ORANGEの備忘記録 -21ページ目

御恩は忘れません

退院し自宅に戻ると義母が迎えてくれた。

どんなに大変な事でも、決して出来ないとは言わずに、なんでもこなす義母。
今回、私が入院したばっかりに、震災で義母の自宅も心配であるはずなのに、戻るとも言わずにずっとこの家のことをして下さった。
正直、とても狭いため義母の部屋を確保する事もできず、寝場所もない。
子供達と一緒に寝起きしていた。

今回の突然の入院、家の中も片付けもせず、雑然としていたはずだ。
そんな中、右も左もわからない土地で幼稚園の送り迎えや、買い物など全部いやな顔一つせずこなしてくれた。

本当に感謝でいっぱいだ。

震災後の混乱の真っ最中、義父は人生初の一人暮らしだ。それも私が原因…。

義母を直ぐにでも帰宅させてあげなければいけないとずっと思っていた。

実際、自分も出来ないこともあるが、大抵のことはできるほど回復していた。

早速、帰宅を提案すると、義母は私が完全に回復するまではここで手伝うと言ってくれた。

本当にありがたいし、こんな世の中が大変なときに助けが必要だなんて自分が情けなくて涙が出た。

こちらの気持ちを酌んで下さったのか、次の日に早速帰宅する事になった。

複雑な気持ちだった。
いつまた、大きな余震が来るかも知れない場所におかえしして良いのだろうか。

でも、やっぱり自分に置き換えたら、帰宅して状況を知りたい把握したいだろう、と。

義母には寝床もなかったのだ、身体的にも疲労がたまっているだろう。

この御恩は一生どころか孫の代、いやそれ以上語り継がせます。

いつか、いつでも、恩返し出来るよう心身を鍛えなければいけないと、つくづく思った。

クワバラくわばら

退院は、夫と子供達が迎えに来てくれた。
荷物は夫に任せ、病棟を出る。

それまでは、自分の好きなペースで歩いていたから、人のペースに合わせようとすると案外集中力がいる事に気づいた。
話をしたりしながらも、つまづいたりバランスを崩したりしないよう、注意しなければならないからだ。
普段なら、目をつぶってでも出来るようなことが、たった10日間寝たきりだっただけで胴体を固定されているだけで、だいぶ下手になった。

駐車場まで歩いて行き、いつも通り車に乗ろうとすると、動きが止まった。

迎えに来てもらった車はごく普通のミニバンだった。

助手席に乗ろうとすると、今の私が一番苦手とする「かがむ」事をしないと入れない。
まして、かがみながら、足を車内へ伸ばし入れて、スッと腰を下ろすなんて出来そうにない。

一瞬動きが止まったが、あちこち掴まりながら、ゆっくり腕の力で体を支えてなんとか乗り込んだ。

車が動き出すと、段差や凸凹が気になった。
背中が、グッキッとなりゃしないだろうか、急ブレーキに耐えられるのだろうか。不安が増幅した。

家に着くと、ゆっくり車から降りた。
降りてしまえばどうって事はなかった。

玄関に向かう。ドアの前に数段の階段がある。
ここは、怪我をする前にも派手に転び、数ヶ月膝の痣が消えない怪我をしたところだ。

元気な状態でもやらかすのだから、今は危険だ。慎重に上がった。

家では義母が迎えてくれた。

退院

入院から丸3週間が経つと、いよいよ退院の時がやってきた。

同室の患者さん方は、私より一足先に退院していった。

いよいよ自分の番がやって来た。

入院の時のように、退院もいろいろ手続きがあったリするものだと思っていたが、意外とアッサリしていた。
その日の内だったら何時に退院しても良いそうだ。

都合の良い土曜の夕方に退院した。

さらりと荷物を持ってスッと出て行くだけ。
看護師さん方にご挨拶したかったが、残念ながら会議中で取り込んでいた。

1階に降り、支払いを済ませ、次回の診察予約をすると病院を出た。