消費税の引き上げについて
消費税を引き上げても、その収入を何に使うのかが問題になる。消費税をただ、たらず米に充てるというのでは、意味がない。また、年金制度の改革もせず、消費税を引き上げても意味がない。
消費税を引き上げるならば、基礎年金の財源に充てるべきだ。
2011年3月末に国民年金の被保険者1938万人に対して、保険料の全額免除割合は551万人、28.4%。国民年金の対象者の4人に1人を超えている。
国民年金保険料の納付率は、対象者からこの28.4%の免除者を除いた人数を母数として計算される。
その国民年金の保険料納付率は、2011年8月末に、55.0%まで低下した。つまり、保険料の納付義務のある者全体の39.4%、5人に2人しか年金保険料を納めていない。
ちなみに、2010年度の納付率は59.3%だが、20代前半で49.2%、20代後半で46.6%、30代前半で50.9%。
保険料方式の基礎年金制度では、保険料の支払いを忘れる人、保険料を支払いたくないから支払わない人、保険料を支払いたくてもお金がなくて支払えない人等、必ず未納が発生する。
しかも、年金保険料の徴収に、年間650億円のコストがかかる。
さらに、保険料方式では、所得に関係なく一定の保険料を負担しなければならない。また、保険料を負担しない三号被保険者の問題もある。
ところが、未納者は無年金になるので年金財政に影響は少なく、厚労省年金局にとって未納は大きな問題ではないため、きちんとした対応が取られない。
しかし、無年金者の多くが生活保護を受けることになる。生活保護を受けている65歳以上の単身高齢者世帯の生活扶助額は月額平均68,243円となり、満額の基礎年金額66,000円より多いのが現実。しかも、基礎年金は二分の一だけが公費負担だが、生活保護は全額が公費負担になり、財政を圧迫する。
まじめに年金保険料を支払った者は、保険料を支払わずに無年金になった者の生活保護の費用まで税金で負担していることになる。
夫婦で老後の生活に最低限必要な金額が月額132,000円という調査から、一人あたりの基礎年金66,000円という金額が設定された。しかし、現在、国民年金の平均給付額は53,000円しかない。
未納分は当然、年金が減額されるが、年金保険料を免除された期間も、年金金額が二分の一の公費負担分だけに減額される。保険料方式の基礎年金では、年金保険料の免除が必要なほど現役期間の所得が低いと、将来の年金金額が下がり、最低保障年金の役割を果たせなくなる。
現在、受給資格を得るためには、最低25年の年金保険料支払いが必要。無年金を防ぐと称して、受給資格を10年に短縮しても月額16,500円の年金が受給できるだけ。むしろ、それ以上の年金保険料を支払わないインセンティブになりかねない。
老後の最低保障のための基礎年金の財源を年金保険料でまかなおうとすると、未納や免除に対応できない。
つまり、年金保険料の支払いに応じて年金を給付する制度では、必ず未納や免除が生じ、基礎年金を満額支給できなくなる。そうすると、生活保護だけに頼る者や、減額された基礎年金の支給を受けながら生活保護も受給する者が生じる。
基礎年金を満額、必ず支払うためには、保険料の徴収をやめ、税で基礎年金を支払う必要がある。
消費税を基礎年金の財源とする方式であれば、買い物をするたびに必ず消費税を支払うので、未納や免除は生じないので、全ての日本人が65歳になれば満額の基礎年金を受け取ることができるようになる。高齢者の生活保護も廃止できる。
消費税ならば消費金額に応じて年金財源を負担することになり、現在の収入の多寡にかかわらず一律金額の保険料を徴収する方法よりも公平。
消費税方式の基礎年金ならば年金保険料徴収業務が不必要になり、現在、年間約650億円かかっているコストが不要になる。
消費税方式ならば年金受給者も消費税を負担するため、世代間格差の是正にもつながる。
専業主婦も消費税を負担するため、三号被保険者問題も解決する。
2010年10月1日(国勢調査)の65歳以上人口は2929万3000人。
年額79万2000円の基礎年金をその全員に満額支給すると、必要額は、23兆2000億円。
現在の消費税5%で消費税収10兆1990億円から試算して、23兆2000億円に必要な消費税率は、11.4%。
