感動を失った社会
感動を失った社会
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オリンピックが開催されて多くの日本人に深い感動を与えています。商業化されたとか、本来のスポーツマンシップを忘れているなどと批判もありますが、やはり頂点を目指して努力してきた人の緊張感、努力に接すると人間は感動するのも事実です。
ところが目を日本に転ずると、政府の公約破棄、原発事故と電力会社の横暴、中学校のいじめ自殺と教育委員会の保身などおよそ感動とはほど遠い事ばかりです。今や日本には街角にヒット曲が流れることもなく、展覧会がどこで開かれているのかもよくわからなくなりました。
このように、私たちの心を揺さぶることが無くなったには様々な要因があると思いますが、私の専門の近くから見ると、それも当然のような気がします。
まず第一に「未来が暗い」ということですが、これは「本当に暗い」のではなく、「一部の人が儲けるために無理矢理作り出した暗さ」です。たとえば、石油石炭天然ガスは1000年は充分あるのに、太陽光発電などの自然エネルギーに補助金を出すために「無い」と言って不安をあおることです。
理想に燃えて太陽電池を研究したり、それを自宅につけたりすることは良いことですが、その時に人のお金を当てにし、電気が余ったら電気料金の約2倍で売ろうとするという背信行為が正当化しています。
「CO2で温暖化する」というのもウソで森林に補助金を入れたい」、「天下り先を作りたい」というだけのことであることが徐々に明らかになってきています.
このような資源や環境の分野での「作り出された暗さ」には、リサイクル、ゴミがあふれる、ダイオキシンは猛毒だ、環境ホルモンでメス化、コンビニエンスストアの夜間営業禁止、レジ袋の追放など枚挙にいとまがありませんし、さらにタバコの追放、メタボ利権、高血圧利権など人の健康を出汁にするものまで出現している有様です。
このような現象は環境問題に限られるわけではありません。年金は積み立てておいた記録が5000万人分、無くなってしまったり、現金自身が政治家の圧力で貸し出されて戻ってこなかったりしています。さらに地震と原発事故で疲弊している国民に、増税したり、扶養家族控除を止めたりと追い打ちをかけています。
これらは作り出された暗さで、本物の暗さではありません。世界の資源はたっぷりありますし、温暖化はしません。ゴミは焼却すれば町にあふれることはなく、タバコで肺がんになる人の数は少ないのです.
むしろ、日本は諸外国に比べて対外資産が極端に多く、技術力も高く、国民の真面目さ、勤勉さが残っていますので、未来は全く心配は無いのです。多くの人が毎日を楽しく過ごせば、景気は良くなり、日本の将来は明るくなるでしょう。
第二に「誠実な社会」を作ることです。ギリギリの商売の中で若干のだましが入るのは良いのですが、毎日の生活や目に見える政治の世界でだましが連続すると、人間はすっかり夢や目標を失います。
現在の日本では「政府が「悪」であるとき、「正」を何で決めるのか?」という問題に直面しています。そして本来、学問の自由が保障されて学問に忠実であるべき学者が曲学阿世(御用学者)であったり、表現の自由で守られている報道機関が事実を報道するのをためらうようなことが起こっています。
選挙の公約の遵守、学問への誠実性、報道の公平性などはいずれも社会の基幹をなすものですから、これらが崩れたら社会が暗くなるのは言うまでもありません。
さらに、ある主婦の方から「真実を口にするのが憚られる時代」というメールをいただきました。ヒットラーのドイツ、スターリンのソ連に代表されるように、日本も真実を口にするとバッシングを受ける社会になりました。
社会的に将来が不安で、ウソが多く、思ったことを口に出せない社会・・・そこに感動があるはずもありません.どんなに貧乏でも「明日は今日より良くなる」という確信や、「自分の身の回りは愛と信頼に満ちている」という安心感こそが人間を人間らしくし、人間の知性、美的感覚、情緒などが花開くのです。
