パフォーマティブ
昨日「パフォーマンス」としての演技と「アクト」としての演技の区別に触れた。アクトが体のみによる仰々しい演技であるのに対し、感情に流されることなく心身合一に至る演技がパフォーマンスであって、世阿弥とハムレットの演劇論に通じているなどと言ってみた気がする。
ところが今日ひょんなことで、パフォーマンスという語をめぐっては、さらにパフォーマントとパフォーマティブの区別があるようだということを知った。
パフォーマントは高性能
パフォーマティブは行為遂行的
舞台上における身体表現が、アクトではなくパフォーマンスであるべきだと述べるときには、パフォーマティブな出来事をそこで繰り広げることが目指されているということだろう。
---引用---
生産的で、能動的で、効率的で、高性能のマシンを考えることができるでしょう。でもそれがどれほど高性能(パフォーマント)であったとしても、マシンそのものはオースティンのいう言語行為(スピーチ・アクト)の厳密に正統な理論の意味で、行為遂行的(パフォーマティブ)な出来事を作り出すことはできないでしょう。(『パピエ・マシン』ジャック・デリダ著、中山元訳、筑摩書房、62頁より)
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ここで話題となっているのは、出来事そのものとメーカネー(機械仕掛け)の関わり。そしてそこから敷衍するかのごとく、「書物」にテクノロジーが入り込んできた現在、出来事という有機的な思考に、マシンという無機的な思考を当て嵌めることが果たして可能であるのかという問題提起がされている(だと思う…)。
テクストが書かれるときは、ストーリーとしてのテクストの出来事が作り出されると同時に、文書の書き込みという行為に媒体が与えられる。出来事は本来有機的であるが、それがタイプライターを通して記述されれば、機械をとおすことで手足を分断され、反復可能な無機的なものとなる。
作品というパフォーマンスは、出来事である限りパフォーマティブであり、唯一の生きた声であるが、出版物である限りパフォーマントであり、何度でも読み返しがきく。すると近代以降(いや、もっと前からかもしれないが)、作家たちが求めてきた「言うに言えないこと」「書きえないこと」の書記行為とは、signifiant / signifié の区別による signifiant の追究であるというよりはむしろ、パフォーマントな媒体に表出するパフォーマティブなランガージュであるのかもしれない。
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当初の話題、演劇的パフォーマンスに話を戻すと、言うまでもなく戯曲は書かれたものの上演であるのだから、パフォーマントな台本から、パフォーマティブな役者の身体表現を引き起こすことによって、アクトがパフォーマンスとなる。
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先ほどフィギアスケートのFSがニュースで放映されていた。フィギア選手たちはパフォーマントなアスリートであると同時に、パフォーマティブなアクターであるのだろうと、デリダの言を反芻しながら考えた。
ところが今日ひょんなことで、パフォーマンスという語をめぐっては、さらにパフォーマントとパフォーマティブの区別があるようだということを知った。
パフォーマントは高性能
パフォーマティブは行為遂行的
舞台上における身体表現が、アクトではなくパフォーマンスであるべきだと述べるときには、パフォーマティブな出来事をそこで繰り広げることが目指されているということだろう。
---引用---
生産的で、能動的で、効率的で、高性能のマシンを考えることができるでしょう。でもそれがどれほど高性能(パフォーマント)であったとしても、マシンそのものはオースティンのいう言語行為(スピーチ・アクト)の厳密に正統な理論の意味で、行為遂行的(パフォーマティブ)な出来事を作り出すことはできないでしょう。(『パピエ・マシン』ジャック・デリダ著、中山元訳、筑摩書房、62頁より)
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ここで話題となっているのは、出来事そのものとメーカネー(機械仕掛け)の関わり。そしてそこから敷衍するかのごとく、「書物」にテクノロジーが入り込んできた現在、出来事という有機的な思考に、マシンという無機的な思考を当て嵌めることが果たして可能であるのかという問題提起がされている(だと思う…)。
テクストが書かれるときは、ストーリーとしてのテクストの出来事が作り出されると同時に、文書の書き込みという行為に媒体が与えられる。出来事は本来有機的であるが、それがタイプライターを通して記述されれば、機械をとおすことで手足を分断され、反復可能な無機的なものとなる。
作品というパフォーマンスは、出来事である限りパフォーマティブであり、唯一の生きた声であるが、出版物である限りパフォーマントであり、何度でも読み返しがきく。すると近代以降(いや、もっと前からかもしれないが)、作家たちが求めてきた「言うに言えないこと」「書きえないこと」の書記行為とは、signifiant / signifié の区別による signifiant の追究であるというよりはむしろ、パフォーマントな媒体に表出するパフォーマティブなランガージュであるのかもしれない。
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当初の話題、演劇的パフォーマンスに話を戻すと、言うまでもなく戯曲は書かれたものの上演であるのだから、パフォーマントな台本から、パフォーマティブな役者の身体表現を引き起こすことによって、アクトがパフォーマンスとなる。
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先ほどフィギアスケートのFSがニュースで放映されていた。フィギア選手たちはパフォーマントなアスリートであると同時に、パフォーマティブなアクターであるのだろうと、デリダの言を反芻しながら考えた。