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韓国を破綻させるのは簡単。カードを切れるか?

韓国は、米中対立の時代になって朝鮮半島が再び戦場になる危機感を持ち始めているのでしょう。しかしアメリカから見れば韓国は地政学的に守りきれないのは明らかだ。朝鮮戦争の時は辛うじて釜山で持ちこたえましたが、アメリカには1950年代の時のような圧倒的な軍事力は無い。在日米軍基地も空っぽであり反撃するだけの戦力を置いていない。何よりもイラクやアフガニスタンに釘付けになっている。



韓国の戦略は、中国やアメリカの威を借りて日本を叩く事で米中の関心を引こうとしている。アメリカにしても中国にしても直接日本を叩く事は得策ではないが、韓国を使って日本を叩く事で日本政府を言いなりにしようとしている。これは米中の意を汲んだ上手いやり方だ。日本は善隣有効外交ということで何をされても仕返しはしないと言う事でやってきた。



日本では「いじめ問題」が社会問題化していますが、日本は中韓ロから「いじめ」に遭っても何もすることが出来ません。アメリカと言う教師も見て見ぬふりをして、李大統領の竹島訪問を止めようとはしませんでした。学校の教師もただ「仲良くしろ」と注意するだけで、何もしないで警察に三度訴えても警察も被害届を受理しなかった。だから「いじめ」は無くならず生徒は自殺した。まさに日本の病理が日本全体を覆いつくしている。



森本防衛大臣すら、竹島訪問は韓国の内政問題と、暗に竹島の領有を認めたようなコメントをしていますが、これもいじめられっ子が、さらにいじめられるのを恐れて「ふざけているだけ」と発言しているのと同じ事なのでしょう。教師は見て見ぬふりをするだけだから「いじめ」を訴えても何もしてくれないのだから、そう言うしかないのです。親が警察に訴えても受理してくれないのから少年は自殺まで追い込まれてしまった。



教師がいじめを見て見ぬふりをするのと、アメリカが日本へのいじめに対しても見て見ぬふりをするのと理由は同じであり、アメリカはロシアや韓国や中国を敵に回してまで擁護はしてくれない。日本の平和憲法がある限り軍事力を強化して反撃する事はできません。だから外交力や経済制裁などで反撃するしかありませんが、日本は「いじめられっ子」であり日本の政治家はいじけてしまっている。


韓国の戦略は、中国やアメリカの威を借りた対日外交で大統領の求心力を高めている。学校では事なかれ主義であり「いじめ」があっても無かった事にされてしまうように、アメリカもこの問題には関わりたくないのは明らかだ。戦後のどさくさで竹島や北方領土は取られてしまいましたが、アメリカの意図は明らかであり日本とロシアや韓国や中国との分断工作なのだ。



アメリカにしてみれば、日本を外交的に孤立化させておけばアメリカの言いなりにならざるを得ないという計算がある。もし日本がロシアや中国と親密になれば厄介な事になる。西太平洋はロシアや中国の勢力圏となりハワイ以西から撤退せざるを得ないだろう。日本は自主外交や自主防衛をする為には中国やロシアとの関係を改善しなければなりませんが、日本国内の親米派はアメリカ従属が日本の為だと考えている。森本防衛大臣もその一人だ。



それに対して日本は打つ手が無いのかというと沢山有る。韓国はアメリカや日本の支援が無ければ経済的にも成り立たない。韓国は何度も経済危機に陥り日本に助けられている。日本は「日韓通貨スワップ協定を破棄するだけでも効果があります。」というように韓国を破綻させるのは簡単だ。日本はそのカードを切れるだろうか?



韓国の李大統領は日本は何も出来ないと見たから竹島を訪問したのであり、ロシアのメドベージェフも二度目の訪問を行なった。しかし長い目で見れば日本国内における反韓反ロ感情が高まり、日本の経済協力も難しくなるだろう。中国も昨日書いた様に少子高齢化とバブル崩壊がやってくるだろう。そうなれば領土問題どころではなくなり国家存亡の危機がやってくる。ロシアも同じであり石油や天然ガスを売るしかない国の経済はもろい。



日本は領土問題を理由に韓国やロシアが経済破綻しても助けない事であり、泣きついてくるまで待つべきであり、その時が領土問題の解決のチャンスが来るだろう。ソ連崩壊時にも北方領土を取り返すチャンスがあったのですが生かせなかった。領土問題は今すぐ解決しなければならない問題ではなく、国内政治に問題を抱えた国はいずれ日本に援助を求めてくるだろう。アメリカに対してもアメリカ経済破綻で在日米軍は引き揚げていく時が来るだろう。だから気長に待てばいい。

人生講座(2)節約したお金を狙う人たち

人生講座(2)節約したお金を狙う人たち

「tdyno.215-(9:50).mp3」をダウンロード

人生講座の第一回に「貨幣経済のもとでは節約することはできない。かえって節約は消費の増大になる」ということを書きました。第2回目は「そんなことはわかっているのに、なぜ政府や偉い人は節約を国民に勧めてきたのか。その目的はなにか?」を考えてみたいと思います。

