攻城の種類(土竜攻め/金堀り攻め)
今やすっかりシティボーイのわたくしには、もぐらと言えばヘルメットをかぶってドリルを持っている印象しかなかったので、改めてGoogle画像検索で「モグラ」を検索したところ、「ヨロイモグラゴキブリ」という物体のおぞましい画像を見てしまい、今現在、一切の誇張を抜きにして吐きそう(´ж`;)ゥプ..です。
でも、ブログは続けねばなりません。前回の攻城の種類で、「水源すら破壊してしまう攻城法もある…」と最後を締めくくりました。そう、今回は「穴を掘って城を落としてしまう」恐ろしい攻城法、「土竜攻め/金堀り攻め」です。昔、江頭2:50は家を囲む借金取りから逃れるため、トンネルを掘って外に出ていたらしいですが、その逆です(←必要?この例え)。
この戦法では、大名が鉱山開発のために雇っていた「金掘衆」という坑夫たちが活躍します。城の外から城内へ通じる穴を掘ったり、下から櫓を突き崩したり、水脈を絶ったりするのです。水脈をドンピシャで当てるなんてダウジングでも体得していたのかと思ってしまいますが、井戸を横から破壊して枯れさせた話はよく見かけます。
今川氏親の引馬城攻め、武田信玄の野田城攻めなどが有名です。特にこれは信玄の十八番といっても良いでしょう。
とは言え、実際に城内や水脈に辿り着く事よりも、むしろ“こっちから穴掘ってますよー”という心理的圧迫によって降伏させるという効果が期待された部分が大です。大坂冬の陣の時も、大砲での威嚇とセットでこの方法が採られました。
現代で言うところのステルス的な土木工事によるプレッシャーは、想像するに気持ち悪いモノがあります。確かに、信長の野望で土竜攻めされた時は、戦意喪失するもんなー。
トイレで読みたい(後編)
改めてブログタイトルだけ見ると、本にすごい失礼な気がしてきましたが、タイトルの由来は前編で。
※ちなみに、風水的にはトイレに本棚を置くと運気が下がるとか下がらないとか。
空撮で甦る現存天守12城同様の企画の本を持ってるんですが、見てみたら14年前のもの!だったので、最新の写真が見たくなりました。これは何が良いかと言うと、普段は絶対に見られないアングルから俯瞰的に城が見れるとこ。
関東の騒乱 戦いの主人公達とその城館これを選んだのは、単純に今自分が住んでいるのが関東だからというだけの理由。意外と関東の城館だけを取り上げた書籍が出るのは珍しいんです。だからついつい目にとまってしまいました。
本当は怖い日本の城ちょいちょいブログでも取り上げたりしますが、城にまつわる伝説やら怖~い話やらって、全国的に見るとかなりの数あるんですよね。そんな城雑学を取り込むためには一応読んでおきたい。お手頃!
姫路城 極秘案内所はこちらです。本の紹介を見て欲しくなった1冊。「女性目線で」、「ブログ風」、「写真やイラストを多用」ということで、城の知識と言うよりも、ブログをどうやって面白く書くかの参考にしたいという動機の方が強いか…。
静岡の城: 研究成果が解き明かす城の県史上で紹介した「関東の~」同様に、特定の地域に特化した本です。どうしても全国の城を網羅しようとすると有名な城ばかりになってしまうので、この手の書籍なら、かなり深いレベルの知識が得られるのです。
消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ嶋氏理これはですねー、今回紹介した書籍たちの中でも、今一番読みたいかも知れません。まさか、「帰雲城」だけで一冊の本になるなんて\(゜□゜)/ 「帰雲城」 って何という方はWikipediaにて。読みたくなりますよ。
以上、後編として今回も6冊紹介しました。
昨今の歴史ブームもあって、城関連の書籍って無数に出ているので、今回の「読みたい」本は、だいたいここ半年くらいで出版されたものに絞ってます。
まぁ、前回も言いましたがレビューでもなんでもないので、何ら参考にはならいないですが、「こんな本出てたのねー。」くらいの事を感じて頂ければ幸いです。
トイレで読みたい(前編)
ところで、わたくしはトイレであっちの方をしながら読書するのが日課なのですが、近頃はとんと城がらみの本を読んでいないので(それでいいのかっ)、今回のブログでは、わたくしが財布の紐がゆるい今だからこそ買いたいと思っている書籍をいくつか紹介してみたいと思います。
