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明智光秀

すでにご存知の方もいるかと思いますが、2014年の大河ドラマに明智光秀というプランが出ているようです。報道によるとまだ有力な候補に挙がっている段階のようなので、ぬか喜びできませんが、実現すれば「戦国武将」が主人公の大河は天地人以来5年ぶりとなります。

とはいえ、歴史に興味のない人からすれば、「明智光秀=本能寺の変」というワードしか出てこないと思うので(もしくは、今流行りの「平成の明智光秀」)、今回は気が早いですが、そんな光秀関連の城郭をおさらいしてみましょう(・ω・)/

出身地
はい、いきなり諸説あります。ひとつは岐阜県可児市にある「明智長山城」。城下の寺には歴代の墓があります。もうひとつは「明知城」(同恵那市)。こっちには産湯の井戸といわれるものがあります。

その後、いろいろあって越前「一乗谷城」の朝倉義景に仕えたと言われます。いずれにしても、この辺りはまさしく謎多き男。

信長家臣時代
ここから栄達と心労の人生を送るわけですが、当初「金ヶ崎」の退き口(福井県敦賀市)や、「延暦寺」(滋賀県大津市)の焼き討ちで功をなし、琵琶湖畔に「坂本城」(同)を築きます。その後、信長によって各地に駆り出されますが(さすがドS)、本格的に経略を任されたのが丹波国。

京都府亀岡市の「亀山城」や「周山城」(同京都市)、「福知山城」(同福知山市)が光秀によって築城され、激しく抵抗した「黒井城」(兵庫県丹波市)や「八上城」(同篠山市)を攻略したことで丹波平定を成し遂げます。

ちなみに、「大溝城」(滋賀県高島市)や「大和郡山城」(奈良県大和郡山市)も光秀の縄張りだとか。

本能寺の変
いよいよ最期です。「本能寺」(京都府京都市)で信長を討った光秀は、「二条御所」(同)の信忠も討ち取り、ほどなくして「安土城」(滋賀県近江八幡市)も手中に収めます。しかし、秀吉がウルトラハイスピードで京都に迫ったために山崎の地で迎撃し、敗北。

いったん「勝竜寺城」(京都府長岡京市)へ退いた後に坂本城を目指し、途中で土民に襲われて落命します。

ということで、駆け足で光秀ゆかりの城を回想してみましたが、こうしてみると結構いろいろありました。しかも有名な史跡が多い( ̄□ ̄;)!!

もしも大河が実現するようなことがあれば、全国各地の“ゆかりの地”、特に「岐阜県」「滋賀県」「京都府」あたりが沸騰することは間違いありません。今からどうなるか楽しみです。

日光も沸くかな…?

【祭情報】10月の城関連祭り

えー、今回やばいです。今までで一番時間のかかったブログかもしれません。なにせ、10月は祭りが多かった(´_`。) 全国でおびただしい数の祭りが開催され、これでは体が何個あっても足りません…。日程かぶりまくりの巻ヽ(;´ω`)ノ

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10月のお城まつり特集
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※祭名はPCの関連ページへリンクしています。


