出せしめ、もはや可能なものではないもの、したがって不可能なもののなかに大地を駆り立てていくのである」

内在主義の無限化は、事実、死を経由する。死を「内在的な生の無限の完成」と考えるならば、「人間的内在性の共同体」とはまさしく死の共同体なのである。ーーとはいえ〈殲滅〉はこの論理に呼応するものではない。他者排除の論理にもである。だからこそ〈殲滅〉はいっそう深刻なのである。純然たる根絶への意志のせいで、というよりも、そうした根絶の意志の対象となっている人々そのもの、すなわち共同体の内部にも外部にも存在しないとみなされているかぎりでの、言いかえれば、文字通り位置づけえないもの、あるいは、結局は同じことになるが、あらかじめ存在を禁じられているものとしてのユダヤ人のせいなのである。こうした場所論的な残虐性は内在性の論理とは別の論理に属している。それは、実際、ある種の模徴論理に属している。言いかえればそれは、有機的な共同体の狂気じみた、あるいは常軌を逸した内在主義は、それ自体、ダブル・バインドによって支配されているということであって、このダブル・バインドが共同体的内密性を、それが計画されたときからすでに分断し、あるいは「分裂」させているのである。

他方、私がここで再構築を試みている論理にしたがえば、自らをあるがままに専有し(自己同一化し)、歴史の日の光のもとにいたろうとする狂気じみた試みにおいて、ドイツは壮絶な挫折を経験したのだと語ることも容易にできるだろう。ドイツは生まれいずることを決してゆるされなかったnationである、すなわち、死産し、実体のない「存在」の限界に捧げられた政治的主体の純然たる矛盾なのだ。



『政治という虚構 ―― ハイデガー、芸術そして政治』フィリップ・ラクー=ラバルト /著、浅利誠・大谷尚文 /訳

 

可能なものの限界|断念 = 武装解除 ①



モーリス・ブランショへ

窮状の不在こそ、至上のもっともひめやかな窮状であり、このことが、いかに遠くからであろうとも、私たちを圧迫しはじめている、と。

ハイデガー『形而上学の克服』


第一章 哲学

私が言っている慎みは、他のどの時代にもまして、それが欠けているとしか思えない私たちの時代における慎みである。

哲学という名のもとに確立され誇示されてきたもの、かかる誇示のもとで諸哲学として伝統的に公認されてきたもの、哲学するという行為がそのつど意味し含意してきたもの、こういったものを前にして、今日なお哲学の名をもちだしたりーーさらにまずいことにーー哲学を僭称するのは愚の骨頂ではないだろうか。

哲学史上、最後の二人の偉大な哲学者であるマルクスとニーチェにしてーーすでにーー作品にたいする敬意を欠いており、大学とは断絶した場所で、自己の思惟を練りあげたのである。

哲学の非作品化、これはシェリングからはじまっているが、作品を「体系」という用語で考えるならば、カントからはじまっているとさえ言えるからである。

慎みとは、ある限界の承認である。

この限界は哲学の限界なのである。つまり、線を引かれたり、確定されたり、外部からもちこまれた限界ということではなく、哲学がみずからぶつかり、まさに自己の内部で出会った限界なのである。
 だから、限界の承認と言ったからといって、哲学を否認することが強いられているのではないのと同様、哲学を断念することが強いられているのでもない。

いかにしても、私たちは哲学を免れることなどできないのだ。すでにハイデガーが「囲い〔=完結〕」と名づけていた限界は踏み越えられない。

だからといって、権利上、この限界の彼方が存在しないというのではない。

限界とは可能なものの限界なのだ。

思惟することーーそのつど不可分の形で、存在の解釈、あるいはこう言った方がよければ、存在者の経験ーーの諸規定があったのである。

すなわち主体または人間の諸科学ーーこれによって存在者全体にたいする科学の支配が完了したのであるーーが段階的に解放されたために、哲学者にはもはや何ものも、存在者のいかなる領域も残されていない。