・・・・・・・・・
ヨーロッパの中世は精神が抑圧された時代でした。ある若者が高僧に「太陽を観測すると黒い点のようなものが見えます」と言ったところ、高僧は「古典を調べてみる」といって寺院の中に入り、しばらくして出てきて「古典をくまなく調べたが、そのような記述はない。黒い点やらは君の眼のシミだろう」と言った。
この話は中世の抑圧されていた時代、新しい事実を見いだしてもそれを認めてくれず、形式論だけで進んでいたことを示しています.このような社会の雰囲気では科学や芸術は進歩せず、だからこそ「ルネッサンスの爆発」があったのです。
まず、自由な雰囲気の日本、誠実を大切にしてウソを嫌う日本、他人をバッシングしない日本、優れた子供を素直に褒める日本、自分の国の伝統に誇りを持つ日本、そして日本の国土は日本人が守るという決意を持った日本を作ろうではないかと思います。
私個人はどんなことが起ころうと、常に真実を語り、楽しく生活し、誠実に生きようと思っています。それがたとえバッシングの対象になっても全然気にしません.誰かが行動に起こさないと新生日本は誕生しないからです.たった一人の力ですから微々たるものですが、それでも同じ気持ちの人が大勢おられることを励みにやっていきたいと思っています。
自殺、放火が世界のトップクラスという今の日本が病んでいるのは言うまでもなりませんが、それは「回避できないこと」ではなく、私たち大人が決意をすれば回復できることだと思っています.
中部大学武田邦彦
(平成24年8月4日)
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オリンピックが開催されて多くの日本人に深い感動を与えています。商業化されたとか、本来のスポーツマンシップを忘れているなどと批判もありますが、やはり頂点を目指して努力してきた人の緊張感、努力に接すると人間は感動するのも事実です。
ところが目を日本に転ずると、政府の公約破棄、原発事故と電力会社の横暴、中学校のいじめ自殺と教育委員会の保身などおよそ感動とはほど遠い事ばかりです。今や日本には街角にヒット曲が流れることもなく、展覧会がどこで開かれているのかもよくわからなくなりました。
このように、私たちの心を揺さぶることが無くなったには様々な要因があると思いますが、私の専門の近くから見ると、それも当然のような気がします。
まず第一に「未来が暗い」ということですが、これは「本当に暗い」のではなく、「一部の人が儲けるために無理矢理作り出した暗さ」です。たとえば、石油石炭天然ガスは1000年は充分あるのに、太陽光発電などの自然エネルギーに補助金を出すために「無い」と言って不安をあおることです。
理想に燃えて太陽電池を研究したり、それを自宅につけたりすることは良いことですが、その時に人のお金を当てにし、電気が余ったら電気料金の約2倍で売ろうとするという背信行為が正当化しています。
「CO2で温暖化する」というのもウソで森林に補助金を入れたい」、「天下り先を作りたい」というだけのことであることが徐々に明らかになってきています.
このような資源や環境の分野での「作り出された暗さ」には、リサイクル、ゴミがあふれる、ダイオキシンは猛毒だ、環境ホルモンでメス化、コンビニエンスストアの夜間営業禁止、レジ袋の追放など枚挙にいとまがありませんし、さらにタバコの追放、メタボ利権、高血圧利権など人の健康を出汁にするものまで出現している有様です。
このような現象は環境問題に限られるわけではありません。年金は積み立てておいた記録が5000万人分、無くなってしまったり、現金自身が政治家の圧力で貸し出されて戻ってこなかったりしています。さらに地震と原発事故で疲弊している国民に、増税したり、扶養家族控除を止めたりと追い打ちをかけています。
これらは作り出された暗さで、本物の暗さではありません。世界の資源はたっぷりありますし、温暖化はしません。ゴミは焼却すれば町にあふれることはなく、タバコで肺がんになる人の数は少ないのです.
