通り抜けるためのスペース | 小動物とエクリ

通り抜けるためのスペース

 

 

それぞれが自分のなかにひきこもり、ほかの者たちすべての運命にたいして他人であるかのように振る舞う。彼にとっては自分の子供と良き友人たちだけが人類のすべてなのである。

彼は自分自身のなかにだけ、また自分自身のためにだけ存在するのだ。

ーートクヴィル

第一部 公共性の問題

第一章 公的領域

現代はしばしば、ローマ帝国が衰退の道をたどった時期にたとえられる。

ローマ人の公的生活が血の気のないものになるしたがい、彼らは私生活において、みずからの感情のエネルギーのための新たな焦点、献身と信念の新たな原則をさがし求めた。

この献身は近東のさまざまな宗派に向けられ、そのなかでキリスト教が徐々に支配的なものになった。ついにはキリスト教は密かにおこなわれる霊的な献身ではなくなって、それ自体が公的な秩序の新たな原則となったのである。
 今日、公的な生活はやはり形式的な義務の問題となっている。

われわれが求めるのは、原理ではなくて内省であり、自分の心はどうなのか、自分の感情で真正なものは何かの想いなのである。

私的生活の心理に関する現代のもろもろの考えは混乱している。

各々の自我が、本人の最大の重荷になっている。自分を知ることは世界を知る手段ではなく、目的になってしまっている。そして、かくも自分にとらわれているがゆえに、われわれは私的な原理に到達したり、自らの個性がいかなるものか自分や他人に明確に説明したりすることがきわめて困難なのである。

人々は、非個人的な意味のコードによってのみ適切に扱える公的な事柄を、個人的な感情によって処理しようとしているのである。

表現とは何かに関する何らかの理論なしに公的生活における表現の空虚さについて語るのは難しい。

 

 

公的領域外の愛

公の世界は、親密な感情の世界に代わって、人々が自分を注ぎこむことができる、いま一つの対抗する世界なのだ。

ナルシズムとは、「この人物、あの出来事が、私にとって何を意味するか」という強迫観念なのだ。

ナルシズムは、かくして、自己の要求へのあくなき熱中と、その要求の充足の妨害という二重の性質をもつのである。

自己をとりまく境界は自己を孤立させるものではなく、じっさいに他人とのコミュニケーションを促進しうるものである。

常識として、善人が悪い行いをすることをわれわれは承知しているが、この真正さを問題にする考えは、われわれが常識を用いるのを難しくするものだ。

われわれの性衝動は解放されたとはいえ、われわれはピューリタンの世界を規定した自己正当化の範囲内でとどまっている。

ナルシズム的感情は、しばしば私は十分に善良であろうとか、私は十分能力があるだろうとか、その種の取り憑かれたような疑問に集中するものである。社会がこうした感情を動員し、行為のもつ客観的な性質を縮小して行為者の感情の主観的状態の重要さを膨れ上がらせるとき、行為の自己正当化についてのこうした疑問は、「象徴的行為」を経由して、系統的に表面に出てくることになる。いまや公的な関心と私的な関心との間でなされる取捨選択は、自己の正当性についてのこうした取り憑かれたような疑問を動員することで、プロテスタンティズムの倫理のもつもっとも腐食性のつよい要素をふたたび目覚めさせてしまったのである、しかももはや信心深くもなく、また物質的な富が道徳的な資本の一形態であると確信することもない文化において。

さらに誤解を招くのは、それらが治療的な解決を示唆して、人々をこの自己投入から覚まさせればよいとしていることであるーーまるで、人々の社会的意志をむしばんで、欲望を変えてしまった環境が、個人が変わればにわかに両腕を拡げて歓迎するとでもいうかのようである。

 

 