技術-科学が、哲学そのもののなかですでに起こってしまった存在定立から出発して、あらかじめその領域をひきうけてしまったのである。

哲学は終わった〔有限である〕。

事実、限界はここでは、つまり哲学にかんしては、哲学における可能なるものの限界なのである。否認も断念も通用しないのは、この理由からである。

慎みは、意欲の逆説的な宙吊りーーそれ自身のうちに必然的に矛盾をかかえた「維持しえない」逆説的な宙吊りーーのなかにあることになるだろう。

まさしく断念しなければならないのは、主意主義的なハピトゥス〔態度、習慣〕である。放棄〔=断念〕とは、この意味では、意志なき意志、つまり、もはや意欲せず、自己放棄し、自らを武装解除する意志のをことなのである。

もはや哲学は欲してはならないのだ。

承認するとは、ここでは、放棄を強いる何ものかが到来し、かつ絶えず到来しつづけていることを承認することの謂いである。

すなわち、それは歴史を中断し、別の歴史を開く、あるいは歴史そのものを解体するのである。


第二章 ハイデガー

ハイデガーが絶えず「ハイデガーの哲学というものはない」と言いつづけたのは、気取りからでも無定見からでもない。

すなわち、彼がかかえていた問題ーー要約すれば、存在の問いーーはいかなる場合にも、存在にかんする新しいテーゼをなしたり、ましてや何らかの「世界観」をもたらしたりすることはありえないということである。

存在の問いーーこれを脱構築の企図そのものから切り離すことはどだい無理であるーーがハイデガーの「発明」であり、彼の唯一の哲学的「選択」、または彼の唯一の哲学的「立場」であるという反論はーー事実、こういった反論があったがーー一瞬たりとも真面目なものではありえない。ハイデガーは起源以来の哲学の全体を視野におさめているばかりではない。また彼は、哲学それ自体のなかに到来した「完成」(ヘーゲル)や「克服」(ニーチェ)といった宣言を利用しているばかりではない(したがって、彼は哲学それ自体から哲学の終焉の問いをうけ取っている)。

哲学的言説が、明示されないある存在論的テーゼを基礎にして展開することもありうることを、ハイデガーは一度も否定しようとしなかった。

したがって、「ハイデガー主義者」であること、またはそう自称することは、「反ハイデガー主義者」であること、またはそう自称することと同様、何の意味ももたない。

すなわち、ハイデガーの思惟における本質的なものを見落としたということ、だから、時代がハイデガーを通して提起している問いに耳を閉ざしたままであらざるをえないということ、を意味するのである。

ハイデガーの言説の大半は哲学的言語でもって発せられている。だが、やはり哲学をなしているのではない。ただし、不誠実千万にもーーこうした不誠実さは、今日、ありふれているーー

アドルノの場合は、哲学の終焉の問いということで何が問題になっているかを知っており、ハイデガーがどこで自分を裏切ったのかを正確にみているので、彼の批判がいかに暴力的で不当であろうとも、しばしば核心をついている。

少なくとも二度にわたって、ハイデガーが自ら進んで哲学に加担したのである。

(くり返しになるが、定立あるいはテーゼは、存在の、あるいは存在についての、定立あるいはテーゼでなければならないが、ハイデガーの場合はそうなっていないのである)。

アドルノがヘルダーリンのハイデガー的読解について書くことになる、ただしくもっとも厳しいエッセーの一つにエピグラフとして適切にも掲げたベケットの文ーー「神殿を建立することの方が、そこに崇拝の対象を鎮座させることよりもやさしい」ーーは、決定的に可能なのである。)

(ニーチェにかんするハイデガーの言表を自分なりに言いかえてハーバーマスが示唆したように、「ハイデガーでもってハイデガーに抗して思惟する」ことが問題なのではないことは、もちろんである。)


第三章 一九三三年

ハイデガーにとって「政治的」という語が、彼が政治に身を投じたときの意味では「歴史的」を意味しているということ、また〈大学〉を考慮して、だが同時にそれを越えて、ドイツとヨーロッパを考慮しておこなった三三年の挙措が、創設的または再創建的な挙措であることは明らかである。

(2)

