あなたの保険大丈夫ですか?将来の年金支給額知ってますか?直ぐに計算出来ますよ -96ページ目

生命保険料は安いほどいい

 「最近は、通販やネットで入れる保険などもあって、保険料も安いようですけど、保険って『安い方がいい』と考えていいのでしょうか? 変な話、すごく料金が安いと何か(問題が)あるような気がする自分もいて、判断に困っているのですが……」

 先日、あるマスメディアの方から頂いた質問です。

 私は「『同じ商品なら安いほどいい』と考えています」と答えました。

 理由は3つあります。

(1)保険の存在意義は、保険料と保険金の差額が大きいことにある

(2)同額の保険金で手に入る物やサービスは同じである

(3)収入や貯蓄が少ない人ほど保険の必要性が高くなる

 というものです。今さら……という感もありますが、あらためて確認しておきます。

 まず(1)です。仮に「がん」と診断された時点で100万円が支払われる「がん保険」が、払い込み方法は「一括払い」のみ99万9800円で販売されていたら……と想像してみます。

 誰も買わないはずです。95万円でも90万円でも売れないでしょう。月払い保険料が数千円、年払いにしても数万円でありながら、診断時に100万円の給付が約束されているところが「がん保険」の魅力です。

 であれば、100万円が給付される権利を得るために払い込む保険料の総額が、90万円より50万円、あるいは30万円と、給付額とかけ離れているほど好ましいのは当然でしょう。

 次に、(2)は意外に勘違いされやすいことかもしれません。たとえば、現行商品で比べると、30歳男性が60歳まで2000万円の死亡保障を確保する場合、ある国内大手の「定期保険」では保険料払い込み総額が約320万円、インターネット生保の同種の保険では180万円前後です。

 一般に、こうした価格の差については、対面販売において担当者が果たす役割等、「サービス」の違いが強調される傾向があります。

 仮に、ホテルに泊まる場合などであればわかります。一泊5000円のホテルと5万円のホテルでは、従業員によるサービスはもちろん、居住空間へのお金のかけ方の違いが一目瞭然だったりするからです。

 しかし、保険の場合、たとえば大手の営業職員を通じて加入した保険でも、通販で加入した保険でも、5000円の給付金で利用できるのは5000円のホテルです。大手からの給付金に限って、5万円のホテルに宿泊できるわけではありません。

 また、「サービス」にしても、保険料が高い会社ほど充実しているとは言えないと思います。私が知る限りでは、担当者の個人差が大きいため「品質にバラつきがあるサービスに一定の課金がある」と認識した方がいい状況です。

 以上、ここまでは、いざという時に100万円や1000万円単位のお金が支払われる保険を例にしてきましたが、100万円の自己資金がある人に、100万円の保険は不要です。1000万円を用意できる人にも同額の保険は必要ないでしょう。

 そこで(3)が問題になります。

 収入や貯蓄が少なく、数万円や10万円単位の出費が痛手になる人ほど、保険加入の必要性は増します。そのためにも保険料は安いほどいいのだ、と思います。

 そもそも、「保険金支払いのために準備しなければならないお金の額」は、死亡率などに基づいて算出されているので、各保険会社で大きな差があるものではないはずです(死亡率自体、かなり高めに見積もられている問題については、別の機会にとりあげます)。

 ということは、保険会社による保険料の違いには、会社の諸経費等、保険金支払い以外の用途に使われるお金の多寡が影響するわけです。競馬や宝くじに例えると「胴元の取り分」により保険料が変わる、という見方も出来るのです。

 保険の仕組みは、加入者から集めたお金を、不幸があった人や家庭に分配するものですから、経費が削減されるほど胴元の取り分は低いほど保険料が下がり、加入者に分配されるお金の比率は高くなります。

 私は、この「分配率」を上げることほど、保険において「本質的なサービス」はないと考えます。

人間はどのような行為が蔑(さげす)まされるのか?

人間はどのような行為が蔑(さげす)まされるのか?