むしろ、日本は諸外国に比べて対外資産が極端に多く、技術力も高く、国民の真面目さ、勤勉さが残っていますので、未来は全く心配は無いのです。多くの人が毎日を楽しく過ごせば、景気は良くなり、日本の将来は明るくなるでしょう。
第二に「誠実な社会」を作ることです。ギリギリの商売の中で若干のだましが入るのは良いのですが、毎日の生活や目に見える政治の世界でだましが連続すると、人間はすっかり夢や目標を失います。
現在の日本では「政府が「悪」であるとき、「正」を何で決めるのか?」という問題に直面しています。そして本来、学問の自由が保障されて学問に忠実であるべき学者が曲学阿世(御用学者)であったり、表現の自由で守られている報道機関が事実を報道するのをためらうようなことが起こっています。
選挙の公約の遵守、学問への誠実性、報道の公平性などはいずれも社会の基幹をなすものですから、これらが崩れたら社会が暗くなるのは言うまでもありません。
さらに、ある主婦の方から「真実を口にするのが憚られる時代」というメールをいただきました。ヒットラーのドイツ、スターリンのソ連に代表されるように、日本も真実を口にするとバッシングを受ける社会になりました。
社会的に将来が不安で、ウソが多く、思ったことを口に出せない社会・・・そこに感動があるはずもありません.どんなに貧乏でも「明日は今日より良くなる」という確信や、「自分の身の回りは愛と信頼に満ちている」という安心感こそが人間を人間らしくし、人間の知性、美的感覚、情緒などが花開くのです。
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ヨーロッパの中世は精神が抑圧された時代でした。ある若者が高僧に「太陽を観測すると黒い点のようなものが見えます」と言ったところ、高僧は「古典を調べてみる」といって寺院の中に入り、しばらくして出てきて「古典をくまなく調べたが、そのような記述はない。黒い点やらは君の眼のシミだろう」と言った。
この話は中世の抑圧されていた時代、新しい事実を見いだしてもそれを認めてくれず、形式論だけで進んでいたことを示しています.このような社会の雰囲気では科学や芸術は進歩せず、だからこそ「ルネッサンスの爆発」があったのです。
まず、自由な雰囲気の日本、誠実を大切にしてウソを嫌う日本、他人をバッシングしない日本、優れた子供を素直に褒める日本、自分の国の伝統に誇りを持つ日本、そして日本の国土は日本人が守るという決意を持った日本を作ろうではないかと思います。
私個人はどんなことが起ころうと、常に真実を語り、楽しく生活し、誠実に生きようと思っています。それがたとえバッシングの対象になっても全然気にしません.誰かが行動に起こさないと新生日本は誕生しないからです.たった一人の力ですから微々たるものですが、それでも同じ気持ちの人が大勢おられることを励みにやっていきたいと思っています。
自殺、放火が世界のトップクラスという今の日本が病んでいるのは言うまでもなりませんが、それは「回避できないこと」ではなく、私たち大人が決意をすれば回復できることだと思っています.