現在の消費税は、地方消費税1%分に地方交付税分を加えると消費税額の43.6%が地方収入分で、国の収入になるのは税率5%のうちの2.8%分。
地方収入分を現行水準で固定し、消費税の国税分を全額消費税に充てる場合、税率13.6%へ、8.6%の消費税率引き上げが必要。
消費税引き上げで基礎年金の財源を全てまかなうと、基礎年金の国庫負担分10兆5347億円(2010年度予算ベース)が不要になる。これは消費税換算して5.2%に相当する。
65歳以上の高齢者にかかる生活保護費、推計1兆4200億円も不要になる。
基礎年金に所得制限を設ければ消費税の引き上げ幅は小さくなる。
基礎年金の財源を消費税にすれば、現在の基礎年金保険料月額約15,000円は不要になる。
もし、消費税の引き上げ幅が8.6%なら、月の消費金額175,000円以下の者は、基礎年金保険料が無くなるメリットの方が大きく、基礎年金に所得制限をかけて消費税の引き上げ幅を5.0%に抑えれば、月の消費金額が300,000円以下の者は年金保険料が無くなるメリットの方が大きくなる。
消費税を引き上げて、基礎年金改革を断行すれば、これまでの基礎年金国庫負担二分の一に相当する10兆円が出てくる。これを年金以外の社会保障改革の財源に使うことができる。
年金制度は、今のままでは持続可能ではない。年金制度の改革をせずに消費税を引き上げるのは愚の骨頂だ。年金改革と消費税はそれこそ一体改革が必要だ。
また、野田内閣がやろうとしている厚生年金の適用拡大も国民年金との間で、おかしなことが起こる。
現在、厚生年金の年金保険料の標準月収は、98000円。この収入がなければ厚生年金には入れない。
しかし、これを引き下げれば、被用者で国民年金に加入している者を厚生年金に加入させることができる。国民年金加入者を職業別にみると一番多いのが、本来は厚生年金に入るべき被雇用者だ。だから標準月収の引き下げは、400万人に被用者保険適用拡大をうたう民主党政権にとって魅力的かもしれない。しかし、...。
現在の標準月収の下限98000円の場合の保険料は、労使合計で16084円。
この標準月収の下限を引き下げていくと、厚生年金の保険料が、国民年金保険料15020円より、安くなる。
基礎年金しかもらえない国民年金の保険料よりも安い保険料で、基礎年金と厚生年金の両方がもらえるようになるのは、公平なのだろうか。
社会保障の一体改革なしに、消費税だけとりあえずあげるというような改革は、社会保障制度不信につながる。
社会保障改革とプライマリーバランスと税の一体改革をきちんと国会で議論しよう。
自民党の一部が言っているような議論もしないという態度ももちろんダメだ。
消費税を引き上げるならば、基礎年金の財源に充てるべきだ。
2011年3月末に国民年金の被保険者1938万人に対して、保険料の全額免除割合は551万人、28.4%。国民年金の対象者の4人に1人を超えている。
国民年金保険料の納付率は、対象者からこの28.4%の免除者を除いた人数を母数として計算される。
その国民年金の保険料納付率は、2011年8月末に、55.0%まで低下した。つまり、保険料の納付義務のある者全体の39.4%、5人に2人しか年金保険料を納めていない。
ちなみに、2010年度の納付率は59.3%だが、20代前半で49.2%、20代後半で46.6%、30代前半で50.9%。
保険料方式の基礎年金制度では、保険料の支払いを忘れる人、保険料を支払いたくないから支払わない人、保険料を支払いたくてもお金がなくて支払えない人等、必ず未納が発生する。
しかも、年金保険料の徴収に、年間650億円のコストがかかる。
さらに、保険料方式では、所得に関係なく一定の保険料を負担しなければならない。また、保険料を負担しない三号被保険者の問題もある。
ところが、未納者は無年金になるので年金財政に影響は少なく、厚労省年金局にとって未納は大きな問題ではないため、きちんとした対応が取られない。
しかし、無年金者の多くが生活保護を受けることになる。生活保護を受けている65歳以上の単身高齢者世帯の生活扶助額は月額平均68,243円となり、満額の基礎年金額66,000円より多いのが現実。しかも、基礎年金は二分の一だけが公費負担だが、生活保護は全額が公費負担になり、財政を圧迫する。