人は一人一人、人としての尊厳を持っています。それは背の高さとか英語ができるとかそういうものではなく、「日本人としてまともに生きていれば、その人には尊厳がある」と言うことです。ここでいう「まとも」というのは病気と闘って入院している人も、まともな人生を送っておられます。

そんな人間でも尊厳を失うことがあります。それは「働けるのに働かず」、「額に汗して得るお金では満足せず」、「人のお恵みを受ける」という状態です。たとえば仕事ができて収入があるのに、理由をつけて仕事をせずに生活保護を受けるようなものです。どうしても働けずに生活保護を受けるのは「まとも」ですが、働くのをいやがって生活保護を受ける人は蔑まれます。

福井県大飯町は原発の受け入れを町議会で圧倒的多数で決めました。理由は「あまりにも貧乏で、電源三法によるお金を必要とする」ということのようです。大飯の原発の電気は大阪の人が使うのですが、大阪湾では危険なので、貧乏な若狭湾にお願いし、その分だけお金を渡すというのに応じたようです。

私はニュースを聞き、大飯町はそれほど収入が少ないのかと可哀想になりました。地図を見ると海に面していて、漁場もあり、それほど困るようには見えないのですが、極貧なのでしょうか?

原発を誘致して産業を盛んにするというなら貧乏と関係はありませんが、電源三法で「危険手当」が出るのです。危険手当の意味は「大阪の人はお金持ちで危険はイヤだといっているので、原発を引き受ければその危険代金としてお恵みをだす」というものです。

私は大飯町が原発を引き受けるかどうかは大飯町の人が決めることですが、せめて「私たちは産業を盛んにしたいのであって、危険手当はもらいたくない。安全と信じて引きうけるのだから、お金は要らない」と宣言してもらいたいと思います。

この問題は、「東京の人は原発からの電気だけ」、「貧乏な新潟と福島の人は原発だけ」、「青森の人は廃棄物だけ」ということに象徴されていいます。東京は農業も工業もほとんどなく、それでいて他県の2倍の所得を得るというゆがんだ構造(ピンハネ構造)を採っているのに原因しています。

今後は、現場の所得の方が高いという「絆社会」を作り、原発は「安全なら都会に作り、電気に応じた廃棄物を引きうける」という原理原則をたて、もし地方が産業を活発にする

なら「お恵みなしの原発」に切り替えないと、日本人が徐々にその誇りを失うことになります。







中部大学武田邦彦
(平成24年5月17日)

NHKの中学校教育報道・・・2重の犯罪性と善良な習慣への挑戦

NHKの中学校教育報道・・・2重の犯罪性と善良な習慣への挑戦

瓦礫の搬出が大きな政治・社会問題になっているとき、NHKと環境省が組んで、東京の中学校で瓦礫の搬出を巡る討論をさせ、その様子を放映した。全体としては中学生も「恩」、「可哀想」などを根拠に瓦礫の搬出を支持しているような編集だった。

この番組は、2つの点で明白な犯罪であり、また日本のこれまでの善良は習慣への挑戦である。これほど明確ならさすがの検察が動くだろう。

第一は放送法第3条の2の違反。
放送法第3条の2は放送が社会に与える影響を考え、中立的放送をするように決めている。その骨子は、異論のある場合は2つの考えを同時に報道すること、公序良俗に反する放送をしないこと、である。瓦礫のように明らかに国論が2分されている時、瓦礫搬出推進の環境省だけの場面を報道してはいけないということである。また、瓦礫の搬出は法律違反(低レベル廃棄物関係、およびクリアランスレベル関係)であるから、それを破っても良いかどうかという教育を放送するのは公序良俗に反する。

第二は放射線同位元素などの法律の違反と法律違反教唆である。瓦礫のほぼ90%は低レベル廃棄物に相当し、普通なら原発の敷地などから持ち出せないものである。たとえ事故が起こっても本来は持ち出せないものだから、移動や焼却などという処理は出来ない。また、基準値は法令(国会など)で決まっているので、政府(行政)が勝手に8000ベクレルなどという基準を作ることは出来ない。

放射性物質を含む物体は、そのもの自体が法律に該当しなくても、移動、処理、焼却などの過程で法律に触れる濃度になってはいけない。だから、普通の施設(放射性物質を取り扱えない施設)での焼却では灰も1キロ100ベクレルを超えることは出来ない。その意味で2重に法律違反である。

第三に教育の自由を定める憲法違反もしくは子どもと教育を尊重する日本の善良は習慣に対する驚くべき挑戦でもある。国民全部から受信料をとっている放送局が、国内で激しく賛否が分かれているものを片方(環境省)だけを学校に呼んだ中学校の放送をするのは、何ということだろう。

子どもを出汁にして、社会を洗脳しようとするハッキリとした意図が見られる。

NHKの経営委員長が東電の取締役になった。「経営委員会は番組に影響を与えない」などと「社会は全員、善人だ」ということを前提としたような形式的な話で、「李下に冠を正さず」を思い出す。






中部大学武田邦彦
(平成24年5月15日)

「nhktdyno.93-(5:32).mp3」をダウンロード