11月15日

 

宝塚の不登校支援をされている方の座談会が行われました。

 

宝塚の弱点として、支援団体の横のつながりが少ないことがあげられました。

 

だからこそ、マップ作りが難しい。

 

そこで社会福祉協議会の方々と一緒にイベントをすることになりました。

 

最初に石井塾長からの問題定義から始まりました。

 

「不登校って結局なに?」

 

何が不登校に当たるのか

 

それは誰も定義していません。

 

不登校ぎみもいるし、完全に行けない子もいる

 

理由が言える子、言えない子どちらもいる

 

学校に行きたくてもいけない子も行きたくなくて行っている子も

 

不登校事情は千差万別なのです。

 

大事なのはあっちも◎でこっちも◎

と思える世の中になること。

じゃなかと私は考えています。

 

できそうでできていないみんな花丸◎

 

そんなことを考えながら私は司会をやりました♪

 

これからも司会業頑張ります。

 

さて、ここからは私のお仕事

 

今回つながった輪をマップに落とし込むこと。

 

1年続けていたものがだんだんと形になってきて

 

私は楽しくて仕方がないです。

 

みんな笑顔になるマップができますように(⌒皿⌒)

 

 

 

社協の方々とお話してきました。

 

やっぱり、学校に行きづらい子のや

 

それを支える親御さんのための一本化された情報が

 

今必要です。

 

そこでの私の役割は

 

”民間かつ宝塚で”

 

子どものための活動をしている方の連絡窓口となりました。

 

お手数おかけしますが、もしこれを見ている方で

 

民間かつ宝塚市内で

 

学校に行きにくい子の支援活動をしているかた

 

ぜひインスタの

 

@kumanoclochan 藤井純羽

 

までDMをください。

 

(ただし、毎度すみません。

トーキョーコーヒー宝塚第一のインスタにはDMを送らないでください。

DM機能が壊れています。)

 

また、

 

学校に行きにくい子が行きやすいオープンスペース

 

居場所の情報もお待ちしています。

 

皆さんからの情報を待っています。

 

 

私に実際出会った人で時々

 

 

そのヘルプマークはどんな病気でつけてるの?

 

というお問い合わせがあるのでここで軽くそのお話

 

 

私の診断病気名は”双極性障害”とはなっています。

 

いわゆる精神のアップダウンが激しくなる病状ですね。

 

ただ、この診断はあくまで一部の話で

 

ADHDも混ざってるし、PMSは重め

 

パニックで息ができなくなったり

 

一部の文章が文字化けして読めなくなる症状もあります。

 

 

ヘルプマークを付けているのは

 

万一パニック発作が出た場合に倒れるので

 

道の邪魔になると困るのでどかしてください。

 

ということです。

 

ヘルプマークに付随したカードにはそう書いてあります。

 

こういう精神、自律神経系で難しいのは

 

一つの症状や病名だけですまず、いくつか重なっていたり

 

同じ病名の人と困っていることが全く違うということです。

 

私が他の人の病気の話を聞くときもそうですが

 

この病気はこうおきる

 

ではなく

 

この人は具体的に何に困ってるか

 

を聞くのが大事だなと感じます。

 

この病気ならそれは起きないでしょ?

 

みないなことを言ってくる人が時々いますが

 

自律神経系の病気に一貫性がなければならないのか

 

というのが疑問なところ。

 

逆に自分も

 

”この症状は病名に矛盾しちゃうかな”

 

と黙っていた部分も多かったなと今になって感じます。

 

 

 

世の中は動いていて、個々に目が向けられ始めているので

 

もしこれを読んでいる方で誰かに症状を伝える時は

 

病名よりまず何を困っているかを伝え

 

聴く側も自分でその病気を調べるより

 

本人にまずは聴く

 

を大事にしてくれたらなと

 

せつに感じます。

 

現在、社会福祉協議会の方ともお話して

 

宝塚全域の不登校支援マップを

作ろうと思っています。

 

最も非定型教育マップにしてみたいけど最初はわかりにくいかもしれないので

 

わかりやすく主張できそうなら

 

非定型教育支援マップ

 

にしたいですね!

 

そのためには情報が必要です。

 

宝塚は個人の活動家が多い街なのだそうです。

 

個人の特性が活かせつつも連携がとれる

 

がベストだと思います。

 

また、不登校でどこにいったらいいのかわからない場合に

 

今日はここ、次はあそこ

 

とたくさんお話できる場をつくって

 

心のセーフティーネット

 

私の作ったマップや情報がなればいいと思います。

 

 

 

「夜食は用意しますか?」

 

私は旦那様にそう聞いたのはつい先日

 

久々に帰りが遅くなるとのことだった。

 

「なんでニヤニヤきいてくる?」

 

旦那様に怪訝な顔で言い返された。

 

 

 

 

自慢ではありませんが、私は料理が好きなほうだし得意なほう。

(甘いものはそこまで作れませんが)

 

大体の料理は作れます。

 

しかし

 

夜食はほとんど作ったことがありません。

 

ここ10年で3回くらい

 

何故かって毎日早寝早起きだからです。

 

でも時々思う。

 

独身時代に食べていた

 

あの夜中のフリーダムな感覚が

 

妙に懐かしいと

 

もしかしたら皆さんも

 

徹夜で麻雀したりとか

カラオケでオールしたりとか

 

そんな際に夜食を食べたのではないでしょうか?