まじめに年金保険料を支払った者は、保険料を支払わずに無年金になった者の生活保護の費用まで税金で負担していることになる。
夫婦で老後の生活に最低限必要な金額が月額132,000円という調査から、一人あたりの基礎年金66,000円という金額が設定された。しかし、現在、国民年金の平均給付額は53,000円しかない。
未納分は当然、年金が減額されるが、年金保険料を免除された期間も、年金金額が二分の一の公費負担分だけに減額される。保険料方式の基礎年金では、年金保険料の免除が必要なほど現役期間の所得が低いと、将来の年金金額が下がり、最低保障年金の役割を果たせなくなる。
現在、受給資格を得るためには、最低25年の年金保険料支払いが必要。無年金を防ぐと称して、受給資格を10年に短縮しても月額16,500円の年金が受給できるだけ。むしろ、それ以上の年金保険料を支払わないインセンティブになりかねない。
老後の最低保障のための基礎年金の財源を年金保険料でまかなおうとすると、未納や免除に対応できない。
つまり、年金保険料の支払いに応じて年金を給付する制度では、必ず未納や免除が生じ、基礎年金を満額支給できなくなる。そうすると、生活保護だけに頼る者や、減額された基礎年金の支給を受けながら生活保護も受給する者が生じる。
基礎年金を満額、必ず支払うためには、保険料の徴収をやめ、税で基礎年金を支払う必要がある。
消費税を基礎年金の財源とする方式であれば、買い物をするたびに必ず消費税を支払うので、未納や免除は生じないので、全ての日本人が65歳になれば満額の基礎年金を受け取ることができるようになる。高齢者の生活保護も廃止できる。
消費税ならば消費金額に応じて年金財源を負担することになり、現在の収入の多寡にかかわらず一律金額の保険料を徴収する方法よりも公平。
消費税方式の基礎年金ならば年金保険料徴収業務が不必要になり、現在、年間約650億円かかっているコストが不要になる。
消費税方式ならば年金受給者も消費税を負担するため、世代間格差の是正にもつながる。
専業主婦も消費税を負担するため、三号被保険者問題も解決する。
2010年10月1日(国勢調査)の65歳以上人口は2929万3000人。
年額79万2000円の基礎年金をその全員に満額支給すると、必要額は、23兆2000億円。
現在の消費税5%で消費税収10兆1990億円から試算して、23兆2000億円に必要な消費税率は、11.4%。
現在の消費税は、地方消費税1%分に地方交付税分を加えると消費税額の43.6%が地方収入分で、国の収入になるのは税率5%のうちの2.8%分。
地方収入分を現行水準で固定し、消費税の国税分を全額消費税に充てる場合、税率13.6%へ、8.6%の消費税率引き上げが必要。
消費税引き上げで基礎年金の財源を全てまかなうと、基礎年金の国庫負担分10兆5347億円(2010年度予算ベース)が不要になる。これは消費税換算して5.2%に相当する。
65歳以上の高齢者にかかる生活保護費、推計1兆4200億円も不要になる。
基礎年金に所得制限を設ければ消費税の引き上げ幅は小さくなる。
基礎年金の財源を消費税にすれば、現在の基礎年金保険料月額約15,000円は不要になる。
もし、消費税の引き上げ幅が8.6%なら、月の消費金額175,000円以下の者は、基礎年金保険料が無くなるメリットの方が大きく、基礎年金に所得制限をかけて消費税の引き上げ幅を5.0%に抑えれば、月の消費金額が300,000円以下の者は年金保険料が無くなるメリットの方が大きくなる。
消費税を引き上げて、基礎年金改革を断行すれば、これまでの基礎年金国庫負担二分の一に相当する10兆円が出てくる。これを年金以外の社会保障改革の財源に使うことができる。
年金制度は、今のままでは持続可能ではない。年金制度の改革をせずに消費税を引き上げるのは愚の骨頂だ。年金改革と消費税はそれこそ一体改革が必要だ。
また、野田内閣がやろうとしている厚生年金の適用拡大も国民年金との間で、おかしなことが起こる。
現在、厚生年金の年金保険料の標準月収は、98000円。この収入がなければ厚生年金には入れない。
しかし、これを引き下げれば、被用者で国民年金に加入している者を厚生年金に加入させることができる。国民年金加入者を職業別にみると一番多いのが、本来は厚生年金に入るべき被雇用者だ。だから標準月収の引き下げは、400万人に被用者保険適用拡大をうたう民主党政権にとって魅力的かもしれない。しかし、...。