ヒトラーは言うまでもないことだが、「非政治的」であった。

[言いかえれば「世界制覇をめざす"人権"間闘争における道具の一つ」である]の様相を呈することになった。

「すなわち、真の有効性は抵抗があるところにおいてしかありえない、そして、哲学の責務とは、精神の作品を使用することにのみかぎっている生の怠惰から人間を引き離し、さらにこの生から引き離した人間を〈言うなれば〉その運命の過酷さのなかに投じることである、と。」ハイデガーがそのように言うとき、これがすでに一九三三年の語調でなくして、いったい何だというのだろうか。

(4)

「哲学の責務とは、精神の作品から実用的な利益をひきだすことで満足している人間の腐り切った態度を放棄させることによって、人間をその運命の過酷さのなかに投じることである」

ハイデガーが文化の世界、「知識人」、大学の〔体制〕にたいする動かしがたい嫌悪を抱いていることである。

ーーしかし、ここにもまた、反ユダヤ主義のコノテーションがないわけではない。「というのも、"精神"[Geist]とは、空虚な明敏さでも、Witz〔ウィット〕の無償の戯れでも、分割と分節における悟性の際限のない働きでも、また世界の条理でさえないからである。そうではなく、◉精神とは元来、知のなかで、存在の本質へと決意された存在なのだ。

そして「政治的なもの」と「哲学的なもの」の絡みあいはたいへん強固なものだったので、「決裂」後、一九四四年にいたるまで、実際上、講義全体が国家 - 社会主義との「対決」にあてられたのであった。そしてこの「対決」は実際には、どのみち、ハイデガーが国家 - 社会主義のなかにかいまみた真理、あるいはごく大まじめに(「私はみせかけのために話したことは少しもない。この可能性をみていたのです」)そこにかいまみたと信じた真理をもたらすのである。こうした確信が哲学固有の挙措ーーこの挙措そのものが前提としている二言語をまぜあわせることによって、結局は、archi-Fihrung 〔原-指導〕の拳措と言いうるものーーを引き起こしたという事実は、「思惟」のなかに突然に生じた倒発事ではない。そうではなく、それは絶えず当該の「思性」をおびやかしているもの、つまりその危険を明示しているのである。

というのもーーとハイデガーは付言したーー「[思惟は]自己自身に抗して、思惟にとってまれにしかできないことを、思惟しなければならない」からである。三三年の政治参加を、警戒の突然の衰え、突然の消失のせいにしたり、いや、いっそう重大なことに、形而上学からまだ十分に解き放たれていない思惟の圧迫のせいにしたりすることはーー私自身、それに譲歩したこともあったがーー大きな誘惑である。だがそうすることは、形而上学が、少なくとも、カントやニーチェによって認められたあの根絶しがたいTrieb[衝動]という形で、思惟それ自体のもっともひめやかな核心部に存在していることを忘却することである。「思惟」は、かりに「思惟」というものがあるとして、自分が形而上学から「解放されている」などとは決して言えない。そして、さらには、このことが思惟を、思惟の慎重さ(またはその冷静さ)がいかなるものであろうとも、つねに、あらかじめ、この世界にかかわらせるのである。

