小動物とエクリ
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黙示録のカリカチュア | 中心の喪失③

 


第五章 猛威を振う混沌

絵画上の革命

 近代の絵画はすべての芸術の中で最も無拘束なものである。自己に課せられた公共的な使命の制約から自由になり、また自分に義務づけられている主題から自由になって、絵画はひたすら〈自己のため〉展覧会の無名性のためにのみ制作され〈気ままの偶然〉におびやかされることになる。ヤスパースが現代の精神的創作者一般についていっていることは、画家たちに最もよく当てはまるが、この画家たちにとっては全体による確固とした限定が欠けている。世間の方から画家に対して、かれを制約するような用命があるわけではない。かれは自分の責任において自己自身に問題を課さねばならぬ。反響がないか、あるいはあっても誤った反響であるか、それとも真の対立者がないと、画家はあやふやなものとなる。〉〈いろいろな可能性がとてつもない広がりを示して開けてくるように思われる。しかしこれらの可能性はひっくり返る恐れがある。ひっくり返ってばらまかれた中から自己の帰路を見いだすにはほとんど超人間的ともいうべき力がいる。〉束縛から解放された色彩そのものにもーー色彩がもはや彫塑的、建築的な平衡要素にさまたげられないのでーー没形式性、混沌性という一つの要素が入りこむ。
 近代画家という存在は実在から切りされ、しばしば絶望に陥った実存であるだけに、芸術家の中で最も危険な存在である。

悪魔(ゴヤ)

夢幻的なもの、意味をもたないものの一つの深い経験がここではじめて表現の価値あるものとなったのである。ゴヤのこれらの連作が、さしあたり人びとを改善し教化し、政敵を糾弾するためにつくられたと仮定することは、全く誤りであることは確実である。像の根本的な力は、このような余りにも無邪気な観念的な説明ではとらえることができない。ゴヤのまぼろしは、ある別の地帯から発して倫理的な地帯に達しているものである。そのまぼろしは象形文字の意義を全くもたない。それらはある意味で一つの〈普遍的な言語〉ではあるが、解読することのできる〈寓意〉隠喩ではない。これらの意味は後になってはじめてもちこまれたものであり、たいていの場合他人によって、また僅かな場合ゴヤ自身によってもちこまれたものらしい。これらの素描連作が、発表にあたってその表題をかえられたことは周知のとおりである。

ボードレールは、いみじくもゴヤについて〈あるとらええぬものへの愛〉と語った。このとらええぬものに、かのすべての近代的諸傾向は結びついているのであって、その〈図像学〉は一般的なものに根ざしてこれに結びついているのではなく、夢みる意識の個人的なものに根ざしているのであり、またこれを一つの名前で総括しようとするならば、これら諸傾向のあるものが自分自身に与えた名称〈オネイリスムス〉(夢の芸術)という名を用いることもできょう。その〈図像学〉をのちに精神分析が記述しようと試みることになる。
 ところでこれらの〈夢〉の全体主題、その領域は〈無気味なもの〉、魔的なもの、地獄の世界、すなわち眠りと下にひそめるものの世界である。
 ◉かつて地獄は一つのまとまった彼岸の領域であった。人間のうちにあって人を苦しめるこのようなまぼろしへと高まりえたすべてのものが、地獄を描いた絵画の中に呪縛され、いわば客観化された。地獄的なものが現世に侵入してくることはーーとくに聖人の誘惑とか、主イエズス・キリストをあなどり苦しめるかの残忍な人間たちの絵画に描き出されているーー外界における一つのできごとであり、いわば地獄に誘惑され、あるいは〈とりつかれて〉いる世界や人間にときおり地獄が入り込んできて具現していることなのであった。
 しかしここでは、無気味なもののこの世界は、内在的かつ内界のものとなり人間そのもののうちに存在する。これとともに人間一般についてのある新しいとらえ方が現われてくる。人間は悪霊をふきこまれ、それもかれの外観だけではなく、人間自身及びその世界が魔的な力に引き渡されたのである。地獄的なものは、非常な力を得、その対抗力は孤立無援の絶望状態に陥った。

悪夢の化身のように、裸の巨人が抑圧された世界の果てにうずくまっている。ここで不潔な精神のこの魔霊は、無気味で激烈な生命力をもっている。これはゴヤという芸術家の〈空想〉ではなくて、実際に経験された〈血まみれ〉の現実である。

戦争というものの、全く新しい解釈を予言的に明示しているかれの有名な戦争描写ーー人間の形をした悪魔ともの、無意義な激怒しだけではなく、〈かれはこの上ない残酷さをもって、人間をもはや神の似姿としてではなく、人間性を失ったもの、すなわち死ねば動物の屍体さながらに放りすてられてしまう存在として描いた。〉

この時期というのは多くの芸術家が魔的な力に憑かれた時期で、たとえば彫刻家のメッサーシュミットは、内面的な圧迫から顔をみなしかめ面に形成し、またフェースリの氷のように冷たい芸術にはまぎれもなく真の幻覚が存している。

 ゴヤが発狂をまぬかれたのには理由がある。すなわちかれはこのように怖ろしい幻像に抑圧されたさなかでもなお、人間の形象を確保しえたからである。

孤独な人間(G・D・フリードリヒ)

 人間は悪魔の世界において見捨てられているだけではなく、自然の中においてもまた見捨てられている。これはカスパル・ダヴィト・フリードリヒの絵に見うけられる全く新しい状況である。フリードリヒは決して形式の革新者ではない。かれの描き方は、昔の巨匠のやり方にならい、一五ないし一六世紀のオランダの油絵のようにその表面はなめらかであり、かれが用いる絵の形式は古い世界像の形式であり、これはすでにブリューゲルの月暦画の大版の形式に暗示されている。かれの油絵もまた、ほとんど例外なしに寓話的意義をもっている。しかし、すぐには余り目立たない法外な新しさをもっているのは〈内面的〉な主題性である。
 そのことは、いまだかつて存在したことのないようなあるものが明白歴然と存在している極端な場合に、最もよく認められる。すなわち、はじめて絵画において氷の世界の死の沈黙が現われたことである。荒涼たる氷の山にとじこめられたこの船は、ゴヤの血なまぐさい幻影に脅やかされた人間同様に、見捨てられた人間の激しい象徴である。その寓話的な意義をフリードリヒは完全に明らかにした。
 ◉しかし人間こそ根本的に自然の中に孤立する。無限の空と海と荒れ果てた大地の中で、海辺にただ一人立つ僧だけではない。

オランダの平地や海の絵の無限の広さの中ではまだ人間が存していた。しかしいまや人間はよるべなく一人である。◉人間を万有に結びつけていたある客観的なものはなくなってしまった。かれに結びついているものとしてはただ〈予感〉、〈感情〉の無限性があるにすぎない。孤独の新しいエトスが成立したのである。
 人間は、昔の芸術の場合、自然の中に見捨てられているということを、神の審判が自然の中におこり、そして被造物が自然力に引渡される場合にだけ、自覚することができる。こういう主題を十分に描きつくした絵は数少ないが、その一つにプーサンの力強い冬の絵がある。これはかれの四季連作の一つで、冬に洪水が見舞い、世界が氷の灰緑色の氾濫に沈んでゆく有様を描いたものである。見捨てられた人間存在は、ここでは破局の結末である。しかしフリードリヒの場合、それは人間存在の持続的な状態として人間の本質に帰属するものである。そしてそれが孤独なのである。
 人間は、自然の本質性のなかに現われる全能者ーー永遠なる海、不変なる山、無限の霧ーーに〈感動する〉ことがありうる。しかし人間はまた、〈全く別のもの〉から切離されるかのように、全能者から切離されて希望なき孤独の状態に陥るのである。しかし人間をとり囲んでいる何か人間的なものは故郷をもたぬーーこれらの船のようーーしか、あるいは崩壊したものーーこれらの教会のようにーーであるか、あるいは死せるもの一ーこれらの墓や墓石のようにーーである。それゆえこれらすべてのものが、フリードリヒの絵に主要なモチーフとしてくり返し出てくるのである。
 ◉人間一般に対立するものは〈自然諸力の魔性としての、人間を包む秘密としての、世界精神の啓示としての自然全体〉である。〈自然形態からわれわれに微笑みかける最も聖なる存在は、人間にとって単に血縁でないというだけではなく、その対立者でもある〉と、W・F・オットーはヘルダーリンについて語っているが、このことはまさしくへルダーリンの同時代人フリードリヒにも当てはまる。
 ◉人間の万有に対する関係から、人間的なもののあたたかさは切離されてしまった。それ自身死せるもので、沈んだ太陽の光を冷たく反射し、世界に屍布をかける月は、人間のこのような新しい万有感情の偉大な象徴である。そこには神に見捨てられたものの憧憬と苦しみがあり、人間は、山上のよるべなき静寂のうちに神の子キリストのかけられた十字架のように、媒介者なくして天地のうちに孤立しているのである。
 このような人間と万有との間の分裂は、カスパル・ダヴィト・フリードリヒの場合には、近景と遠景との対照として、視覚的にあらわされる。〈この二つのものの間には内的な組み立てが欠けているのである。この場合、伝統的な目からすれば欠陥と思われることも、フリードリヒが古い時代の風景画をこえるような象徴的な表現をするための手段なのである。むしろこの対照のうちに、有限なるもの、自分自身の限界内にとどまっているものと、無限なるもの、底知れず深いものとの間の対立を、できるだけ強く感じとれるようにしようとしたのである。〉かれの風景は〈特定の場所をこえた関係でみたされており、いわば宇宙の音律に合わせられているのである〉が、しかし一方人間は向自脱な存在なのである。

〈つまり、クロード・ローランの絵画では、前景の柱や階段で最も強くよび起こされる触感覚が最も遠くの水平線まで鳴り響き続けるのであるが、しかしフリードリヒやターナーの絵画では、遠景は視覚に訴えるだけなのである。それはわれわれに憧れや不安の感情をよび起こす。それに対して、バロックの明晰な世界には、われわれは何か安らぎを覚え、その遠景はわれわれの心を和らげ、ゆるめるものとして、慰めとして感じとられる。〉人像はーーしばしばシルエットとして描かれるがーーいわば自分自身だけが頼りであるというふうに、激しい道徳的な熱情をもって、広大な無限の背景から浮かび上ってくる。
 
⭐️〈科学が合理的認識の対象とする基本的な要素、つまり地球、海、空気などは、実際何か神的なもののように思われる。〉それは、人間的なものをふみこえる純粋さという点で、〈原始的な世界の宗教に属するもの、自然の本質をたたえる礼拝の対象であるように思われる。〉雪におおわれた森の中で道に迷ったてき弾兵の姿は、表面的には政治的な比喩であるにしても、本当は、希望を失った海辺の修道士のように冷たい世界の中で道を失った人間の比喩なのだ。このことは、普通その〈ロマンチックな〉情趣に気を奪われて見逃しがちである。そうしてこの傾向は、ロマン主義とともに終わることなく続いているが、しかしそこでは人間をとり囲んでいるのは無情な自然ではなくて、むしろ無なのである。〈このようにして、メンツェルの有名な版画の一つでは、フリードリヒ二世は、まるで無の世界から浮かび出たような々たる岩の上にただ一人寂しく立ち、かれのまわりは暗黒の空間がとり囲むこととなるのである〉H・シュラーデ。 

ゆがめられた人間(カリカチュア)

 カリカチュアというものは、古代においても時折見られた。アレキサンドリアの大都市文明の未期にそれを認めることができる。そこでは、肉体的人いとわしいものが戯画化されたのである。バロックの時代には人間個人を風刺したものが現われる。

レオナルド・ダ・ヴィンチのいわゆるカリカチュアは、すでにボードレールが指摘したように、カリカチュアというものではない。 

 カリカチュアがイギリスに始まってかなり広範囲に広まってゆき、一つのジャンルとして確立されるようになるのは一八世紀未以来のことに属するが、それは一九世紀になってはじめて、ドーミエにおいて、一流の画家の主要な活動範囲にくみ入れられることとなる。だから、カリカチュアが現われること自体ではなく、それが芸術において重要な高い位置を占めるようになることが、きわめて重要な一つの徴候なのである。

人間のわい曲は、さまざまな方向をとる。たとえば、人間は仮面へとゆがめられるードーミエのカリカチュアがこの間題で始まることはきわめて重要だ。

しかしながら、一般的にみれば、無意識にはたらくわい曲の過程には、いわば消極的と積極的との二つの方法が認められる。道標的方法というのは、人間の標準寸法や形式や威嚇を無視して、人間を醜く、無格好に、みじめに、また滑稽にあらわす方法である。この場合、被造物の王である人間は、成を奪われ、品位を下げられることとなるが、しかしその人間性は依然として保持することとなる。

これは、カリカチュアが、古代ギリシア神話の残滓をすっかり解消させてしまうにいたるひとつの段階を意味するものだ。というのは、人間をおとしめることによって、当然、数世紀にわたって美わしい人間、偉大な人間、神的な人間といった理想像を具体化してきた絵画の世界が攻撃されることとなるからである。

人間のわい曲化の積極的な方法というのは、人間を何か違ったもの、人間以下のものにする方法である。そのさい、昔からヨーロッパの地獄絵で利用されていたのと同じ手法が使われる。

人間は、いやらしいもの、怪しいもの、無格好なもの、クロテスクなもの、きたならしいものとして現われる。そうしてその行ないは、無意味なりの性格、清稽な、また粗野な性格、さらには悪魔のような性格をもつこととなる。

カリカチュアというものの発生と根拠とその応用との間の違い、いいかえればその精神的な意味と実用的な意味、いわば社会的な意味との違いをはっきりと区別しなければならない。

世界の無意味さ(グランヴィル)

このような極端な形式のなかに人間の誹謗を認めたならば、われわれはさらにそういった傾向を、もはやカリカチュアとはいわれないような和らげられた表現のうちにも認めることとなるだろう。
 たとえばグランヴィルでは、人間誹謗のきわめて単純な手段として、人間の世界を鳥瞰図としてとらえるという見方が現われている。そうしたとらえ方によると、いかに人生の諸事象が〈小さなもの〉、無価値なものとなるか、またいかにその意義や尊厳さが奪われることとなるかということは驚くべきほどである。
 このような不安定な見方は、同じ時代の〈写実主義〉的な絵画にも現われている。

グランヴィルの夢の芸術に見られる要素の芽ばえはーー注意深く見さえすればーー一九世紀末にいたるところに認められるだろう。世界を不安定なものとしてとらえるような見方は、なかでも最も害のないものである。

ストリンドベリの人夢の曲Vでも、舞台の展開は、グランヴィルの夢の絵画が立てた原理に従っている。
 しかしながらグランヴィルは、表現主義において大きな役割を演ずることとなるような夢のとり扱い方、つまり〈不思畿な部分的体験が互いにはたらき、無気味に戦い、そうして強く押し出てくる〉ようにさせる方法は断念している。またかれの表現技術はーーその対象は非常に空想的なものであるけれどもーー写実主義的である。そのゆえにこそ、かれはシュールレアリスムの先駆けとされるのである。

純粋な視覚(セザンヌ)