現在の標準月収の下限98000円の場合の保険料は、労使合計で16084円。
この標準月収の下限を引き下げていくと、厚生年金の保険料が、国民年金保険料15020円より、安くなる。
基礎年金しかもらえない国民年金の保険料よりも安い保険料で、基礎年金と厚生年金の両方がもらえるようになるのは、公平なのだろうか。
社会保障の一体改革なしに、消費税だけとりあえずあげるというような改革は、社会保障制度不信につながる。
社会保障改革とプライマリーバランスと税の一体改革をきちんと国会で議論しよう。
自民党の一部が言っているような議論もしないという態度ももちろんダメだ。
「五箇条の御誓文」
かつて明治天皇が率先して天地神明に誓ったものですが、今や多くの国民に顧みられることもなくなったものです。
これを知らないのは日本国民としてもったいないことであります。
学校でも触れるのは明治初年の「五箇条の御誓文」発布のことだけでしょう。
しかし、これは昭和天皇も顧みられました。・・・
もともと「五箇条の御誓文」は官僚の作ったものではなく、この御誓文の発布前に明治天皇が直筆で書き上げた、次のような御宸翰(ごしんかん)という文が元になっています。
「天皇である自分が宮殿で安逸に過ごし、国家百年の憂いを忘れるならば、我が国は外国の侮りを受け、歴代天皇の事績を汚し、国民を困苦に陥らせることになってしまう。
今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、それはすべて私の責任である。
今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ,困難の真っ先に立ち、歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤める。
そうしてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかないものとなる。
自分はそのように行う」
明治天皇はこのように、国家の元首として、最高指導者として、自らを律し、自ら率先して、国家の独立と発展、国民生活のために尽力されました。
こういうことを現在、政権をとっている政治家たちには学んでほしい。
「五箇条の御誓文」はかつて昭和天皇が自ら敗戦後の国民に広く紹介されています。
昭和21年1月1日の「新日本建設の詔書」です。
これは「天皇の人間宣言」と言った方がわかりやすいかもしれません。
学校ではそう教えられていますし、当時のGHQの思惑もあったでしょう。
しかし、この詔書は天皇が人間だと言っているものではありません。
人間宣言というのは大間違いです。
これは陛下の信頼する国民が、陛下とその心をひとつにして、国民が助け合い、我が国の伝統の真価を発揮し、大業を成就せんことを願うものです。
そして、この冒頭に「五箇条の御誓文」が添えられています。
これは昭和天皇が「五箇条の御誓文」を挿入するように指示したからです。
にもかかわらず、その後の政府案ではこの「五箇条の御誓文」の部分が削られていました。
それを見た陛下は「五箇条の御誓文」を必ず入れるように強く言われました。
昭和天皇は明治の精神を示す「五箇条の御誓文」を、戦後の今こそ日本人は学びなおして、日本の再建に邁進しようとされたのです。
昭和50年9月22日、昭和陛下は外国人記者団に対し、
「五箇条の御誓文こそ、日本の民主主義の基盤であったと信じています」
とおっしゃられたことを思い浮かべます。・・・
日本という国は古来、危機が訪れると必ず天皇が率先して国の再興にとりかかってきました。
大化の改新しかり、建武の中興しかり、明治維新も終戦前後の日本も。
日本という国は天皇陛下がいたからこそ成り立っている国です。
政治がいよいよダメになり、日本が崩壊しそうな時にこそ、天皇陛下を中心とした国として再建し、そして発展していくべきではないでしょうか。
これを知らないのは日本国民としてもったいないことであります。
学校でも触れるのは明治初年の「五箇条の御誓文」発布のことだけでしょう。
しかし、これは昭和天皇も顧みられました。・・・