ナチズムは、ドイツの運命と西洋の運命を考慮した場合には、少なくともそのいくつかの特徴のうちに、その可能性をもっていたのである。『学長就任演説』でハイデガーに抗議せざるをえなくさせ、また国家- 社会主義の反乱を強いている窮乏(Not)は、たんにドイツが沈んでいこうとしている経済的な深淵をさすのでも、敗戦とヴェルサイユ条約の結果として生じたーー言いかえれば、西洋の歴史上、最初の、そしてそれ以後の幕開けとなった「総動員」の結果として生じたーーワイマール共和国の崩壊をさすのでもない。それはまた、西洋全体の精神的遺産をうけとっていることを一世紀以上も前から自覚しておりながら、そのようなものになりえないということも同じく自覚しているドイツの狼狽ではないーードイツは『形而上学入門』が言及することになるロシアとアメリカという「万力」ーーヨーロッパを締めつけ、ヨーロッパのなかではドイツ民族という「中間」の民族を締めつける「万カ」ーーのあいだにあって、未決のままにとどまるか、さもなければ、存在しようとしながら、そのたびに粉砕されるかを運命づけられているのである。この窮乏は、やはり、というか、とりわけ、近代の企図が枯渇したことの確証ーードイツの破局的な存在が明らかにされるのはここにおいてであるーーを前にしての不安、あるいは狼狽である。ハイデガーが『学長就任演説』の核心部にニーチェの言葉「神は死んだ」を援用したのは、いかなる修辞学的な誇張からでもない。この言葉は正に状況を語っている。すなわち、「今日の人間が存在者のただなかに」見捨てられてあること、あるいは放下(Verlassenheit)、である。
 一九三三年においては、ハイデガーはまちがっていない。だが一九三四年には、彼は自分がまちがいを犯したことを知っている。ナチズムの真理についてではなく、その現実について。「運動」はおごそかな命令に耳を閉ざしたままであった(つまり、宛先〔如才なさ〕が宛先不備〔不器用〕に変質したのだ)。そして、ハイデガーがこの「運動」をうながして戦いを挑ませたと信じた、まさにその当のものを〔「運動」が〕遂行することが明らかとなったのである。遂行することになったものとは、職業化の強制と命令のもとでの大学の細分化だけではない〔この細分化には〕学問の本質にかんする問題提起などーー言わずもがなのことだーーいささかもない)。また、もろもろの歴史的可能性の崩壊を前にした歴史的決定の不可能性、および誇張と権威主義がごちゃまぜとなった、旧世界の無条件の再構築ーーこれこれの大学にかんする政策は、その徴候以上のものとなっているーーだけでもない(結局、ナチズムが一時期、ドイツを「再建」し、近代の企図の経済的または政治的な論理、あるいは経済的でありかつ政治的な論理に抵触することなく、いわゆるデモクラシーではもはや何としても維持できなくなったものを「機能」させたというのは、ほんとうではないだろうか。そうでなければ、金と産業の、事実上、全ブルジョワジーの熱意と、事実上、西洋のすべての「デモクラシー」との、結局は協調的な態度を、どう説明すればいいのだろうか)。そうではなくーー遂行することになったものは、もっと根本的なものなのだし、それはニヒリズムそれ自体であって、そのさなかでは、またそれとしては、「惑星的に規定された技術と近代人との出会い」は生起しえないのである。
 したがって、過失について、あるいは少なくとも幻想について語ることは正当であると言いうるだろう。

「思惟が現実のなかに自らを映しだすse mirer のはーーこれは思椎の任務ではないが、その性向と化すことがあるーー現実の展開にたいして、一種の"縦拡大視化"[リトレーー航海術用語。"ものの丈を実際より高く見せる屈折効果”」あるいは二重化をこうむらせる場合のみである。Rektorat's Rede 〔『学長就任演説』〕全体を通じて、国家-社会主義運動にたいしておこなわれているのが、これである。この運動は思惟の目の前で、固有の形態〔形相〕をもたない、それゆえに篭絡可能な、一種の純然たる素材〔質料〕に還元され[『シュピーゲル』誌上の対談でハイデガーがのべた取るに足りない戦略への暗示]、同時に、この運動のものではないーーだが、それにあたえることができると思われているーー"可能なるもの"の高さへと地平線上高く引きあげられるのである。」いかにも、この意味においてはそうである。ハイデガーはナチズムを過大評価し、おそらくは、三三年以前に告げられていたもの、しかもそれにたいして彼が猛然と対立していたものーー反ユダヤ主義、イデオロギー(「政治化した学問」)、迅速におこなわれる蛮行ーーを損失として甘受したのである。だが、私は付言したい。今世紀にあって、この世紀がその舞台となった前代未聞の歴史的 - 世界的な変動と、もろもろの革命的命題のみせかけの急進性を前にして、「右」であろうと「左」であろうと、だれがだまされなかったであろうか。そして何の名において、だまされなかったというのだろうか。「デモクラシーの名において」か。そんなものはレーモン・アロンにまかせておこう。つまり、〈資本〉の(完成したニヒリズムのーーというのも、完成したニヒリズムにとっては一切が価値をもつのだーー)公認の思惟に。

