保安院、必死の抵抗・・・どうしたら原発を危険にするか?!
保安院、必死の抵抗・・・どうしたら原発を危険にするか?!
2006年、原発の地震指針の改定は、原子力安全委員会―基準部会―指針作成委員会 という組織で検討が進んでいた。すでに指針作成委員会では、あまりにいい加減なそれまでの地震指針に対する異議がでて、一人の委員(大学の先生)が委員を辞任していた。
私が所属する基準部会に、原案が上がってきたときには審議自体がきわめて異様な雰囲気だった。「この地震指針は何が目的ですか?」という私の質問に担当課長は答えになっていない答えをして時間を稼ぎ、横にいる委員長も十分に言い含められていて、何もいわない。
原子力の委員会は原子力基本法で決められているように「自主、民主、公開」の3原則があるので、マスコミが同席している。でも原発は危険だという内容の議論は全く報道されず、最終的な官僚的結論だけが報道される。マスコミ以外の傍聴人はほとんどが原発関係者だから公開の意味を持っていなかった。
「民主主義とは勝ち取るものであり、それを維持するには不断の努力がいる」と言われるがまさにその通りで、「お上を信用する」などと言う日本の文化とは今のところ相容れないのである。
ともかく、2006年に新しい地震指針を作るに当たって、保安院は「古い地震指針を形式的にだけ改正し、何も変わらない」というスタンスを取ることに全力を注いだ。そうしないと「これまでの原発は危険だった」と言うことになり、全国に訴訟が起こってそれを止められない・・・「原発が危険なままである」と言うことには役人は責任を追及されないが、「原発の訴訟が頻発する」ことに対しては「管理」を問われるからだ。
2006年、保安院が原子力安全委員会に対して「地震指針は変わっていないということで行く」という圧力をかけたことが報道されているが、保安院は終始「原発をいかに危険に保つか」に全力をあげていた。この事件はその一幕に過ぎない。
・・・・・・・・・
日本国民はこのことをまだ認めない。理由は「役人は正しいはずだ。日本国のために働いているはずだ」という形式論に縛られているからだ。でも「日本国のために働く」などという役人は100人に1人ぐらいしかいないので、周囲の圧力でつぶされていく。現在、出世している役人は「日本のためより自分の保身」に終始している役人だけである。
だから地震指針の改定に当たって、保安院は「安全な地震指針を作りたい」という委員に対して最大限の抵抗をしたのである。それに対して抵抗できなかった東大教授などの主要な学者は目の前に「勲章」がぶら下がっていて、どうにもならない。
一般の日本人は定年を控えた東大教授などの主要教授が、やがて70才ぐらいでもらう「天皇陛下」からの勲章のことばかり考えている。勲章は天皇陛下からもらうように錯覚しているが、陛下は決定のご意見を述べられない。すべては官僚が決めるから、官僚に逆らえば勲章はあきらめなければならないのだ。
今年から「勲章をもらった人を蔑む」という運動でもすれば、少しは委員会の議論はまともになるだろう。勲章は陛下からいただくものではなくなっているからである。
いずれにしても本来原発の安全性を守る一つの組織である保安院が、実体的には「原発を危険に保つ」と言うことに全力を注ぐ姿、それが2006年の地震指針での保安院であった(「原発の安全」を保つのではなく、「危険に保つ」ですから、注意してください)。
人間とは恐ろしいもので、原発が安全であることが何よりも大切なのに、「原発が訴訟されることを防ぐ」という目的があると、自分たちが「原発を危険にする」のに躍起になっていることに気がつかず、また気がついても村の中でそれに「おかしい」と声を上げることが出来なくなってしまう。
中部大学武田邦彦
(平成24年5月19日)
「tdyno.89-(7:31).mp3」をダウンロード
2006年、原発の地震指針の改定は、原子力安全委員会―基準部会―指針作成委員会 という組織で検討が進んでいた。すでに指針作成委員会では、あまりにいい加減なそれまでの地震指針に対する異議がでて、一人の委員(大学の先生)が委員を辞任していた。