宝石赤清洲城ふるさとまつり清洲城

 開催期間など:10月01日~10月31日
 祭りのメインは10月7日。武将隊や鉄砲隊が出陣します。

宝石赤二本松の提灯祭り二本松城

 開催期間など:10月04日~10月06日
 丹羽光重が360年前にはじめた日本三大提灯祭りの1つ。


宝石赤掛川祭(大祭)掛川城

 開催期間など:10月05日
 掛川城をバックに、華やかな38台の屋台が練り歩きます。


宝石赤秋のくまもとお城まつり熊本城

 開催期間など:10月05日~10月14日
 流鏑馬あり、清正公クイズウォークありの充実の10日間。

宝石赤史跡根城まつり根城

 開催期間など:10月06日
 史跡根城の広場と博物館もこの日は無料開放されるとか。

 開催期間など:10月06日~10月07日
 岩村築城主の子、加藤景朝のご神体を戴く神輿が練り歩く。


宝石赤ぎふ信長まつり岐阜城

 開催期間など:10月06日~10月07日
 信長の追悼式や武者行列、火縄銃三段撃ち等盛りだくさん。

 開催期間など:10月06日~10月07日
 真田は真田でもこれは松代藩のもの。こちらも武者行列あり。

 開催期間など:10月06日~10月07日
 高鍋藩校「明倫堂」の教えを受け継ぎ伝えていくためのまつり。

 開催期間など:10月06日~10月07日
 やはり戦国ファンとしては、高虎時代絵巻が一番の見所でしょう。

宝石赤備中松山城 秋の陣備中松山城

 開催期間など:10月06日~11月04日
 甲冑体験や櫓の特別公開。日程は公式サイトにて要確認。


宝石赤宇喜多秀家☆フェス岡山城
 開催期間など:10月07日

 祭りではなく“フェス”です。秀家・豪姫コンテストが気になる。


宝石赤武田の里にらさき・ふるさとまつり新府城
 開催期間など:10月07日

 旧名称「武田勝頼公新府入場まつり」。武田ファンは必見。

宝石赤丸岡古城まつり丸岡城

 開催期間など:10月7日
 丸岡城下での、総勢400名からなる五万石パレードは見もの。


宝石赤鳥取三十二万石お城まつり鳥取城

 開催期間など:10月08日~10月09日
 小和田哲男先生や小日向えりちゃんも登場。内容が充実。

 開催期間など:10月13日~10月14日
 合戦絵巻あり、武者行列あり、火縄銃演舞あり、見所が満載。

宝石赤川越まつり川越城

 開催期間など:10月20日~10月21日
 戦国感は少ないですが、国指定重要無形民俗文化財なので。

 開催期間など:10月20日~10月21日
 こちらはなんと総勢650名による行列あり。3人の天下人も登場。

 開催期間など:10月20日~10月21日
 小倉城天守閣前広場にて様々な催しが。なんと今年で54回目。

宝石赤飫肥城下まつり飫肥城

 開催期間など:10月20日~10月21日
 武者行列や泰平踊、ミスお姫様のパレードあり。特産品も充実。

 開催期間など:10月20日~10月21日
 長崎平戸の秋を満喫する一大イベント。郷土芸能の披露など。

 開催期間など:10月20日~11月25日
 37日間行われるため催しが多すぎて…。詳細は公式サイトにて。

宝石赤国宝松本城古式砲術演武松本城

 開催期間など:10月21日
 松本城では他にも10月に、そば祭りや茶会、人形飾り物展もあり。

 開催期間など:10月21日
 秀吉・家康との記念撮影もあり。さすが天下人は引っ張りだこです。

 開催期間など:10月21日
 実はこのお祭り、
去年のブログで1回分を割いて紹介したのです。

 開催期間など:10月21日
 甲冑武者行列などあるようですが、公式の情報が得られていません。

宝石赤丸亀城フェスタ丸亀城

 開催期間など:10月21日
 昨年はゆるキャラ「京極くん」が登場したらしいですが、今年は!?


宝石赤首里城祭首里城

 開催期間など:10月26日~11月04日
 冊封使の儀式や行列なんてものが見られるのも首里城ならでは。

 開催期間など:10月27日
 自前の甲冑なら祭りの当日まで武者行列の参加受付やってます。

宝石赤箕輪城まつり箕輪城

 開催期間など:10月28日
 なんと本丸跡地にて、長野業政以下上州軍の合戦が再現されます。

 開催期間など:10月28日
 火縄銃の試し撃ちのほかにも、抜刀術の演舞なんかもあり魅力的。

 開催期間など:10月28日
 犬山城の城下町にて甲冑武者行列を開催。祭りのタイトルがイイ感じ。


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ここまで書き終えて、ブログを保存しようとしたらエラーが出ました。なんと、2年ブログをやっていて初めての“文字数オーバー”!そんな制限があったことを今日知りました…。

これでも、前月から継続開催の祭りや、歴史色の薄い(例えば「
弘前城菊と紅葉まつり」的な)ものに関しては省いているのですが、やはり「」を侮ってはいけませんね( °д°)

攻城の種類(脅迫)

しばらく間が空いてしまった攻城の種類シリーズ。今回は「攻城の種類(脅迫)」です。後、考えられるとすれば、「攻城の種類(GPSで!)」くらいしか残っていないので、一応今回をもって勝手に残念ながら最終回とさせて頂きますm(_ _ )m