 

そして、夜食の最も不思議なことは・・・

 

 

ありえない状態で作っても美味しいこと

 

周りのものを無秩序に入れて、何故か美味しい

 

そして、

 

それを昼間に食しても美味しくない!!

 

あれはなんの魔法がかかっているのでしょうか?

 

ミッドナイトマジカルです

 

私は機会があったらこのミッドナイトマジカルを解き明かしたいと思っていました。

 

だから夜食チャンスの時は必ず作るか聞くようにしました。

 

しかし

 

「あかんな」

 

「どうして?」

 

夜食は用意しなければ食べなくてもすむだろう。用意してあったら食べちゃうだろう。

基本的には食べないほうがいいんだから、用意なんかせんでええよ。」

 

「でも、夢が広がるのに・・・(T_T)」

 

「ものすごくおなかがすいてたら勝手に作るよ」

 

「・・・はい。」

 

こうしてバッサリ断られてしました。

 

 

もし、次に夜食を作るとしたら

 

キャンプ飯とかで作りたいな~

 

とまたふつふつと野望をもやしています。

 

 

~私の話の聴き方の話~

 

ワタシ★アップデート会にて

 

直感がこれからの時代は大事!という話をしました。

 

ただ、今までの教育ってよく考えなさいとか

 

熟考したほうがいいとかそんな方向性。

 

そして、はっきり言語化できるものが大事にされてきました。

 

間違いではないけれど・・・

 

感覚って確かに心にはあるのに

 

もやもやもそこにはあるのに

 

きちんといえる場所ときちんと聴くことのできる場がないといけない。

 

でも聴きかたってどうしたらいいんだろう?

 

の話になって

 

私の話の聴き方が独特と言われたのでその話をします。

 

大体は子どもに対してですが

 

「どんな気持ちだった?」

 

を手をかえ品を変え聴く手法です。

 

「匂いはどんなきもち?」

「大きさは?」

「固いかな?」

「今何がしたい気持ちになってる?」

「何か食べたくなったものある?」

などなど聞けるだけ聞いてみます。五感系。

もちろん第六感についてが先に出てきたらそれは一番聴きます。

 

「なんかやな感じがする」

なんて子どもが言い出したら

絶対に”なにか”はそこにあるはず。

 

なんでこんなに感性の話を聞くかというと

 

私の周りの大人が昔聞いてくれなかったからです。

私の動きは大体反面教師が多め。

 

きちんと聴いてもらったら

その先にはいい感じの

 

「それな!」

 

が相手から聴けたら一番うれしい。

 

その会話のために一番大事なのは

 

どんなに年下でも敬意だと私は考えています。

 

所詮子どもの意見だからなんて論外の発言。

 

もちろんいつも完璧に聴けるわけじゃないけど

 

そういう聴く耳をいつも持っていたいなと思っています(^▽^)

 

 

ただいま、インスタグラムの定型文をお直ししていた時に

 

凄く納得いかないことがありました。

 

それは

 

不登校って言い方、おかしくないですか?

トーキョーコーヒーのダダさんもおっしゃっていましたが

 

不登校って言葉の出自は、不良が学校に来なくなった時代の名残だそうで。

 

いや、中身全然ちがくないか

 

そもそも、日本語って結構変わります。

 

外来語とか特にそうで

間違っていたらだんだんと変わっていくものです。

 

例えばパンツといって想像するものってだんだん変わってきてませんか?

ほら、いらすとやでもパンツで出てくるのはこっちです。

変えてもいいのです。

 

辞書が困るとか混乱するとかより、中身が変わっているのに目を背けているのが一大事です。

 

第一、不登校とされている人がどういった状況下によって全く支援も異なります。

 

この支援云々の話は今回はしないのですが

 

不登校→非定型登校、非定型教育と

 

どこかでいい直し始めないといけないなと感じました。

 

そこで、宝塚から言い始めようと思い、この文にしたためております。

 

この活動名をセルリアン(空色)リボン活動と今命名します。

 

 

賛同してくれたらうれしいです。

 

まず、言い方が変わりますように。

 

 

 

 

 

 

うちのこ ぷいちゃん(仮)と言葉の意味のお話をよくします。

 

今回はそのお話から一つ

 

ぷい 「まんびきってなに?」

 

クロ 「どこかで聞いたのかな?」

 

ぷい 「うん!どろぼうとはちがうの?」

 

クロ 「”やさい”と”トマト”くらいちがいます。」

 

ぷい 「どろぼうのひとつ?」

 

クロ 「そうだね。お店のものを気づかれずに黙ってとるのを万引きというよ」

 

ぷい 「気づいていたら違うの?無理やりとったら?」

 

クロ 「その場合は強盗になるね。」

 

ぷい 「万引きはおうちにはこないの?」

 

クロ 「おうちに来た場合は違う呼び方になるね。家にいないときに来たら空き巣になります。」

 