 セザンヌの絵画は、早くから、近代絵画を理解するための鍵とされてきた。しかし、かれの芸術が印象派からも表現主義からも離れて占めている独自の位置は、ごく最近の研究によってはじめて明らかにされるにいたった。
 この研究によれば、◉セザンヌの絵画は、中世末の類型的な世界の中に、直接に自然を見るという見方を移し入れて以来始まった大きな歴史的な流れの最後の段階とみられる。このような自然の模像は、まず最初は少しずつ〈絵〉の中に植えつけられた。そうしながら、一方では画家たちは、目に見える個々のもの相互の視覚的な関係を全く新しい観点で明らかにしていこうと努めた。その結果科学的なパースペクティヴが生まれることとなり、イタリアでは線構造の、ネーデルランドでは経験的・絵画的なパースペクティヴが展開する。この点から、画家の仕事は、目に見える世界を再現することだと考えられるようになり、同時に空想の世界もまたこのような目で見る世界と同種のものとしてとらえられるようになる。一人の予言者を描くということはーーかってウィルヘルム・ピンダーは新しい状況を鋭くとらえてこのようにいったーー◉かつては崇高な予言の状態に身を置くこと(そうしてこの状態を、因襲的な表現手段で絵画的に伝えること)を意味したのであるが、いまやそれはしばしば、むしろ、単に人が読書したり書いたりしているときにどのように見えるかということを思い浮かべることを意味するにすぎなくなったのである。
 ◉実際に目に見えず、単に視覚に知識が加わってとらえられるもの、想像されたもの、思考や感情の参加によってはじめてとらえられるもの、そういったものを目に見えるものの再現から除き去るという試みは、すでにかなり早くからなされていた。このような再現方法は、事物をよく知ること(それは単に視覚だけではえられないことだ)と密接に結び合っている自然な見方といちじるしく対立するものである。自然な見方を放棄して、事物の〈正しい〉投影を三次元の平面の上にあらわすものだと称する、あのいわば無慈悲な見方に移ってゆこうとするならば、描き方を学ぶ課程で大変な労力を払わなければならないものだということは、誰もが知っているし、あるいはともかくもその気があれば知ることができることだ。しかしながら、一見上に述べたような知的な要素や想像的な要素から全く純化されたように見える絵画においても、予め知性がはたらいたようなものがたくさんある。とりわけ空間の組み立てとして可視的なものの中に移し入れられた〈科学的な〉パースペクティヴや、輪郭線などがそうであるーー(◉自然には線というものはない〉とセザンヌはのちにいった。
 このような試みは中世末に始まった。そうしてあちこちで進歩の跡を残しながら、再び衰えたりしたが、全体の流れの中で見れば、徐々に基礎を固めてきたものといえる。そうして突然セザンヌにおいて、これ以上はこの方向での進歩が考えられないほどの一つの頂点に到達することとなる。
 ◉セザンヌの絵画の本質的な目標は、知的要素や感情的要素の夾雑物から純化された〈純粋な〉視覚が可視的な世界の中に見いだすものを表現することである。純粋な視覚を求めるこうした戦い自体、きわめて重要な徴候だといえる。
通常の経験の中には、このようにセザンヌによって原理にまで高められるにいたった態度に、ある程度相応するような状態がある。それは、眠りからの目ざめと完全な目ざめとの中間の特殊な状態、つまりいわば目がさめているだけで頭はまだ眠っているような状態である。次に、通常の世界がさまざまな形や色や大きさや〈濃度〉の斑点や形式のパターンとして現われる。◉通常の事物はいわばこの多彩に織りなされた組織の背後にひそんで、そこから現われ出るのを待っている。この仕組みは全く平面的なものではなく、三次元の空間を含むものであるが、しかしその空間は日常の経験の中に見られる連続する等質の空間ではなく、色によってつくられた混沌たる空間であり、二次元的な色彩の要素と密接に結び合った空間である。このような状態では、多彩な斑点のパターンの中に現われる線については、それが〈実際に〉何を意味するかいうことはできない。光についても同様である。なぜなら、◉〈光の効果〉というものは、物と色についての知識がある場合にのみ、物の固有色から区別することができるのだから。このような物の見方にひそんでいる魔術は、すべてのものが新しく見えること、つまり、きわめて日常的な事象も不思議な、根源的な新鮮さ、何か〈基本的なもの〉の姿をもつことである。とりわけ色は、事物を特徴づけるという役割から解放されて、いまだかつてないほどの強さをもつにいたる。われわれの日常の知識がはたらき始めるようになると、直ちに現象は消え去り、魔術もまた終わってしまう。
 セザンヌの絵画は、こういった視覚の状態を保持している。それは、物についての知識を絵の中に投影しないように抑えておくことのできるような人に対して、日常の世界を、普通の場合よりも一層有意義で、一層〈現実的〉(あるいは、一層存在的といってよいかもしれない)であるように見えるような仕方で見させるものである。しかしながら、かれの絵画はわれわれを全く視覚経験のみに限るもので、そのため、見られた世界は完全にわれわれの感情移入をしりぞけることとなる。
 このような、画家の仕事についてのセザンヌの考え方は、ともかくもとりわけ〈絵画的な〉絵画を生むにいたる。なぜなら、このように純粋な視覚に限ることによって、二次元の平面の上で色はいまだかつてないほどの独自の生命力をもつこととなるからである。すべてのものが色でつくられる。そうして色の中にひそんでいるダイナミックな要素は、おのずからいわば独裁権をもつにいたり、画面全体を支配することとなる。このようにみれば、セザンヌの絵画は、実体としての色、また効果を挙げるための手段としての色に限られた絵画であり、だから最も絵画的な絵画だということができる。それは、本当の絵画の中には多かれ少なかれ含まれている純粋絵画の本質を明らかに示し、いわば世界史の実験でそれを蒸溜してみせ、純粋にあらわしてくれる。しかし本質の蒸溜であるだけに、つねに蒸発しようとするものだといえる。(セザンヌの場合と同じように、ルドゥーにおける新しい建築は、彫塑的な価値との結合から純粋幾何学だけをひき出そうとしたものである。)
 セザンヌの芸術について、このような基本的な見方をとるならば、そこからかれの絵画のさまざまな特性も明らかになってくる。たとえば、かれの描く人間の顔では意識的に人間の感情の跡が排除されていること、通常の経験に反して目に見える事物がすべで一様に描かれていることーーたとえばかれの描くりんごと人間の顔とは、いわば同じ人相学的価値をもつこととなるし、かれの絵に見られる奇妙な、植物のような静けさは、普通考えられるように静物画の静けさではなく、生命を欠いた静けさであること、またーー印象派とは反対にーー一様の光が存在しないこと、そうして最後には、在来の意味での〈コンポジション〉が存在しないことーーこの問題は単にふれるだけだが、差しあたり十分に説明することもできないだろうし、こういった特性が明らかになってくるのである。さらにまた、セザンヌの絵画が、最初の印象から想像する以上にはるかに自然であり、はるかに現実と密着したものであることを知るだろうーーこのことはノヴォトニーがくわしく証明してみせたことである。実際この芸術は、自然の模範から分離されれば必ずその原理を放棄してしまうこととなるのである。
 印象派もまた普通目に見えるもののみを対象とする芸術だといわれる。しかしセザンヌに比べると、印象派は少なくとも次の二つの仮定あるいは〈思い込み〉を設定しているものとみられる。一つは、色によって形式が強く破壊されてはいるが画面の組み立てとして科学的バースペクティヴが仮定されていること、いま一つは一様な光ということである。表現主義についていえば、セザンヌはーーかれの原理から進んでゆけばーー〈表出的芸術の反対の例〉となる。

最後に抽象絵画についてみれば、これは◉あらかじめ見いだされている世界を表現するのではなく、自ら発見した世界を表現するもので、セザンヌと共通した幾つかの手段を用いるものであるが、全面的に一致するものではない。
 この芸術が生まれる基盤となっている態度、そうしてまたこの芸術と、可視的なものを表現するすべでの傾向の芸術との違いを決めている態度の独自性と偉大さは次のような点に認められるだろう。すなわち◉この芸術は、日常の世界をこえたり、高めたり、あるいはまた変容したりすることによって、芸術の王国に到達するのではなくて、むしろそれ以前に立ちかえり、いわば根源にさかのぼることによって到達するものだということ、またここで色〈自体〉の領域を発見することとなるのだということである。つまり◉セザンヌの芸術は、根源的な要素を対象的な物の世界の中に見いだすのではなく、ひとつの態度によって発見しようとするものなのだ。この原理は、非常に〈自然〉であると同時に、きわめて人為的なものである。そこでは、人生においては全く特殊な例外的な条件の下にのみ現われる態度、つまり精神や魂の側においで視覚経験にきわめて無関心であるような状態が要求されることになる。ノヴォトニーがセザンヌの芸術をいみじくも人間以外のもの、生活から離れたものとよんだことの意味は、この点から理解されるだろう。なぜなら、純粋な視覚のために、観照の作用から人間精神の他のはたらきをすべて取り除いてしまうということは、ともかくも人間の性質に反することだからである。
 セザンヌの芸術はいわば〈境界領域の現象〉である。それは、印象派と表現主義の間の狭い尾根のようなものであり、その異常な静けさの中には人間以外のものの爆発が準備されているのだ。
 かれの芸術は、人間が、日常経験に反して他のもろもろの物とともにひとつの段階に置かれるような状況をもたらすこととなるからである。セザンヌのすぐあとで、スーラは人間を木製の人形やマネキン人形や、人造人間みたいに
描いており、のちにマティスにあっては、人物像も壁紙のパターン以外の大きな意味をもたなくなり、またキュビスムの場合には、人間は工学的模型の段階にまでおとされることとなるのだ。
 この点で、こういった〈純粋〉と称する画家の態度は、病的な状態、感情移入の拒絶のなかに見られるあの病的な現象に接近することとなる。この状態では、◉すべてのものは死んだよそよそしいものであり、人間は単に外面的にものを見るだけであって、もはや他人の精神生活を意識しないようになるのである。
 同時にまた、星野世界は不安定なものとなってくる。というのは、現象がそれに内在する意味をもたない単なる現象として見られるとき、それは揺れ動くはかない不確かな現象として体験されることとなり、確かな現象として体験されないからである。不安定な世界像を追求する傾向をもっている画家たちが、なぜ意味から解放された絶対絵画へと駈り立てられるのかという理由も、こういう事情から理解されるだろう。

大声で叫ぶ絵(ポスターの問題)

 ポスターもまた、他の時代や文化には知られなかったものである。そのことは文化史的意味でいわれるばかりでなく、実際、芸術的な視点でもいわれることである。それが本当の芸術の位置にまで高まったのは非常に稀なことであるがーー芸術的なポスターの頂点はトゥルーズ・ロートレックの場合にみられるがーーしかしだからといってそのことはポスターの意義を低めるものではない。

ポスターにおいて、二次元の平面に立ちかえり、また文字と像とを同格にみるようになったことは、すでに重要な意味を含んでいる。

◉パースペクティヴを厳守する写実主義的なポスターというものは、きわめて無価値なものであるばかりでなく効果の少ないものであるーーまた芸術を極端な方向に向けてゆく一種の先導者として立ち現われることになり、それに対して〈大衆〉は、同時代の〈純粋〉芸術では激しく拒絶されたような冒険をそこに認めることとなるのだ。

猛威を振う絵画と混沌

◉新しい建築は非常に冷たく〈即物的な〉であり、一方新しい絵画は非常に荒々しく非合理的であったけれども、この二つの流れはは並行して進んだ現象である。一方は他方の反映なのだ。絵画は建築から分離されたのではあるが、このことはあてはまることなのである。

近代世界がもたらした世界の新しい見方はすべて、まず第一に外面的な意味でも、人間以外のものである。たとえば二〇年代の写真は、〈普通の〉人間的な見方を捨てて、幾つかの機械的な規則に向かっていることを、きわめて明瞭に示している。

◉絵画もまた、内面的な意味で、人間以外のものへ傾いてゆく見方を求めているのだ。確かに芸術はすべて、多少の差はあれ、通常の世界をそれぞれ独自の仕方で日常の現われ方から引き離し、そうすることによって新たな世界を創造するものであるが、しかしこの種の絵画はその考えの上では〈単に〉人間的なるものの限界をこえてゆこうという強い衝動にかられているのである。

◉ギリシア美術については、それは世界の二つの巨大な力の間に張られたもので、絶えずこの二つの力をそばにもち、自分の地位を主張するために、つねにその力と戦っているのだといわれる。この二つの根源的な力というのは混沌と死である。新しい絵画は、単なる人間的なるものという束縛を解き放ちたいという激しい衝動の下に、この二つの力を芸術の中に招き入れ、さらにギリシアではまだ知られなかった第三の力、中世になってはじめて現われてくる第三の力を認めることとなった。

人びとは、いまや近づきがたくなったもろもろの芸術のうえで没入することによって、余りにも深く知りすぎている混沌に対して自らの法則を確立しようとしたのである。

◉暗く怖しいもの、異常なもの、病めるもの、死せるもの、滅びるもの、またわい曲されたもの、苦しめられたもの、法外なもの、きたないものや不合理なもの、機械的で精神を否定するようなものーーこういった非人間性を示すような方式や性質や様相ーーが人間と人間にとって親しい世界、つまり自然や、その他すべての人間の表象のなかに浸透してくる。

◉近代絵画のさまざまな〈流れ〉のなかには、このような反人間的な性質のどれかが結び合っている。

このような解釈は、深く検討しない人には空想的なことと思われるに違いない。とはいえ、冷静にみれば、それはわれわれが理論というものに期待するようなことを示してくれるものといえよう。これまで個々別々のものとして理解されていた多様な事実を明らかにし、また未来派からシュールレアリスムにいたるすべての〈イズムで(これらはすべて一層高い現実性からの逃避だ)を、作品をうみ出す根源的な力は同じで、ただ表面に現われた姿が違うものとしてとらえるような見方を与えてくれるーー◉なぜなら人間性というものは、その現象はさまざまでも、ただ一つのものであるが、しかし人間性の否定は多様だからである。さらにこうした解釈は、それらの差異を見抜くために、非現実性の表現に必要な重要な手段を展開させることとなったようなテクニックの微細な点にまで立ち入っているのである。それはまた、このような絵画に対して〈普通の〉人が抱く本能的な反感を端的に説明してくれる。この反感は深い根をもったものであり、新しいものや異常なものに対するかたくなな俗物の侮蔑だとすましてしまうわけにはいかない。
 というのはーー純粋に美学的にみればーー怖ろしいもの、悪魔のようなもの、そういったものの本当の芸術は存在するからである。芸術がこのような危険な可能性を含んでいることは決して否定されない。北方の芸術にははじめからこらした可能性が、一つの可能性としてひそんでいた。そこでは、地獄絵をつくるのと同じように、キリストの絵が死へとゆがめられた形で描かれており、それは東方のキリスト教芸術には知られなかったものなのである。ボス、ブリューゲル、グリューネヴァルトはこうした怖れの芸術を宗教芸術と同じレベルまで高めた。ゴヤは、芸術の領域から離れることなく、しかもその範囲を広げていった。このようにして、内面的な世界にかかわる新しい死の芸術や地獄の芸術のはじまりには、幾人かの優れた芸術家が見いだされる。アンソール、ムンク、クビン、シーレといった作家がそれである。しかしながら、ともかくもこの方向では、芸術の領域から転落することなしに進むには、ほんの僅かしか進むことができないだろう。〈深淵に身をかがめる〉ことはできるが、しかしそこに足を踏み入れることはできないだろう。そうすれば必ず転落して人間性の支えを失い、そうして芸術の支えを失ってしまうことになるのだ。地面に足を置いているかぎり、この地獄の反芸術でも輝きを失うことはないだろう。その最高の勝利は、人間の身体や自然や世界を解体しながら、なおそこから形式的な秩序や美をひきだしているところにある。しかしながら、このような深淵の体験から無傷で立ち現われることのできる人には、絵画において天国と地獄の黙示録をつくることができるだろうーーこれこそ本当の〈深き淵より〉といえるのだ。
 とはいえ、新しい絵画の大部分、とりわけ一九二〇年代の絵画は、実際にはもはや芸術というものではないしそれは、ちょうど〈新建築〉の多くがもはや建築と呼ばれるものでなかったのと同様である。しかもそのうえ、抗しがたい内的な衝動にかられて絵画のなかに新しい夜の見方をいれようとした人びとーーそうして、そのさい多くは人間としていたでを受けることとなったがーーに続いて、違ったタイプの人びとが現われる。そこでは、怖ろしいものについての関心が高まってくることとなるが、それは、ともかくもいまだかつてなかった現象なのである。そこには、できるかぎりの労力を払って新しいものを求めようとする努力、表面的な嘲弄のたわむれ、意識的な瞞着がみられる。さらにはまた、◉すべての秩序を破壊する手段としてこの芸術を利用しつくそうとする冷酷な態度がみられる。貪慾な詐欺や自ら欺かれたものの欺瞞は百倍にも倍加され、そこにはいやしいものの恥知らずな自己表現がある。つまり、〈黙示録のカリカチュア〉があるのだ。
 
