ORANGEの備忘記録 -20ページ目

コルセット

退院してからやっと、入浴する事が出来た。

といっても、相変わらず脇の下から腰骨までギプスで覆われている。

洗いたくてもあまり上手く行かない。
それでも、今まで以上にサッパリした。

退院から約1週間後、病院に診察に行った。
以前採寸したコルセットがやっと出来上がり、ギプスを外してもらうのだ。

翌日には、卒園式に付き添えなかった次男坊の入学式を控えていた。
ギプスした体では、フォーマルスーツが着れないのだ。

入学式の前日に、着脱可能なコルセット装着が間に合って、本当に良かった。ギリギリだった。

さて、いざ病院に着くと、3週間もいた病院なのに、外来は全く勝手がわからない。

大きな病院だけに、システムも複雑だ。
受付を済ませ、クリアファイルを受け取り、レントゲンを撮影。
その後、ネガを持って整形外科で待つ。これだけのことが、本当に呼ばれるのか、場所は合っているのか、提出書類はこれでいいのか、不安なのだ。

まわりにいる多くの人もそんな不安を抱えていたようだった。
付き添いの人とどこに行ったら良いのか相談していたり、受付の人に、まだ呼ばれないと聞いてる人、余りの待ち時間に大声で怒り出す人、みんなそわそわしていた。

なぜか私は、そういうとき知ってる顔をしてしまう。知ったかぶりなのか、見栄っ張りなのか。

順番がきた。馴染みの先生に診てもらった。骨は順調に回復しているとのこと。

いよいよギプスを外して、コルセットに付け替えてもらった。

思っていたコルセットとだいぶ違っていた。布地に針金か何かでかたどったような物を想像していたが、それはまるでロボットの枠組みのような形の物だった。
すごく軽い素材で、骨組みのように隙間がある。採寸したため、ピッタリだ。
あくまでもギプスの代わりだが、寝るときは、外しても構わないと。
だいぶ進歩した。
これで入浴も完全だ。良かった良かった。

次の診察は、翌月で良いとの事だった。

入れ代わり立ち代わり

翌日、義母は帰宅した。

本当にお世話になった。

これまでの経過の報告を実家に伝えると、今度は実母が手伝いに来ると言う。

もうこちらは大丈夫だと言っても、義母が駆けつけて下さった後は自分が行こうと思っていたから、と。

ありがたくお願いすることにした。

実母は、その翌日、到着した。
しばらくの間は、家事をほとんどお願いし、自分は近くの川に散歩に行っていた。

川と言っても、完全に整備された川で、両岸には広く遊歩道があり、ジョギングや犬の散歩をする人が多くいる。夏には子供達がプール代わりに水遊びをするような、とても素敵な川だ。

上流まで行って海辺の下流まで戻る往復で約5キロのコース。

いきなり往復は負担があるので、20分程ゆっくり歩いて終わりにした。

実母に、この辺りを散歩がてら紹介しながら、いろいろ見所をまわったりもした。
酒蔵の多いこの町、日本酒好きならばたまらないのだろうが、残念ながら、誰もお酒に強い者がいない。
本当に、もったいない。あぁもったいない。

モザイク

出発前夜、みんなでお好み焼きを食べに行った。

そこは代表的な観光スポットで、夜景がとても綺麗だ。

この土地が初めてという義母に、観光もろくに連れて行ってあげられなかったので、せめて外食を、とやってきた。

食事のあと、お土産屋さんをいろいろまわり、子供達もついでに何か買ってもらった。

今思えば、もう少し長くいてもらったら、あちこち観光に連れて行ってあげられたな、なんて思うが、その時は、震災後の落ち着き具合もわからなかったし、自分の回復具合もどんなものか測れなかった。

結局、数ヶ月後、義両親には、観光しに遊びに来ていただいたのだった。