きっと大きな変化がおきる10年(その2)
私は今回クリートを襲った嵐によって私は、今回の題名である とても大きな変化がおきる10年に気づくことができました。
東日本大震災。日本の労働人口率が50%を割り込む。 エネルギー政策が大きく変化する。 政治の混乱。
誰の目にも大きな変化が来ることは明らかです。 ただこれらは、一つ一つがあまりに大きすぎてはたしてそれらが自分達に直接関わること(すなわちビジネス環境)に対し、どのような変化を生むかまではピンと来ないと思います。
私もそれをはっきりとここで皆さんに伝えられるほど見えている訳ではないけれど、一足先に苦労をすると よく目を凝らして周りを見ている分だけ、肌で理解できることがあるのです。
まず、日本人が変わっていくように思います。もちろんガラリと変わるわけではなく、はじめにごく少数の「日本はもはや本当にまずい状態にある!」と思い、立ち上がる人たちがきっと出てくると思います。 おそらくは政治ではなくビジネスの世界で現れることでしょう。
その人たちが発するメッセージがきっと、各会社の若い役員、部長、課長、といった層に影響を与えるように思います。今まで何でも合議で進めようとしてきた管理職の一部に、リスクをとる動きが出るように思います。
閉塞感が蔓延した会社にいらっしゃる方々にはたぶん、ありえない!~と思うかもしれませんね。
東日本大震災。日本の労働人口率が50%を割り込む。 エネルギー政策が大きく変化する。 政治の混乱。
誰の目にも大きな変化が来ることは明らかです。 ただこれらは、一つ一つがあまりに大きすぎてはたしてそれらが自分達に直接関わること(すなわちビジネス環境)に対し、どのような変化を生むかまではピンと来ないと思います。
私もそれをはっきりとここで皆さんに伝えられるほど見えている訳ではないけれど、一足先に苦労をすると よく目を凝らして周りを見ている分だけ、肌で理解できることがあるのです。
まず、日本人が変わっていくように思います。もちろんガラリと変わるわけではなく、はじめにごく少数の「日本はもはや本当にまずい状態にある!」と思い、立ち上がる人たちがきっと出てくると思います。 おそらくは政治ではなくビジネスの世界で現れることでしょう。
その人たちが発するメッセージがきっと、各会社の若い役員、部長、課長、といった層に影響を与えるように思います。今まで何でも合議で進めようとしてきた管理職の一部に、リスクをとる動きが出るように思います。
閉塞感が蔓延した会社にいらっしゃる方々にはたぶん、ありえない!~と思うかもしれませんね。
2010-2020 は、きっと大きな変化がおきる10年 その1
ブログを最後に更新したのが2010年2月。21世紀、二度目の新しい10年が始まった直後、小舟クリートにとっては大きな嵐が突如来襲。その嵐を乗り越える間、しばらくブログが中断されました。こうした変化のために私たちが絶えず準備をしてきたことは、最後のブログにも書いた通りです。
幸い今回クリートを襲った嵐は、チーム全員の努力と結束によって乗り越えることができた、いわば想定された範囲の強さのものでした。 ただしこれは終わった後でしかわからないことです。 実は過ぎた・・と思っている今でさえ、またすぐ空が真っ黒な雲に覆われるのではないか?と身構えているくらいです。
クルー達は本当によくがんばりました。10年以上勤めているものを除き、嵐に巻き込まれるのが初めてのメンバーばかりですから、船長の務めとして、被害とそれに伴う覚悟を全員に伝えられた時は きっと自らの不運を嘆いたのではないでしょうか?
ただそうした者たちが本当によく耐え「普通じゃない働き」を存分に見せてくれました。過ぎてみればクリートには実に逞しいチームが出来上がっていました。 新しい技術を身に着けた者も多く、1年前に入ったヒヨコ達も、しっかり稼ぎ始めています。つくづく私は本当に幸せな経営者だと思います。
幸い今回クリートを襲った嵐は、チーム全員の努力と結束によって乗り越えることができた、いわば想定された範囲の強さのものでした。 ただしこれは終わった後でしかわからないことです。 実は過ぎた・・と思っている今でさえ、またすぐ空が真っ黒な雲に覆われるのではないか?と身構えているくらいです。
クルー達は本当によくがんばりました。10年以上勤めているものを除き、嵐に巻き込まれるのが初めてのメンバーばかりですから、船長の務めとして、被害とそれに伴う覚悟を全員に伝えられた時は きっと自らの不運を嘆いたのではないでしょうか?