中部大学武田邦彦
(平成24年8月4日)
技術者魂
技術者魂
あるとき、自動車の大会社の技術担当重役にお会いしました。ちょうど良い機会だったので、私は電気自動車の将来性についてご質問をしたのです。
私は質問に対して、将来の市場性(つまり車として有望か、日本で売れるかどうか)などをお答えになるのではないかと思っていたのですが、驚いたことに彼は話を始められてから終わりまで、すべて「いかに安全な車が設計できるか」について微に入り細にいり、私に説明をしてくれました。
これこそ「技術者魂」なのです。どんなに素晴らしい車、最高速度が大きい新幹線、電気をもたらす発電方法、そして通信の優れた携帯電話を作っても、それが安全で、快適で、幸福をもたらすものでなければ「技術的作品」とは呼べないものです。
福島原発の事故に関して国会の事故調査委員会の結論が公表されたとき、あるテレビ局がコメントを求めたので、私は「一応の評価ができるものだが、技術的踏み込みが不足している」と言いました。たとえば事故原因が「人災」だったとしても、人災をもたらした人間関係、組織を問題にするとしても、技術者だったら、しつこく技術的問題を取り上げるからです。
その点で、福島原発事故のあと、まだ原発を推進しようとしている技術者がいるのは実に不思議です。福島の事故が起こるまで、軽水炉で、しかも日本の軽水炉で福島クラスの事故を起こすということは原子力の技術者は考えていませんでした。
だから、あの事故は技術者から見ると完全に失敗で、何が間違っていたのかを徹底的に考え、新しい設計をやり直さなければ到底、原発を推進する気にはならないからです。
私は、今の技術力では電気は火力発電がもっとも適していると思いますし、石油石炭天然ガスなどは1000年はあるのですから、少し頭を冷やして考える時間は充分あります.また100歩譲ってCO2による温暖化の効果が少しあるとしても、世界でCO2を削減しているのは日本だけですから、原発事故の後、しばらくは火力発電をするのに世界は何も異議を挟まないでしょう.
・・・・・・・・・
原子力発電技術に少しでも携わった技術者の皆さん、私たち(原子力に関係した技術者)は次のように訴えようではありませんか.政治的なことなどに関心はあっても私たちの本業、技術の魂を守ろうではありませんか.
1. 私たちは原子力技術が日本のためになると信じて、技術の開発を行ってきました。決して、私利私欲ではなく、原子力の実用化によって日本が繁栄することが目的でした.
2. 私たち(原子力技術者全体:個別の技術者では軽水炉が危険だと言っていた方もおられます)が軽水炉を選択し、それを推し進めてきたのは負のボイド効果など原子炉の中では格別に安全性に優れていたからです.
3.原子炉の固有安全性、多重防御などによって、震度6の地震や15メートル程度の津波で爆発するとは思っていませんでした。事故が起こってから「津波が15メートルだったから」といういいわけをしている人もいますが、私たち技術者は「震度6で津波が15メートルに達したら原発が爆発する」と言わなかったと記憶しています。
4. 私たちは個別の技術者がどう言ったかは別にして、技術者全体としては日本社会に「原発は安全です」と言ってきました。原発の安全性は技術者以外にはわかりません。だから今回の事故は私たち技術者の責任です。
5. 「震度6、津波15メートル」で爆発したとなると、私たちの安全の考え方に基本的な誤りがあったことを示しています。「固有安全、多重防御」が意味をなさなかったのですから、私たちは「基本的に考え直す」ことを表明する必要があります。
6. 当面、私たちの失敗によって国民に迷惑をかけたのですが、節電に協力していただき、できるだけ早く、もっとも技術的に完成している化石燃料の火力発電を早期に稼働できるように努力することが大切です。これがせめてもの国民に対する贖罪の一つです。