私が所属する基準部会に、原案が上がってきたときには審議自体がきわめて異様な雰囲気だった。「この地震指針は何が目的ですか?」という私の質問に担当課長は答えになっていない答えをして時間を稼ぎ、横にいる委員長も十分に言い含められていて、何もいわない。
原子力の委員会は原子力基本法で決められているように「自主、民主、公開」の3原則があるので、マスコミが同席している。でも原発は危険だという内容の議論は全く報道されず、最終的な官僚的結論だけが報道される。マスコミ以外の傍聴人はほとんどが原発関係者だから公開の意味を持っていなかった。
「民主主義とは勝ち取るものであり、それを維持するには不断の努力がいる」と言われるがまさにその通りで、「お上を信用する」などと言う日本の文化とは今のところ相容れないのである。
ともかく、2006年に新しい地震指針を作るに当たって、保安院は「古い地震指針を形式的にだけ改正し、何も変わらない」というスタンスを取ることに全力を注いだ。そうしないと「これまでの原発は危険だった」と言うことになり、全国に訴訟が起こってそれを止められない・・・「原発が危険なままである」と言うことには役人は責任を追及されないが、「原発の訴訟が頻発する」ことに対しては「管理」を問われるからだ。
2006年、保安院が原子力安全委員会に対して「地震指針は変わっていないということで行く」という圧力をかけたことが報道されているが、保安院は終始「原発をいかに危険に保つか」に全力をあげていた。この事件はその一幕に過ぎない。
・・・・・・・・・
日本国民はこのことをまだ認めない。理由は「役人は正しいはずだ。日本国のために働いているはずだ」という形式論に縛られているからだ。でも「日本国のために働く」などという役人は100人に1人ぐらいしかいないので、周囲の圧力でつぶされていく。現在、出世している役人は「日本のためより自分の保身」に終始している役人だけである。
だから地震指針の改定に当たって、保安院は「安全な地震指針を作りたい」という委員に対して最大限の抵抗をしたのである。それに対して抵抗できなかった東大教授などの主要な学者は目の前に「勲章」がぶら下がっていて、どうにもならない。
一般の日本人は定年を控えた東大教授などの主要教授が、やがて70才ぐらいでもらう「天皇陛下」からの勲章のことばかり考えている。勲章は天皇陛下からもらうように錯覚しているが、陛下は決定のご意見を述べられない。すべては官僚が決めるから、官僚に逆らえば勲章はあきらめなければならないのだ。
今年から「勲章をもらった人を蔑む」という運動でもすれば、少しは委員会の議論はまともになるだろう。勲章は陛下からいただくものではなくなっているからである。
いずれにしても本来原発の安全性を守る一つの組織である保安院が、実体的には「原発を危険に保つ」と言うことに全力を注ぐ姿、それが2006年の地震指針での保安院であった(「原発の安全」を保つのではなく、「危険に保つ」ですから、注意してください)。
人間とは恐ろしいもので、原発が安全であることが何よりも大切なのに、「原発が訴訟されることを防ぐ」という目的があると、自分たちが「原発を危険にする」のに躍起になっていることに気がつかず、また気がついても村の中でそれに「おかしい」と声を上げることが出来なくなってしまう。
中部大学武田邦彦
(平成24年5月19日)
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妥当なタバコ・マナー運動とタバコ健康指導は?
妥当なタバコ・マナー運動とタバコ健康指導は?
タバコの問題もかなり煮詰まってきました。あとは、肺がん以外の慢性閉塞性肺疾患のような苦しい病気とタバコとの関係を解析するだけになってきました。そこで、この慢性閉塞性肺疾患のことを少し後にして、まずはこれまでの「いがみ合う禁煙運動」ではなく、みんなが楽しい「妥当なタバコマナー運動」と「タバコ健康指導」について考えてみたいと思います。
・・・・・・・・・
どんなものにもマナーがあります。お酒を飲む場合も、酒場であまり大きな声で叫ばないとか、暴れない、お酒を飲んだら運転しないなどがそれです。自分の趣味だからといって無制限にやって良いと言うことはありません。
タバコについて、社会で合意できるマナーは次のようなものではないでしょうか?
