Blanchot - 叙述
今日はまたブランショから。ブランショの思想の内容もさることながら、文体というか、書き方、書法が好き。
MAURICE BLANCHOT (1907-2003)
Le récit est mouvement vers un point, non selement inconnu, ignoré, étranger, mais tel qu'il ne semble avoir, par avance et en dehors de ce mouvement, aucune sorte de réalité, si impérieux cependant que c'est de lui seul que le récit tire son attrait, de telle manière qu'il ne peut même "commencer"avant de l'avoir atteint, mais cependant c'est seleument le récit et le mouvenment imprévisible du récit qui fournissent l'espace où le point devient réel, puissant et attirant. (Le Livre à venir)
話(レシ)は一つの点へ向かう運動である。未知の無知の見知らぬ一点であるばかりか、前もってその運動の外にはいかなる種類の現実もありそうにないような一点である。しかしながら、その一点はこれほど高圧的であるがために、話(レシ)がそれ自身の魅力を引き出すのもそこからである。しかしながら、その点が現実的で、力強く、魅力的なものになる空間をもたらすのはただただ、話(レシ)と、話(レシ)の予見し得ない運動だけである。
話はどこへ向かっていくのかわからない。
そうしたどこかへ向かっていく運動自体から話の魅力というのが生じる。
話の行き先は、予めわかっているわけではない、いわば未確認の点、現実性に乏しい点である。
だが、話によって見出された点自体に話の現実性は負うている。
卵が先か、鶏が先か、という話か? いや、やはり話(レシ)が先のようだ。
話(レシ)の紆余曲折とした未知の運動こそが、見出される点の現実性を呼ぶのである。
そうして見出された真実らしさ・魅力とは、まさに話とその運動の性質そのものだから。
こうしてブランショの文章は、文それ自体がある種の緊張を帯び、「話(レシ)の魅力」を実践しているかのよう。
内側に内側に張り詰めていき、空洞化してしまうような…文が文を飲み込んでしまうような、そんな性質をもつ。
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ドゥルーズが、「イメージとは、ものではなくプロセスである」と言っていた。(『消尽したもの』)
そこで彼が言うにイメージは「内容によってではなく、形態、つまり内的緊張によって定義される」。
どこか通じるものがありそうだ。類似する点を挙げるより、差異を挙げ分類するほうが10倍難しい。