旧世界は、いわゆる「新世界」の侵入に抵抗するために、何を彼らにあたえたか。この視点からすれば、そしてよく考えてみれば、ハイデガーのメリットとはーー今日では測り知れないがーー「新しい時代」というニつの顔をかった幻想に、一〇カ月しか護歩しなかったことだということになるだろう。
 それゆえ、このーー結局は、ありふれたものと化したーー意味で、過失について語ることはつねに可能だろう。だが私は、ハイデガーが、さらにハイデガーの背後にある偉大なドイツ的伝統の全体(部分的にはマルクスもふくむ)が、西洋の歴史的運命について抱いている理念を考慮するならば、これは過失ではないという意見を主張、ないしは堅持したいのだーーたしかに◉ハイデガーが語っているのは歴使的な宿命についてであり、このことの差異を決して小さくはないことも認めたことである。それは過失ではない。帰結なのだ。そしてこの帰結が、たとえ一〇ヵ月ではあっても、ナチズムを、つまりこれに類した何ものかを、許容するという帰結をもたらしえたのであるとすれば、そのときに語らなければならないのは、罪 fauteについてなのである。

後記 1

すなわち近代性の終焉〔目的〕の地平への国家-社会主義の縦拡大視化、あるいはまた現在〔現在的なもの〕への思惟の「直接的反響」という幻想は、実存的-歴史的なもの、哲学と政治の関係の古典的な罠への、言うなれば再度の転落を経由するだろうということである。

デイケー〔正義〕は形而上学的概念であって、もともとは道徳的な概念なのではない。

共同体を支え規定する根本的行動様式は、本質的な知に根拠をおいていなければならないということであるーーもちろん、存在の秩序としての共同体が、自ら自己を根拠づけ、異なった秩序から自己の諸規範を借りてこないことを条件としてである。

どのような知でも、結局は、自ら自己を光のただなかにおくような存在者へのきずななのである。

知るべきこととして残されているのは、何が三〇ー四〇年代のドイツの人種差別にヒトラー的狂気の特別な色合いをあたえているのかを考慮しつつ、人種差別なるものがこの時期以降、いや、今日においてはなおいっそう、"職業"さらには"たんなる労働"の一特性によって助長されているのではないかということである。私たちはこの特性を問わなかったけれども、この特性によれば、職業と労働は、以来、表面的には普遍的な"権利"、現実においてはひかえめな特権、だが猛烈に保護されている特権なのである」。これはもちろん、まちがってはいない。だが、それでも、問題がそれ以上でも以下でもない西洋の本質と運命であるときには、失業は都合のいい口実でしかない。というのも、「とりわけ反ユダヤ主義」が提起するのが、まさにこの問題〔問い〕だからである。

 

第四章 罪

罪について語るには、一つの倫理が構成されていること、あるいは少なくともそれが可能であることが前提となる。ところで、今日、おそらく、これらの条件はそのどちらも実現されていない。

ーー哲学における可能なるものとその起源にたいして、言わば盲目を決めこむことによってでしかないことは明白だからである。いかにして、そしてどこから、哲学的に、倫理学とヒューマニズムにかんするハイデガー的境界画定を取り消すことができるというのだろう。

ーーこれに対しては、自分たちにア・ポステリオリに責任があることを、私たちは毎日のように告げているーーが倫理の理念そのものを未曾有の動揺にゆだね、その基礎におそらく決定的な打撃をあたえてしまったからである。もちろん私たちは、倫理的な規範と命令、すなわち古代のもろもろの倫理学から派生した規範と命令にしたがって生き、行動することを強いられている。しかしだれも、古くなってしまったもののたんなる再認知に熱中しているのでもないかぎり、私たちが完全に奪われてある〔一文なしである〕ことを、もはや知らずにいるわけにはいかない。いかにして裁くかという問いに答えることは、いまでもおそらく可能であろう。しかし、どこから裁くのかという問いに答えることは、きっともはや可能ではないであろう。何の名において、また、だれの名において裁くのか。というのも、以来、欠如しているのは、名、実際、何よりもまず「聖なる名」だからである。これらの名が、名だけが、倫理的な生がくり広げられる空間(公的なものであろうとなかろうと)を、さまざまなしかたで支配していたのである。
 この奪われて- あることが、きわめて曖味で、まったく解読不可能な「ねばならない」によって、私たちを純然たる問いかけのなかに引きとどめておかなければならないのである。
したがってハイデガーにかんして、私が「罪」という語を使うにしても、ごくわずかな倫理的確信すらもちあわせていない。この話をあえてもちいるのは、ハイデガーのなかに、奪われて - あることの告白があるからであり、少なくとも一度は、彼が署名をしたもののなかで、罪を認知する挙措がわずかながら示されているからに他ならないーー