1) できるだけ人の多いところでは吸わない、
2) 吸い殻をポイ捨てなどするのはもってのほか、
3) ホテルなどの高層ビルでは火災の危険に十分に注意する、
4) タバコの煙のにおいは多くの人に不快感を与えるので喫煙所で吸う、
5) アレルギーの人、気管の弱い人は副流煙で死ぬように苦しむということを理解しかならず喫煙所で吸う、
などでしょう。
そして、医師、厚労省、自治体などが行うタバコ健康指導は、
1) 日本国憲法を守る(一人一人の尊厳を守る)、
2) 医師はタバコを吸うとある確率で病気になるので、それを覚悟するように言うこと、
3) (一部に見られる行きすぎですが)医師はタバコを吸っている人を診察しないなどをしない、
4) 自治体などは喫煙所で喫煙者がタバコを吸うのを楽しめるように配慮する、
5) 厚労省はこれまでの研究発表や調査の元データをすべて公開し、タバコの学問が正しく発展するように国民の方を向く、
ということでしょう。
最後に日本社会の禁煙運動ですが、
1) あくまで日本国憲法に基づき、他人に被害を与えないものを追放しようとしない、
2) 強いものに巻かれる方が得になるからといって、厚労省の尻馬に乗らない、
3) みんなで「ホッとする瞬間」を作る方法を考え、誰もがいやがらず、本人の健康も害さない「綺麗なタバコ、もしくはタバコに変わるもの」を考える、
4) 現在の喫煙者は尊重し、若い人に喫煙の習慣を避けさせる、
のが良いのではないかと思います。
私がここまでタバコのことを考えてきた直接的動機は、被曝が起こった時、「タバコより安全」ということで被曝を容認する道具にタバコが使われたことでしたが、「人はパンのみで生きることはできない」のですが、現代の日本社会は、若干、ヒステリー的になって日本人から「タバコ、お酒、パチンコ、カラオケ、スナック、温泉旅行」などの楽しみを次々と取り去って、「ただ、馬車馬のように働く動物としての人間」の方向は間違っていると思うからです。
お酒が飲めない人はタバコで心をいやしているのかも知れません。歌が良いと言ってもカラオケが嫌いな人もいます。温泉も万人が好きとは限りませんし、お金がかかります。タバコと聞けば牙をむくという社会は健全ではないように思います。
でも、同時にタバコの煙で死ぬように苦しむ人もいることを十分に考えなければなりません。原発の例でもわかるように「弱いものは切り捨てる」という文化こそ「野蛮な文化」なのです。そしてタバコを吸った人で慢性閉塞性肺疾患になって苦しむ人、「肺がん」「副流煙」と見当違いのことを言っているうちに、本当に苦しんでいる人の治療や対策が遅れていると私は思うのです。
腕から血が出ているに足に包帯を巻いた方が包帯の長さが長くなるので儲かるなどと、人の健康をもてあそぶのは感心しません。
そして、みんなで工夫して、一人一人の人が、余暇や自由時間を楽しく過ごすことが出来るようないがみ合いのない社会に住みたいものです。今の日本は、お金があまり対外資産を250兆円ももち、大震災と地震に見舞われても円高という状態(お金がある)で、ただひたすら沈滞した社会を作る方に進んでいるように見えます。
最後に一言付け加えるなら、タバコの問題は自由意思で吸う人の問題ではなく、副流煙で多くの人が肺がんになるというのもウソですが、タバコで疾患になり、あるいは煙で苦しむ人がいるということを知って、遠慮するという日本人の心の問題と私は考えます。
中部大学武田邦彦
(平成24年5月19日)
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タバコの問題もかなり煮詰まってきました。あとは、肺がん以外の慢性閉塞性肺疾患のような苦しい病気とタバコとの関係を解析するだけになってきました。そこで、この慢性閉塞性肺疾患のことを少し後にして、まずはこれまでの「いがみ合う禁煙運動」ではなく、みんなが楽しい「妥当なタバコマナー運動」と「タバコ健康指導」について考えてみたいと思います。
・・・・・・・・・
どんなものにもマナーがあります。お酒を飲む場合も、酒場であまり大きな声で叫ばないとか、暴れない、お酒を飲んだら運転しないなどがそれです。自分の趣味だからといって無制限にやって良いと言うことはありません。
タバコについて、社会で合意できるマナーは次のようなものではないでしょうか?