もし世の中が安定していて、年金なども崩壊しなければ、いざというときに少しの貯金は別にして、その年に稼いだお金はおおよそその年に使ってもそれほど不安はありません。というのは、人間は小さい頃から勉強し、がんばり、仕事をしてお金を稼ぎます。そうして少なくても多くても、稼いだお金で楽しい人生を送るのが本筋だからです。

もちろん、楽しさはお金の額とは直接的には関係がありませんが、小さい頃にお母さんに「一所懸命、勉強しなさい」と言われるのは、お母さんは子供に、少なくとも人並みに、できれが人より少しは良い生活をさせたいと思うからです。

だから、月給が20万円より、30万円の方が良いと素直に考えた方が良いでしょう。買いたい物も買えるようになりますし、たまにはおいしい物も食べられるからです。

30万円使って楽しい生活をすれば良いのに「地球環境のために」「節約する」ということは、お母さんがせっかく与えてくれたチャンスをいかさずに、無理矢理、暗い人生を送ることを意味します。

もちろん、30万円を節約して20万円で生活しても12月になったら12ヶ月の間、節約して貯めた120万円を下ろしてパッと使うというのならよいのですが、それでは節約には入りません。

毎月使わずに一度に使うというのは、個人としてはお金をいつ使うかの問題だけですし、環境としては120万円がダブルで使われる(銀行からお金を借りた他人が120万円、それにさらに自分が120万円使う;前回説明)、余計に環境に悪いのです。

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それではなぜ、政府は「もったいない」とか「節電・省エネ」とかいうのでしょうか? まず考えられることは、国民が節約するとそのお金が政治家や官僚に入るからかもしれません。

つまり、かつて(たとえば、戦後や高度成長時代)は国民が節約したお金は銀行を通じて民間の企業に行き、そこで国民が欲しい製品を作ってくれました。つまり、普通は「節約すると、そのお金で企業が自分の欲しいものを会社が作ってくれた」ということになります。銀行はその仲立ちをして社会に貢献していました。

簡単に言うと、ある人が100万円を預けると、企業が100万円を借りて、120万円で売れるものを作り、自分は10万円を稼ぎ、銀行に110万円を返し、銀行は5万円をとって、その人に105万円を返すという具合です。これなら、預金した人は5万円、銀行も5万円、企業も10万円と全員が喜んだ時代でした。

ところが今から20年前にバブルが崩壊して、成長が止まりました。経済成長の時代に100万円借りていた企業が(簡単に言うと)居なくなってしまったのです。同時に「環境の時代」になり「もったいない、節約しよう」という人が現れました。かつて100万円を銀行に預けた人は節約して150万円預けるようになったのですが、借りる企業が居ないので銀行にお金が留まるようになります。

企業は経済成長が止まるだけでも困るのに、「節約ブーム」で50万円を残すようになった(100万円貯金していた人が150万円貯金するから)ので、それだけ売り上げが減って、お金を借りて増産するどころか、事業を売らなければならないようになります。

この150万円が1年もたたずに引き出して使ってくれるとまだ何とかなったのですが、「年金不安」と「環境を悪くするから」ということで預金を下ろして消費することもしなくなったのです。

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そうすると、銀行にお金があふれたので、まず金利をほとんどゼロにしたのですが、それでも銀行が赤字になります。そこで銀行の首脳部が政府にかけあって「余ったお金で国債を買いますから、国債を出してください」と言います。最初のうちは政府も「赤字国債になるからダメ」などと言っていたのですが、企業が借りなければ政府が借りないとお金のつじつまが合わないので、赤字国債を発行し始めます。

これでとりあえず日本のお金のつじつまは合うようになりました。(簡単に言うと)ある人が150万円を銀行に預けると、国が赤字国債を出して銀行がそれを買い、国は1 年に5万円の利息を銀行に払います。もちろん、国の仕事は福祉にしても教育にしても(お金を配るだけのことで)赤字ですから利息に払うお金も国債を売って何とかします。

つまり「国民が節約し、企業が借りなくなったので、国が国債を出して借りる」ということが20年間にわたって続いてきたのです。国に集まったお金は、

1)お役人の給料や国の施設

2)天下り先の給料(天下り先には国債のお金が行く)

3)箱物行政で施設ができる(八ッ場ダムのようなもの。半分がムダで、半分ぐらいは国民のためになる)

4)ムダな補助金を配る(たとえばバイオ燃料開発に6兆円を出し、すべて失敗して失う)などとして消えていきました。

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そして20年。ついに赤字国債が1000兆円に近づいたので「財政健全化」のために消費税の増税を行います。つまり、国民が節約したお金は国に渡り、政治家やお役人本人や、彼らと親しい人のところにいきましたが、なにしろ効率の悪い仕事に使われるので、半分ぐらいはムダに消えていったのです。

節約して150万円預金した人はどうなったでしょうか? 国が150万円を借りて、半分は役人の天下りなどに使い、半分は預金した人も利用した箱物(公民館など)を作り、そこに働く人の給料を払い、冷暖房費で消えていったのです。簡単に言うと、150万円のうち、100万円を捨て、50万円ぐらいを公共サービスとして受け取ったということになります。