7. もう一つ、福島を中心として苦しんでいる人に、4500億円の原子力予算、カンパ、労働奉仕、被曝測定・・・なんでも良いですから、ご迷惑をおかけした人の生活の回復に原子力に関係した技術者全員で努力したいと思います。
・・・・・・・・・
政治が技術に命令する事があります。でも、それによって技術者の魂が奪われるわけではありません。政治が「被曝限度は1年20ミリ」と言っても、私たち技術者がこれまで「被曝限度1年1ミリ」と決めてきたのです。
さらに原子炉の設計に当たっては「1万年から10万年に一度の事故に限って臨時に1年5ミリまで認める」という設計基準で審査をしてきました。今回の事故は日本で原子力を始めて40年ほどで起こった事故ですから、その意味では100年に一度。もし地震の規模という点で1000年に一度でも、1年1ミリを超える事はありません。
自分たちで決めたことには責任を持ちたいと思います。日本は科学技術立国であり、技術は単に学問的なものだけではなく、今後も社会に貢献する安全な技術を提供していく必要があります。その最も大切なのは技術者の魂、技術者の倫理であることは間違いありません。
中部大学武田邦彦
(平成24年8月4日)
あるとき、自動車の大会社の技術担当重役にお会いしました。ちょうど良い機会だったので、私は電気自動車の将来性についてご質問をしたのです。
私は質問に対して、将来の市場性(つまり車として有望か、日本で売れるかどうか)などをお答えになるのではないかと思っていたのですが、驚いたことに彼は話を始められてから終わりまで、すべて「いかに安全な車が設計できるか」について微に入り細にいり、私に説明をしてくれました。
これこそ「技術者魂」なのです。どんなに素晴らしい車、最高速度が大きい新幹線、電気をもたらす発電方法、そして通信の優れた携帯電話を作っても、それが安全で、快適で、幸福をもたらすものでなければ「技術的作品」とは呼べないものです。
福島原発の事故に関して国会の事故調査委員会の結論が公表されたとき、あるテレビ局がコメントを求めたので、私は「一応の評価ができるものだが、技術的踏み込みが不足している」と言いました。たとえば事故原因が「人災」だったとしても、人災をもたらした人間関係、組織を問題にするとしても、技術者だったら、しつこく技術的問題を取り上げるからです。
その点で、福島原発事故のあと、まだ原発を推進しようとしている技術者がいるのは実に不思議です。福島の事故が起こるまで、軽水炉で、しかも日本の軽水炉で福島クラスの事故を起こすということは原子力の技術者は考えていませんでした。
だから、あの事故は技術者から見ると完全に失敗で、何が間違っていたのかを徹底的に考え、新しい設計をやり直さなければ到底、原発を推進する気にはならないからです。
私は、今の技術力では電気は火力発電がもっとも適していると思いますし、石油石炭天然ガスなどは1000年はあるのですから、少し頭を冷やして考える時間は充分あります.また100歩譲ってCO2による温暖化の効果が少しあるとしても、世界でCO2を削減しているのは日本だけですから、原発事故の後、しばらくは火力発電をするのに世界は何も異議を挟まないでしょう.
・・・・・・・・・
原子力発電技術に少しでも携わった技術者の皆さん、私たち(原子力に関係した技術者)は次のように訴えようではありませんか.政治的なことなどに関心はあっても私たちの本業、技術の魂を守ろうではありませんか.
1. 私たちは原子力技術が日本のためになると信じて、技術の開発を行ってきました。決して、私利私欲ではなく、原子力の実用化によって日本が繁栄することが目的でした.
2. 私たち(原子力技術者全体:個別の技術者では軽水炉が危険だと言っていた方もおられます)が軽水炉を選択し、それを推し進めてきたのは負のボイド効果など原子炉の中では格別に安全性に優れていたからです.