1) できるだけ人の多いところでは吸わない、
2) 吸い殻をポイ捨てなどするのはもってのほか、
3) ホテルなどの高層ビルでは火災の危険に十分に注意する、
4) タバコの煙のにおいは多くの人に不快感を与えるので喫煙所で吸う、
5) アレルギーの人、気管の弱い人は副流煙で死ぬように苦しむということを理解しかならず喫煙所で吸う、
などでしょう。
そして、医師、厚労省、自治体などが行うタバコ健康指導は、
1) 日本国憲法を守る(一人一人の尊厳を守る)、
2) 医師はタバコを吸うとある確率で病気になるので、それを覚悟するように言うこと、
3) (一部に見られる行きすぎですが)医師はタバコを吸っている人を診察しないなどをしない、
4) 自治体などは喫煙所で喫煙者がタバコを吸うのを楽しめるように配慮する、
5) 厚労省はこれまでの研究発表や調査の元データをすべて公開し、タバコの学問が正しく発展するように国民の方を向く、
ということでしょう。
最後に日本社会の禁煙運動ですが、
1) あくまで日本国憲法に基づき、他人に被害を与えないものを追放しようとしない、
2) 強いものに巻かれる方が得になるからといって、厚労省の尻馬に乗らない、
3) みんなで「ホッとする瞬間」を作る方法を考え、誰もがいやがらず、本人の健康も害さない「綺麗なタバコ、もしくはタバコに変わるもの」を考える、
4) 現在の喫煙者は尊重し、若い人に喫煙の習慣を避けさせる、
のが良いのではないかと思います。
私がここまでタバコのことを考えてきた直接的動機は、被曝が起こった時、「タバコより安全」ということで被曝を容認する道具にタバコが使われたことでしたが、「人はパンのみで生きることはできない」のですが、現代の日本社会は、若干、ヒステリー的になって日本人から「タバコ、お酒、パチンコ、カラオケ、スナック、温泉旅行」などの楽しみを次々と取り去って、「ただ、馬車馬のように働く動物としての人間」の方向は間違っていると思うからです。
お酒が飲めない人はタバコで心をいやしているのかも知れません。歌が良いと言ってもカラオケが嫌いな人もいます。温泉も万人が好きとは限りませんし、お金がかかります。タバコと聞けば牙をむくという社会は健全ではないように思います。
でも、同時にタバコの煙で死ぬように苦しむ人もいることを十分に考えなければなりません。原発の例でもわかるように「弱いものは切り捨てる」という文化こそ「野蛮な文化」なのです。そしてタバコを吸った人で慢性閉塞性肺疾患になって苦しむ人、「肺がん」「副流煙」と見当違いのことを言っているうちに、本当に苦しんでいる人の治療や対策が遅れていると私は思うのです。
腕から血が出ているに足に包帯を巻いた方が包帯の長さが長くなるので儲かるなどと、人の健康をもてあそぶのは感心しません。
そして、みんなで工夫して、一人一人の人が、余暇や自由時間を楽しく過ごすことが出来るようないがみ合いのない社会に住みたいものです。今の日本は、お金があまり対外資産を250兆円ももち、大震災と地震に見舞われても円高という状態(お金がある)で、ただひたすら沈滞した社会を作る方に進んでいるように見えます。
最後に一言付け加えるなら、タバコの問題は自由意思で吸う人の問題ではなく、副流煙で多くの人が肺がんになるというのもウソですが、タバコで疾患になり、あるいは煙で苦しむ人がいるということを知って、遠慮するという日本人の心の問題と私は考えます。
中部大学武田邦彦
(平成24年5月19日)
「finaltabaccotdyno.87-(9:13).mp3」をダウンロード
人生の落とし穴:::35才脳死説・・・寂しく昼食を採る人たち
人生の落とし穴:::35才脳死説・・・寂しく昼食を採る人たち
4月に入社した新人は5月になって元気にやっているでしょうか? 5月病といって少しなれてくると体調を崩す人もおられるようです。ところで、人生にはいくつかの落とし穴があります。原発を引き受けてお恵みをもらい、すっかり働く意欲を失ってその方が没落していくのを見ると、これもまた落とし穴の一つと思います。
4月に希望に満ちて会社に入った若い人も、そろそろなれてきた頃と思います。もし若い人がこのブログを読んでおられたら、私の経験を一つお話ししたいと思います。
[
Bandicam_20120518_095409006]
この図は「35才脳死説」を説明したグラフです。大学を出て就職した直後は、平社員で上司の命令通り動けば良いのですから、楽なものです。大学で習ったことなどほとんど役に立ちません。常識の範囲で立派に仕事をすることが出来ます。
ところが、永久に平社員であることは希で、30才を少し過ぎた頃に、課長や店長など責任ある立場に立ちます。コンビニエンスストアーなら、それまで「ハイ!」と「笑顔」で良かったのに、「何が売れるか?」を的確に判断しないとダメになります。工場では生産設備を、研究では学力が、そして営業では人付き合い、見通しなどが求められます。
しかし、すでに10年もサボってきたので、急に要求レベルが高くなってもそれに応じることが出来ません。そして、自分の力を見つめてみると「とうてい、求められるレベルに到達できない」と感じるのです。
人間は生物ですから、「ダメだ」と思うとその苦痛から逃れるように全力を尽くします。それが「脳死」なのです。あれほど活発だった彼、いつも昼になるとみんなでわいわいと食事を楽しんでいた彼、その彼がひっそりと椅子を立ち、肩をすぼめながら歩き、黙って一人で昼食を採っているのです!