ただそうした者たちが本当によく耐え「普通じゃない働き」を存分に見せてくれました。過ぎてみればクリートには実に逞しいチームが出来上がっていました。 新しい技術を身に着けた者も多く、1年前に入ったヒヨコ達も、しっかり稼ぎ始めています。つくづく私は本当に幸せな経営者だと思います。
2010年入社の新卒者が、定年を迎える年にも新卒採用者を迎えられる会社になるために。(最後)
今年採用の新卒者が定年を迎える年にもまだ、雇用の創造と維持を会社の存在意義に据え、しかもそれを実行している状態へと導くために、立ち止まることは許されません。 とるべきではないリスクは一切避けるとともに、とるべきリスクはしっかりと実行しなくてはなりません。 それは例えそのために会社が危機に陥ろうとも慎重な判断と勇気を持って、敢えてとるべきリスクを常にとることをやめてはならないのが経営する者の辛いところです。じっとしていれば安全なら、少しでも動きたくないのが本音です。 特に一度、命からがら這い上がって来た私のような者にとっては、再度リスクを冒すことはとても勇気が必要でした。
しかし、じっとしていて安全であるはずがないのです。 世の中が変化するのに、自分だけ変化しないで安全なわけがありません。それまで豊かだった餌場も泉も、季節が変われば必ず涸れて来ます。 その変化に対応できる者達だけが遺伝子を残し続けられるのが自然の摂理であり、会社もその摂理から逃れることはできません。
ピータードラッカーさんは、もっとも上手な変化への対応は自らが変化を起こすことだと言っています。 とるべきリスクをとらないことはさらにリスクが増すという言葉も彼の受け売りです。
インド進出や価格破壊と言われる新サービスの開始もすべて、自らが起こした変化を、自らが最初に超えるための序章です。この一番を乗り切った先にはきっと、題にあるような会社に私達はなっていることでしょう。
(おしまい)
しかし、じっとしていて安全であるはずがないのです。 世の中が変化するのに、自分だけ変化しないで安全なわけがありません。それまで豊かだった餌場も泉も、季節が変われば必ず涸れて来ます。 その変化に対応できる者達だけが遺伝子を残し続けられるのが自然の摂理であり、会社もその摂理から逃れることはできません。
ピータードラッカーさんは、もっとも上手な変化への対応は自らが変化を起こすことだと言っています。 とるべきリスクをとらないことはさらにリスクが増すという言葉も彼の受け売りです。
インド進出や価格破壊と言われる新サービスの開始もすべて、自らが起こした変化を、自らが最初に超えるための序章です。この一番を乗り切った先にはきっと、題にあるような会社に私達はなっていることでしょう。
(おしまい)
2010年入社の新卒者が、定年を迎える年にも新卒採用者を迎えられる会社になるために。(その3)
先日テレビ東京のカンブリア宮殿にアイリスオーヤマの大山社長が出演されていました。高度成長期に事業拡大をしたものの、オイルショックで大打撃を受けて本社工場を閉鎖。勤めていた方々のクビを切らなくてはならない事態を経て、不景気に強い会社を作ること誓ったそうです。「不景気は10年に一度来る。ゆえに不景気に強い会社でなければ生き残れない」というようなことをお話しされてました。
なるほど多くの会社は好景気時に生まれて、不景気で消えていきます。土地が上昇し始めれば不動産関係の仕事をしていた人が独立をし、やがてバブルがはじけて会社が無くなる。ITバブルの時だって、テレビゲームブームjの時だって同じです。
ほとんどの創業者は「時代の波はあるけれど、その時までに不況に耐えられるよう会社を大きくしておけば大丈夫」と考えますが、不景気でつぶれる会社の多くが、社員の多さ故に人件費の重みでつぶれてしまう。大きくなったらつぶれないは逆です。“大きな会社より、小さな会社の方が長生きする”は正確に言うと「好景気を追い風に大きくなった会社より、不景気に強い小さな会社の方が長生き」ということになります。
