ORANGEの備忘記録 -23ページ目

究極の選択

体を動かせるようになると、入院時間が退屈になってくる。

動けない時は、時間の感覚や、行動力が麻痺でもしていたかのようだ。

暇さえあれば、ベッドで「ONE PIECE」を観ていたが、なるべく動いていたいという気持ちで、チョロチョロ散歩したり、売店に出向いたりしていた。

正直入院は、楽だった。
家に帰れば、家事や子育てに追われストレスも溜まる。
その点病室では、三食昼寝付き、掃除無し。極楽じゃ。

しかし、そうも言っていられない。
家事をしに来てくれている義母、震災があっても自宅に戻れていない。

義父は、おそらく人生初の一人暮らしをしているのだ。私のせいで。
そこへ震災があった。
義父はまだ勤めていたから、一晩帰れなかった。混乱の中、義母は、こちらを手伝ってくれている。
義母は、むしろこちらの手伝いに来ているほうが怖い思いをしないで良かったくらいだと、言ってくださる。

絶対弱音を言わない、本当に気遣いの人なのだ。

家のことが心配なはずなのに…。

だから、私は早く退院して、義母を帰宅させてあげたい。
もちろん震災後の混乱の中帰って頂くのは不安だ。この時は、流通がストップして品切れが相次ぎ、ガソリンスタンドも3、4時間と列をなし、計画停電が始まっていた。
ところがこちらは、ほとんど影響もなく生活に困る事態は起きていない。

しかし、自分に置き換えて考えたら、混乱しているからこそ、自宅や夫が心配で、やはり帰るべきだと思った。
大袈裟だが、究極の選択に近い状況だった。

予定では退院は、後1週間程先だった。

限界への挑戦~洗髪~

胴回りのギプスで、かっちり固定されていて背中は動かないが、そのほか手足はもうすっかり自由になっていた。

看護師さんにもシャンプーをひとりでいっても良いという許可をいただいた。

やっと、思う存分洗える!

それまでも、洗髪はしていたが、看護師さんに洗ってもらっていた。
ありがたいことだが、やはり自分で洗えるのが一番。

シャワー室の使い方を教わり、いざ、実践。

大きなシャワー付き洗面台の前に座って、お辞儀の格好で洗うのだが、コレがまた苦戦した。

何せ、胴回りが曲がらないから、お辞儀にも限界がある。

あまり下に曲がらないから、頭に流したお湯が、顔にザァザァ流れ込む。

もっと曲げないとダメだ。

限界を一歩超えて、踏ん張った。

まるでアスリートか。

ただの洗髪なのに。

結構しんどい格好になりながらも、なんとか洗髪を終えた。

顔にいっぱいシャンプーがかかってしまったから、ついでに洗顔まで頑張った。

その日の夜は、またひどく背中が痛んだ。

乗り継ぎエレベーター

売店へ行くため、エレベーターを乗り継いだ。

乗り継いで乗ったこのエレベーターは、怖かった。

地下におりるのにガタガタゴトゴト、明らかに古い。

わずか数階下っただけだが、もう二度と乗りたくなかった。

地階へ到着すると売店と、コンビニがあった。

今日は、飲み物を買っていこう。

売店のほうがお得だったので、そちらで5本ほどペットボトルを買った。

帰りは、このコワいエレベーターは止めて、階段で病院入口に行くと決めていた。
階段でリハビリしたい気持ちもあった。

いざ、上りはじめたら、まず、持ってるペットボトルが重くて辛い。ちゃんと病室まで持っていけるか不安になった。いきなり買いすぎだった。

わずか10日間の寝たきりだったが、足腰だけでなく腕も弱っていた。

しっかり腕で持たないと、背中に負担がかかってしまう気がする。

おまけにこの階段もすごくしんどかった。

手すりにしっかり掴まり、まわりで歩くスピードは一切無視し、自分のペースを乱さず、手荷物と、階段にだけ集中した。
気が散ったら、体勢が崩れる様な気がしたからだ。
気持ちはイッパイイッパイなのに、なぜか涼しい顔をしてしまう。

リハビリと思っているため、それを邪魔されたくなかった。
親切で声をかけて下さる人がいたなら、「邪魔された」では申し訳ない。だから、涼しい顔をして、「手助け不要」をアピールしていた。

そしてまた、恐怖の鏡面仕上げの上をそぉーっと通過し、エレベーターに乗って病室へ辿り着いた。

もう到着する頃には、ギプスで曲がるはずのない腰がすっかり曲がって、猫背にでもなっているんじゃないかとうほど、グッタリした。

でも、また、明日行こうと思った。