(長くなるので、せこく前編・後編に分割)
全国 城攻め手帖手帖と言うだけあって、書き込み&塗りつぶしができるという優れモノ。主要270城という数がマニアには物足りないかも。が、興味はかなりそそられます。90城分の縄張り図も付いてるというから素晴らしくマニアック。
日本の籠城戦高い!でもその理由は、CGを使って籠城戦をリアルに再現しているから(推測)。ビジュアルは大事です。思えば、本の再現ビジュアルきっかけで行ってみたいと思った城が、人生で結構ある…。
城の見方・楽しみ方最近こういう本をひそかに探してました。普段ブログで偉そうな事を言っておきながら、意外と基本的な事を知らなかったり、避けて通ったりしていることに日々うしろめたさを感じてるので。小和田哲男先生監修。
高遠城の攻防と一夜の城副題:織田軍の陣城について考える。こういったピンポイント城モノも押さえておきたいところ。この本は、城郭研究の権威、中井均氏と笹本正治氏の講演記録集というこれまたマニア泣かせな切り口です。
あやしい天守閣タイトルからも、いろいろと中味を想像できてしまうアウトローな作品です。「天守閣」って観光とかにも直結するものなんで、いろいろな“大人の”事情があるのでしょう。18禁でお願い致します。
坂東三津五郎 粋な城めぐりこの手の本って正直あんまり読まないんですが、ロンブー淳氏との対談なんかもあって学術的なモノに食傷気味になった時に読みたい、そんな1冊。ちなみに、発売記念サイン会もやったらしい。
以上、今回は6冊紹介しました。
紹介したとは言っても、“
読みたい”だけで、実際に“読んではない”ので、決してレビューではありません。最近話題のやらせ口コミでもありません(・ω・)/ それでは次回は後編ということで。
dメニュー掲載開始
というお断りをしておいた上で、本日、『発見!ニッポン城めぐり』がNTTドコモの「dメニュー」公式サイトとして掲載開始されました。
「dメニュー」とは、ドコモのスマホ版「iモード」です。従来のケータイでおなじみのiモードの機能が、そのままスマホ(Android)で仕えるというモノです。「検索」や「メニューリスト」、「マイメニュー」などの機能が備わっています。(ドコモ公式サイト)
で今回、この「メニューリスト」に『発見!ニッポン城めぐり』が正式に掲載された、というお知らせです。既に城めぐりをご利用中の方には、何ら影響のない話なのですが、ぜひにという担当者からの熱いリクエストにより、ブログにて告知させて頂きました。
ブログは読んでいるけど城めぐりに登録されていないという方はぜひ、これを機会に城めぐりに登録して頂けると嬉しく思いますm(..)m
【dメニューからのアクセス方法】
・メニューリスト → ゲーム → シミュレーション → 発見!ニッポン城めぐり
・または、検索窓に“城めぐり”と入力して検索
「破風」
破風とは、寺院建築や城の天守や櫓の屋根の“三角形の部分”のことです。
このピンクの枠の部分が破風です。ちなみに破風にもいろいろと種類があって大分すると、
「千鳥破風」、「入母屋破風」、「切妻破風」、「唐破風」などがあります。
千鳥破風はまさに写真の枠の中のもので、単なる飾りであることが多いです。入母屋破風は、この写真だと最上階の屋根で、三角形の下両端が屋根の両方の角にくっついているのがポイントです。入母屋造りの屋根にできる破風を指します(入母屋の説明をすると長~くなるのでご興味ある方はWikipediaにて)。
切妻破風は写真にありませんが、三角形の部分が屋根の部分だけ突き出した形状のもので、彦根城天守閣などで見られます。
最後に、唐破風。これは他と違って三角形ではありません↓
このカワイイまるっとした屋根のことです。この写真の破風は正確には向唐破風と言いますが、出窓の上などに独立して付けられたものです。天守建築に数多く見られます。現代でも憧れの?出窓、昔も流行っていたんですねー。
破風を細かく調べ始めると日本の建築の歴史に首を突っ込んでしまわねばなりませんので、今回は簡単にポイントを説明しました。今度城に行く際には、ぜひ破風にも注目してあげて下さい。
ということで、本日のアバターでは、そんな「向唐破風」付きの新天守が登場です!!