だから、起業は不景気に始めた方が良い。不景気にお金を稼ぐ知恵が備わるからです。好景気やブームに乗じて会社を作ると、最初は楽だし大きくなるのも早いけれど、ひとたび不景気やブームの落ち込みを迎えると、これまで体験したことのない状況ゆえに、ダメになるのも早いのです。
不景気に生まれしかも不景気に強い会社なら、好景気に「資本利益率が悪い」なんて無責任な悪口を言われるけれどつぶれることはありません。もちろん不景気になれば水を得た魚のごとく、真価を発揮します。うまくすればだめになった同業を安い価格で、頼まれて買うような機会も訪れます。
ちなみにクリートが起業した年は1990年12月。日経平均が3万9千円をつけたところから、奈落の底に滑り出しはじめた時。多くの会社がどんどんつぶれてゆく中で、マーケティングを行った経験は20年たった今も活かされています。こうした大変な時代でもクリートが攻めに出ることが可能なのは、そのおかけだと思います。
なるほど多くの会社は好景気時に生まれて、不景気で消えていきます。土地が上昇し始めれば不動産関係の仕事をしていた人が独立をし、やがてバブルがはじけて会社が無くなる。ITバブルの時だって、テレビゲームブームjの時だって同じです。
ほとんどの創業者は「時代の波はあるけれど、その時までに不況に耐えられるよう会社を大きくしておけば大丈夫」と考えますが、不景気でつぶれる会社の多くが、社員の多さ故に人件費の重みでつぶれてしまう。大きくなったらつぶれないは逆です。“大きな会社より、小さな会社の方が長生きする”は正確に言うと「好景気を追い風に大きくなった会社より、不景気に強い小さな会社の方が長生き」ということになります。
だから、起業は不景気に始めた方が良い。不景気にお金を稼ぐ知恵が備わるからです。好景気やブームに乗じて会社を作ると、最初は楽だし大きくなるのも早いけれど、ひとたび不景気やブームの落ち込みを迎えると、これまで体験したことのない状況ゆえに、ダメになるのも早いのです。
不景気に生まれしかも不景気に強い会社なら、好景気に「資本利益率が悪い」なんて無責任な悪口を言われるけれどつぶれることはありません。もちろん不景気になれば水を得た魚のごとく、真価を発揮します。うまくすればだめになった同業を安い価格で、頼まれて買うような機会も訪れます。
ちなみにクリートが起業した年は1990年12月。日経平均が3万9千円をつけたところから、奈落の底に滑り出しはじめた時。多くの会社がどんどんつぶれてゆく中で、マーケティングを行った経験は20年たった今も活かされています。こうした大変な時代でもクリートが攻めに出ることが可能なのは、そのおかけだと思います。
2010年入社の新卒者が、定年を迎える年にも新卒採用者を迎えられる会社になるために。(その2)
まずは「環境の変化に対して敏感」という点についてお話をしましょう。
クリートは今年前半のうちに、インドに小さな合弁会社を作ります。 現地の会社と日本の会社と我々の3社で、デリーとハイデラバードを拠点とした活動を始めます。これは1年前に起きた環境変化に対し敏感に反応した結果です。
リーマンショックの記憶が新しかった昨年、企業の動きに変化が見受けられました。それはこれまで儲からないけど本社を置くマザーマーケットゆえ重視してきた国内市場を、単なる「儲かりもしなければ成長もしない一市場」として見るようになったことです。
サブプライム関連が及ぼす不健全な負債が少ない日本企業は、最初に立ち直ると思われてきました。私の周りの広告にたずさわる者達も2010年4月が来て、多くの企業が黒字化に成功すれば広告市場も立ち直ると思っていました。
しかし私は違うことを考えていました。それは日本企業が、これまで赤字を出してでも大事にしてきた国内のシェアや販路を切り捨てる方向に舵を切るのではないか?ということです。 意地を張る必要が無くなれば、無理はしなくなります。するとそこに投入する4Pは、全て縮小されることになります。