3.原子炉の固有安全性、多重防御などによって、震度6の地震や15メートル程度の津波で爆発するとは思っていませんでした。事故が起こってから「津波が15メートルだったから」といういいわけをしている人もいますが、私たち技術者は「震度6で津波が15メートルに達したら原発が爆発する」と言わなかったと記憶しています。
4. 私たちは個別の技術者がどう言ったかは別にして、技術者全体としては日本社会に「原発は安全です」と言ってきました。原発の安全性は技術者以外にはわかりません。だから今回の事故は私たち技術者の責任です。
5. 「震度6、津波15メートル」で爆発したとなると、私たちの安全の考え方に基本的な誤りがあったことを示しています。「固有安全、多重防御」が意味をなさなかったのですから、私たちは「基本的に考え直す」ことを表明する必要があります。
6. 当面、私たちの失敗によって国民に迷惑をかけたのですが、節電に協力していただき、できるだけ早く、もっとも技術的に完成している化石燃料の火力発電を早期に稼働できるように努力することが大切です。これがせめてもの国民に対する贖罪の一つです。
7. もう一つ、福島を中心として苦しんでいる人に、4500億円の原子力予算、カンパ、労働奉仕、被曝測定・・・なんでも良いですから、ご迷惑をおかけした人の生活の回復に原子力に関係した技術者全員で努力したいと思います。
・・・・・・・・・
政治が技術に命令する事があります。でも、それによって技術者の魂が奪われるわけではありません。政治が「被曝限度は1年20ミリ」と言っても、私たち技術者がこれまで「被曝限度1年1ミリ」と決めてきたのです。
さらに原子炉の設計に当たっては「1万年から10万年に一度の事故に限って臨時に1年5ミリまで認める」という設計基準で審査をしてきました。今回の事故は日本で原子力を始めて40年ほどで起こった事故ですから、その意味では100年に一度。もし地震の規模という点で1000年に一度でも、1年1ミリを超える事はありません。
自分たちで決めたことには責任を持ちたいと思います。日本は科学技術立国であり、技術は単に学問的なものだけではなく、今後も社会に貢献する安全な技術を提供していく必要があります。その最も大切なのは技術者の魂、技術者の倫理であることは間違いありません。
中部大学武田邦彦
(平成24年8月4日)
5%ルール撤廃で銀行が株式を買い込めば、日本の株式市場は生き返る
日本のバブル崩壊は仕掛けられたものであり、BIS規制によって銀行の持つ株比率の規制が行われて、5%を超えた株式は銀行は手放さざるを得なくなり、株式下落の一員になった。本来ならが金融が緩和されれば銀行には金がだぶついて、銀行は株式運用で金融収益を稼いできた。いわゆる不景気の株高と言われた現象も起きた。
日本では銀行が機関投資家の中心でしたが、株式の乱高下が銀行の経営に影響をもたらすので一銘柄につき5%に規制されることになった。このように銀行に様々な規制が加えられたことで株式市場は火が消えたようになり、外資系証券会社の独壇場になってしまった。銀行系の証券会社も沢山ありましたが今ではどこかに消えてしまった。
日本の株式市場が死んでしまったのは、銀行という大口の機関投資家が規制をかけられて株式運用ができなくなってしまったことであり、証券会社も大手の機関投資家を失うことで多くの証券会社が消えた。アメリカなどでは大手の投資銀行や投資運用会社がありますが、日本では投資ファンド会社は信用がなく発達しなかった。
日本は金融資本主義国家と呼ばれてきましたが、銀行が大口の株主となって産業界とのつながりを深めてきた。増資なども銀行と産業界が持ち合うことで株高を演出してきましたが、BIS規制で持ち合いが規制されて銀行と産業界は持ち合いが許されなくなって株式は市場に放出された。それが株式市場の低迷につながってきた。
このような銀行と企業との株式の持ち合いは行き過ぎれば好ましいものではなく、株主総会も銀行しだいということになれば銀行が企業を支配することになり、まさに金融資本主義国家になってしまう。銀行が株式投資にのめり込めば本来の融資などにも影響が出ますが、長引く不況が借り入れ先の減少になり国債などを買うしかなくなってしまった。
昔は金融の緩和が株高の要因になりましたが、今ではいくら金融緩和しても銀行が株を買えないから株式市場は死んでしまった。おかげで外資系証券会社が株式投資の主役になりましたが、リーマンショックで外資系証券会社も金融規制がかかるようになって、レバレッジを効かせた投資運用ができなくなってますます日本の株式市場は買い手不在となり火が消えてしまった。
今回の銀行による企業への出資比率の上限を5%とする「5%ルール」の緩和は、株式市場を活性化する要因となるだろう。企業にとっても銀行という安定株主がいれば企業買収などでも安心ができますが、そもそも5%ルールは外資が日本企業を買い占めるための陰謀であった。ハゲタカファンドが暴れまわって日本企業を買収しまくることを目指していたのでしょうが、リーマンショックでそれどころではなくなってしまった。
ヨーロッパの金融危機で欧州系の金融機関も力を失い新興国から融資を引き上げていますが、図らずも日本の銀行がその穴を埋めている。猛威を振るったアメリカの投資銀行も今では存在しなくなり規制がかかるようになった。現在では日本の銀行が一番資金余力が有り、欧米系の銀行はPIIGS諸国の国債を抱えて爆弾を抱え込むことになってしまった。
日本の銀行は、日本国債を大量に買い込むことしかなかったのですが、それが幸いしてリーマンショックなどの影響は最小限で済みましたが、外資が株を手放すので株式の低迷が日本経済の足を引っ張っている。5%ルールの撤廃で足かせが外れて銀行が株式を買い込むようになれば、日本の株式市場も生き返るのではないだろうか?