今日、この境界の再確立のために努力している人びとにとっても芸術の境界が必ずしも明瞭でないとしても明瞭でないとしても、新しい絵画はなんら嘆くにあたらない。こうした傾向に含まれている深い非人間性を見抜くことのできない人は、ヒューマニティの擁護者とは決していわれないだろう。
 〈近代〉建築と同じように、一九世紀のこの種の芸術傾向は、地下の小さな流れにすぎず、時折そとに現われたにすぎないのである。人間を回避するという傾向は、それと気づかぬうちに現われていた。

大戦後の時代に、芸術的にみればすでにその衰退期であり、精神史的にみれば極度の墜落の徴候が明らかになってくる。

この〈最後の〉芸術は、政治的にみれば無政府主義のパルチザンであり、心理的にみれば烈しい不安の表現であり、しばしば自分自身に向けられる人間嫌悪の表現である。このような所産を最も深く示している例は、恐らくすでにゴヤに見られる。

全般的な衰退状態における混沌

シュールレアリスムは、そのインスピレーションの源を、無意識的な自動作用や夢やまたほとんど狂気といってよいような状態の中に求める。こういったことは、それ自体は新しいことではない。

シュールレアリストがつくりだすものの主要なテーマは絶対的な混沌である。かれらは手あたりしだいそれをとり上げてくる。夢の世界のほの暗い領域とか、幻覚とか、日常生活の錯乱>状態などからとり上げたり、あるいはまた、近代の大都会の混沌であろうと、総力戦の混沌であろうと、またぼろ市の混沌であろうと、本来互いにかかわりをもたないものが、偶然に意味なく、ばらばらのままで一緒にされるような現実の領域からとり上げてくる。

本来互いにかかわりをもたないものが、偶然に意味なく、ばらばらのままで一緒にされるような現実の領域からとり上げてくる。

 その対象は、要するに全般的な衰退状態における混流〉だといえよう。つまり、生成する混沌ではなく、すでに生成してしまった混沌であり、熱い混沌ではなく冷たい混沌であり、生まれてくる混沌ではなくいわばもうすっかりまいってしまった混沌であり、実り豊かな自然の混沌ではなく不自然の混沌なのである。いいかえれば、〈神の精神が自ら価値ある世界を再び創造するための源となりえない〉(ゲーテ)ような混沌である。
 このような〈発見〉は、シュールレアリスムにとって造形の素材というのではない。

狙ったのはただひたすらにその〈特殊性〉をしっかりとつかまえることだった。それは、ちょうど一九世紀にいわば実証主義の絵画が単に日常生活の断片を描こうとしたのと変わりはない。〈とりわけ、芸術についての考えも、ストラクチュアについての考えもないのだ。〉(このような前提からーーその本来の原理にさからってーーいかにして芸術が生まれてくるかという問題は、それ自体一つの章となるものだ。)

そうして、しばしば全く〈なめらかな〉表面仕上げによって、冷たくこわばった死の世界がこうした表現に移されることとなるのであるが、この手法は、カスパール・ダヴィト・フリードリヒのような画家が生命のない状態を可視的に表現しようとしたときに使った手法と同じである。
 このような絵画が担っている感情、このような絵画が呼び起こす基本的な存在感情は、われわれの魂を吸いつくしてしまうように思われる空間の空虚さのなかに生まれてくる不安感、またぞっとするようなモチーフのなかにいたいたしく現われてくる不安感にほかならない。

シュールレアリスムは仮面を脱ぎ捨てた。そうしておおっぴらに、恥じらいもなく、神と人間を侮辱し、また死せるものと生あるものも、美と道徳も絵画のストラクチュアと造形性も、理性と芸術も、すべて誹謗するにいたった。
〈芸術などは馬鹿げたことなのだ。〉シュールレアリスムは、快楽万能を公言し、永遠の反逆、〈恐ろしいもの〉や不快なものへの傾きを強く主張する。そこでは人生と死、現実と虚構、伝えうるものと伝えられないもの、上と下といった対立がもはや矛盾する対立として受けとられない〉ような立場にあるものと主張される。

〈革命的な秩序などというものはない、あるのは無秩序と狂気だけだ〉

シュールレアリスムの作品にだけ関係したことではない(シュールレアリスムの反対極で合理主義を主張する技師がその所産を芸術と呼ぶのを拒絶したように、シュールレアリスムもまたその所産を芸術と呼ぶことを拒否しているのだ)。それは全般の改造にかかわることなのである。シュールレアリスムは、普遍的な生命力となって、混沌を一つの原理にまで高めることを願いとしているのであるーーつまり混沌崇拝へと向かっているのだ。
 ◉シュールレアリスムが前衛芸術として現われたことは、非合理的なもの(つまり理性の底に潜在しているもの)の力が現われてきたことを示す大事なしるしである。当時この傾向を受け入れた人びとはナイーヴな人間かあるいはまた〈複雑〉と称する人たちであったが、かれらは、シュールレアリスムという誤解される名称(本当はシュール(超)ではなくス(下)というべきだ)から、日常の世界をこえた世界へと高められるのだという約束を導き出そうとした。まるで日常の世界の下には世界がないかのように考えたのである。

すでに、ヨーロッパに限らず多くの国にはシュールレアリスムの〈細胞〉がある。それに比べると表現主義はまるでとるに足らない感じである。
 このような現象を軽くみたところで何の役にも立たない。また子供が、恐ろしいもの、つまり人間や自然における醜悪なものに向かい合ったとき、あるいは悩まされるようなものに面したときのように、見て見ないふりをして、あらぬ方に目をそらし、さらにそういったものを否定しようとしたりする人、あるいは創造主の栄誉のためにそのような被造物の無礼(不快の種)をいつわり隠したり、無視したり、否定したりするような人、つまりいわば神をたたえて偽るような人〉(フランツ・フォン・バーダー)と同一視してみたところでなんの意味もない。

〈われわれは絶えず転落しているのではないだろうか?うしろへ、横へ、前へ、またあらゆる方向へ転落しているのではないか? いったい上とか下とかはあるのだろうか?われわれは無限の無を通して思い迷っているのではないだろうか? 空虚な空間の息吹きがわれわれに吹きかけられるのではないだろうか?ますます寒くなってきたのではないだろうか?〉

 

第六章 断片の意味

さまざまな芸術を脅かしている危険ーーこれは時代を特徴づけるしるしには違いないが、本質的なものではないーーは、その大きさも形も種々さまざまである。

最も危険なのは建築である。

歴史主義は、建築にとってはいちじるしい危険であったけれども、絵画にとっては本当の危険というものではなかった。

彫刻家だけは、一九世紀を通して人間性の尊厳を維持していた。

彫刻は、このような〈危険〉的時期にあって、元来保守的な芸術である。

彫刻は、決して絵画の場合のように人間性を失うことはできない。

彫刻では、意味をもたない形式はつねに妙なものとなる危険にさらされる。

彫刻はまた、不安定な時代を通じて、しばしば建築的なるものの理念を保持しているのである。

トルソ

ここにはじめて、形式と対象とが互いに離れ、形式的な要求が対象の権利を狭めることとなる。

断片ではあるが、しかし単なる断片ではなく、一つの形式であり、対象的なモチーフは形式のための外的なきっかけであるにすぎない。

〈独立したトルソというものは、ロダン以来好まれるテーマとなった。〉

〈トルソというものは、その意味からいえば、はじめての計画をモニュメンタルなものにすることである。〉

彫像の、〈自然〉からの解放、人間的なるものからの解放という現象がはじめて現われることとなるのである。

しかしながら、トルソというものははじめの計画を作品にまで高めることだと考えれば(そのさい、ちょうど風景式庭園で自然と芸術作品とがはっきり区別されないような領域が生ずることとなる)、この現象は彫刻の領域をこえることとなる。

〈芸術作品の全体性は必ずしも日常の事物の全体性と一致しないのだ〉

〈多くのものから一つのものをつくること、そうしてもののきわめて小さな部分から一つの世界をつくる〉という権利が与えられているのだ

 

『中心の喪失ーー危機に立つ近代芸術ーー』ハンス・ゼードルマイヤー/著、石川公一・阿部公正/共訳

 

様式の多元論 | 中心の喪失 ②

 

 

第二章 失われた様式を求めて

様式混乱の原因

一九世紀はすべての正しい様式を実現しつくしたあとで、過去の様式をその本来の流れの中で反復したのだ

◉正しい様式の存在を示す最も重要なしるしの一つ、つまりすべての芸術が、何か神秘的な生命力に動かされているかのように、それぞれの領域に共通の基調をはっきりと刻みつけるという傾向が見られないのだ。諸芸術はすでに分化し、それぞれ独自の道を進み、孤立して別々に展開しているのであり、均等化の現象も多くは建築のなかだけのことなのだ。こうしたことの深い原因は、◉個々に分化された芸術を一つの芸術作品という様式の統一へとまとめる総合芸術が、もはや存在しないことにあるのである。

◉抑えられた課題の自然の要求は、みたされないままに強力な〈統一〉に属し、いわば一つの課題の独裁に服することとなってしまう。

◉いまや人びとは、それぞれの課題をそれにふさわしいと思われるような〈様式〉で解決してゆこうと試みるようになる。あらゆる課題を一つのパターンで統一しようとする試みに代わって、歴史上これまでになかったような、様式の多元論が現われることとなるのだ。
 それ以来この方向は互いに争い、ときにはもっと極端にないわば無政府主義的な方向と戦いつづけることとなる。

最初の革命建築における同等化の要求

いまやあらゆる種類の建築に刻みつけられた〈様式〉は、はじめてはっきりと人間によってつくられた言語といった性格をもつにいたる。それは、さまざまの死んだ言話の要素でつぎ合わされることとなるが、そのさい選択は〈モニュメンタルなもの〉の理念、単純な幾何学的形態の〈法則〉によって決められ、それらの要素の結合の〈文法〉及び〈文法議成法〉は、幾つかのきわめて原始的な合理的な結合へと選示される。

すでにこの時代に、建築のあらゆる課題の同等化が〈合理的な〉低いレベルで行なわれていたということは余り知られていない。

様式の妥協ーーネオ・ヘレニズムとネオ・ゴシック

すでにこの時期に、二つの可能性ーーギリシアとゴシックのーーが一人の芸術家の作品の中に統一されて、互いに補足し合いながらすべての種類に適用されてゆくという傾向が現われる。

様式の多元論

多元論は、最初に現われたときには歴史主義の傾向をもっていたけれども、多元論自体は歴史主義的でもなければ、表面的なものでもないはずである。

最初の〈新即物主義〉

建築は、もはや、見るものにあらかじめ考古学的な知識が与えられていなければならないような歴史的、因襲的な性格をもたないだろう。そうではなくて、建築は本当の自然な性格をもつこととなり、一般の人びとも、教育を受けた芸術家と同じように建築を受けとることとなるのだ。

全般的な〈復古〉現象としてのネオ・ルネサンス

新しい構造の意義を認め、過渡期の作家であることを自覚しているのは、むしろ建築家であり、とりわけ指導的な建築家たちである。

第二次革命における同等化ーー〈新建築〉

大規模の建造物の場合には、実際的な形式以上のものが実現されることもある〉が、しかしそれとても〈様式の類語〉であるにすぎない。

各種の建築の物的な要求さみたされても、心的な要求はみたされないままなのだ。

反動ーー仮面としての新古典主義

〈新建築〉は拒絶され、それに代わって世界の各地に、全く表面的現象である新古典主義の運動が広まる。

その〈ヒューマニズム〉は〈現場不在〉なのだ。

〈完全な機械として、なんら超越性をもたない今日の技術的世界の清らかさは、つねにそれ自身とは異質なものに崩壊してゆく。〉なぜなら、何
か〈より以上のもの〉を求めようとする半ば意識的な衝動は、明らかに、純粋な〈機能主義〉ではみたされないからである。

新しい多元論の始まり
 
 同等化の傾向が強くなればなるほど、それだけ反対にさまざまなの種類の建築が互いに分化されてゆく傾向が強くなってくる。この意味深い分化の現象は、単にそれぞれの建築の外面的な目的にこたえるだけでなく、その内面的な本質、つまりそれが担っている意味に応じようとするものである。それはまた、上から強いられた〈様式の図式〉に見られる表面的〈統制的〉な外観で満足するのではなく、反対に、多くの種類の建築に対しては、現代の要求に十分こたえうるような解決がみいだされたのだ、ということ、つまり単なる教義のために放棄されてしまうことのないような生きた価値のある解決法がすでにみいだされたのだ、という事実を認めるものである。
 建築の新しい多元論が現われてくるのだ。それは、歴史的なものでなく〈即物的〉なものであり、表面的なものではなく本質的なものである。
 
一九世紀及び二〇世紀の様式上の党派 

 このようにして、建築の領域における成行きは、非常に混乱しているようにみえるけれども、しかし実際は、普通考えられるように無意味なものではない。〈様式の統一〉という観点からみれば、さしあたり、一八〇〇年以来互いに争い合った三ののアプローチを区別することができる。その戦線はしばしば入りまじったけれども、全般的にはそれらの間をはっきり区別することができる。

このような嘆かわしい状態から生まれたたくさんの建築が、精神的な動きのイメージを、それとわからぬほどにゆがめてしまったことは明らかだ。



第三章 諸芸術の分裂

◉〈個々の芸術が、実際にはその特殊性を失いながら、一方では普遍的な芸術のふうを装うとき、これが本当のエゴイズムというものだ。〉
(R・ヴァーグナー)