かくして国民が節約したお金は政府が使ったので、環境という面ではなにも変化はありませんでした。つまりこの場合も「節約」は「環境を改善する」事にはなりません。

さらに、国の借金が増えたので、「財政再建」のために消費税を増税することになり、その人は税金で150万円を取られます。国民はますます不安になり、銀行に預けてある150万円は引き出さず、税金は150万円取られるので、使うのを150万円減らさなければなりません。ますます不景気になり、政府に親しい一部の人を別にして、国民総貧乏化が進行中ということになりました。

でもお役人は裕福になります。なにしろバブルが崩壊してから20年。国民に節約さえ呼び掛ければ赤字国債を出してお金が入ってきますし、赤字国債が貯まりますから、それを補填するためにさらに消費税を上げればまたお金が入ってくるからです。奇妙なことですが、善意で節約をしてきた人はずいぶん日本国民を苦しめましたとも言えるのです。

「環境のために節約を呼び掛ける」というのは「お役人がお金をもらう」ということでもあったようです。(さらに、消費税を増税したお金がどこに行くのか、私たちの人生はどうしたらよいのかなど次回以後に踏みこんで考えてみます。)











中部大学武田邦彦
(平成24年8月11日)

人生講座(1)節約と人生

人生講座(1)節約と人生

「jinsei01tdyno.212-(7:20).mp3」をダウンロード

世界には約60億人を超える人たちが生活をしています.その一人一人は、それぞれ自分、家族、国家、そして世界を考えながら、それぞれの人の人生観や価値観に従って生きています.

たとえばここに「節約が大切」と思っている人がいるとします。その人がなぜ「節約が大切」と思っておられるのかはハッキリしません.普通に考えると「お金を貯めたい」のか、「地球環境を考えてのこと」かどちらかのように思います。でも、この二つは個人の損得と地球環境ですから、全く違うものでかみ合わないはずです。

ある人(Aさん)が「お金を貯めたい」と思って「節約」をしたとします。昔なら銀行が発達していなかったので、節約して余ったお金をタンス預金する人も居たと思いますが、今ではほとんどの人が銀行に預けるでしょう。

銀行に預けたお金は銀行の金庫に入っている訳ではなく、直ちに貸し出されます。銀行預金の利子がどんなに少ないと言っても、利子がつきます。一方、銀行は町の一等地に店舗を構え、冷暖房や電灯をつけ、世間の平均より高い給料をもらっている銀行員が働いています。かなりの経費がかかるのでいくら利率が低くても、預金されたお金を運用しないとやっていけません。

かくして銀行はできるだけ金庫のお金を減らして貸し出ししようとするのは当然です。つまり、節約してお金を余し、それを銀行預金すると、そのお金はすぐ別の人が使います。銀行の本来の働きは社会で余剰となったお金を預かって、それをお金を必要とする人に回すことによりお金の効率的な利用をはかることにあるわけですから、社会の正常な働きです。

仮に1年ほど銀行にお金を預けたAさんが、銀行から引き出して自動車を買ったとします。そうするとAさんが節約したと思っているお金は、銀行から借りた人が使い、Aさんが使いますので二度使われます。つまりAさん個人も節約したことにはなりませんし(お金を使う時期がずれただけ)、社会はAさんが節約した分だけ2倍の消費をすることになります。

Aさんは日頃から「私は環境が大切と思うから、タクシーを乗らずにバスを利用するのよ」と言っていました。彼女がタクシーに乗ればそれだけお金を使いますから、お金が余らずに預金できなかったでしょう。彼女はいったい、何を考えているのでしょうか?

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かつて、たとえば江戸時代ですが、貨幣経済が発達していない頃、特殊な場合には本当の意味での「節約」は可能でした。たとえば、薪(たきぎ)が足りないとき、少し寒いのを我慢して囲炉裏にくべるのを少なくするというようなケースです。それでも、もし自分の裏山が充分に大きければ、むしろ積極的に薪として使った方が裏山を守ることもあります。

ただ、貨幣経済ではないので、「使わない分だけお金が余る」という事はありません。使わない分だけ「物」が余りますから、それはまた別の機会に使える場合があるということになります。

この話は主婦の方はピンと来ないかも知れません。主婦の方は普通、毎日、節約の連続で、少しでもムダ使いを少なくしようと努力されています。でも貨幣経済の元では、「ムダを少なくする」というのは「多のものを買う」ということを意味していますから、家庭としては良いのですが、環境を良くするということにはつながらないのです。

「個人が節約すると、消費が増える」という奇妙な現象は「合成の誤謬」と言う難しい言葉を使うことができます。貨幣経済のもとでは、一人の人がやる目的が、全体としては逆の方向になることが多く、それは経済学ではよく見られることでもあります。

では、なぜ政府や官僚、そして識者と呼ばれる人が「環境を良くするために節約に心がけましょう」と言うのでしょうか? 私たちの人生には「節約」とか「質素な生活」というのはあり得ないのでしょうか?












中部大学武田邦彦
(平成24年8月6日)