「見る」というテーマ -『リア王』
シェイクスピア劇の中には、「扮装」する人々によって演じられるシーンが少なからずある。
権力者に追放された人物が、遠くへ行かずに身をやつし偽名をつかって領地内をうろうろする。
そのような変装の企ては、観客にはバレバレ。
それなのに、登場人物たちはというと変装を見抜いてはおらず、すっかり騙されている。彼らの目は節穴のよう。可笑しくなる。
登場人物の扮装はこのように、その一部始終を知る観客を扮装の<共犯>に仕立て上げる効果をもつ。そして観客は全知の視点から熱い好奇心を抱いて芝居を見守ることになる。ただたんにものごとを直視するのではなく、まるで源氏が垣間見するときのような、見えにくいものを特別に見ているという気持ちになるに違いない。
演劇は「見られる」ものであり「見る」もの。
ある種の目くらましである扮装は、演劇のすれすれのラインに触れる遊戯的な演出であると言えよう。
俳優がなにか別の身分に変装することによって「見られるべき」ものと「見られている」ものとに引き離され、そこに悲劇や喜劇が生み出される。
『リア王』のケントもそのひとりである。
ゴネリルとリーガンに騙されて彼女らを優遇し、偽りの美辞麗句を並べることのできなかったコーディリアを冷遇したリアに苦言を呈したケントは、追放の憂き目に遭うのだが、彼はその際「もっとよく見よ」とリアに大事な忠告をする。
シェイクスピア『リア王』1幕1場(野島秀勝訳、岩波文庫、2000年、25頁)
ケント ― 末の姫君の親おもう情愛は末のものではござらぬ。/ 声が低いからとて、その人の心が空ろというわけではない。/ 空ろな器ほどよく響くと譬えにもあるではありませぬか。
リア ― ケント、命が惜しくば、黙るがいい。
ケント ― この命など、将棋の不同然、[…………]
リア ― 退れ、目ざわりだ!
ケント ― いや、目を見ひらいてもっとよく見るのだ、リア。私はこれからも変らず、/ あなたの目線を導く誠の的となっていよう。
皮肉なことに、ケントを追放したリアはケントの変装を見抜けず、ケントは道化となってリアのそばに仕える。
リアには見えていないものを、観客は見る。
そしてリアは、見えていなかったものにようやく心の目を向けたころ死んでいく。
同様に岩波文庫の訳者の野島氏は、「グロスターも、目をくりぬかれることによって物事を『もっとよく見る』ことができるようになるだろう」と指摘する。
グロスターが目をくりぬかれたあと、お供をするのは、彼の息子エドガー。庶子の弟エドマンドの陰謀によって、エドガーは父グロスターから勘当され気違いトムを演じている。せめて死ぬ前に実の息子に会わせてやりたいという思いから、グロスターが視力を取り戻せたならば……と、この場を見守る観客は祈るだろう。
権力者に追放された人物が、遠くへ行かずに身をやつし偽名をつかって領地内をうろうろする。
そのような変装の企ては、観客にはバレバレ。
それなのに、登場人物たちはというと変装を見抜いてはおらず、すっかり騙されている。彼らの目は節穴のよう。可笑しくなる。
登場人物の扮装はこのように、その一部始終を知る観客を扮装の<共犯>に仕立て上げる効果をもつ。そして観客は全知の視点から熱い好奇心を抱いて芝居を見守ることになる。ただたんにものごとを直視するのではなく、まるで源氏が垣間見するときのような、見えにくいものを特別に見ているという気持ちになるに違いない。
演劇は「見られる」ものであり「見る」もの。
ある種の目くらましである扮装は、演劇のすれすれのラインに触れる遊戯的な演出であると言えよう。
俳優がなにか別の身分に変装することによって「見られるべき」ものと「見られている」ものとに引き離され、そこに悲劇や喜劇が生み出される。
『リア王』のケントもそのひとりである。
ゴネリルとリーガンに騙されて彼女らを優遇し、偽りの美辞麗句を並べることのできなかったコーディリアを冷遇したリアに苦言を呈したケントは、追放の憂き目に遭うのだが、彼はその際「もっとよく見よ」とリアに大事な忠告をする。
シェイクスピア『リア王』1幕1場(野島秀勝訳、岩波文庫、2000年、25頁)
ケント ― 末の姫君の親おもう情愛は末のものではござらぬ。/ 声が低いからとて、その人の心が空ろというわけではない。/ 空ろな器ほどよく響くと譬えにもあるではありませぬか。
リア ― ケント、命が惜しくば、黙るがいい。
ケント ― この命など、将棋の不同然、[…………]
リア ― 退れ、目ざわりだ!
ケント ― いや、目を見ひらいてもっとよく見るのだ、リア。私はこれからも変らず、/ あなたの目線を導く誠の的となっていよう。
皮肉なことに、ケントを追放したリアはケントの変装を見抜けず、ケントは道化となってリアのそばに仕える。
リアには見えていないものを、観客は見る。
そしてリアは、見えていなかったものにようやく心の目を向けたころ死んでいく。
同様に岩波文庫の訳者の野島氏は、「グロスターも、目をくりぬかれることによって物事を『もっとよく見る』ことができるようになるだろう」と指摘する。
グロスターが目をくりぬかれたあと、お供をするのは、彼の息子エドガー。庶子の弟エドマンドの陰謀によって、エドガーは父グロスターから勘当され気違いトムを演じている。せめて死ぬ前に実の息子に会わせてやりたいという思いから、グロスターが視力を取り戻せたならば……と、この場を見守る観客は祈るだろう。