 一八世紀末以来、諸芸術は互いにはなればなれになる傾向をみせ始める。さまざまな領域の芸術は、それぞれ〈自律的〉、自給自足的になろうとし、それぞれの領域において一ー二重の意味でーー〈絶対的〉になろうと努める。そうして各芸術は完全に<純粋>な形で現われようと努める。実際まるで倫理的な要請からそうせざるをえないかのように〈純粋性〉を求めるのである。
 このような傾向のうちに、われわれは、一九世紀及び二〇世紀の芸術の流れの中でどれが〈近代的〉で、どれが保守反動的であるかを区別する良い規準をーー唯一の規準とはいえないにしてもーーみいだすことができるだろう。実際、このような諸芸術の孤立化への傾向を〈前提〉として、だんだんとそれぞれの芸術からその中に含まれている異質の要素にかかわりのあるものをすべてとり除いてゆくならばーーたとえば絵画から、彫刻的な要素、線の要素、建築的な要素、演劇的な要素つまり超越的なものとか文学的なものとか対象的なものとかをとり除くならばーーそれまでは単に歴史的事実とみられるにすぎなかった近代芸術について、その本質的な歴史的現象を推論していって、いわばつくり出すことが可能となるだろう。そうして、時代を根底から十分にとらえることができるようになるだろう。

〈われわれは何をなすかを知っている〉のだ。ここでは、こうした分解過程の完全な組織づけや年表づくりを行なうわけにはいかないが、しかしこれは可能であり、一九世紀及び二〇世紀の芸術についての厳密な芸術論の基本となる重要な仕事である。

すでにニーチェは、諸芸術を退歩させることなしに〈孤立化〉させることは不可能だと考えていた。総じてかれにとっては、〈一つの力を分化させることは一種の野蛮な行為〉だったのである。かれは、諸芸術の統一についての感覚と、様式についての感覚とは互いにつながり合っているものとみていた。一方が衰えると他方も滅びるという関係なのだ。

自律的な建築

 建築は、彫刻的な要素や擬人的な要素や絵画的な要素ーーバロックにおいて互いにとけ合っていた諸要素ーーをすべて排除し、さらに色彩の要素や装飾、またついにはルネサンス以来の建築の基盤となっていた〈オーダー〉をも排除するという傾向をみせてくる。建築は〈純粋な〉建築になろうとし、誇らかにその〈自律性〉を主張する。

まず絵画的・舞台的な要素が排除される。

純粋な彫刻

◉彫刻は、そこから絵画的な要素を排除して〈おずおずと自分自身の領域へひっこむ。〉彫刻は、目を通してもっぱら触感覚にのみ訴えることになる。

逆説めいたいい方をすれば、◉彫刻は三次元にあらわれた下絵だ。

下絵

しかしながら、いまやこのような色彩のない絵画、あるいは色彩の乏しい絵画と並んで、二次元の表現で三次元的、彫刻的な要素を除去するような形式が現われることとなる。

純粋な素描とシルエット

 絵画自体はどうかというと、そこでも描画的な要素つまり線と、絵画的な要素つまり色の斑点とが別々に分離されてくる。純粋な素描は、一七九二年ごろにイギリス人J・フラックスマン(一七五五ー一八二六)の作品に現われる。そこでは、線は輪郭としてのはたらきをもつたけで、銅版に〈線画を彫る〉ようなはたらきをもつものでも、また肉づけするはたらきをもつものでもなく、彫刻的なイリュージョンはーー彫刻的な理念ではなくーー後退する。そうして、こうした傾向がだんだんと広まってゆく。人物や風景や建築が、輪郭だけでーー影をつけないでーー表現される。これは根本的に分析してみる必要のある現象だ。この線の芸術は何かアルカイックな性格をもっていると同時に、非合理的で不可思議な性格をもっており、とりわけ霊界、つまり冷い超感覚的な世界の表現に適することとなるのも偶然ではない。
 実際、このような段階で、線のもっている究極的な感覚的要素、つまり手の自由さ自体をも排除してしまおうとすル考えが、一時的ではあるが現われてくる。

 このように、一方では色や彫刻的な要素を否定し、他方では線を否定するといった傾向が進むにつれて、やがて絵画における建築的な要素を弱めたり排除したりする傾向が現われてくる。
 ジォットー以来、建築的な要素が彫刻的な要素と同様に絵画の中にとり入れられ、前者が後者を制約することとなる。描かれた人物は、絵画空間の中で、建築的なものであろうと起伏のある地面であろうと、なんであれ確固たる基盤の上に立って動くものとなる。

しかしながら、このような絵画の建築的な組み立てもだんだんと無視されるようになってくる。科学的な遊近法は廃止され、ルネサンス以来遠近法の芸術の基礎とされていた仮定、つまり〈固定された〉目で空間をとらえることができるのだとする仮定は否定されることとなる。前景が極端に仰視された形で描かれるために、それはいわば画面の平面と一致してしまい、描かれた像は地面の水平線の中で安定のよりどころを失うこととなる。
 画面の構築についてしばしば語られるけれども、しかしそのような傾向でも、古い〈構築された〉絵画がもっていたような本当の構築の基礎、つまり大地は認められない。建築的な要素は、絵画から逃げ去るか、あるいは排除されて、それに代って平面における装飾的な配列が現われることとなる。絵画が、不確かな夢の世界を好むようになるという現象のなかにも、非建築的な、不安定な精神が現われている。

見えるものだけに限られた絵画

 絵画や素描や彫刻においては、直接に像で見ることができるもの以上に何ものかを表現するということを断念する傾向が現われてくる。意識や思考だけでつけ加えられたものしたとえば超越的な内容、神話的な内容、比喩的な内容ーーはすべて排除される。絵画の内在性や不動性について語られるのも、目に見えるものにのみ限られる。このような◉絵画の〈実証主義〉にとって典型的なことは、画題は感覚的に与えられた物質的な事実にのみかかわりをもつものとなり、見る人の想像力が感覚的なものをこえてそれてゆかないようにしているということだ。

(絶対的な〉素描、〈絶対的な〉絵画、(絶対的な〉影刻

すべての芸術がひたすら〈自律的に〉、〈自給自足的に〉、そうして〈絶対的に〉なろうとしているのだ。

◉〈絵〉の分解による生成物

 このように多層構造をなして展開してくる過程のはてにはーーその基調は諸芸術の〈純粋さ〉を求める努力であるかーーついには総合芸術が完全に放棄されるにいたる。そうして、建築をもととする〈偉大な〉総合芸術の世界が放棄されるばかりでなく、〈絵〉という小宇宙までも放棄されるにいたる。つまり、ジオットーの時代からバロック未にいたるまで二次元における造形芸術の神髄であり、小さな総合芸術であり、それゆえにその時代の偉大な芸術であった〈絵〉の小宇宙もまた放棄されてしまうのである。絵もまたその構成要素にまでばらばらに分解されるのである。
 このような〈崩壊〉過程が進んでゆくと、ついには、古い絵画の分解作用の中にひそんでいるすべての力が、一人の作家の作品の中に、しばしば相並んで見られるようになる。パウル・クレーのような画家の試みの場合には、そうした力をある程度まで組織的にあとづけることができる。〈私は純粋な素描を求めた。私は純粋な明暗の絵画を求めた。そうして、色環の上のさまざまの色の導くままに、補助的な試みをすべてやってみた。その結果私は、色彩を主として明暗の調子を強く出した絵画、補色の効果を利用した絵画、多くの色を用いた絵画、全体としてみて色のある絵画、といったさまざまのタイプの絵画を全部試みてしまったことになった。

◉一九二五年ごろには、もうそれ以上芸術を〈要素〉に分解することが到底考えられないほどに、一つの頂点に達することとなる。
 それにともなって諸芸術の統一という現象も全くなくなってしまう。こうして、建築は自然の中にそれとなんらのかかわりをもたずに立ち、彫刻もまた建築や絵画の間に孤立して立つこととなる。そうして絵画は、無情な壁のような場処に孤立してかかることとなるのだ。古くからあった諸芸術の結びつきに代って〈並置〉(ゲーテの嫌った言葉)Kom-Position(共に-置く)ーが現われたこととなるのである。

総合芸術の死

 同じころ、まだ残っていた総合芸術も分裂し始める。古くからの教会堂、城館、宮殿建築からは、一八世紀末以来、孤立化させられた芸術の群れが数限りなく流れ出てくる。それらは、かつて統一されていたものの断片であり、その故郷から切り離されながら、いわば浮浪者のように放浪し、あるいは故郷のない美術商の市場にのがれ、あるいは公立または私立の美術館というけばけばしい浮浪者収容所へとのがれてゆく。
 ◉〈美術館時代〉が現われるのであり、その仲介者は美術商である。そうして、このような状況には次のような芸術観がつきまとい、そうした芸術観が重要な支えとなってゆく。すなわち、個別化された芸術に関心を向け、諸芸術の分離という新しい不自然な現象をまるで自然の法則であるかのように考えるもので、さらには個別化された芸術についても、本来不可分の関係にある〈何を〉と〈いかに〉とを、つまり〈内容〉と〈形式〉とを分離しようとする考えである。

◉美術館では諸芸術の分離は永久のものとなってくる。本来一つの全体の部分であったものが、いまやさまざまな〈分科〉となって、無慈悲に切りきざまれて現われることとなる。だから、一つの祭壇にあったもののうち、祭壇画は〈絵画館〉に、彫刻は〈彫刻室〉に、器物や装飾品は〈工芸美術館〉に収容されるということも、実際に起ごりうることだろう。
 ◉ずっと後になって、もっと大きなスケールで人間に起こってくる現象ーー人びとは故郷から強引にひき離され〈移住〉させられること、家族がちりぢりにさせられることーーが、すでに宗教的な芸術や古い芸術のうちに予言的に現われているのである。
 ◉一九世紀の〈分化主義的な考え方〉にしたがって、諸芸術を個々の種類に分けて考えようとする芸術学では、不自然な美術館中心の状況も、避けられぬ危機的状況とみるよりはむしろ積極的に支持すべきものとみており、さらに過去の作品についても、統一されている芸術までも分解して、個別化された芸術として見るという見方を、歴史的記述の基本としている。
 諸芸術の分離に対する最初の反抗は、ロマン主義における総合芸術への憧れに見られるが、しかしそれはまだ力弱いもので、総合芸術を再興するまでにはいたらなかった。その復興が見られるのはネオ・ルネサンスの運動が始まってからのことである。ゼンパーやヴァーグナーは、諸芸術は本来統一の状態に結び合っているものだと確信していた。〈だから、諸芸術が衰えるようになってはじめて、建築も一つの分科として独立した存在となるとみてよいだろう〉とゼンパーは云った。建築は、本来他の諸芸術と結びついたものであり、それらの基本的な力となっていたものだかちである。しかしながら、こうした反対延動も、いわば分裂作用のドラマの進行を遅らせている幕あい演芸のようなものにすぎない。

図像解釈学の死

 この時代には、総合芸術とか諸芸術の結合ということは何の意味ももたないのだから、一つ一つの図像やそのテーマが全体の中で一定のきまった意味をになっているような、重要な絵画的な世界をつくることも不可能である。◉対象はますます意味をもたなくなる。どのようなところに絵が置かれるかということ、それはこの位置でその精神的な意味にーー形式的にではなくーー適合しているかどうかということも、大して意味をもたなくなってくる。図像解釈学上の発見や構成の領域におけるほど、いちじるしい停滞を見せている領域はない。実際、事物の意味さえなくなってしまったのだ。
 というのは、これまでの芸術学は、総合芸術のもっている精神的な総合的意味を見のがし、それが伝達しようとしている意味を見おとしているからである。そこでは、図像解釈学を形式からひきはなして考えたので、その結果◉図像解釈学はひそかに〈図像学〉ーー断片についての学問ーーに分解されていったのである。
 こうした芸術学では、建築もかつては写しとしての意味をもっていたのだということ、つまり建築はあらゆる芸術造形芸術ばかりではなくーーと結び合って、感覚的にとらえられないようなことまでも表現したものだということがはっきりと理解されない。

今日になってはじめて、総合芸術はかつての状態でとらえられ、生き生きとしたものとして学問的に解釈されるようになった。そうして美術史学のうえでもーー美術館の存在理由を認めながらも美術館中心の考え方に反対して一ー◉美術史の本来の主題はなんであるかをはっきりととらえたような考え方が現われてくる。その主題は、個別化された芸術の歴史や単なる抽象的な様式の歴史ではありえず、それは総合芸術の歴史、つまりその発生、衰退、及びその分解過程に見られる副産物の世俗化の歴史でなければならない。
 それとともに、美術史と図像学との分離という不自然でひどくむだな現象も、はじめて解消され、統一への道がひらかれることとなるだろう。
 こうした新しい傾向の芸術観は、少なくとも次のことを明らかにするものだろう。すなわち、諸芸術の統一の問題が今日の問題として再び登場してきたのだということである。そこから、芸術の本当の要求が生まれてくるかどうか、またその要求はどのようにしてみたされるだろうかということについては、誰もはっきりと見きわめることができない。

装飾の死

 諸芸術の分離という現象と密接に結び合って展開してくる重要な現象がある。すなわち装飾の死ということである。一九世紀と二〇世紀を通じて本当に生き生きとした装飾は一つもつくられなかった。かつてロココが、並はずれて多様な、豊かな、生き生きとした装飾をその極点にまで押し進めていただけに、その落差はきわめて大きい。
 新しく登場してきた材料のような非晶質の物質では、本当の装飾を生み出すことはできないようにみえるけれども、だからといって、装飾の死という現象の原因を、新しい材料の出現という事実にのみ帰するわけにはいかない。

装飾というものはーー彫刻的なものであろうと絵画的なものであろうと、その本質上、それをになっている物体、建築とか器物とか、また元来は人体とか衣服とかについて生成したものであるからーーそのにない手が〈純粋さ〉を求めて、装飾を拒絶するようになると、もはや存在理由をもたなくなるものだ。装飾は〈自律的〉には存在しえないただ一つの芸術である。こうして装飾は死ぬこととなるのだ。
 〈純粋な〉装飾もまたありえないーーこういった云い方はそれ自体意味のないことだ。しかし、ともかくも装飾が、はじめから終わりまでその中に織り込まれている対象的な意味や風刺といったものを残りなく除き去って、線と色の難点の抽象的な〈意匠〉に変わってゆくことは可能だ。しかしその場合、そうすることによって〈より一層本質的に〉装飾といえるものになるわけでも、また〈より一層結粋な〉装飾になるわけでもない。
 建築における歴史的な様式の復興という動きも、建築に付属している装飾の本当の復興をもたらしはしなかった。
 実際、こうした復興の運動に内在している無気力さが最もよく現われているのは装飾の領域なのだ。◉現代は、装飾は、空間的な意味ではなく、ある深さをもつもので、人間と物との間の本来のつながりという精神的な関係をあらわすものだ、という理解を欠いてしまったのだ。抽象的な意匠は、もはやこのような力をもっていないのである。

芸術の境界の消失

 このように◉個々の芸術は、おずおずと自らの〈純粋さ〉に心を配りながら、互いにはなればなれになっていく。それと同時に、芸術独自の領域というものも、はじめのうちはそれと気づかぬままに、そうしてのちにははっきりと意識的に解消されてゆく。芸術の領域と他の領域との境界が消失し始めるのである。
 風景式庭園では、庭園と自然との境界が不明瞭になってくる。この新しい庭園は、いわば未完の作品であり、そこでは芸術家と並んで自然も力をかしているのだ。というのは、自然は四季を通じて絶え間なく庭闘を変えているのであり、年が経つにつれてますますその姿を変えてゆくものだからである。

◉自然そのもののように変わりやすい、いわば〈うつろいやすい〉芸術作品の全体の意味が十分にあらわれるのは、ある特定の季節にではなく、四季を通じてであり、また年月の経つにつれてなのである。