ちなみに、過去のアーカイブはこちらにまとめられていますので、喫茶店で5分遅れると連絡のあった友人が10分経っても来ない場合などの暇つぶしにお読み下さい。

さて、今回の「脅迫」ですが、これは定義があやふやです。城主・城兵を脅すことによって、それが効果をあげて直接的に落城したもっとも最たる例が、武田信玄による志賀城攻めです。

この志賀城の攻防戦はかつてピックアップ籠城戦シリーズでも取り上げた戦いです。信玄が志賀城を包囲した際に、後詰めにやってきた上杉憲政軍を打ち破り、そこで獲った首級を城の周りにぐるりと並べて脅迫した、というものです。そりゃそんなことされたら戦意も喪失しますわ系の話です( ̄□ ̄;)

関ヶ原合戦前の伏見城の戦いでは、城主鳥居元忠がわずか1800の兵で西軍の大軍約4万を相手に戦ってましたが、西軍方に内通せねば郷里の妻子を殺害すると脅迫された城内の甲賀衆が火を放って落城のきっかけを作ったという事例もあります。(余談ですが、この戦いでは小早川秀秋が西軍としてそれなりに頑張った、というあまり知られていない事実があります。)

他にも、キリシタンを皆殺しにすると脅されて開城した高槻城(信長vs.高山右近)や、言ってしまえば、豊臣秀吉が小田原城から見えるように巨大な石垣山城を築いたのも、もはや脅迫の一種ですね。さらには、戦が行われる前に降伏開城した無数の城たちも、脅迫がきっかけであることも多かったでしょうから、そういう意味においては脅迫の事例は数え切れない程ありますね。

一見、おぞましい字面の「脅迫」も、攻城戦において双方が無駄な血を流さないための賢明な方法のひとつであったとも言えます。

9/15~ 川中島&関ヶ原!!

告知がギリギリになってしまいましたが、今週末から野戦イベントが2つ同時開催されます\(゜□゜)/

それも超メジャー級の川中島の戦い関ヶ原の戦いです。なぜならこの2つのメジャーな戦いは、いずれも旧暦9月に行われたものだからです(もちろん年は違いますけど...)。関ヶ原は昨年1回目の野戦イベントとして開催しましたが、川中島については初お目見えです。

関ヶ原の布陣図や発見できる武将は昨年のブログを参考にして頂くとして、川中島については、まさに古戦場付近で、上杉謙信や武田信玄はもちろんのこと、男前と評判の山本勘助など上杉・武田両軍の知将猛将が総勢25名ほど発見できます。

クエストの「川中島の戦い」に加えて、「武田四名臣」も一気にクリアできてしまうマンモス野戦なのです。

さて、気になる期間ですが、今回はちょっと長めに設定させて頂いて、今週末の3連休(9/15)~スタートで、10月の3連休の終わり(10/8)まで開催致します。しかも、10月の3連休にはまた別の野戦も発生するとか…。向こう一ヶ月は戦乱に明け暮れる日々になりそうです( ̄□ ̄;)

ぜひ、城めぐりとあわせて古戦場めぐりもされてみてはいかがでしょうか?

地図

だいーぶ前のことで恐縮ですが、城郭の場所を示す地図がGoogleさんのものからYahoo!さんに変更されましたヾ(▼ヘ▼;)

何もこれは気まぐれでそうしたのではなくて、ちゃんと理由があるのです。地図へのアクセス数がかなりの数に上ってきたことから、Google
Mapがうまく表示できないことがしばしば起こっていたので、Yahoo!さんのご厚意によって変更させて頂きました。ご存知の通り、使い方はほぼ変わりありません。

そして先日、その城郭地図のページに[GoogleMapで開く]というリンクが追加されました。これはまたGoogleMapに戻したわけではなくて、主にスマートフォンご利用の方のために、地図を上下左右のリンクではなく、指でぐりぐり拡大縮小、移動ができるように、地図アプリで閲覧できるようにするためのものです。

よって、ベースの地図はYahoo!ロコ(地図)で、地図アプリでぐりぐりしたい場合は地図アプリで、という風にうまく使い分けて頂ければ幸いですm(_ _ )m

地図って案外いろいろデリケートな部分でもあったりするんですが、引き続き改善はしていかねばと思っていますので、まずは現状の地図で使いこなして頂ければと思います(・ω・)/

