退院
さて、いよいよ退院することに。
翌日の金曜の午前中に退院することになった。
ところが、病院側から退院するように言われたはずだけど、誰も聞いてない。
看護師さんたちは一様にえっ、ソウナンですかってなる。
もう、なんか疲れたのでとっとと帰りたい。
病院にいてもすることがないのに痛みやら点滴やらで動けないという疲労。
退院前日、シャワー入りますか?と聞かれたが結局入らなかった。単純に怖いから。切ったあとにテープで保護されてるとはいえ、お湯をあてて痛くないか自信がない。もう少し先延ばしにした。
退院当日、朝食をとると最後の診察があった。今回は担当医ではなく、いつも一緒に来てくれていた先輩と思しき形成外科医。
ドレーンを外して術後のテープを貼り替えてくれた。
かなりバリビリッ、と激しめ。あんまり容赦ないんです思わず笑ってしまう。
喉の手前まで「容赦なくてわらう」と言いかけて笑っていた。
言わないように飲み込んだけど、ほんとに容赦なくて笑ってしまった。
手の甲の点滴の針も外してもらう。
太い穴の跡がついていた。おぉ、そりゃ違和感あるわけだよ。
その後ぼちぼち精算書やら書類が病室に届き始める。
確か9時か、10時までに精算してくださいって話だったと思う。
荷造りを始める。
入院時に大荷物の原因の一つだった飲み物はすべて飲み終えた。これは重たい思いしてでも持ってきといて正解だった。ないと困る。
ベッドに敷いた大判のバスタオル3枚を詰め込み、使わなかった持参の室内履きを持ち帰り、レンタル屋さんでもらったスリッパとコップを捨てて。このスリッパとコップ、料金に含まれて貰えるものなのだが、この病院の売店で売っていたのを後日発見。一つ300円以上していた。100均でなんでも揃う時代に。
数日、実質数時間使っただけで捨ててしまってなんだかもったいないことをした気分。持って帰っても困るだけのものなんだけども。
退院後の傷の手当などの処理の書類は、書類バッグに。
意外と書類が多くて、書類バッグをわざわざ買って持ってきていた。でないと整理できなくなるから、結構役に立った。
減ったとはいえ大荷物を抱え、部屋の人に挨拶することもなく(お互い姿すら見ていない)
廊下で一番お世話になった看護師さんとすれ違う。お礼を言ってエレベーターホールへ向かう。
自分は午後からの入院だったが、午前中から入院する人が何組も到着していた。
エレベーターで1階に降りパジャマやタオルのレンタルの精算をする。このレンタルは病院とは別会社だから個々に精算して帰る。
すると、同じタイミングで入院した人が同じタイミングで精算していた。何かの手術を受けたのだろう。同じようにヨボヨボとしている。
退院の窓口で書類を提出、すぐに会計できますよ、と自動会計機に向かう。
朝イチなのに行列だ。ロビーも混んでる。
これから入院する人と、退院する人で見たことない混雑だった。
こんなにたくさん入院してたの?!
知らなかったなぁ。
病院を出ると季節が変わってすっかり春の陽気だった。
夫が玄関口まで車で迎えに来てくれた。
退院日決定
手術から2日目。
痛みは相変わらずあるが、痛み止めがないとしんどいとか言うほどではない。
肩からぶら下げてるドレーンにも慣れた。点滴は案外気になるものだ。利き手に付いてるから、手を動かすたびに手の甲の血管に刺さる針は、管を通じて点滴バッグがありそれを支える点滴スタンドにつながるからとても気になってしまう。
とはいえ、今日は1日暇だ。
せっかくなので、一つ一つの行動に時間をかけることにした。
ゆっくり起床、ゆっくり食事、ゆっくりトイレ・・・
まだ行動範囲に制限があるので他のフロアに行くことはできないのだが、フロア内は動ける。ちょっとウロウロして見る。
するとちょっとした本棚と大きな窓に向かってベンチがあるスペースがあった。
外の景色は地元の学校が真向かいにあるだけでなんにも面白くも見栄えもないのだけど、本棚に小学生の頃唯一読んでいた漫画があった。
子供の頃漫画はあまり読まなかった。話の進むスピードが小説に比べて遅いとか、話のボリューム薄く感じられ、割に合わないと思っていた。文庫本と漫画本と同じくらいの値段で売っていた。小説はSF物から物語物、推理物といろいろな種類があったが当時流行っていた漫画の内容は恋愛物が多く小学生の自分には合わない。
そんなときでも、この漫画は読みたいと友達に借りたり自分で買ったりしてよく読んでいたのが「悪魔(ディモス)の花嫁」だ。