◉植物は、その成長という点を除けば、絶えず補ったり新たに植えつけるように考慮されねばならない。その結果、意図された形式がつねにそのままの形であらわれるとはかぎらず、そのときそのときのあり方は、しばしば創作者の意志を十分にあらわさないものとなる。

だから、ある庭園芸術の前に立って、いったい人間によってつくられた芸術作品がどこから始まり、なまの自然がどこから始まるのか、はっきりと云えないような場合も当然ありうることとなる。こうした状況は新しい。
 こうした◉境界の消失という現象は、空間的な境界についてのみいわれるのではない。それは本質的な問題とかかわりをもつものであり、一般に自然と芸術との関係についてその新しいとらえ方に根ざしているものである。〈◉創造ということが芸術的に形づくられるものと考えられるようになり、……自然のものと完全なものとが同一視されるようになると、芸術と自然との境界が消失するばかりでなく、芸術美と自然美との境界もまた消失してしまう。そうしてその結果、そうした時代には、芸術作品についての非常に広い概念でみてゆくのが普通になってくる。〉
 これと同じように、二〇世紀のはじめには、同様の理由から、建築と機械や交通機関などの構造物との間の境界がなくなってくる。◉完全に美しいものをつくり出す力は、かつては自然に帰せられたのだが、ここでは技師の精神に帰せられることとなる。そうしてここでもまた、個々の建物ーーたとえば動く家ーーの前に立って、いったいこれはまだ建築といえるものか、あるいはすでに技術的な構造物に属するものとみるべきか、迷ってしまうようなことが起こるばかりでなく、さらにまた技術的な合目的性の美と芸術の美(それはつねに超越的なるものに根ざしているものだ)との間の境界が、意識的にしろ無意識的にしろ解消させられることとなる。
 こういった過程の第三番目の例は、絵画や彫刻の領域にみられる。ここでは、本当の美術と未開民族や素人や子供や精神病患者の〈美術〉との間の境界がはっきりしないものとなる。なぜなら、人びとは、こういった人間に備わっていると宿ぜられる根源的な精神は、〈教養ある人びと〉の場合よりも、一層完全で美しいものをつくり出すことができるのであり、〈教養人〉とは〈誤った教育をうけた人〉にほかならないのだと思っているからである。
 さらにいま一つ特別な場合を挙げれば、抽象的な素描や絵画と、パターンがきわめて素朴な技術でいわば偶然につくられたような無対象の装飾形式ーーたとえば、いわやるなぐり描き、マーブル紙、吹きつけ模様、意図的に混沌たる模様を施した迷彩な度に見られる形式ーーとの境界もまた不明瞭になってくる(ブラックは、デフォルメした迷彩のような彩色の発明者として知られている。)

このようにして、一般に芸術は、その本来の統一を破壊して、技術的な構造物や写真や夢へと転落することとなる。
 このような否定論によって、諸芸術の位置づけを試みることができるだろう。
 


第四章 建築に対する攻撃

人工的な廃墟

人工的な廃墟の建物は、建築的なものに特有の感情を、半ば無意識的であるが非常に激しく乱すこととなる。

ここでは、建物は持続ではなくて、荒廃の状態に置かれる。荒廃はさらに進み、芸術家が始めた破壊作業を自然が完成することとなる。

建築に反対する最初の(無意識的な)革命

建築と自然との間には有機的な移りゆきの関係がない。

ここでは孤立ということが一つの価値とみられているのだ。なぜなら、〈人間もまたつねに孤立した存在なのだ〉 ルドゥー
 したがって、新しい材料が新しい考えをもたらしたのではなくて、はじめに新しい考えかあったのだ。

新しい反可塑性の材料ーー鋳鉄、ガラス、スティール、コンクリートなどーーは、新しい考えに依存して形づくられるものではないが、はじめからそうした新しい考えと一種の親和力で結び合っているのだとみられよう。

革命は地下で進行してゆく

生きているものと死んだものとを区別するものは、まず第一にきわめて小さな形式のなかにある性質である。

建築に反対する第二人革命ーー地盤の否定

〈建築ら、もはやそれ自体閉じた形態ではありえず、自然と共鳴することとなるのだ。〉フランク・ロイド・ライトやトニー・ガルニエの作品では、この理念はすでに九〇年代に現われているのである。

建築は廃止される

……建築という概念は余りにも狭いものとらなったのだ。ギーティオン

建築というものは単なる歴史的な概念であって、人間精神が到達しえたこの新しい段階では消えてしまい、技師による世界的な創造の中の特殊な場合として現われるにすぎないものだ、と解することによって、建築は廃止されることとなるのである。それは、ちょうど宗教が〈古くなったもの〉として、つまり単なる歴史的な概念として消え去り、科学によってとって代られるのと同じである。
 このように見てくると、建築、とりわけ古い建築に対して機械が挑んだ大きな戦いはーー平和とか戦争の急迫した状態にかかわりなく進められたものだが一ー建築的なるものに対して機械人が抱いていた根深い憎しみが無意識的に爆発したもののようにみえる。ここにあらわになってきた現象は、すでに前衛的な理論でーー一般大衆の養成の下にーーすでに早くから要求されていたことである。つまり〈大聖堂のあるわれわれの古い都市の中心は破壊されなければならない。そうして摩天楼によって置き代えられなければならない〉ル・コルビュジェ。

 

『中心の喪失ーー危機に立つ近代芸術ーー』ハンス・ゼードルマイヤー/著、石川公一・阿部公正/共訳
 

一つの徴候 | 中心の喪失 ①

中心を失うことは人間性を失うことである。

パスカル

トルソというものは、はじまりの計画を作品にまで高めることである

フォン・アイネム

……芸術家には、多くのものからひとつのものをつくること、そうしてもののきわめて小さな部分からひとつの世界をつくるという権利が与えられている

リルケ

序論

テーマ

美術史はそれ自体意識をもっているだけではない。むしろ人間についての知識を与えてくれるのだ。
W・ビンダー

この時期に始まり、そうして一時期を画するようになった独特の新しい事態をはっきりと理解するには、独自の意味をもっている一連の芸術現象についてみるのがいちばんよい。このような芸術現象を単に歴史的な事実としてみるのではなく、徴候としてみることができるならば、そこからしぜんに現代の病についての診断が生まれてくることとなる。というのは、現代の状態を病める状態だとみることになんら疑いの余地がないからである。

実際、学問というものは、深いところから真理を掘り出すものではあるけれども、これを永劫という巨大な天秤の一つの重いおもりだと思ってはいけない。しかし、◉心の乱れた場合に、無意識を意識の状態にとり出してそれによって乱れを払いのけてやることが、失われた均衡状態を見いだすのに役立つように、それと同様に現代を芸術の面から見ることはーー単に理論的な問題としての興味をこえて(このような危機の時代には理論的な興味はわれわれの心を強くひくことはないだろう)ーー少なくとも、多くの人びとを悩ましている状態を解決するための、二、三の手がかりを与えることとなるだろう。
 現代では、個人においてばかりでなく集団においても、意識されていないものを意識にのぼせることによって、事態を新たな決元で直接的にまた明らかな形でとらえる、という課題が、われわれに課せられているようにみえる。

方法 

 時代の深層を解釈するための道具として芸術を用いうるとする理論は、とくに新しいものではない。ルネ・ユイグはすでに一九三九年に、はっきりとこのような見方の原理について次のように述べている。〈芸術と人間社会の歴史との関係は、(個人の)夢と精神病医との関係と同じだ〉と。実際このことは、道を誤ったような芸術、道を踏みはずしたような芸術、欠点のある芸術についても当てはまることである。〈多くの人びとは、芸術というものは実生活の片すみにおける単なる気ばらしのようなものだ、と思っている。かれらには、芸術が、生の奥底までも見とおして、その知られざる秘密を明らかにしてくれるものだ、ということ、芸術は最も直接的な告白、計算ずくでないだけに最も正直な告白をするものだ、ということがわからないのだ。ここには一つの時代の精神があらわになっている。ここでは時代の精神が、感受性と陶酔から現われてくるすべてのものに特有の、あの予言的な力をもって自らを探し求め、その姿を現わしているのだ。〉このようにして、研究の一般的な計画が設定されたわけだが、しかし現代の基礎となっている時期については、なおこれを具体的にしなければならない。
 そのためには、診断のもととなる本質的な現象と、それをおおいかくしている非本質的な現象とをはっきり区別する方法が必要だ。それがなければ、解釈は勝手気ままなものになってしまうだろう。実際十九世紀の芸術についてみれば、非常に多くのものが〈不誠実〉で、にせもので、あてこみで、みせかけだった。だからたとえば〈様式〉の世界をわれわれの出発点とすることはできない。

〈正しくないもの〉が圧倒的に多いということが、一九世紀及び二〇世紀の芸術を知るための根本的な事実である。

だから、◉正しいものと正しくないものとを区別して、ヴェールを取り除くことのできるような方法がどうしても必要となってくる。それには、人間精神の解明の場合のように、時代の芸術の理想や意識的な努力といったところから出発するのではなくて、時代の精神があらわになっているあの〈感受性と陶酔〉の無意識の層から出発するのでなければならない。
 このような識別を行なう方法を私は〈批判的形式の方法〉と名づける。その方法のあらましは次のとおりである。芸術の領域ではひとつの時代が形式において具体化されることとなるが、そうした形式の中ではなはだしく新しいものは非常に稀である。実際ひとつの時代の形式の多くは過去の形式の変形によってできるものだ。そうしてはなはだしく新しい形式というものは稀であるから、どうしてもそれを単に独特なもの、〈空想の気まぐれ〉、〈規則を裏書するような例外〉、〈脱線〉、あるいは〈不条理なこと〉としてしまいがちである。

このような考えは、多くの人びとには単なる冗談とか気違いじみたこととしか見えず、またいくぶん好意をもった人には恐らく〈形の実験〉と見えることだろう。

レかし不合理な考えが必ずしも無意味なものとはかぎらない。このような特殊な形式のなかにひとつの時代の創造を決める特質が現われているということ、しかも他の場合にはもっとおだやかな、したがってとくに人目をひくということのないような仕方で時代の創造を決めている特質が、ここでは極端な形にまで押し進められているのだ、ということ、こういうことをわれわれの研究の出発点としなければならない。有名なフランスの建築史家オーギュスト・ショアジーは、このような考えから次のような公式をたてた。すなわち〈ひとつの傾向の特徴が最もよく現われるのはそれが誤用された場合である〉と。そのような誤用の例は、時代によってさまざまである。

◉ここであの〈無意識の層〉が問題にされることとなる。というのは、このような形式がもっている本来の意味は、それをつくりだした人にはわからないものだから。つくった人にその意味をたずねてみても、このような形式をつくりだしたことについて全く違った明らかに不十分な動機が、いいわけのように語られる場合がしばしばあるのだ。

 <診断の芸術は、《根底》を見とおし、その根底に現われ出ている根源的な生命をとらえるところに成立するものだ〉(H・ティーリッケ)。
 
〈正しからざるもの〉の問題とか、時代の〈表現〉と時代の〈徴候〉の区別の問題なども、なお詳しく検討しなければならない問題である。

方法の限界

〈全体とは、歴史的にあるいはまた現在あるものとして、いったいなんであるかということを知ることができるのだとする考え方は根本的に誤っている。このような全体の存在自体が問題なのだ。〉〈とはいえ、知識の展望は、相対的には、単に意味をもっているだけでなく、それはまた自分自身の状況の本当の根底に達するためには、むしろ欠くことのできないものでさえある。〈私自身の世界を知ることは、まず最初に可能なものの広がりを意識のうちでとらえ、次に現存在において正しい計画と現実的な決意をなし、最後に哲学することにおいて人間の現存在の示す暗号を超越的なるものの言語として読みとるように私を導いてくれる、あのもろもろの直観と思想をわがものとするための、ただ一つの道となるのである。〉〈◉状況解明の目標は、特殊な状況における特殊な生成過程を決定的に捕えることだ。〉〈状況の姿は、各人が本質的なものに立ち返えるようにめざめさせられる鞭である。〉
 このような、方法の根本的な限界は、われわれの場合にはもっと狭いものとなるだろう。というのは、ここで追求される診断の基礎をなすのは、〈造形芸術〉の考察だけであって、一九世紀にとってまさに本質的な音楽が、文学や演劇や映画とともに考察の対象からはずされているからである。その代り、方法論のうえからみれば、造形芸術の考察は、それなりに利点をもっているといえる。なぜならば、造形芸術というものは、他の場合には意識されるのが困嫌であるか、回り道でようやく意識されるようになることを可視的にするものだからである。
 診断の可能性と同様に、予後診断の可能性もまた限られたものである。〈予後診断ということは、何ごとかをなす意志のある人間の、思弁的予見である。そこで人間は、不可避的に起こるものを見るのではなく、起こる可能性のあるものを見るのであり、それに照らして自分の方針をたてるのである。〉

テーマの限界
 したがって、このような研究の課題は、芸術史的なものではなく、精神の〈批判〉であり、時代のみじめな状況や偉大な状況を、芸術をもととして診断しようとする試みである。
 それは芸術史的ではない。なぜなら、それは時代の業績よりはむしろ時代が面した危害の方をより多く考慮するものであり、時代の業績についてはきわめて一般的な説明しか与えられていないからである。また、それは芸術史的でもない。なぜなら、それは全体の状況、そのさまざまな姿を大きくとらえようとするものであって、流れのなかにおける一回きりのものをとらえるのではないからであり、具体的な歴史的状況におけるすべての歴史的要素のからみ合いを問題にするよりも、むしろ新しいものを問題にするものだからである。
 それにもかかわらず、私は、これは芸術史学自体に対しても基礎的な成果をもたらすものだと思う。

一九世紀の芸術現象は多種多様であって、それについての記述はやや混乱したものにならざるをえないほどである。ヨーロッパの古い芸術に対して展開されてきた様式の概念も、ここでは役立たない。このようなー見混乱した表面現象が、時代の新しさを規定している強く明晰な根本傾向をおおいかくしているのである。

 

 

第Ⅰ部 徴候

第一章 新しい主導的な課題

〈なぜなら、われわれの課題は、具体的な形を求める生自体にほかならないからである。〉
H・シュラーデ

一般に絵画というものは、特定の課題に対して成り立つのではなく、それ自体で〈自由〉芸術として成り立つのであって、公共の仕事として実施されるものではない。

意識的にしろ、無意識的にしろ、これらは、かつての偉大な宗教建築にとってかわり、中心となろうとするような要求をもって立ち現われるものだから。

古い総合的課題の〈衰え〉

教会堂建築の構想自体ーープロテスタントの国だけにかぎらずーー根本的には〈粗野な〉〈うつろな〉ものとなり、啓蒙的になっているのだ。そこでの宗教的要素は、神聖とか神秘的というのではなく、むしろ単に詩的なものであり、有機的なものではなく、一種の〈衣〉であり、過去の歴史から借りたいわば観念形態の衣にすぎない。


礼拝像として適切なものももはやみられない。宗教的なものが美的になったために、そうした現象が起こったのである。

いわば借りものの〈図像解釈学〉は空虚で無味乾燥だといえる。

風景式庭園

◉だいたい〈自然〉という言葉自体宗教的な色合いをもったものといえる。〈自然〉という概念は、いまや汎神論に解釈され、精神的な宇宙の力の域にまで高められる。自然は人間に対して何か異質なものとして対立するのではなく、人間は自然のなかに〈共感的に〉織りこまれているのである。