 

ぷい 「あきすかぁ、じゃあぷいが家にいる時にきたら?」

 

クロ 「その場合も強盗ですね。」

 

ぷい 「他にもいるの?」

 

クロ 「ぷいちゃんも会いそうなのはスリかな」

 

ぷい 「リスのしんせき?」

 

クロ 「今もっているものからスッと取ってっちゃうの。結構いるから注意」

ぷい 「こわい!」

 

クロ 「あとは置き引き。ふと置いたものをそのままとってっちゃう泥棒だよ」

 

ぷい 「・・・知らないどろぼうばっかりいるよ。ぷいはしらないことばっかり」

 

クロ 「え?ぷいちゃんの知ってるのいるよ」

 

ぷい 「どんな?」

 

クロ 「泥棒する前にお手紙を出す泥棒」

 

ぷい 「・・・・(≧▽≦)!わかった~」

 

 

ぷい 「かいとうだ~~!( *´艸`)」

 

 

言葉をかみくだくのは私の趣味。

 

楽しい話があればまた♪

前回のお話はシリアスな話だったのですが

 

今回のは前回のお話の別サイド、いや全くの続きです。

 

 

これに関しましてはライトに読んでいただくのと

 

”嘘は全く話していない”をご了承いただきまして

読んでいただければ幸いです。

 

(余談ですが私は割と小心者かつ正直者なので

関西の人の返しの”嘘やん”というのが苦手です。

だって盛ってもいない本当の話だから)

 

私がささくれを剥かれたその日

 

大泣きをしていた時、一人の女の子が私の指に気づき

女子を数人集めました。

 

「クロが針を指に刺された。」

 

いや、微妙に事実と違う~

でも、大泣きしてせき込むぐらいだから否定も話もできない~

 

教室はパニック

聞きつけた子どもがそれぞれの親に言い

 

私の母と仲良しの親の子が母に言ったため

(私はこの騒ぎが自分のせいだと落ち込んでいたためはっきりと親には話しませんでした。)

人づてに聞いた母がその子の母親と乗り込む形となりました。

 

結局それに関してはなんの解決もしなかったのですが

 

 

そこから、半年がたち違うクラスの友人から言われました

 

「お前、待ち針刺されたんだよな?」

 

待ち針?縫い針ではなく?

 

次に1年後、水泳教室のバスにて下級生に聞かれました。

 

「上級生に手の甲に待ち針10本刺された人いるの本当?」

 

この時点で私が関係なくなりました。

 

指から手の甲に変わってるし、待ち針は10本。

 

そして、私は高校生になり弟の友だちが家に遊びに来て

 

リングを見ながら学校の怪談の話をしていました。

 

 

「うちの小学校に家庭科の先生に待ち針10本刺されて●んだ生徒の霊がいるらしいよ」

 

 

なんだってー!!私生きてるーー((´;ω;`))!!

時を経ること5年。

誰だ、人の噂も七十五日っていったやつ!

 

日数何倍になったと思ってるんだ!

 

残念ながら噂の最上位互換「学校の怪談」

 

になってしまったものは

いくら何でも回収できませんでした。

 

こうして私は小学校の怪談として後世に語り継がれているようなのです。

 

 

ぴえん

 

私は子どもが不登校ではないです。

 

でも、仕事を辞めてやりたいことの第一が不登校支援でした。

 

どうしてか

 

それにはいくつか理由があります。

 

その一つ目は

 

家庭科の先生に暴力を振るわれたこと

 

です。

 

私の小学生時代には

ある程度教師の暴力について規制がなされていました。

 

ところがその家庭科の先生は

幾度も教育委員会に訴えられても全く反省しない状態で

野放しになっていました。

 

小学生の私はお裁縫が好きだったのですが

その先生曰く

 

「波縫いでの針の持ち方が違う!」

と怒鳴られ、羽交い絞め状態で手をぐいぐい持たれ

私が泣き叫んでも放してくれませんでした。

 

結局、ささくれが剥けて腫れあがってしまい

その後の給食の間も泣き叫び続けました。

 

ここだけなら私のトラウマだけで済んだのですが

問題はここから

 

担任の先生は私の親には説明したものの

私には一切のフォローもなく

その後も家庭科を続けるようにいいました。

 

当たり前のように家庭科の先生のフォローもなく

また、別の生徒に対して暴力をふるっている様子でした。

(一応言っておきますが女性です。)

 

しかも、暴力を振るわれていたのは弟で

弟は助けを求めるために廊下に逃げ出して大声で人を呼んだそうです。

結局これにもなんのフォローもありませんでした。

 

そしてだれも私たち姉弟に

逃げ場をだれも教えてくれませんでした。

 

教員の経験を経て思うのです。

教育は無理やり受けるものではない。

教育はサービスだから”誰から受けるか”選んでいいもの

 

でも、学校だけではそれがわからないのは今も同じ。

ダメだと思ったときの逃げ場

自分から学校を断っていく場所

そういったものがないと

また形を変えて追いつめられる子どもが出てくる。

私はそう考えます。

 

あの時の自分にできること

 

それを踏まえて私はちょっとずつ動いています。