【籠城戦】戊辰戦争中第一の激戦

東日本大震災では多くの城に被害が出ましたが、二本松城(福島県)もそのうちのひとつです。

特に石垣のずれや飛び出しが各所で確認され、平成24年5月から本格的な修復作業が行われています。1日も早い復旧を願ってやみません。

さて、そんな二本松城には戊辰戦争時に悲しい戦いがあったことをご存知でしょうか。“二本松少年隊”という言葉なら聞いたことがあるかもしれません。今回はそんな二本松の戦いをピックアップです。

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戊辰戦争中第一の激戦
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慶応4年(1868)4月に江戸城が無血開城し、関東より西をほぼ勢力下とした新政府軍にとって、残る課題は東北であった。

その中でも特に会津藩は京都で尊皇攘夷派の弾圧を行っていたことから朝敵とみなされており、同じく庄内藩も江戸の薩摩藩邸を焼き討ちしたことなどから新政府軍に目の敵にされていた。

この2藩及び東北諸藩は開戦に至らぬような道筋を探るものの、新政府への全面的な恭順は受け入れがたく、奥羽越列藩同盟として合同で新政府軍と戦うこととなった。これが東北戦争である。

東北戦争では各戦線で激しい戦いが展開されたが、特に激しく、哀しい戦いが繰り広げられたのが二本松の戦いであった。

二本松藩は石高10万石、戦国大名・丹羽長秀を祖とする名門・丹羽家が治めており、東北戦争が始まると、二本松藩も奥羽越列藩同盟に参加し、新政府軍と相対することとなった。

二本松藩は藩主の居城である二本松城のほか、幕府領にあり奥州街道の要地である白河城の管理も任されており、まずは二本松より南に位置し、東北への入口となる白河城に主力を派遣、新政府軍との戦いに備えることとなった。

白河での戦いは薩摩の伊地知正治率いる新政府軍700に対して、東北各地から集まった列藩同盟の諸藩兵2,500がこれを迎え撃つという構図で開始された。

緒戦では少数の新政府軍が勝利、白河城を占領した。これは多数の旗を掲げて大軍と見せかけるなど、少数なりの工夫を行った新政府軍の作戦勝ちともいえるものであった。

引き続き数で勝る列藩同盟軍は白河城を奪還すべく7回に渡って総攻撃を仕掛けるが、諸藩の連携が悪く撃退されてしまう。列藩同盟軍が攻めきれずに時間を浪費する中、関東各地で旧幕府勢力と戦っていた新政府軍が旧幕府軍を駆逐、順次白河への増援に回され、板垣退助率いる土佐藩兵などが白河に駆け付けた。

増援を受けて3000を超える兵力となった新政府軍に対し、列藩同盟軍は白河から撤退、戦線は北上することとなった。この時、前述の通り白河へ増援へと赴いていた正規兵を中心とする二本松藩の主力部隊も撤退をすることになる。

だが、ここで二本松藩及び列藩同盟諸藩にとって予想外の出来事が発生する。白河と二本松の間に位置し、列藩同盟に加盟していた三春藩と守山藩が突如、新政府軍に帰順したのである。

元々、勤王思想を持ちながらも周囲を佐幕派諸藩に囲まれているという位置関係から列藩同盟に加盟せざるを得なかった三春藩は、列藩同盟諸藩に援軍を求めるなどの偽装工作を行いつつ、裏で新政府に帰順の使者を送っていた。

三春藩が新政府に帰順するのと時を同じくして新政府軍に増援が到着。三春藩から約1日程度の距離にあった守山藩も帰順を決めた。

これにより白河と二本松を隔てる緩衝地帯が瞬時に新政府の手に落ちる。戦線は一気に北上、新政府軍は二本松藩領に急迫した。

もともと前線から離れた地であるということもあり、この時の二本松藩は農兵や老人兵、少年兵など非正規部隊ばかりが守備しているという状況であった。特に少年兵では、危急時には年齢を2歳加算するという入れ年の制度により、最も若い兵士では12歳という者もいたのである。

このようにはじめから劣勢が見込まれる事態に対し、二本松藩内では帰順すべきか否かの軍議が行われるが、守備責任者である家老・丹羽一学らは抗戦の道を選択した。

こうして戦いの舞台は二本松藩領に移り、二本松の戦いが始まった。

戦いの序盤、新政府軍はまず二本松南方の本宮(現在の福島県本宮市)を攻める。増援も含めて兵数を大幅に増強した新政府軍に対し、二本松藩の旧幕府軍も必死の抵抗を行ったが敗走、本宮は新政府軍の手に落ちてしまう。