日本では銀行が機関投資家の中心でしたが、株式の乱高下が銀行の経営に影響をもたらすので一銘柄につき5%に規制されることになった。このように銀行に様々な規制が加えられたことで株式市場は火が消えたようになり、外資系証券会社の独壇場になってしまった。銀行系の証券会社も沢山ありましたが今ではどこかに消えてしまった。
日本の株式市場が死んでしまったのは、銀行という大口の機関投資家が規制をかけられて株式運用ができなくなってしまったことであり、証券会社も大手の機関投資家を失うことで多くの証券会社が消えた。アメリカなどでは大手の投資銀行や投資運用会社がありますが、日本では投資ファンド会社は信用がなく発達しなかった。
日本は金融資本主義国家と呼ばれてきましたが、銀行が大口の株主となって産業界とのつながりを深めてきた。増資なども銀行と産業界が持ち合うことで株高を演出してきましたが、BIS規制で持ち合いが規制されて銀行と産業界は持ち合いが許されなくなって株式は市場に放出された。それが株式市場の低迷につながってきた。
このような銀行と企業との株式の持ち合いは行き過ぎれば好ましいものではなく、株主総会も銀行しだいということになれば銀行が企業を支配することになり、まさに金融資本主義国家になってしまう。銀行が株式投資にのめり込めば本来の融資などにも影響が出ますが、長引く不況が借り入れ先の減少になり国債などを買うしかなくなってしまった。
昔は金融の緩和が株高の要因になりましたが、今ではいくら金融緩和しても銀行が株を買えないから株式市場は死んでしまった。おかげで外資系証券会社が株式投資の主役になりましたが、リーマンショックで外資系証券会社も金融規制がかかるようになって、レバレッジを効かせた投資運用ができなくなってますます日本の株式市場は買い手不在となり火が消えてしまった。
今回の銀行による企業への出資比率の上限を5%とする「5%ルール」の緩和は、株式市場を活性化する要因となるだろう。企業にとっても銀行という安定株主がいれば企業買収などでも安心ができますが、そもそも5%ルールは外資が日本企業を買い占めるための陰謀であった。ハゲタカファンドが暴れまわって日本企業を買収しまくることを目指していたのでしょうが、リーマンショックでそれどころではなくなってしまった。
ヨーロッパの金融危機で欧州系の金融機関も力を失い新興国から融資を引き上げていますが、図らずも日本の銀行がその穴を埋めている。猛威を振るったアメリカの投資銀行も今では存在しなくなり規制がかかるようになった。現在では日本の銀行が一番資金余力が有り、欧米系の銀行はPIIGS諸国の国債を抱えて爆弾を抱え込むことになってしまった。
日本の銀行は、日本国債を大量に買い込むことしかなかったのですが、それが幸いしてリーマンショックなどの影響は最小限で済みましたが、外資が株を手放すので株式の低迷が日本経済の足を引っ張っている。5%ルールの撤廃で足かせが外れて銀行が株式を買い込むようになれば、日本の株式市場も生き返るのではないだろうか?