死んだ公的空間

公的領域が空虚なものとして捨て去られるのに比例して、個人的なヴィジョンが産みだされるようになる。

ミニチュアの公共広場の復活が形の上では宣言されていながら、機能は人々と多様な活動を混ぜあわせる公共広場の性質を壊しているのである。

公共の空間は通り抜けるためのスペースであって、そこに居るところではない。

「垂直な全体に対する交通フロー支援ネクサス」なのである。翻訳すると、公共の空間は動きの派生物になったというのがその意味である。

みんながお互いを監視しあっていれば、社交は減り、沈黙が唯一の防御の形態になる。

人々は間に何かはっきりわかる障壁があればあるほどますます社交的になるのであり、それはちょうど、人々を集めることだけを唯一の目的とする特別の公共の場所を人々が必要とするのと同じことである。

ーー人間は社交的になるためには他人から親しく観察されることからある距離を必要とする。親密な接触を増せば、社交性は減る。ここに官僚的な能率の一つの形の論理がある。

性的な拘束から自らを解放したのも、内へと向かったのも第二次世界大戦後に生まれた世代である。公的な領域の物理的な破壊の大半がおこったのもこの同じ世代においてなのだ。

それらは旧制度の崩壊と、新しい資本主義の世俗的、都市的文化の形成とともにはじまったひとつの変化が生みだしたものなのである。


公的領域における変化

人は公の場で自分を作るのであり、私の領域、なかんずく家庭内の経験において自分の自然の姿を実現するのである。

公と私はいっしょになって、今日なら社会関係の「世界」と呼ばれるであろうようなものを創造したのだった。

公的生活の変容は、ちょうどとりわけ強権な運動選手が、見たところ力の衰えもなく若い時期を越えて生き残り、それから突然、絶えず内側から肉体を蝕んでいた衰えを明らかにして、急に駄目になるのに似ている。

都市のパブリックな文化に対する産業資本主義の二重の関係は、第一に資本主義が十九世紀のブルジョワ社会に誘発した私生活中心の圧力にあった。そして第二に、大量生産と大量流通によって引き起こされた、パブリックな場における物質生活、とりわけ衣服に関しての「神秘化」にあった。

公的秩序を支配し、形成しようという意志が徐々にむしばまれ、人々はそれから自分を保護することにますます力点においた。家族はこうした盾の一つになった。

家族関係を基準に用いて、人々は公的領域を啓蒙思潮におけるようにある限られた一組の社会関係として知覚するのではなく、むしろ公的生活を道徳的に劣ったものと見たのである。

世俗的なものの見方は十八世紀から十九世紀にかけて徹底的に変わった。「ものごとと人々」は、十八世紀には〈自然〉の秩序の内に場所を割り当てられることが可能だったときに理解できた。この〈自然〉の秩序は物理的な、触れることのできるものではなく、また世間的なものごとによって要約されることは決してなかった。

したがって〈自然〉の秩序とは、超越的なものとして世俗的なものをみる考え方だったのである。

事実は体系よりも信じることができたーーというよりも、論理的に配列された事実が体系となった。現象が場所を得てはいたが〈自然〉が現象を超越していた十八世紀の〈自然〉の秩序はこうして覆された。

ある人が作っている外見は、具体的な確かなものであるがゆえに、どれも何かしらの点で真実なのである。

区別することは、何であれ間違いになりうるからだ。

もし見知らぬ人たちに自分を曝すことをしないならば、人格的な力は発達しないかもしれないーーあまりにも無邪気だったりするかもしれないのである。

前世紀にあっては、公的な経験は人格の形成につながるようになった。

私生活中心化、商品の物神崇拝、あるいは世俗主義といった、見たところ抽象的な諸力は、われわれの生活にどのような点で関係しているのだろうか?