クルマ会社は以前のように日本市場向けモデルを作らなくなりました。 販路もこれからどんどん絞り、中には国内販社をたたんで商社に販売を任せる会社も出てきます。 必然的にプロモーション予算も絞ります。 国内広告市場は60%に萎んだと言われる2009年でしたが、もしかすると元々70%くらいが適正値だったのかもしれません。 つまり3割の広告関連会社はいらないということです。
モノづくりが強いと言われる日本のエレクトロニクス企業が稼ぐ利益を全て足しても、サムスン1社の利益に満たないそうですが、そのサムスンがなぜ日本の市場では戦おうとしないのでしょう? 日本人はおめでたいので「日本の消費者は世界一厳しいから、そこではさすがのサムスンも勝てないとあきらめている」なんて思ってますが本当にそうでしょうか? 私はただ単に「採算度外視で活動をするような狂った奴らと戦っても儲からない」から、いずれ消耗してたたかう力が無くなる時まで、放っておかれているだけだと思います。
そんな狂っている市場で、博報堂や電通と言った会社の下請けを我々がやっても、どう考えたって未来があるわけない。
そうしたら、たとえ私たちくらい小さな会社であっても、海を越えて新天地を見つけないわけにいかないのです。なんたって今年入る新卒者達が、無事定年を迎えられる会社にするのが、私達経営者の責任なのですから。 (続く)
クリートは今年前半のうちに、インドに小さな合弁会社を作ります。 現地の会社と日本の会社と我々の3社で、デリーとハイデラバードを拠点とした活動を始めます。これは1年前に起きた環境変化に対し敏感に反応した結果です。
リーマンショックの記憶が新しかった昨年、企業の動きに変化が見受けられました。それはこれまで儲からないけど本社を置くマザーマーケットゆえ重視してきた国内市場を、単なる「儲かりもしなければ成長もしない一市場」として見るようになったことです。
サブプライム関連が及ぼす不健全な負債が少ない日本企業は、最初に立ち直ると思われてきました。私の周りの広告にたずさわる者達も2010年4月が来て、多くの企業が黒字化に成功すれば広告市場も立ち直ると思っていました。
しかし私は違うことを考えていました。それは日本企業が、これまで赤字を出してでも大事にしてきた国内のシェアや販路を切り捨てる方向に舵を切るのではないか?ということです。 意地を張る必要が無くなれば、無理はしなくなります。するとそこに投入する4Pは、全て縮小されることになります。
クルマ会社は以前のように日本市場向けモデルを作らなくなりました。 販路もこれからどんどん絞り、中には国内販社をたたんで商社に販売を任せる会社も出てきます。 必然的にプロモーション予算も絞ります。 国内広告市場は60%に萎んだと言われる2009年でしたが、もしかすると元々70%くらいが適正値だったのかもしれません。 つまり3割の広告関連会社はいらないということです。
モノづくりが強いと言われる日本のエレクトロニクス企業が稼ぐ利益を全て足しても、サムスン1社の利益に満たないそうですが、そのサムスンがなぜ日本の市場では戦おうとしないのでしょう? 日本人はおめでたいので「日本の消費者は世界一厳しいから、そこではさすがのサムスンも勝てないとあきらめている」なんて思ってますが本当にそうでしょうか? 私はただ単に「採算度外視で活動をするような狂った奴らと戦っても儲からない」から、いずれ消耗してたたかう力が無くなる時まで、放っておかれているだけだと思います。
そんな狂っている市場で、博報堂や電通と言った会社の下請けを我々がやっても、どう考えたって未来があるわけない。
そうしたら、たとえ私たちくらい小さな会社であっても、海を越えて新天地を見つけないわけにいかないのです。なんたって今年入る新卒者達が、無事定年を迎えられる会社にするのが、私達経営者の責任なのですから。 (続く)