完全な自然の絵は、いわゆる〈壮大な〉風景画にのみ写しだされるものだとされる。

風景画の創作は、ある程度神の創造にとって代ることとなり、神の創造の完全さは、画家の心をとおしてはじめて認められるようになるのだ、といわれる。

形式が拡散的であるのに応じて、感情もまた拡散的となるーーこれらはともに、建築的精神にとっては異質なものであり、無気味なものなのだ。

一七六〇年から一八三〇年間、公園はもっと確かな内面的発展を示す芸術であり、精神状態の一貫性を示す芸術だったのである。
 社会的にみれば、この芸術形式は大地主という封建時代の組織からうまれたものである。

根源的なもの、普遍的なものの感覚、つまり宗教的な要素は、人びとの体験から消え去ってゆく。

今日でも、自然ーーたとえば森ーーが最も崇高な形式の教会だという考えが生き残っているのである。

建築的モニュメント

そこでは、連続した面、マッスの力、おごそかな静けさ、永遠不滅の表現が求められているのである。

◉世界創造の崇高な根源的形式、自然の恐ろしさ、自然の〈沈黙〉、人間を小さく感じさせるような自然の近づきがたさ、山や海や極地の氷のもつ永遠性などに立ち返ろうとする。カスパル・ダヴィト・フリードリヒの絵画には、このような傾向が最も純粋に具体化されている。

最も古いもの、最も深いものと、空想的なもの、最も抽象的なものとが、冷ややかに結び合うこととなる。

博物館

博物館は、世界というものに対する最も神聖な課題となるが、世界とはその本質上すでに歴史主義的なものだ。

博物館という課題の力がいかに強いものであるかということは、それが他の課題までも自分流にその色合いを変えてしまうことからもわかる。

〈博物館の後ろにある衝動のなかには、われわれの学問の、死に向けられた側面が現われているのだ……。〉

実用建築と住宅建築

実用建築

いまやいたるところで、〈正しさ〉に対する新しい意志が現われてくる。古典主義は〈虚偽の様式〉とみえるのだ。

〈すでに確かさを感じたとき、状態はあやしくなっているものだ。なぜなら、そのとき人は、あるものを確実に知っているのであり、したがって、すでにあったものが単に再びとり上げられているにすぎないのだし、また再び適用されているにすぎないのだから〉シンケル

博覧会

エッフェル塔は、実際上の目的をもたない最初の鉄骨建築となっている。そうして、このように一つの理念が本来の領域をこえて他の領域へ侵入してゆくという現象は、理念の衰退が始まったことを意味するもので、実際元来の創造をこえることはみられなくなったのである。
やがて住宅建築が全く鉄とガラスの建築へと変わってゆく。

◉博覧会の精神は奇妙に入り混じったいわば雑種の精神で、そこでは、劇場的なもの、装飾的なもの、サーカス的なもの、センセーショナルなものなどが実際的なものと結び合っている。
 この精神が商店の〈飾りつけ〉ーーいわば小規模の博覧会だーーや、新しい力をもった〈ポスター〉や、新しい花火である電光装飾をつくりだすのだ。今日ヨーロッパのほとんどすべての都会で夜間に建築を証明している仕方、美術館て美術作品を照明している仕方、公園で植物を照明している仕方、それらはすべて(博物館の精神ではなく〕〈博覧会〉の精神である。この精神は劇場へ侵入して〈上演〉されたり、〈ショー〉として、また〈レヴュー〉として実現される。

 このような博覧会のうちに、われわれは、まず第一に芸術的なものの新しい代用品、つまり〈見る〉ことや〈センセーション〉や、びっくりさせるものや、それまでになかったものや、新しいもの、そういったものをしゃにむに求めようとする欲求を認めることができよう。

一九〇〇年の万国博とともに博覧会の衰退が始まり、その後は部分的に発展してゆくにすぎない。ポスターは、トウルーズ・ロートレックにおいて一つの芸術的頂点に達したのち、ますます発展し、一方電気の発達は〈イルミネーション〉の芸術の領域をきりひらくこととなる。
 しかしながら、◉博覧会の最も純粋な形式、美的にも実際的にも最も満足すべき形式は、博覧会が国際的なものであることをやめて、地域的なものに限られるようになったときにはじめて現われることとなる。

劇場と博覽会

一九世記半ばの劇場と〈博覧会〉とはーー互いに違ったものにみえるけれどもーー密接に結び合ったものなのだ。

建築と絵画の二つの方向は、その父たちのように〈理想主義的〉であることを拒絶し、〈実証的〉たらんとする。両者はともに最高度に公共的であり、いわば〈声高に〉語りかける。一九世紀のはじめから生き残っている要素も、この二つの力の間で、いわば石臼でひかれるようにひき砕かれてゆく。その最初の五〇年間の静けさは、もはや残っていないといってよい。

機械の家

そうして、鉄とガラスの他に、新しい力をもった新しい材料が登場してくる。

一層味気のない材料、コンクリートと鉄筋コンクリートである。

〈冷たさ〉と〈熱さ〉とじかに混じり合っているところから生まれる独特のコントラスト、合理的な明敏さと混沌とのコントラスト。
 〈モニュメンタルなもの〉を拒絶して、経済性と構法の容易さとを求める。

このようにして、即物性と正確さへの情熱が現われることとなるが、その最も鋭い表現はル・コルビジェの言葉のなかにみいだされる。

ひとつづきの空間を機能に従って区間するという方法が、工場建築から住宅建築へと転用される。

このような仕方は、いわば人間が機械の領域に適合するように自分自身を変えていくことを要求するものだからである。

重要なのは、立体幾何学的なもの、機械的なもの、つまりメカニズムの表現なのだ。

このように、より高い課題から機械の家のようなより低い課題へと均等化が進んでゆく過程の深い意味をとらえるためには、時代が機械という偶像に対してほとんど宗教的といってよいような崇拝とか情熱を抱いているという事実を見逃してはいけない。ル・コルビュジェは、その断章の中で機械の賛歌をうたっている。
 〈近代のシンボルである機械は、世界において精神の改革をなしとげている。われわれは、自分たちが機械を見る最初の世代だということをよく考えておかなければならない。機械はわれわれに対して、正確に切りとられぴかぴかに磨かれたスティールの板や球や円筒の輝きを見せてくれたーーこれは自然が見せてくれたことのない現象だ。機械は全く幾何学だ。幾何学はわれわれの偉大な創造であり、それはわれわれを魅了する。(機械を作る)人間は、完全さという点では神のようにふるまうのだ。〉〈ロボット〉という機械人間のアイデアが現われる時代なのだ。〈人間は機械に向かって進展してゆくのだ〉(U・ボッチオニ)。
 だから、このような信仰をもった人間が、〈正確〉さと〈純粋さ〉に対する新たな熱情に導かれながら、その偶像である機械の家をとおして、建築全体の性格を決めていこうとしていることも、もはや驚くにあたらない。

概観

 一つの時代の主導的な課題が、各段階であらゆる領域にゆきわたっていく過程は、モニュメントの場合に非常に明らかに認められる。
 風景式庭園の段階では、モニュメントは〈林苑〉である。木々によってつくられたモニュメントは、モニュメントの理念の最高の優れた具体化とみなされる。

次の段階では、モニュメント〈自体〉が主な課題となり、その理想は力強い立体幾何学的形態が示す永遠性となる。博物館の段階では、モニュメントもまた博物館的となる。

まず最初に二つの形式の自然崇拝が現われる。

◉永遠に変わりゆくもの、絶えず新たになりゆくものとしての自然と、永遠に静かに持続するものとしての自然である。それは〈季節〉のごとく変わりゆく永遠性と、〈花崗岩〉のごとく持続する永遠性ともいえよう。

◉われわれは、毎日しばしば一つの領域から他の領域へと動いているのであり、それらの領域のどれもがわれわれにとって欠かすことのできないものとなっているのである。これもまなユニークな事態であり、これはまた一つの徴候でもある。そこにはチャンスも危険も含まれているのだ。

 

『中心の喪失ーー危機に立つ近代芸術ーー』ハンス・ゼードルマイヤー/著、石川公一・阿部公正/共訳

 

「自然な」を忘却する「不自然さ」と「現状」という「抽出」

 


第一部 物語

たいてい、認知は無言のうちになされるものだ。また、認知することはけっして、目に映るものをいちいち理解することを意味しはしないーー認知の瞬間においては、理解が関与する必要などありはしないのだ。

「認知=再認(recoglition)」という単語でもっとも重要なのは「再(re-)」という接頭辞であって、その意味するところは、先行するなにものかを思い返すということ、無知から知への移行を可能にするような認識はじつはすでにあり、そこにあらためて思い至ることーーそれが認知という行為なのである。

認知が生じるのは、むしろ、それ自身のうちに留まる潜勢力があらためて勘定に入れられることによってなのである。

〈人間ならざるもの〉の存在が示す差し迫った近接性

かくもダイナミックな地形においては、変幻自在であることそれ自体が、認知の契機=瞬間をかぞえきれぬほど生みだすものだ。 

気候変動の危機はまた、文化の危機であり、したがって想像力の危機でもあるのだ。
 文化は欲望を生む。乗り物や器械への欲望、ある種の庭や住まいへの欲望ーーこれらの欲望は、二酸化炭素を排出する経済活動を推進してきた原動力の主要なもののうちに数えられる。

たんに炭素経済がらみの政治的問題なのではなく、むしろ多くの部分は文化的生産にかかわるわたしたち自身の実践にも関連しており、そういった実践がいかにして文化のより大きな領野の隠蔽と共犯関係にあるのか、と問わざるをえない状況が見えてくる。

自己認識を自画自賛して得意になっているこの時代が、将来的には〈大いなる錯乱〉の時代としてふりかえられることになるというのも、じつにありそうなことではないか。

「自然は飛躍しない」
『時間の矢・時間の環  地質学的時間をめくる神話と隠喩』

真の生命はむしろ例外状況によってあきらかになる

わたしたちは、「垣間見」たり「見とどけ」たり「見わた」したりするよう促されるのだ。

いまとなってはおよそありそうもないことに思えてしまうのだが、フィクションにおいても地質学においても、〈自然〉はおだやかで秩序正しいのが当然であると思いこまれていたのがまさに一九世紀という時代であって、それが新しい「近代的」な世界観の特徴だったのだ。

今日わたしたちが目の当たりにしている天候がらみの奇怪な事象の数々とあの出来事とのあいだにある唯一の共通点は、極端な〈蓋然性の乏しさ〉である。

わたしたちが経験している出来事は、いかに蓋然性が乏しかろうと、シュールてもマジカルでもなく、どうしようもなく差し迫ったものとして驚くほどリアルなのだ。

それにしても、いまだかつて経験したことのないような心の状態にあるこの極度に危険な瞬間において、コミュニケーションをとっている相手とはいったいなにものなのだろう。

◉「恐怖〔不安〕のうちにあって、われわれは、「なんとなく不気味な感じがする」と言う。この「なんとなく」とはなんだろう。感じが「する」とはどういうことか。なにに向き合って不気味な「感じ」がするのか、われわれには言うことができない。〔はっきりと個別に「感じる」のではなく〕あいまいに全体として、そういう感じが「する」としか言いようがないのだ」

その不気味さのまさに核心にあるのは、わたしたちが〔じつは気づいていながら〕目を背けていたものがその遭遇において認知されるという事実である。つまり、人間ならざる対話者が現に存在し、しかも身近にいるということが不気味なのだ。 

わたしたちの家の戸をドンドンたたいている〈不気味なもの〉や〈ありそうにないこと〉が、わたしたちのうちに、ある種の〈認知=再認〉の感覚

ーー人間はけっして単独で存在するものではなく、意志・思惟・意識といった人間固有の能力と思いなしてきた要素を共有するさまざまな種類の存在者につねにとり囲まれて生きている、という気づきを。

わたしたちは、いままでずっと、見たところ生命をもたないモノどもは人間が思考する対象であると思いこんできたけれど、じつはわたしたち人間自身が、ほかのさまざまな存在によって「思考」されていたのではないのか、と。

◉地球温暖化によって引き起こされる諸事象は、わたしたちがみな多かれ少なかれその発生になんらかのかたちで寄与しているという点で、むかしにくらべて人間とより親密な関係をもっていると言える。

自然が人間と乖離したものであるという幻想が生まれたのは、人間が自らを神格化した結果にすぎないのだろうか。人間ならざる行為体がそんな幻想を吹き飛ばしてしまったいまとなっては、わたしたちには突如として新たな課題がつきつけられることとなったーーこの時代の思いもよらない諸存在や諸事象を想像可能にするような、これまでとはことなる方法を見いださなければならないという課題が。

わたしの人生は、自分でそうありたいと願っているのとは裏腹に、理性に導かれているのではなく、むしろ日常の暮らしのなかでつちかった習慣の惰性に支配されているのだ。これこそまさに、人類の圧倒的大多数がおかれている状況であり、それがために、地球温暖化対策として必要なさまざまな変革がわたしたち一人ひとりにゆだねられたときに、ほとんどの人はうまく対応できないのだ。逆に、それまでの習慣をきっぱり捨て去り、ただしく備える意志をもった者は、なにかにとりつかれた偏執狂あつかいをうけ、まさに狂気すれすれの人物とみなされることとなるだろう。

人間存在のよるべなさへの自覚は、あらゆる文化に見いだすことができる。

「場所の感覚」

かなたにある世界との関連性は不可避的に後景に追いやられる

人新世は、近代が内包していた時間秩序を反転させた。人類全体を待ちうける未来が最初に経験されるのは、いまや、周縁にいる人びとによってなのだ。ソローがかって「広大かつ巨大で、非人間的な自然」と呼んだものと、もっとも直接的に向き合っているのは、こういう人びとななだ。

人類学者のエドゥアルド・コーンがその著書『森は考える』において打ちだした考え方によれば、(人間か否かにかかわらず」わたしたちをとりまく諸存在は、「形式」ーーコーンはこの概念に、モノのかたちや視覚的比喩よりもずっと広い意味を担わせているーーによって、わたしたちを通過して〈考える〉ことができるという。

だが、なにに向かってーーと問うてみるとすぐに気づくのは、わたしたちは年がら年中、さまざまな方法で非言語的な型のコミュニケーションに従事しているということだ。

 


第二部 歴史

近代性とは西洋から世界の他地域にひろまった「ウイルス」ではない。それはむしろ、世界のことなる地域でほとんど同時に生じ、さまざまな反復をともなった、「グローバルに連動した現象」だったのだ。

人類にかかわることでほぼつねにあてはまる真実として、ひとが純粋さを求めるのに必死になればなるほど、かえってまぜものや雑種に出くわしてしまうということがある。これは人種について言えるのとおなじく、炭素経済の系譜にもよくあてはまると思う。どちらもさまざまな血統が混ざりに混ざって現在の形態となっているのだ。

つまり、二酸化炭素の排出は、かなり初期からあらゆる側面において権力〔軍事力〕と緊密に結びついていたのだ。このことはただしく認識されているとは言いがたいが、現代の地球温暖化をめぐる政治にまで連綿とつづく主要な問題である。