【祭情報】鑁阿寺「節分鎧年越」
先月の【祭情報】は“初日の出は城から見よう!”という切り口でしたが、あいにく元旦は全国的に天気が悪かったようで(´□`)。ということで、気を取り直して今月は通常バージョンの祭&イベント紹介といきましょう。
今月取り上げるのは、鑁阿寺「節分鎧年越」です。
おいおい、寺の情報ブログになっちゃったよ、と早とちりは禁物です。鑁阿寺(ばんなじ)はもともと、12世紀半ばに足利氏の祖、源義康が居館(足利氏館)を構えたところで、今でも周囲に土塁&堀が巡らされ、鎌倉武士の館の面影を残す貴重な国の史跡なのです。試しにGoogle Mapで「鑁阿寺」と検索してみて下さい。驚くほど方形っぷりがわかりますから。
そんな基礎知識をもとに祭りの詳細を見てみましょう↓
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★節分鎧年越★
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「足利市観光協会」公式サイトより引用
お城情報:足利氏館(栃木県)
開催期間:2012/2/3(金)
開催場所:織姫公民館~鑁阿寺(栃木県足利市家富町)
交通機関:
JR両毛線足利駅徒歩7分 /
東北自動車道佐野藤岡ICより車で30分(駐車場は観光駐車場(太平記館)を利用のこと)
公式URL :PCのみ(足利市観光協会)
問合せ先:立春会(事務局:鑁阿寺)(
0284-41-2627)
━ 内容 ━
<公式サイトより引用>
「鎧年越」は、約750年前の鎌倉時代中期、足利義兼の孫・泰氏(源姓足利氏4代目)が一族の結束と勢力を誇示する為、坂東武者500騎を鑁阿寺南大門に勢揃いさせたという故事にちなんだ古式ゆかしい行事です。
▼午後7時
■織姫公民館を出発
→坂東武者に扮した市民200人余りが参加する行列が勇壮に繰り広げられます。市長扮する主将を中心に鎧に身を固めた坂東武者が、陣太鼓を鳴らしながら、歴史絵巻さながらに大通りを行進し、織姫公民館から鑁阿寺までの約1.3kmを約1時間かけて練り歩きます。
▼午後8時
■鑁阿寺に到着
→市長が足利氏代々の供養と市の繁栄を祈願し願文を奉読します。その後、本堂にて追儺式(豆まき)を行います。追儺式が終わると本堂の裏で凱旋の式を行い、「エイ、エイ、オー」と勝ちどきを上げます。
【節分鎧年越の参加者を募集しています】
こちらの祭りには一般参加もあるみたいです。自前鎧(そうそういない)がある人はそれを着て参加、ない人も貸してくれる(着付けまでやってくれる)とのこと。
詳しくは、足利市公式サイトをチェックして下さい。
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鎧が着られるのは魅力的ですが、あくまで鎌倉テイストなので、戦国のそれより重そうです( ̄Д ̄;
YouTubeに祭の動画があったのでリンクしておきます。「鬼は外」というよりも、これは板東武者による豆鉄砲の一斉射撃です。
平清盛
みなさんご覧になりましたでしょうか?初回の視聴率が歴代ワースト3位だったとか、兵庫県知事がなぜか毒を吐いて物議をかもしたりとか、そんな話題が先行してますが、わたくしはと言うとまだ観てません。イメージでは昨年の江に比べるとすごく武骨な感じがして好印象ですが、今のところHDの中で2回分眠っています(_ _ )。
どうもなじみのない時代なので、先に勉強してから観た方が良いのではないかと思って本やらネットやらを見ていても、ついついクセで城の話に目がいってしまいがちです。そんな中で、平清盛が命じて築かせたという城を発見!
福岡県田川郡添田町にある「岩石城(がんじゃくじょう)」です。大庭景親という人物が最初の城主らしいです。岩石城と言えば、九州征伐の際に蒲生氏郷が発憤大活躍した城としての知識しかありませんでしたが、そんな昔からすでにあった城なんですねー。
氏郷が攻めた当時、すでに九州の中でも堅城として知られた城だったので、今はどんな状況になっているのだろうと調べてみたところ…
モギってました\(゜□゜)/
あ、でもご安心を(何を?)。岩石城のあった山頂には、石垣や井戸跡、空堀などの遺構が残っているようですので、ちゃんと「武骨」な山城の雰囲気を残しています。
※ちなみにこの建物は7億5千万円かかったそうです。
話がそれました。早く録画した大河ドラマ見よっと。
【籠城戦】豊臣水軍に包囲された海の孤城
豊臣秀吉による北条征伐である小田原の役(1590年)では、関東の多くの城で籠城戦が展開されましたが、武蔵忍城などと並んで結構長いこと持ちこたえたのが伊豆下田城なのです。
今回はそんな下田城の戦いを取り上げてみました。
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豊臣水軍に包囲された海の孤城
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中央において豊臣秀吉が統一政権を樹立しつつある時、関東北条氏の当主氏直は周辺へ領土を拡げる一方、叔父の氏規を上洛させ秀吉に謁見させるなどして融和策にも心を砕いていた。