ーー私はハイデガーを糾弾しようとは思わない。いかなる権利で、そのようなことができるというのか。私は一つの問いだけに、しかも思惟のための問いだけにとどめたい。もろもろの事実を蒸し返すことが無益だと思われるのは、この理由からである。十分な資料がないために、数多くのまちがい、あらぬ噂、あからさまな中傷をまき散らす危険があるのにくわえて、事実の収集がこの問いにたいして何をなしうるのか私には分からないーーただし、ナチであることは犯罪であった、と文句なしに認められていると考えるのであれば話は別であるけれども。こうした発言 ランガージュは政治的なものとしてのべることができる。個人的に私がのべているのがそれである。だが、問題はいまだ思惟すべきこととして残っているし、その場合には逸話は何の役にも立たない。

そして、これまで何が言われえたとしても、それが反ユダヤ主義にあったことは疑う余地がない。しかし、受容しえねものは妥協の妨げにはならなかった。そしてこの妥協は「運動」との妥協であった。

ナチズムに加担することによって、この加担がごく短期間であり、いかに堂々とおこなわれたものであったとしても、必然的に人種差別に加担したのである。

「彼らは殺しもしませんでしたし密告もしませんでした。」そもそも周知のように、大半のケースにおいてハンナ・アーレントは許したし、そのなかにはハイデガーもふくまれていた。

つまり、ようするに問題なのは、当の知識人たちが、いずれにしてもハイデガーが、この問題に立ちむかい、それを引きうけることが、じつは思惟の義務であることを認めることを拒絶したということなのである。

私が言いたいのは、たんにユダヤ人が犠牲者となった何世紀にもわたる執拗な迫害のことだけではない。ある〈理念〉をよりどころにしたすべての大量殺人のことであるーー

大量云々は、共同社会のはじまりとともにはじまるのだ。

彼らが追放宣言されたユダヤ人として、つまり異質な要素として、脅威であったのは、自分自身のアイデンティティあるいは存在に苦悩しつつ、実際、他方では内外のきわめて現実的な脅威に直面している民族にとってのみであった。

強迫的に、しかもわずかの儀礼すらなく、「けがれ」を全面的に洗い落とし、消し去ろうとするこのような意志は、他のいかなる場所、いかなる時代においてもみることができなかった。「燔祭 ホロコースト」〔古代ユダヤ教の生贄の儀式〕について語ることは、時代遅れの「生贄係の僧の」何やらわけの分からぬメカニズムを引きあいにだすことと同様、欲得ずくの逆解釈である。この操作には、「供犠的な」側面など少しもない。この操作において、冷静に、最大の効率と経済性を念頭において(そして一瞬たりともヒステリーや錯乱に陥ることなく)計算されたのは、純然たる除去であった。痕跡も残滓もない除去であった。そして、時代がニヒリズムの完成の時代であるというのが真実であるとすれば、この完成がもっとも純粋な不定形の形式でおこなわれたのはアウシュヴィッツである。神は、いずれにしてもギリシア- キリスト教的西洋の神は、アウシュヴィッツでほんとうに死んだのである。絶滅されようとした者たちが、この西洋において、そこでかつて崇拝され思惟されてきた神のもう一つの起源の証人であったということは、いかなる意味でも偶然ではない。

 

『政治という虚構 ―― ハイデガー、芸術そして政治』フィリップ・ラクー=ラバルト /著、浅利誠・大谷尚文 /訳