ひとりあたりの二酸化炭素排出量にかんする公平性についての議論は、ある意味で、失われた時間についての議論なのだ。

ーー炭素経済にかかわるいくつかの主要な技術が〔当時〕世界の指導的な植民地権力であったイングランドで最初に取り入れられたという事実は、気候危機のはじまりを現実に遅らせることになっていたのかもしれないのだ。

ーー世界の貧しい国々は怠惰だったから、あるいは自発性がなかったから貧しいのではないということ、かれらの貧困はそれ自体、炭素経済によって生みだされた不平等の結果であるということ、そしてそれは、貧困国を富と権力のどちらにおいてもつねに確実に不利な状況に留めおくために無慈悲な権力が設けた制度によってもたらされた結果であるということ。
 炭素経済の所産が富を生みだすがために、そして歴史的にグローバル・サウスの貧しい人びとはこの富を奪い取られてきたがために、分配的正義にかんするあらゆる有効な一般原則の観点から、かれらにはより多くその経済の報酬をうけとる権利があることは疑いようがない。しかしそうした議論にくわわることは、まさにわたしたちがどれだけ深く〈この大いなる錯乱〉にはまりこんでいるかを認識することでもあるのだ。

地球温暖化は、ことなる集団の人びとがそれぞれかなりことなったやり方で助長してきたものではあるが、究極的には人類がながい時間をかけて行ってきた活動総体の産物である。これまで生きてきたすべての人間はわたしたちをこの惑星を支配する種にすることに一役買っており、その意味ですべての人間は、過去においても現在においても、目下の気候変動のサイクルに寄与してきたのだ。
 今日の変動する気候にまつわる諸事象は、人類がながい時間をかけて行ってきた活動の総体を表象しているという点で、歴史の終着点の表象ともなっている。

つまりこの時代の気候変動にともなう諸事象は、人類の歴史全体の抽出物なのだ。それらの事象は、わたしたち人類がながい時間をかけて行ってきたことのすべてを物語っているのである。

 


第三部 政治

こうして公共圏は、フィクションと同様に、世俗的な証し立ての場、すなわち〈教会 - としての世界〉において告白する=胸中をうちあける場となった。そのように実践される政治はまずもって自分を表現することの練習=修行である。現代の文化には、そのあらゆる側面においてーーそこにはほぼすべての種類の宗教的原理主義もふくまれるーーこの自己表現中心的な発想が浸透しており、それ自体「かなりの程度、近代世界をかたちづくるうえでプロテスタント的キリスト教が担った強力な役割の結果として生じた」ものなのである。こういった自己表現中心主義の媒体として、ソーシャル・メディアを通じてさまざまな自己表現の手段が瞬時に手に入るインターネット以上にふさわしいものはないだろう。そして、ツイートや書きこみや投稿動画が地球上をかけめぐると、それらの投稿はカウンターというかたちでその鏡像となる表現を生みだし、即座に〔相互〕否定の二重らせんを形成するような力学が作動することとなる。

「スペクタクルはその定義上、人間の活動からも、人間の所業を再検討したり、正したりすることからも逃れ去るものである。それは対話とは正反対のものである。独立した表象のあるところならどこにでも、スペクタクルは自己を再構成するのである」。
 最終的な帰結は、公共圏の行き詰まりである。そこでの実質的な権力行使は、「ディープ・ステイト」として知られるようになった大企業と統治機構が連動する複合体に移譲されたかたちとなっている。

「武装した救命ボート」のシナリオのあらましは、すでにアメリカ合楽国や英国、オーストラリアによるシリアの難民危機にたいする反応のうちにみてとることができる。これらの国々は、その間題を引き起こした原因が部分的には自国にあるにもかかわらず、移民をほとんど受け入れなかったのだ。この戦略を採用することは、近代的国民国家に内在する生政治というミッションの論理的帰結を表現しているのかもしれない。なぜなら、それは他国から漏れ出てきた「到き出しの生」という病原体の侵入という脅威にさらされていると見なされる国境線の守備を強化することにより、もっとも文字通りの意味で「国家という身体」の維持を考える戦略だからだ。
 しかしやっかいなのは、この感染はすでにあらゆる場所で起きているということだ。現在進行形の気候変動や、それが諸国の内部で引き起こす騒擾は、人工的な国境線を固めたからといって遠ざけることはできないのだ。もはや、国家という身体が国境線に囲まれた地域に属する人口によってのみ成り立っているなどと考えることはできない時代になっている。その身体の筋肉は、国境線によって閉じ込めることのできない諸力と絡み合っていることが、いまやあきらかとなっているのだ。

気候変動にたいするグローバルな怠惰は、けっして混乱や否定論ないし計画性の欠如から生じた結果ではない。反対に、現状維持こそが計画なのだ。気候変動はそれ自体、あらゆる種類の地理的軍事的空間にますます軍が介入するアリバイを提供することによって、この計画の実現を助長するものかもしれない。そしてこの計画が西洋諸国の多くで、広範囲だが暗黙の指示をえていることはおおいにありうる。有権者のうちかなりの数の人びとはおそらく、気候変動交渉が世界の富ならびに権力のヒエラルキーにおける自国の地位を変更する効果をもつかもしれないことを理解している。

たとえ資本主義が明日、魔法のように一変したとしても、政治的・軍事的支配が強制する規範は、緩和にむけた動きが進展するのを妨げる重大な障害でありつづけることだろう。

「公正性には政治的に正当な理由がある。ほかのみんなが行動していることがわかれば、人は行動を起こそうという気になるものである。『地球を冷ませ!』

貧しい国々では中流の生活をおくる人びとでさえ、あらゆる種類の不足や不便さに対処することに慣れている。西洋では、富や能率的なインフラに基礎づけられた習慣が、気候の影響がすぐさまシステム全体へのストレスとなりうるほどまでに、苦痛の許容範囲が狭められてしまっているのかもしれない。
 困難な状態へ順応することはそれ自体、とりわけ地球温暖化のもっとも即時的な効果のひとつである酷暑にかんして、ある種の強靭さを生みだす可能性がある。

実際に苦難の矢面に立つのは、グローバル・サウスの中流階級や政治的エリートたちではなく、経済的に困窮していたり社会的に権利をあたえられていなかったりする人びとなのだ。このことは、相互が歩み寄るインセンティヴを減じさせるという点で、気候交渉を効果的に進展させるうえでの歯止めになっている。自分たちの生活を賭しているわけではないという確信は、まちがいなく、西洋の政治的エリートにとってと同様、発展途上国の政治的エリートにとっても重要な判断材料となっている。それゆえ、貧しい国々はどんな犠牲を払ってでも気候変動の衝撃を引きうけることでしか、裕福な国々から大きく護歩を引きだすことはできないと考えるのは、けっして非現実的なことではないのだ。

 こうした思考法は、すでに述べたように、武装した数命ポートの政治の根底にある冷実的な態度と変わるところがない。だが同時に、インドのように貧しい国々にとって、いったいどのような倫理的戦略がありうるのかを判断するのもまた困難だ。ことによると、より多くの人びとが生き残り正義を求める闘争を不確かな未来にまで継続していくためには、貧しい国の人びとは西洋式の繁栄を追求することを放棄しなければならないのだろうか。これはまた、脱植民地化に事実上ふくまれていた「近代化」のプロジェクトを放棄することをも要求するだろう。つまりそれは、植民地主義が生んだ不平等のシステムを据え置くことになるであろう。
 いずれにしても、富がもたらす果実を豊かな人びとが享受しつづけるために貧しい人びとが犠牲を払うということについて、説得力のある主張を展開できる人などはたしているだろうか。そういった主張がまかり通るならば、政治的想像力の支配的な領域がその正当性の根拠としている平等・正義といった理念が、その公言するところの目的とは真逆のものを護るよう仕組まれた奇怪な虚構=創作以外のなにものでもなかったと認めることになるだろう。おそらくそれが理由で、こういった主張はけっして表だってなされることはなく、貧しい国々にたいして「別の道をたどる発展」云々といった婉曲的な表現を用いた勧告をすることでほのめかされるにとどまっているのだろう。

「人は自分だけで成り立っている自由な存在ではない。(中略)人は精神であり意志であると同時に自然でもある」ということを忘れてしまった」と。 

人間の自由には制限がないという考えがわたしたちの時代の芸術の中心にあるかぎり、それは人新世がもっとも頑強に芸術に抵抗する場でもあるのだ。

 

『大いなる錯乱ーー気候変動と〈思考しえぬもの〉』アミタヴ・ゴーシュ?/著、三原芳秋、井沼香保里/訳

 

意味 ≠ 感覚

 

 

序章

無意識とは言語の導入に際して発生するものであり、それが及ぼす影響は言語を話す者自身が言語について知りうることを超えるものである。

 キットラーは、無意識と言語は区別できないものであり、ある主体は言語の習得過程において無意識の秩序に影響されるようになると主張している。

キットラーは、フーコーの『言説の領界』の議論を参照しつつ、言説分析とは、「忘却や消滅、崩壊や浸食」を前提とすることで、「何かを生み出し確かなものとする技術や制度」を問うものであると論じている。

◉人の言葉とは放たれたそばから消えていくものであり、また書き留めてもいずれ忘れ去られるものであるから、ある特定の言葉が重要と見なされ読み継がれるためには記録や保管のための「技術や制度」が必要になる、ということである。

つまり、キットラーの言うテクストを存立させる「技術や制度」とは、ある特定の形式の情報のみを記録しある特定の歴史的状況のみで成立するものなのである。

 

 

第2章 技術的メディアの理論
一九八〇年代前半

技術的メディア

「映画」は「言葉の指示対象」を「目の前におくことで、それを無価値なものにする」のである。

映画はあくまで「私たちの目を欺く幻想」であると主張している。

◉映画は光という物理現象をいったん切断してからつなぐことで記録するものなのである。

映画、蓄音機、タイプライターが歴史上同時期に登場したことで、視覚・聴覚・文字という三つの情報の流れは、互いに分離され、自律したものとなったのである。

つまりキットラーにとっての技術的メディアとは、人間の身体感覚を分離させ自律的に存在させるものなのである。

メディアを理解することは不可能であり続ける。なぜなら、その都度普及している情報技術があらゆる理解を遠隔操作し、そのような幻想を作り出しているからである。しかし、印刷機や電子計算機の青写真や設計図そのものから、身体と呼ばれる未知の像を読み取ることは可能だろう。◉人間についてわかることとは、メディアが記録し伝達するもののみなのだ。情報技術は、技術時代を持続させるため、いわゆる魂をメッセージやコンテンツによって飾り立てることだろう。しかしマクルーハンに従うならば、重要なのはメッセージやコンテンツではなく、メディアの回路、すなわち知覚可能性の図式なのである。

キットラーは、メディアとは「理解」という概念そのものを解体するものであるため、解釈学者が文章の意味を「理解」するようにメディアの持つ意味を「理解」する試みは成立しえないと主張しているのである。

◉キットラーにとってのメディアとは、人間の目や耳の感覚を自律させるものであり、視覚情報や聴覚情報の処理の主体性を人間から剥奪するものである。だからキットラーは人間の「理解」の可能性をメディアが「遠隔操作」していると述べているのである。

◉ニーチェは「言語」をある情報を別のものへとすり替えるものとして捉え、知ではなく臆見を伝えるものであると批判する。

◉〔芸術によって〕内的に刺激された感覚が、夢想の中で「視覚世界」を生み出し、陶酔の中で「聴覚世界」を生み出す。それらは、技術的な意味ではなく生理学的な意味で、現代で言うメディアである。メディアは認識のものさしを超えているので、物質的なものや送受信の状況や記号の出現頻度といったものでしか測ることがでかない。

◉キットラーは、伝統的な美学が制作者や鑑賞者の意識を基盤に置いたことを批判し、芸術的表現の分析に際しニーチェに倣って意識を超えて生じる生理学的現象に着目すべきだと論じているのである。

◉フーコーは、ハイデガーが事物を客体へと変える技術に向けた問いを裏返し、人間を主体へと変える技術に問いを向けた。意味の地平の代わりにアーカイブ、信頼性の代わりに言表の規則、そして意識の経験的な歴史の代わりに規律権力がもたらされる。

◉キットラーにとって「感覚」とは、人間にとって所与のものとして現れるにもかかわらず、人間の「筆記」によっては不完全にしか把握できず、技術の「筆記」において初めて正確に処理できるものなのである。

 

 

第3章 メディアシステムの理論
一九八〇年代後半〜一九九〇年代前半

文字とは異なり技術的メディアは、日常言語のコードに従って機能しない。技術的メディアは、人間の知覚にかかる時間の裏をかき、近代数学のコードによってしか定式化できいないような物理的過程を用いているのである。

技術的メディアの出現によって、人間の思考や身体の介在を必要とするデータ処理のあり方が相対化される

キットラーは人類史において存在した様々なメディアをデータの保存・伝送・処理という観点から比較し、それらの歴史を一つの情報システムの自律的な発展過程として捉えようと試みていた。その過程は次の四段階に分けられる。第一に、手書き文字の時代においては、文字という記号形式を通じてデータの保存・伝送・処理がなされていたが、いずれも人間の手や目といった身体による関与が不可分であった。第二に、印刷文字の時代に入ると、書物というメディアを介して、より複雑かつ体系的なデータ処理が可能となり、それを読み書きする人間こそが情報処理の中核を担うという観念が成立する。第三に、アナログメディアの登場により、文字では処理不可能であった音声や映像といったデータが、人間の処理能力を超える精度と速度で機械的に保存・伝送・処理されるようになる。第四に、デジタルメディアの出現によって、全てのデータが数値化され、その保存・伝送・処理のプロセスは完全に自動化され、人間の関与はもはや不要となる。つまりキットラーの考えるメディア史とは、様々なメディアが人間からデータ処理の主導権を奪い、やがて自律的に作動する一つのシステムへと変化していく過程なのである。

この〔コンピュータの出現という〕絶対的限界において、コミュニケーションシステムの歴史は文字通り完結する。ここで理論的に言って残る最後の問題は、この終結がどのような論理によってもたらされたのかということである。この問題に対するフロイトからマクルーハンに至る古典的な解答は、人間は、冷徹で破壊的な自然に相対する中で、運動機能、感覚機能、さらには知性すらも技術的補綴に譲り渡してしまったというものであった。

コンピュータによって図像が認識されその歪みが自動補正できるようになれば、「カントのいう反省的判断力は自動化される」と述べている。つまり、かつて人間のみが担っていた世界の認識や芸術の意味づけが、コンピュータにも可能となったというのである。もちろん、コンピュータによるデータ処理が人間の思考と等価だと言えるのか、さらにキットラーがそう主張した当時の技術水準からもそう言えるのかには議論の余地がある。だが、そのように問いかけることで、キットラーは一九世紀の哲学における人間中心主義に問いを投げかけているのである。

◉コミュニケーション・メディアとは「最も重要な、あらやるものを引き寄せるような時代区分」をもたらすものであるというルーマンの前提を採るならば、話し言葉から書き言葉への変化は相互行為とコミュニケーションの分離を意味するものであり、書字から技術メディアへの変化はコミュニケーションと情報の分離を意味するものであるということになる。