徹底抗戦か降伏か、容易に意見がまとまらず秀吉との間に微妙な緊張関係が続いていたさなか、北条氏に激震が走った。いわゆる「名胡桃城事件」である。秀吉の裁定によって、上野沼田の地の3分の2を北条が、残り3分の1を真田が領有していたのだが、あろうことか沼田城代の北条家臣、猪俣邦憲が真田氏の名胡桃城を奪い取ってしまったのだ。
自らの顔に泥を塗られた形となった秀吉は激怒し、ここに小田原征伐が諸大名に発せられたのである。天正17年(1589)の終わりより全国から続々と軍勢が集結し、複数の侵攻路をとって北条領へと迫った。その数20万を超えたという。一方、事ここに至って北条氏も臨戦態勢を整え、関東各地100ヶ城あまりに臨時挑発した農兵10万以上の兵力を籠め、長期戦を挑んだ。
この北条方支城のひとつが伊豆下田城である。下田城にはかねてから重臣清水康英が城将として配され、康英の一族・郎党や伊豆衆、さらには小田原からの援軍として江戸朝忠らが派遣されていた。しかし、これらを合わせてもその兵力は600あまりと非常に心許ないものであった。
明けて天正18年(1590)、豊臣方は水軍として長宗我部元親、九鬼嘉隆、脇坂安治、加藤嘉明らが参陣し、駿河の港に集結していた。その数1万以上。3月には徳川水軍も伊豆半島沿岸に出没して安良里城・田子城などの北条方諸城を攻略、さらに4月には豊臣水軍が早くも下田沖に現れた。
しかし、豊臣方もうかつに下田城に手を出せない。下田湾口を扼する西側の岬そのものを城域として取り立てた下田城は、岬の周囲に複雑に入り組んだ入江を持ち、三方を海に囲まれた天然の要害である。
豊臣方は海上から砲撃するも切り立った岸壁はこれをまったく寄せ付けない。一方、加藤嘉明らの軍は下田湾へ入り、城の対岸に上陸し出丸である武峰を占拠した。また、他の部隊も陸路続々と城へ攻め寄せたが、勇将の誉れ高い康英の巧みな指揮と、城兵の働きによってこれらをたびたび撃退した。
豊臣方が下田城の予想外の抵抗によって城を落とせないでいる中、秀吉から諸将への通達があった。この通達により、長宗我部らの部隊を残してそれ以外の水軍はみな小田原城の攻撃へと回された。一方で、包囲軍が大幅に減少したとは言え、これまでの戦いによって康英ら籠城衆の消耗も激しかった。
4月20日、包囲軍の脇坂・安国寺からの矢文が城内に届いた。それは、降伏すれば城主以下すべての命を助けるという寛大なものであった。康英はこれ以上籠城を続けてもいたずらに犠牲者が増えるのみと決断、ついに4月23日、両名と起請文を交わし城を開けたのである。
豊臣の大軍が伊豆に乱入してから、実に50日あまりの籠城であった。
他の北条方支城のほとんどが降伏または数日の戦闘で落城した中で、下田城籠城戦は北条武士の面目を躍如した戦いであると言えよう。
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今では北条氏の代表的な城郭として有名な八王子城や山中城でさえ、たった1日で落城したことを考えると下田城はかなり持ちこたえた方ですが、何と言ってもやはり秀吉は物量が違います。
ペルリさんよりも恐ろしい、豊臣艦隊襲来の話でした。
城郭データアップデート
今回は城の基本情報(築城年や城主など…)はもちろんのこと、城の解説文章がない城郭についてもだいーぶ追加が行われました。これによって、今まで名前だけののっぺらぼうな城郭の歴史や成り立ちがかなり分かるようになったと思います。
城めぐりの目指すところは、ただお城という目標物をスタンプラリーするだけなく、できれば「城」そのものを溺愛してもらうことにありますので、ぜひお近くの城の情報だけでも見てみて下さい。(色んなページから城の名前をクリックするだけで見られますので)
もちろん、全体の城の数から言うとまだまだ情報が満たされていないというのが実情(´□`)ですが、今後も精力的に情報のアップデートは行っていきますのでご期待下さい。
また、もちろん引き続き写真投稿・口コミ&攻略情報の投稿もお待ちしておりますので、どしどし書き込んで下さい。(←あ、決して他力本願ではありません...)
連休も終わり…
さて、休みと言えば長かった年末年始の連休キャンペーンが本日で終了します。毎日ランキングを見ていると、さすがにこの休み中はかなり大勢の人の攻略が進んでいるようで、日別のランキングが相当ハイレベルな戦いになってます(この状況で異名「独眼竜」を獲った人はスゴイ!)。
※あ、ついでなので説明しておきますと、「ランキング」メニューの中に、「今年度」というのがありますが、これは1月1日には変わっていませんのでご注意下さい。で、もっと言うと4月1日にも変わりません。「城めぐり年度」ということで、毎年城の日(4月6日)に更新されます。あしからず・・・。
城めぐりユーザーのみなさんの城攻めぶりや、トップページに流れる友達の攻略情報テロップを見るにつけ、自分の城めぐってない感が際立って仕方ありませんが、わたくしもそのうちガッツリ城を獲ってやろうと密かに計画しているところです。
それまでは目の前に山積みになっている“城めぐり関連”の仕事に没頭します。この発酵してしまった脳で。