 

 

現在のなかの過去

今日、人々は日常の言葉のなかで、何事かを「無意識に」するとか、本当の気持ちをほかの誰かに明らかにすることになる「無意識の」間違いをするとか述べる。

それが明らかにしているのは、感情は意志とは無関係に露呈することの信念であり、その信念は公的生活と私的生活の重みのかけかたがバランスを失うようになるにつれて前世紀に形づくられたものである。

より広いレベルでは、ヴィクトリア朝時代の最盛期に人々は衣服や話し方が個性を露見させると信じた。

他人には意図しない話し方の癖や、身振りや、さらには身の振り方などで明らかになっつしまうと恐れたのである。
 結果は、私的な感情とその公的な表現の境界線が消えて、統制する意志の力がおよばないことにもなった。公と私の境界線はもはや決然とした人間の手による仕事ではなくなった。

今日「無意識の」振舞いと間違った名前がついているものは、こうした公の場での意志とは無関係の性格の露見という考え方に原形があるのである。

すでに言及したことだが、公の場で売られている物には心理的イメージが重ね合わされた。

公的な人物が他人に自分の感じるものを提示する、こうした彼の感情の表示こそが信頼を呼び起こすのである。 

もし人が自分が感じることを表さざるをえず、かつ公の場でのいかなる感情、言明、議論の真実も話している人の性格によるものだとするならば、いったい人々はどうして見抜かれるのを避けることができようか。唯一の確かな防衛は、感じないようにすること、表すべき感情をまったく持たないようにすることである。

公的な行動とは観察、受動的な参加、ある種ののぞき行為の問題となった。「目の美食学」とバルザックはそれを呼んだ。

知識はもはや社会的な交際によって生みだされるものではなくなったのである。

近代の公的生活のじつに多くにつきまとっている可視性と孤立のパラドックスは、前世紀に形を成した公の場における沈黙への権利にはじまった。他人にとっての可能性のさなかにおける孤立とは、この混沌としてはいるがいぜん人を引きつける領域にあえて踏み込んでいくときに、あくまで黙している権利を主張することの論理的帰結であった。

親密さは、公的な問題を公的なものの存在を否認することで解決しようという試みなのだ。どのような否認とも同じく、これは過去のより破壊的な面をいっそう堅固に固めてしまっただけであった。十九世紀はまだ終わってはいない。


第二章 役割

例えば、常識からすると、社交の中心としての都市の通りや広場が郊外のリビングルームにとってかわられたことには、自己の問題にますます没入していくことと何か関係がありそうである。が、そのような関連の正確な意味は何であろうか、またそれから派生する問題は何であろうか?

その問題とは、人間が表現をおこなう社会的条件のことである。

こうした質問は、今日では〈芸術〉というきわめて特別な保護区域に孤立しているように見えるエネルギーを、いったいいかなるときに人間は自然に、大騒ぎすることなく、求めるのかを問うことなのである。

しかし、私への執着が侵食している芸術とは何なのであろうか?
 方法の問題と発育不全な表現の間には関係がある。自己没入の内に浪費されている技巧性は演技の技巧性である。演技は成功するためには見知らぬ人たちからなる観衆を必要とするが、親しい人たちの間では演技は無意味なもの、さらには破壊的なものですらある。作法、しきたり、儀式の身振りといった形をとった演技は、公的な関係が形づくられる材料そのものであり、そこから公的な関係は感情的な意味を引き出している。社会的条件が公共の広場を侵食すればするほど、人々はますます演技の能力の行使を日常的に抑制されることになる。

このような演技の形態は「役割」である。したがって、近代文化における公と私の推移を理解する一つの方法は、こうした公的な「役割」の歴史的変化を調べることであろう。

つまり人々が自分自身の感情を表現することにかかわるとき、人々はあまり表現をしていない、ということにある。

『誠実さと真生さ』のなかで、トリリングは自己表出が表現の行為とならない条件を示そうとした。

誠実とは、トリリングによれば私において感じられたことの公の場での表出であり、真正とは、感じようとする自らの試みの別の人間への直接的な表出である。真正というあり方は公と私の区別を消してしまう。人間らしさは他人を傷つけるような感情を慎むことに本来あるのかもしれないということ、偽装や自己抑制は道徳を表現しているかもしれないということーー真正の庇護のもとではこうした考えは何を意味することもなくなってしまう。かわって、自己開示が信憑性と真実の普遍的な尺度になるが、他人に自分を明かすことで何が開示されるというのだろうか?

