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アナロジーのすり替え

red herring という語が『海辺のカフカ』の中の大島さんの言葉に出てくる。

甲村図書館に2人のフェニミニストがやってきてあることないことで苦情をつけるシーン。
曽我という女性「あなたはさっきから、意図的に話を混乱させています」
大島さん(まるで文字に傍点でも打つみたいに反復)「意図的に話を混乱させる
曽我「そうじゃないとでも言うんですか?」
大島「レッド・ヘリング」
曽我「…」
大島「英語に red herring という表現があります。興味深くはあるが、話の中心命題からは少し脇道に逸れたところにあるもののことです。赤いニシン。」

red herring をフランス語ではなんと言うのだろう? 少し気になってウェブ上で英仏辞典にあたってみた。
以下はLarousseから。



(figurative) diversion f
it's just a red herring
ce n'est qu'un truc pour nous dépister or pour brouiller les pistes
なるほど、フランス語には a red herring という語に等価な言い回しはないようだ。
「ケムに巻いたり、追っ手をくらませたりする」と普通に言うようだ。

だが、このシーンで何より興味深いのは、話をはぐらかすことを大島さんが「アナロジーのすりかえ」と表現してみせること。
曽我「ニシンだかアジだか、いずれにせよあなたは話をはぐらかしています」
大島「正確に申しあげれば、アナロジーのすりかえです。アリストテレスはそれを、雄弁術にとってもっとも有効な方法のひとつであると述べています。そのような知的トリックは、古代アテネ市民のあいだでは日常的に楽しまれ[略]」(村上春樹『海辺のカフカ』新潮文庫、2005年、374-375)

たしかに、先に引用した red herring の仏語の説明には truc という語が出てきていて、大島さんも「トリック」と言っている。

そして、この作品全体が、なにかの知的トリックというか、アナロジーの掛け合わせと掛け違いに満ちた構造をとる。まさにトリックだ。

彼らは「奇怪なる世界の相関性=メタファ」と捉える。(同書、425)
ユングやフロイト以前は深層意識と現実の奇怪な世界との相関性は自明で、メタファどころではなかったという。「外なる物理的な闇」と「内なる魂の闇」が直結していた時代。(同書、476)

田村カフカの懸念を打ち消す大島さんは、メタファもアレゴリーも、そしてアナロジーをも持ち出しきっぱりとないと言う。
「たとえ夢の中でも」
「あるいはメタファーの中でも」
「アレゴリーの中でも、アナロジーの中でも」

繰り返しになるが、本書は異なる時空間の話を断章形式で綴る。
その相関性は1巻の後半に及んで明確さをもっって立ち現れ、読者を釘付けにする。
だが、そうした相関性は夢であり、メタファーとさえ呼べる。アレゴリーであり、アナロジーによるものである。そんな作品の構造を書き込んだような見事なパッセージ。