『マローンは死ぬ』- 「書く」とは
そういえば、大学1年のオリエンテーション・キャンプで自己紹介をした時、いくつか喋るべきことが列挙されていて、そのなかに「将来の夢」という項目があった。わたしは「将来の夢は、翻訳になることです。そして、死ぬときは自分が出した本に囲まれて死にたいです」と言った覚えがある。将来の夢と言われて、死ぬときの状況にまで言及したためか、かなり笑われたのを思い出した。
さて、わたしは死ぬまでに本を出せるだろうか。
翻訳であれ、執筆であれ、本を出してみたい。
夢のまた夢。
だが、共著なら出せそうかも知れない。そんなチャンスを与えてくださる方に出会った。
だがいまのところは、紀要などの論文集しかない。
それもようやっとというところ。
そうとう努力しないとな。
ベケット『マローンは死ぬ』の瀕死の主人公マローンは、死ぬまでの気晴らしということで、物語をノート(「練習帳」)に書きつけていく。生き延びるために書くのか、死ぬために書くのか、そのどちらでもあり、書記行為はなんら救済をもたらさない。
「ここには、死に向かって流れていく生と、行きのびさせるための行為のうちですりへって行く鉛筆との間の悲愴な関係がある。そして、鉛筆が無駄にすりへって行くのと同様に、時間は死以外の何物にも導かず、書くことも、なにものにも、いかなる生の創造にも行きつかない。(中略)現代作品のすべては、人間の表象のすべてが持つつくりごと性についての自覚である。これは自明の理ではなく、重大な結果をもたらす一事件である。」(オルガ・ベルナル『ベケットの小説』安堂信也訳、紀伊国屋書店1972年。)
書くとは、生きることと密接に結びつき、また墓作りでもあるのだなと『マローンは死ぬ』を読んで考えた。
さて、わたしは死ぬまでに本を出せるだろうか。
翻訳であれ、執筆であれ、本を出してみたい。
夢のまた夢。
だが、共著なら出せそうかも知れない。そんなチャンスを与えてくださる方に出会った。
だがいまのところは、紀要などの論文集しかない。
それもようやっとというところ。
そうとう努力しないとな。
ベケット『マローンは死ぬ』の瀕死の主人公マローンは、死ぬまでの気晴らしということで、物語をノート(「練習帳」)に書きつけていく。生き延びるために書くのか、死ぬために書くのか、そのどちらでもあり、書記行為はなんら救済をもたらさない。
「ここには、死に向かって流れていく生と、行きのびさせるための行為のうちですりへって行く鉛筆との間の悲愴な関係がある。そして、鉛筆が無駄にすりへって行くのと同様に、時間は死以外の何物にも導かず、書くことも、なにものにも、いかなる生の創造にも行きつかない。(中略)現代作品のすべては、人間の表象のすべてが持つつくりごと性についての自覚である。これは自明の理ではなく、重大な結果をもたらす一事件である。」(オルガ・ベルナル『ベケットの小説』安堂信也訳、紀伊国屋書店1972年。)
書くとは、生きることと密接に結びつき、また墓作りでもあるのだなと『マローンは死ぬ』を読んで考えた。