これの文庫本サイズにまとめられた本がそこにあった。
懐かしさでペラペラと中を見ると、あまり記憶にない話のようだ。とにかく字が小さい。
部屋に戻りこんな事もあろうかと持参した老眼鏡を持ち、再びやってきた。
他に2,3人がベンチに座っていたが、ここの本を読んでいる人はいない。本は持ち出し禁止だった。ほとんどが年配の人だったがみんなスマホをやっていた。
早速、漫画を読み始める。あー、なんか読んだような知ってるような。
懐かしい。
たっぷり読むつもりでやってきたのだが、自分でも驚くほど、集中力がない。
数話読んだところで、なんか違うことしたくなってくる。
術後の痛みのせいなのか、歳のせいなのか、持ち前の性格のせいなのか。
少なくとも先に来て座っていた人たちより早く席を立つのはなんか恥ずかしいので、粘る。
他の人もそんな長居をする人はいなかった。
頃合いをみて、退去。
この日はそんな事を繰り返し過ごした。
夕方になると、担当医の診察があった。
ここの病院は、入院中の診察はアポ無しだ。次いつ来るのかは知らされない。
手術で取ってもらった脂肪腫の写真をプリントしてもらった。
すると、様子も悪くないからドレーン外しましょうと、テープをバリッ!と勢いよく剥がす。まぁ痛いよ。ドレーンの管を挿しているあたりをぎゅうぎゅう押し始めた。え、普通にすごく痛いんですけど。
でも、やっぱりまだもう一晩、ドレーン付けときましょうとなった。あぁ、そうですか。
肩の動きも問題が出ていないので退院を早めましょうとの話。
こちらは夫に車で迎えに来てほしいから夫の休日の土曜日退院を希望していた。
だいぶ渋られたけどなんとか許可してもらえていたのを、結局もとに戻される話になっている。
我が家も事情が変わり、土曜日退院より手前の金曜、おまけに午前中退院のほうが都合が良くなった。
夫が木曜日にコロナワクチン接種があり、今までの接種後の様子から翌日の午後から副反応が強く出る予定だからだ。
つまり、金曜の午後から副反応が出てくる前に迎えに来てもらおう、という公算。
看護師さんに聞くと、病院の玄関には朝は特にタクシーが客待ちをしているので、降りていけばすぐに乗れるとのこと。
なんだ、無理して夫に来てもらわなくてもタクシーあるんか。
んじゃ退院はいつでもかまわないさ。
家にはそう連絡しておいた。
術後の翌日
ろくに眠れなかった。
術後の痛みと隣人のテレビ。
イヤホン必須だから音こそ聞こえないけど画面の明るさが天井やカーテンに反射する。
看護師さんが注意しないということは、何か事情があるのでしょう。
そしてこちらも眠れなかったからと言って困ることはなにもない。
一日何もすることがないから。
夜中に何度も看護師さんが見廻りに来る。
点滴の様子を見たりしてくれる。
一日のうち数人の看護師さんがこの部屋を担当してくれるようだ。
その日の朝方の看護師さんは今時珍しい豪快系な人だった。
持ってきた機材の乗ったワゴンは片手でドーンと、廊下に放り出すタイプ。まだ明け方だから廊下に人はほとんどいないからね。でもこの病院はとても良く連携が取れているようで、それを見かけた後輩らしき人が片しましょうか?とすぐさま撤収させる。
どこの職場もそうだけど、色んな人がいるのだなぁと、あまりに暇で人間観察していた。
いよいよ朝になる。
喉がずっとイガイガと痰がからむ。そういえば手術中の気道挿管の影響でタンが絡んだり声がかすれたりすると言っていた。
それだ。
このタンの絡みは思ったより長引き、1週間以上は続いた。
朝の支度をしようにも洗顔はちょっとできそうにない。そんなこともあろうかと拭くだけシート的なものを持参していた。
入院時の大荷物の原因の用意周到さ。
朝はこれで済ませる。
髪は片手ブラシで整えて終わり。
歯磨きは、病室にある洗面台で済ませた。
朝食を終え、痛み止めを飲み終えたらもうすることがない、でもやはりまだ肩は痛い。
テレビを見てもウクライナの悲しい侵略の話ばかりで気が滅入る。
暇だとは予想していたけどこんなに気を紛らす物がないなんて。
正確に言うと、痛みがまだ強いから何かをしようという気が湧かない。けれど眠気もさほどないから寝てやり過ごすこともできない。
ながらで過ごすにしてもテレビはあまり気分のいい内容ではない。スマホは長時間片手で見るのはちょっと疲れてしまう。
と、仰向けのベッドであれこれ考えて過す。
などとしているうちに、なんとなく時間は過ぎていく。
術後初日は、予想以上に安静にして過ごしました、とさ。