ある人が感じられたものの客観的な内容よりも純粋に感じることに心を集中すればするほど、ますます主観性それ自体が目的となり、ますます表現は希薄になるのかもしれない。自己に没頭した状態のもとでは、自分の束の間の開示は不定形なものになる。

『孤独な群衆』におけるリースマンの議論はそれに対立する極に向かってはいる。

実のところ、空虚な公的領域と果たせない過重な仕事を負わせられた親密な領域の間の不均衡を無意識に強化していたのだった。

というのも実際にあったのは彼の指摘とは逆の動き、というのは彼の指摘とは逆の動き、つまり他人指向型の社会から内部指向型の社会への動きだったからである。リースマンの功績はこの一般的で多岐にわたる問題に社会心理学のことばを生みだしたことだった。

公衆は自分と同様の他人からなっているので、公的な事柄は官僚と国の職員の手に委ねることができ、彼らが共通の(つまり平等な)利益に気を配るのである。生活の魅力ある問題はそこでますます心理的な性質のものとなるーー市民たちは国家を信用して、親しい領分の外側で起こっていることへの関心を失ってしまうからである。その結果はどうであろうか?

自我の満足はますます難しくなるだろう。なぜなら、トクヴィルの議論によれば、いかなる感情的な関係にしても意味あるものになれるのは、それが個人主義の「孤独な表現を閉ざした道」ではなく、むしろ社会的関係の綱の一部として認められるときに限られるからである。

トリリングの著作にも、またリースマンの著作にも、平等が親密なヴィジョンの「原因となる」という考えはない。

 

 

役割

役割には特別な種類の信念がふくまれている。このことはそのような信念を二つの同系の言葉、「イデオロギー」と「価値」から区別することでわかるかもしれない。

人間の行動と人間の道徳には何か区別があり、科学者は前者のみを扱うものだと考える傾向があるということなのだろう。

それはまさに公と私の比重の変化に関係しており、現代の指導的な役割分析家、アーヴィング・ゴフマンの著作にありありと表れている。

ここにあるのは場面があっても筋のない社会の姿である。そしてこの社会学には筋がない、歴史がないがゆえに、劇場では意味をもつ登場人物なるものがそこにはいない、というのも彼らの行為は人々の生活に何の変化も起こさないからである。あるのはただ終わりのない適応なのだ。人々は行動するが、経験をもつことはないのである。

ーーそれはすなわち感情を呼び起こすような社会的関係を想像しえないことであり、人々がただ撤退、「調停」、「宥和」によってのみ行動し、また自分の行動を管理する公的生活しか想像できないことである。


公的な役割

役割演技の条件が変わり、それがますます表現の問題でなくなり、ますます他のものの中立化と宥和の問題になったのは、どうして起こったことだろうか?

公的な生活と親密な生活との不均衡が大きくなるにつれて、人々はますます表現を希薄にしていった。心理的な真正さを強調することで、人々は俳優のもつ基本的な創造の力、自己の外側のイメージによって演じ、それに感情を没入する能力を開発できないために、日々の生活で人々は非芸術的になった。そこでわれわれは、演劇的であることと親密さとの間には特別の敵対的な関係があるとの仮説に到達する。演劇的であることは、強力な公的生活にたいしても同等に、特別な親しい関係をもっているのである。

どちらの領域でも、表現は比較的見知らね人たちからなる環境のなかで起こる。強力な公的生活をもつ社会にあっては、舞台と街の領域の間に類似性があってしかるべきだろう。

公的生活が衰えるにつれて、こうした類似性も減退するはずである。舞台と街のこの関係を研究するための必然的な場は大都市である。群衆のなかの見知らぬ人たちの生活がもっともはっきりと見え、見知らぬ人たち同志の交渉が特別の重要性をもつようになるのはこの環境においてである。

