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間違いの普遍化

先ほど帰宅したとき家人がテレビをつけていた。
見ていたのは常識を尋ねるクイズ番組のようなものだったと思う。
遠くから聞いただけだが、「固執」のような熟語はもとは「こしゅう」であるが、「こしつ」と誤読する人が多かったがために「こしつ」という読みが定着したということ。

「早急」はもともと「さっきゅう」だが「そうきゅう」と読まれるようになり、
「宿命」はもともと「しゅくみょう」だが「しゅくめい」と読まれるようになった。

「誤解による新語の誕生」とでも言えそうだ。
たしかに、漢字表記が同じであれば、読み方が変わっただけでは「新語が誕生した」という感覚をもたないかもしれないが、ふりがなをふるとするとすっかり新しい表記なのだから、立派な新語ではなかろうか?

言語は通時的にも共時的にもさまざまに変化する。
昔からずっと使われつづけているのに、変化している。
なぜ、変化するのだろうか? 変化は何か人間の思考の表れかも知れない。
変化こそが、そうして昔から受け継がれてきたのだから、
維持されてきた部分よりも、変化自体のほうがおもしろい。

その変化の理由のひとつが、「誤り」「誤読」。
「こしゅう」はまだしも、「しゅくみょう」なんて言ったら驚かれそう。
何が正しいのか正しくないのかは、そのときそのときに応じて変ってくるのだろう。
「ら抜き言葉」なんてのも、誤りと知っていながら、便利だし、言いやすいし、雰囲気が良くて、ついつい会話で使ってみたりすることもある。そのうちら抜き言葉が grammatical とされる世の中になるのだろう。
とはいえ、たんなる間違いではなく、いろいろな人が間違うという「複数性」がカギのよう。
複数の人が間違うことによって、間違いは間違いではなく正しく、一般的に、普遍化する。すると人間の頭脳には、他者に言葉を合わせようとしたり、他者と言葉を共有しようとしたりする働きがあるのかもしれない。