◉これまで「人間」と捉えられてきたものが、データ処理のための「アドレス(Adresse)」として捉え直されるべきであると主張している。

システム理論の見地からもわかるように、◉人間とは何らかの対象の統一体を指すのではなく、「さらなるコミュニケーションの展開を可能にする」アドレスなのである。

ルーマンは、人間を諸概念を「アドレス」ではなく「作動子」と表現している。

キットラーの「人間」批判の背景には、フーコーの言説分析やラカンの精神分析のみならず、ルーマンのシステム理論もあったと見るべきだろう。

◉「戦後の歴史とは、まず何よりもその知覚の場の変貌の歴史にほかならない」『戦争と映画』

原爆の閃光を「写真の露光」に喩えたヴィリリオの記述を引用し、人間はもはや技術を用いて知覚する主体ではなく、技術に知覚され破壊される客体となったと論じている。

◉戦争の戦略とは、軍事、技術、プロパガンダの面で速度と情報にかかっているものであり、時間の加速、拡張、反転、すなわち《時間軸操作》なしには成り立たない。

◉「メディアとは、いわる人間の感覚を単に拡張するための補綴などではなく、兵器の段階的拡大なのである」とまとめ、戦争におけるメディアの発展によって人間の疎外がもたらされると主張している」。

一九八〇年代前半のキットラーは、映像や音声や文字を機械的に記録する技術的メディアの出現によって、身体感覚が分離・自律したものとなり、人間による情報処理の不完全さが露わになると論じていた。一九九〇年代後半に入ると、キットラーは様々なメディアの歴史をデータ処理システムの自律的な発展過程として捉える。

最終的にコンピュータによる情報の機械的処理が可能になるというのである。彼はこのメディアシステムの進化を、身体感覚の保存・伝送・処理から人間が徐々に排除されていくプロセスであると主張している。さらに彼は、そうしたメディアシステムの発展過程について論じる際、多くのメディアが軍事研究に起源を持っていることを強調する。そうすることで彼はメディアを、本来的に破壊と殺戮のために生み出されたものであり、それゆえに人間から知覚・認識・思考を暴力的に奪する権能を持つものとして捉えているのである。このようにしてキットラーは、文学研究からメディア研究への移行期に発見した「感覚」の主題を、様々なメディアの歴史を踏まえて深めているのである。

◉コンピュータはバイナリ(0と1)という、人間による認識や解釈を必要としない形式的記号を、人間の身体能力では実現不能な速度と正確さで処理することで、人間の知覚や認識や思考を模徴することができる。さらにコンピュータの処理では、文字や音声や映像という、人間による認識や解釈を必要とする情報形式が、数という、人間による認識や解釈が不要な形式へと還元される。これらのことを踏まえらキットラーはコンピュータを人間の主体性や特権性を完全に排除するメディアとして位置づける。

 

 

第4章 コンピュータの理論
一九八〇年代末〜一九九〇年代

◉書字や書物が「文字」を、蓄音機が「音声」を、映画が「映像」を扱うメディアであるとされるように、コンピュータは「数」を司るメディアとして位置づけられるのである。

◉コミュニケーションを「意味」と「物質性」に分けて捉えるあり方が近代に固有のものであり、現代では「物質性」を必要としないコミュニケーションがありふれたものになったというのである。キットラーはこの箇所に続けて、エントロピー、SN比、フーリエ変換、線形予測符号化といった現代の信号処理の基礎となる数学的・工学的理論を取り上げ、「意味」と「物質性」として区別され議論されてきたものが、デジタルメディアにおいては「シグナル」と「ノイズ」の比として、すなわち「一貫して操作可能な変数」として扱われると論じている。要するに、◉現代のコンピュータやネットワーク上でやり取りされる情報とはコンピュータによって数的に処理されるものに他ならず、コンピュータとそのネットワークの物質的特性もまたコンピュータによって数的に測定され制御されているというのである。

「メディアの物質性を構成するものは何か」という問いに対する答えは、あらゆる記憶というものの根底に「有限個数のスイッチング状態」があるということだ、と述べている。

キットラーにとって、現代のデジタルメディア環境における「物質性」について論じることとは、他ならぬコンピュータのマイクロチップ内の計算処理について論じることなのである。

◉彼は、人間とコンピュータの関係性を「象徴」という観点から捉えるよう訴え、コンピュータを人間の身体や意識の「拡張」や人間の知的活動を支える「道具」として捉えることを批判している。つまり彼は、コンピュータの原理的性質に遡ることで、メディア理論に伏在する人間中心主義や道具主義の批判を図っているのである。

◉OSを含むソフトウェア設計は、「社会の外」や「文化の外」にある「純粋に技術的な」問題ではなく、あらゆるコンピュータユーザーに影響を与える政治的問題だという主張が共有された。

◉「人間、プログラム、プロセッサが共に文化を形成する高度な技術的条件下では、社会的なものへのこだわり自体が、ハードウェア開発を妨げる最も官僚的な足かせの一つとなりうる」


第5章 ヨーロッパ文化史の理論
二〇〇〇年代

◉キットラーの眼目は、文化史における未知の事柄の発見というよりも、既知の事柄の整理に基づいた理論の提示にあったと捉えるべきだろう。

◉記号の歴史を「再帰」として捉えるということは、記号を自然現象と同様のものと見なすことを意味し、さらに言えば、人間の知覚や思考から自律したものだと主張しているのである。

◉「現存在は、それがそうある限り消えるものであるが、記録されることで初めて永遠性を得る」のである。

◉キットラーは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの思想の中に、具体的・物質的なものを低次のものと見なし、抽象的・観念的なものを高次のものと見なす傾向が一貫していると主張している。
 まず、キットラーは、ソクラテスの思想が男性同士の精神的な親愛に基づいており、男女の肉体的快楽に根ざした性愛を批判するものであったことに着目している。

キットラーはプラトンを、ソクラテスの肉体的・物質的快楽の批判を引き継ぎ、観念的なものを存在の本質と見なす思想を築き上げた人物として捉えている。ここでキットラーが言っているのは有名なイデア論のことである。プラトンは様々な事物の存在とは「イデア」という観念的実体キットラーの言葉で言えば、「概念的であり、かつ永遠に存在し続けるもの」であり、「超感覚的な実体として、宙に浮いているもの」ーーから生じるものであると論じていた。つまりプラトンにとっては、人間が感覚的に把握している具体的な事物はイデアから分有された仮象のようなものにすぎず、それを可能にしている「イデア」という永遠不変の抽象的実体こそが本質だということになる。

最後にキットラーはアリストテレスについて、プラトンを批判した人物として評価しつつ、結局具体的・物質的なものよりも抽象的・観念的なものを重視した思想家として理解している。キットラーは、プラトンが事物の存在の本質を不可知の観念的実体に求めたのに対し、アリストテレスは事物の存在の本質を目の前にある事物のあり方に求めたと捉えている。ここで彼が言っているのは、有名な質料形相論のことである。アリストテレスは様々な事物はその材料や原料となる質料とその事物をそれたらしめる形相が結びつけられることで現れるものであると捉えていた。

キットラーの見立てによると、アリストテレスはこの「形相」という概念を「形」という概念と互換的に用い、目に見るものであるが耳で聞くものではないと捉えた。つまりアリストテレスの言う「形相」とは、ピタゴラス学派の論じた数的関係ではないというのであるーー実際、アリストテレスはエウリュトスを批判しつつ「数とは形相ではなく、また、形の原因でもないことは明らかだ」と論じていた。これらを踏まえキットラーは、アリストテレスが「ある事物のみ、その形相と質料のみを扱い、時間・空間における事物同士の関係性を扱わなかった」と批判している。

キットラーは、人間の記憶を真に外部化し記録可能にしたのは古代キリシャのアルファベットであるはずなのだが、プラトンの描くソクラテスはそのような具体的・実際的な書宇の歴史を無視しているというのである。
 このような具体的・実際的なものを無視する態度が、プラトンの「数」や「音」の理解にも反映されているとキットラーは考えている。

アリストテレスは、文字を言語の最小単位として位置づけ、文字の組み合わせが音節であり、音節の組み合わせが言葉であるという関係性があると主張した。キットラーによると、この議論は質料形相論が前提になっている。例えば、文字はそれ単体では質料でしかないがそれらがある形相を与えられることで音節となり、音節もそれ単体では質料でしかないがそれらがある形相を与えられることで言葉となるという階層関係が想定されているのである。さらにアリストテレスは、この階層構造の頂点にくる何らかの意味を表す言葉を、動物の鳴き声と比したときに人間の音声言語のみが有する性質であると捉え、人間を「ロゴスを持つ動物」と呼んでいた。だがキットラーは、このアリストテレスの議論では音声と文字の違いが無視され、「言薬」という抽象的な観念に還元されているとして批判している。そしてその結果アリストテレスは、文字を音声言語を表現するものとしか考えず、数や音階を表すものでもあったことを無視してしまったという。

以上のようにキットラーは、ソクラテスとプラトンとアリストテレスが具体的・物質的なものよりも抽象的・観念的なものを重視したために、文字や音や数の具体的性質を無視しそれらを「イデア」や「形相」や「言葉」へと還元してしまったと捉えている。

◉私たちは何かを見たり聞いたりすることで、その何かとの間に「距離=隔たりを取り去る」という感覚を抱いている。しかしこのとき、私たちは逆に最も近くにあるものほど、遠く(環境)に追いやってしまう傾向がある。

◉キットラーは、マクルーハンを揶揄しつつ、ここで遠ざけられてしまうものこそ「メディア」であると論じる。

◉つまり!ここがハイデガーとキットラーとヴィリリオの議論が交差する点なのだがーー近代以降に発達したマスメディアによる「加速」と「距離」の消失が、存在のあり方に変化をもたらすというのである。

◉文化技術とは、思考を感覚化・外部化して操作可能なものにすることで知性の働きを高めるものである。認識は、個人の心の中にある目には見えないものにとどまるものではない。知識や精神は、事物や人為的に作られた記号や技術によって、人間にとって明白に扱うことのできる現象となり、流布され、集合的なものになる。

つまり◉文化技術とは、抽象的ですぐ消えてしまう知覚や思考を、物や記号を用いて実体化し、その操作を通じて複雑な文化を可能にするものだというのである。例えば、『音楽と数学』で挙げられていた例を借りれば、数字が現れ複雑な計算が記録できるようになったからこそ数学が発展し、弦楽器の弦長によって音程が視覚化されたからこそ音楽理論が発達した。つまり文化技術は、芸術や学問やそれを表すための用語や概念に先立って存在し、それらの文化を成立させる前提となってきたものなのである。ただしこの議論は、何らかの技術や物質が文化を決定しているとするような、素朴な技術決定論ではない。ドイツ語圏の文化研究・メディア論は、従来の文化研究で比較的注目されてこなかった技術や技法を重視するという意味で、「モノ(thing)」や「物質性(materialicy)」に注目していると特徴づけられることが多い。しかし「文化技術」とは、楽譜や記号といった個別の技術・技法のみならず、それを利用し意味づける人々の実践を含む概念である。ベルンハルト・ジーゲルトの言葉を借りれば、◉文化技術とは「技術的なオブジェクトだけではなく、その一部となりそれらを設定ないし構成する操作の連鎖」を含むものであり、人やモノや観念が複雑に結びついた「アクター・ネットワーク」なのである。
文化技術に注目することで、文化史研究をどのように更新することができるだろうか。①まず、絵を描くことや計算することや音を出すことのように、非言語的な要素の重要性が強調されることになる。

◉「テクスト」や「作品」と見なされる特定な芸術文化のみならず、私たちの日常生活を含むより広い文脈に関わるものである。例えば、絵を描くことは、芸術だけでなく、宗教的な祭事や科学的な知の生産等でも重要な役割を担ってきた。したがって、文化技術に照準を当てることで、芸術や宗教や科学等の領域を越えて、「物や記号、装置や機械を扱う生活実践の中で流動するもの」として文化を捉え直すことができるのである。

 

 

終章

フリードリヒ・キットラーに抗うために

キットラーの理論の発展過程を振り返ると、研究対象を拡大させながら、この「筆記」の主題が深められていったことがわかる。

そして記号の発展過程は、人間の理性や精神の活動によってもたらされたものではなく、人間の身体的・本能的快楽への欲求の反復によってもたらされたものであると論じる。

つまり彼は、文学的作品や思想家の著作や歴史的資料を、それぞれ異なる意味や意義を持つものとして扱うのではなく、全て「書かれたもの」という等価物と見なしているのである。

彼は、視覚や聴覚のような身体感覚を、人間にとって所与のものでありながら、目や耳等の感覚器官では完全に把捉しえないものであり、記憶によっても永続的に保持できないものと見なしている。

◉視覚や聴覚といった感覚情報を低次のもの、文字を介した思考を高次のものと見なす伝統が受け継がれてきた。キットラーはこれを逆転させ、視覚や聴覚等の感覚情報こそが絶対的所与であり、人間の思考はそれを不完全にしか把捉できないと論じている。このようにキットラーは、人間の身体感覚を思考の限界として位置づけ、それらは技術的メディアによって初めて処理可能となると主張している。

◉記号の意味〔Sinn〕とは、意味〔Sinn〕を生み出すことではない。記号とは、何かを定義するという欲求の中にとどめられるようなものではなく、私たちの感覚〔Sinne〕を鋭敏にするものなのである。メディアの意味〔Sinn〕も、意味〔Sinn〕を伝達することではない。メディアの意味とは、意味を伝えるものではない。美しきいまという時のうちに消えてしまうような何かを、感覚〔Sinne〕において別様の仕方で伝えるものなのである。

人間は、常に既に何かを見たり聞いたりしているのだが、それはそのままでは常に不完全な形でしか現れず、かつすぐに消えて忘れ去られてしまうものである。そのような感覚は、例えばアルファベットや音符のような記号によって初めて分節され、文字や音響技術や映像技術やコンピュータといったメディアによって別の形式に変換され、記録され、伝達可能となる。◉記号やメディアが媒介するのは身体に与えられる「感覚(Sinne)」なのであり、思考や解釈によってもたらされる「意味(Sinn)」ではない。


◉つまり、キットラーは身体感覚を人間の思考の限界として位置づけていたわけだが、このことはキットラーの議論それ自体の眼界でもある。ここまで述べたように、キットラーの議論の前提には、人間は視覚や聴覚を完全な形で把捉することができず、技術やメディアによって初めて対象化できるようになるという与件がある。

キットラーは自身のテクストの中で自身の理論的前提の明示を避けていたのだが、これもこのための戦略だったと言えるだろう。つまり彼は読者に対して、自分の論じた研究対象を理論化・抽象化しないように働きかけ、それらの具体的で事実的な水準に定位するように誘っているのである。

「メディアは私たちの状況を決定している」

メディア研究が論じるメディア実験の多様性の否定は彼の本意ではなかったはずで、むしろそのような多様性の解明こそが人間中心主義の相対化に資することもありうるだろう。したがって、そのような実証的記述の成果とキットラーの理論的目標の軽合性はより慎重に検討すべきである。

「どんなメディアでもその「内容」はつねに別のメディアである」
マーシャル・マクルーハン

◉彼は、IT産業による利益独占のための知識や技術の囲い込みを批判し、ユーザーによる自由な実践を保護し促進すべきだと論じていた。そしてそのような産業構造を批判するためには、ハードウェアの仕組みを精査しなければならないと主張していた。キットラーが懸念していたIT産業の権力性は、現代の情報環境においてより複雑で、より強力なものとなっている。現在のコンピュータの処理は当時とは比較にならないほど複雑化し、チップの中で起きていることはユーザーには理解できないものとなっている。


『フリードリヒ・キットラーの理論 筆記、感覚、数』梅田拓也/著より抜粋し引用。

 

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