彼が楽になる方法、それは脳の活動を止めて死んだように生きることなのです。だから食事は一気にまずくなり、友人と話しながら食べるなどは苦痛です。私はそのような若い人をよく見てきましたが、平均的には35才程度のように思います。
「35才脳死」、その後に来る50年の人生は灰色で楽しみはほとんど無くなります。ただ愚痴っぽい老人になっていくのを見て、哀しくなります。もし、やがて来るジャンプ・・・平社員から課長へ・・・の時のために準備を怠っていなければ、彼の人生は生き生きと活気に満ちたものになるでしょう。
人生にとって出世というのは意味が無いように思います。それより自分の人生が充実していること、それこそが自分の人生です。だから、少しずつする努力は出世のためではなく、自分の人生のためなのです。
中部大学武田邦彦
(平成24年5月15日)
「35yeardeathtdyno.86-(6:16).mp3」をダウンロード
4月に入社した新人は5月になって元気にやっているでしょうか? 5月病といって少しなれてくると体調を崩す人もおられるようです。ところで、人生にはいくつかの落とし穴があります。原発を引き受けてお恵みをもらい、すっかり働く意欲を失ってその方が没落していくのを見ると、これもまた落とし穴の一つと思います。
4月に希望に満ちて会社に入った若い人も、そろそろなれてきた頃と思います。もし若い人がこのブログを読んでおられたら、私の経験を一つお話ししたいと思います。
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Bandicam_20120518_095409006]この図は「35才脳死説」を説明したグラフです。大学を出て就職した直後は、平社員で上司の命令通り動けば良いのですから、楽なものです。大学で習ったことなどほとんど役に立ちません。常識の範囲で立派に仕事をすることが出来ます。
ところが、永久に平社員であることは希で、30才を少し過ぎた頃に、課長や店長など責任ある立場に立ちます。コンビニエンスストアーなら、それまで「ハイ!」と「笑顔」で良かったのに、「何が売れるか?」を的確に判断しないとダメになります。工場では生産設備を、研究では学力が、そして営業では人付き合い、見通しなどが求められます。
しかし、すでに10年もサボってきたので、急に要求レベルが高くなってもそれに応じることが出来ません。そして、自分の力を見つめてみると「とうてい、求められるレベルに到達できない」と感じるのです。
人間は生物ですから、「ダメだ」と思うとその苦痛から逃れるように全力を尽くします。それが「脳死」なのです。あれほど活発だった彼、いつも昼になるとみんなでわいわいと食事を楽しんでいた彼、その彼がひっそりと椅子を立ち、肩をすぼめながら歩き、黙って一人で昼食を採っているのです!
彼が楽になる方法、それは脳の活動を止めて死んだように生きることなのです。だから食事は一気にまずくなり、友人と話しながら食べるなどは苦痛です。私はそのような若い人をよく見てきましたが、平均的には35才程度のように思います。
「35才脳死」、その後に来る50年の人生は灰色で楽しみはほとんど無くなります。ただ愚痴っぽい老人になっていくのを見て、哀しくなります。もし、やがて来るジャンプ・・・平社員から課長へ・・・の時のために準備を怠っていなければ、彼の人生は生き生きと活気に満ちたものになるでしょう。
人生にとって出世というのは意味が無いように思います。それより自分の人生が充実していること、それこそが自分の人生です。だから、少しずつする努力は出世のためではなく、自分の人生のためなのです。
中部大学武田邦彦
(平成24年5月15日)
「35yeardeathtdyno.86-(6:16).mp3」をダウンロード