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3という数の特異性

幼い頃から3という数の特異性について気になっていた。
英語はじめ印欧語では単数と複数の区別をする。つまり1と2の区別をする。
だが、2以上を十把一絡げに複数とするのはあまりにも乱暴である。
2つのものから一つを選ばせる場合、日本語では「どちらにしますか」と問う。
3つ以上から一つを選ばせる場合、日本語では「どれにしますか」と尋ねる。
つまり、完全なる複数というのは3から始まるのではないかと睨んでいた。

そんな疑問について何か答えを得られればという思いから、バニー・クラムパッカー『数のはなし』(斎藤隆央、寺町朋子訳、東洋書林、2007)を少し読み始めた。本書は0から12の各数と100, 1000, 1000000についてその数学的・歴史的・社会的意味を物語る。

本書によれば3は「奇数としての最初の素数」である。1は「素数でも合成数でもないので、ただ1として存在する」という。

ほかにも数学的な特異性として次のことが書かれている。3は「先行するすべての自然数の和に等しい唯一の自然数なのだ。つまり1+2=3ということである。幾何学的には、3で、それまでなかったところに初めて図形が描かれる」。

3に割かれたこの段落で秀逸だと思ったのは次のパッセージ。
「1はいつでも必須要件(シネ・クァ・ノン)だが、それだけでは足りない。1があれば始まり、2があれば続くが、それで十分ではない。話を紡ぐには3が要る。1は始まりにすぎず、3があって旅になるのだ。」

だが、三位一体をはじめとして三神や三宝や三相などの具体例がさまざまに挙げられているいっぽうで、3の魔法についてあまり十分な分析がなされているとは思えず、やや期待はずれ。

まあまだ読み始めたばかり。せめて6まで、いや、9まで読んでからもう一度3について考えたいと思う。