本宮を制した新政府軍は、遂に二本松藩の本丸である二本松城を攻める方針を打ち出す。

二本松城は自然の地形を活かした山城で、山頂に本丸を配置し本丸から三方に伸びる尾根にそれぞれ曲輪が築かれていた。また、丘陵を取り込んだ城域は東に口を開けた馬蹄型になっており、更に東側には阿武隈川が流れるという防御に有利な縄張りとなっていた。

これに対して新政府軍は阿武隈川を渡って攻める部隊と、南の本宮から攻める部隊の二方向から攻勢を掛けた。

軍師・小川平助の指揮によって守りを固めた二本松藩であったが、いかに防御に有利な城とはいえども、守り手の質と量が絶対的に不足していた。

城外において必死の戦いを続けるも、二本松城南の尼子平で小川平助が戦死。更に阿武隈川を渡って東から攻める部隊に対するのは槍に甲冑の老人兵のみであったため、簡単に城下への侵入を許してしまう。

城外の陣の殆どを制圧された二本松藩は、二本松城に撤退して最後の抵抗を試みる。だがこの時、共闘していた仙台藩兵、会津藩兵も城を脱出してしまい、城には刀や槍しか持たない僅かな二本松藩勢のみが残されているという絶望的な状況であった。

事ここに至り、遂に抵抗を諦めた家老・丹羽一学らは城に自ら火を放ち、自刃して果てた。

城が炎上したことで落城は決定的になり、城下は混乱状態となった。劣勢ながらも城下で奮闘していた少年兵らは撤退命令を受けて城を目指すが、途中で炎上する城を見て呆然とした。あらゆる方面から城下に殺到する新政府軍に対し、自分たちが戻るべき場所もなくなってしまっていたのである。既に指揮系統と呼べるものもない状態であり、行く場所はない。彼らは死を覚悟して敵兵に挑み掛かっていった。

こうして多くの少年兵達が若い命を散らし、二本松での戦いはその幕を閉じた。

この時、薩摩藩の部隊長を務め維新後は元帥にまで昇進した野津道貫はこの戦いを振り返り「戊辰戦争中第一の激戦」と評した。
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戦国時代の戦いに馴染んでいる方なら、まず聞くことはない「
少年兵」という言葉。有名な白虎隊もしかり、平和な江戸時代を経たからこそ絶対的に兵員の数が不足していたんでしょうけれども、幕末の混乱期にはこんな悲しい歴史があったんですね...。

かつては賊軍の汚名をかぶせられた彼らが、今では十分に顕彰されていることが唯一の救いでしょうか。

親父に連れて行ってもらった夏…

今週月曜日に城郭データをアップデートしましたが、つい先日までそのための調べモノや入力作業を夜な夜な行ってました。やってもやっても全部埋めるにはほど遠い城郭基本データたち、これはミスチルの言葉を借りれば完全に「終わりなき旅」です。こんな終わりのない仕事が世の中にあっていいんでしょうか( ̄□ ̄;)!!

でも、好きだからついついのめり込んでしまう…。城という名の魔性の女です。シャ乱Qの言葉を借りれば「ズルい女」です。

さて、夏の夜更けにそんな城郭データを眺めていると、ふと、昔はよく親父に城に連れて行ってもらったなぁということを思い出します。今となっては正確な記憶もありませんが、夏休みを利用していたためか、城跡のシチュエーションはなぜか夏の炎天下ばかりです。

名古屋城とか、丸岡城とか、龍野城とか…。指折り数えてみると、結構メジャーどころは当時行ってたんだと再確認。しかも、城で買ってもらった安っぽい城模型を、なぜか毎度学校に持って行っていちいち先生に報告していました。今考えると相当面倒な生徒です( ̄_ ̄ i)

プールとか遊園地とか高橋名人のイベントとかじゃなく、「城」に連れて行ってほしいと懇願する小学生相手に、よくも付き合ってくれたと今では感謝の念すらあります。一方で、成長して大人になった結果、こんな終わりなき仕事をやっていることを少しばかり恨んだりもしています(-"-;A

という、すごく個人的な夏の思い出でした...。

映画『のぼうの城』!!