メディアとは、表現の目的をもついかなる試みもさらに中立的、機能的なコミュニケーションの観念にとってかわられてしまった、民衆芸術の定式化なのである。「メディアはメッセージである」とは、表現そのものがメッセージの流れに還元されるときにのみ意味をもつ金言なのだ。

したがって、舞台芸術と社会的関係を結びつけるに当たっては、真剣で、本物の、純粋な芸術は、一般的な社会条件を理解するのに役立つことができるという考えを、率直に快く受け入れなければならない。

 

 

都市における公的な役割

劇場は社会一般とではなく、ある特定の種類の社会ーー大都市ーーと問題を共有している。その問題とは観客の問題でありーーとりわけ、見知らね人たちの環境のなかで、自分の外見への信頼をどうして呼び起こすかの問題である。

都市とは何かについてのさまざまな考え方は、たぶん都市の数と同じくらい多いことだろう。

もっとも単純なものは、都市とは見知らぬ人たちが出会いそうな居城地、というものだ。この定義が正しいものであるためには、その居城地には異質な大勢の住民がいなければならない。

見知らぬ人たちが触れ合って生活するこの環境には、俳優が劇場で向き合う観客の問題に類似した観客の問題があるのである。

劇場ではわれわれは俳優にたいして自分たちが見知らぬ人たちであるかのように振る舞うのであり、そこで俳優のほうは役を信じさせるようにしなければならない。

舞台と街の橋渡しが、観客の問題に応えて生じるときに、公的な地理が生まれる。なぜなら、その時、未知の人たちと想像上の人物の双方の現実性を、単一の領域におけるかごとく信じることが可能だからである。

人は芸術の領域で前者から学べることを、非個人的な社会生活という特別の領域で後者から学ぶ、あるいはそれに応用することができるだろう。したがって、まさに本当の意味で、芸術は人生の教師になりえよう。人の意識の想像力の限界が拡げられたのである。ちょうど、他人をかついだり、それらしくよそおったりといったことが道徳的に本当ではないように見える時代には、こうした限界が狭められるように。

何が真実であり、それゆえに信じられるかを判断する想像力は、自己がいつも日常的に感じているものによって確認する必要に縛られていないからである。

公的なものが崩壊するにつれて、記号はいっそう主観的になるのである。
 劇場を社会に関係づけるこれら四つの論理的構造は不規則動詞のようなものだ。ひとたび活用を覚えてしまえば使うことができるのである。

公的な領域がますます曖昧になるにつれて、社会が人間の表現能力をどのように理解するかを示す条件は提示から表示へと移ったのだった。

 

 

証明か、もっともらしさか?

経験的な社会研究において「証明」という語は不幸な意味をもつようになったーー一定の調査の過程をへて提出された説明以外はいかなる説明もふさわしくない、ということである。

排除による真実の尺度では、新しい証拠の発見によって生じた矛盾は、もとの議論の無効を意味するはずのものなのだ。なぜなら、同じ主題についての二つの対立する解釈がどうして等しく正しいことがありえようか?証拠を検討しつくすことで排除することに基礎をおくこの経験主義は、私の考えでは知的誠実についてのいかなる本物の考えにも反するものだ。◉われわれが知的誠実に到達するのは、まさしく矛盾の真実性を認め、不変の陳述にいたろうとする望みをいっさい避けることによってである。証拠を検討しつくすという規範は実際問題として奇妙なものである。それは焦点をますます小さくすることにならざるをえないようであり、そこでわれわれがらある主題について「知る」ことが多ければ多いほと、ますます多くの細部を知ることになる。知性の麻痺がこの形式の証明の必然的な産物である。なぜならそれはすべての事実がーーいつかーー手に入るまでは、一切の判断を下さないように求めているのである。

質的な研究の研究者はもっともらしさという重荷を自分に課しているのだ。

経験的なもっともらしさとは、具体的に記述できる現象間の論理的な結びつきを示すことの問題なのだ。


『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦、高階悟訳/訳より抜粋し、引用。