映画『のぼうの城』 キタ━━━ヽ(*´□`)ノ゙━━━ァ!!

先週「ある重要な告知」と口走ってしまったばかりに、むしろくぐれるぐらいの高さにハードルを上げてしまいましたが、本日より、映画『のぼうの城』特設サイトが城めぐり内にオープンしました!!わーいヽ(゚◇゚ )ノ

この映画、ご存知の方も多いかと思いますが、昨年公開予定だったのが震災の影響で延期となって、晴れて今年の11月2日からの公開が決定した、大ヒット小説『のぼうの城』が映画化されたものです。

そして、公開に先立って配給会社様のご厚意により、まずは城めぐり会員のみなさまへ特設サイトをオープンした次第なのです(映画のストーリーなどについては、特設サイトの方をご覧下さい)。

先日、マスコミ向け試写会の方にもご招待頂きまして、城めぐりスタッフも映画を観させて頂きましたが(すいませんm(_ _ )m)、戦国ひねくれ野郎のわたくしでも十分に見ごたえある、鳥肌シーン満載の内容でした。自分がおすぎならもっと上手く説明できるんですが、とにかく原作を読んでぜひ劇場に足を運んで頂きたい映画です(←あ、ちなみにこれは広告ではありません)。

なぜ広告じゃないのか。それは『発見!ニッポン城めぐり』と映画『のぼうの城』のタイアップだからなのです( ̄□ ̄;)!!

話はさかのぼること1年半ほど前、2011年4月6日のブログ「10大発表」で、城めぐり初のイベント開催とぼかして予告していたものの、その後のブログで「イベントに関するお詫び」と題して延期を発表していた企画、それがまさにこれなのです。黙秘すること1年半、ようやく喉のつかえが取れました(;´Д`)…

簡単に説明すると、城めぐりのゲーム内にて、映画『のぼうの城』特設イベント(ゲーム)企画が目下進行中です。諸事情あってまだ詳しくはお話しできませんが、近頃はその企画仕事に忙殺されている状況なのです。

みなさんに楽しんでもらえるよう内容を研磨しまくっている状態ですので、こちらのゲームについてはまた随時ブログにて忍らせ、ではなくお知らせしていこうと思います(・ω・)/

それまでは、予告編動画を観て体を温っめておいて下さい!!

細かい男

世の中、マメな男はモテるらしいですが、会計の際に1円単位で割り勘にするような細かい男は嫌われるそうです。

そんな細かい男となじられることを承知で、昨日ゲーム内の細かい部分の改善を行いましたので報告しておきます(・ω・)/

今週の一枚
今週の一枚に掲載されている写真に「気に入った!」が容易にできなかったため、写真自体をクリックできるように変更しました。写真の詳細ページに飛びますので、そこで「気に入った!」が可能になりました。

口コミ・攻略情報
城郭詳細画面の、口コミ・攻略情報の日付部分に年を追加しました。今までこれといった理由もなく年の表示がなかったのです。ごめんなさい。

城郭詳細画面・武将詳細画面
城郭と武将(家臣団)の詳細ページの説明文が自動リンクに対応しました。説明文の中に城の名前があると自動的にリンクになっています(※“自動”なので意図しないところに飛んでる場合もあります)。

これらの他にも、細かいところでいくつかの修正や改善を行っています。
※あ、アプリ利用の方はアップデートの必要はありませんので、そのままお楽しみ下さい。

以上、“細かい報告”でした\(゜□゜)/

城郭データアップデート(来週ですけど...)

今日はまずお詫びから。

前回(8月27日更新)のブログで、夏休みキャンペーンを8月31日(金)までと言いましたが、正確にはその週末も含めた9月2日(日)まで、でした…。

なので、その週末もまだ所持金を大きく増やすチャンスが残っておりますです…。訂正してお詫びしますm(_ _ )m

そして、9月3日(月)にはひさびさに城郭データが一括アップデートされます。城郭の基本データの追加や、これまでに頂いた間違い報告への対応などがアップデート内容に含まれます。

9月3日もブログの更新日なので、その時にお知らせすればいいだけの話なのですが、“ある重要な告知”がその日に控えているので、データアップデートの件は今日のタイミングでお知らせしておきます。

それではまた来週~(・ω・)/ あ、違う次は金曜日か…。