もともと「五箇条の御誓文」は官僚の作ったものではなく、この御誓文の発布前に明治天皇が直筆で書き上げた、次のような御宸翰(ごしんかん)という文が元になっています。
「天皇である自分が宮殿で安逸に過ごし、国家百年の憂いを忘れるならば、我が国は外国の侮りを受け、歴代天皇の事績を汚し、国民を困苦に陥らせることになってしまう。
今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、それはすべて私の責任である。
今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ,困難の真っ先に立ち、歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤める。
そうしてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかないものとなる。
自分はそのように行う」
明治天皇はこのように、国家の元首として、最高指導者として、自らを律し、自ら率先して、国家の独立と発展、国民生活のために尽力されました。
こういうことを現在、政権をとっている政治家たちには学んでほしい。
「五箇条の御誓文」はかつて昭和天皇が自ら敗戦後の国民に広く紹介されています。
昭和21年1月1日の「新日本建設の詔書」です。
これは「天皇の人間宣言」と言った方がわかりやすいかもしれません。
学校ではそう教えられていますし、当時のGHQの思惑もあったでしょう。
しかし、この詔書は天皇が人間だと言っているものではありません。
人間宣言というのは大間違いです。
これは陛下の信頼する国民が、陛下とその心をひとつにして、国民が助け合い、我が国の伝統の真価を発揮し、大業を成就せんことを願うものです。
そして、この冒頭に「五箇条の御誓文」が添えられています。
これは昭和天皇が「五箇条の御誓文」を挿入するように指示したからです。
にもかかわらず、その後の政府案ではこの「五箇条の御誓文」の部分が削られていました。
それを見た陛下は「五箇条の御誓文」を必ず入れるように強く言われました。
昭和天皇は明治の精神を示す「五箇条の御誓文」を、戦後の今こそ日本人は学びなおして、日本の再建に邁進しようとされたのです。
昭和50年9月22日、昭和陛下は外国人記者団に対し、
「五箇条の御誓文こそ、日本の民主主義の基盤であったと信じています」
とおっしゃられたことを思い浮かべます。・・・
日本という国は古来、危機が訪れると必ず天皇が率先して国の再興にとりかかってきました。
大化の改新しかり、建武の中興しかり、明治維新も終戦前後の日本も。
日本という国は天皇陛下がいたからこそ成り立っている国です。
政治がいよいよダメになり、日本が崩壊しそうな時にこそ、天皇陛下を中心とした国として再建し、そして発展していくべきではないでしょうか。
明るい未来が来るという原理原則
明るい未来が来るという原理原則
人間には不安や恐れがあるので、時に「社会は悪い方向に行っている」と思うことがあります。確かに、短期的には戦争に突入したり、バブルがはじけたりしますから注意が必要ですが、だからといって「この世の終わり」と言うように悲観的に考える必要は無いように思います。
私は良く「1000年後まで考えなくても良い」と言うのですが、それは1000年前、つまり紫式部の時代を考えてみたらわかります。京都に住む一部の貴族は別にして、一般国民はまだ多くが縦穴住宅に近い家に住み、土間で気を燃やし、飢えと寒さに震えていたのです。
それは江戸時代になっても変わらず、貧困で食糧不足だった江戸時代の人は平均寿命は短く、体重も軽く、背も低かったと言われています。江戸時代は道徳心も高く、リサイクルもして資源も節約していたと言われますが、そうしないと生きていけない時代でもあったのです.
そういえば、現代の日常生活で利用している多くのものは、この100年で発明されたり、実用化されたものです。自動車、航空機、電車、蛍光灯、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、ガス風呂、水道、エレベータ、エスカレータ、新幹線、高速道路、高層ビルから、レトルト食品、カップラーメン、電気炊飯器、電子レンジ、コンピュータ、パソコン、ファックス、DNA、原子力、レーザー、インタホン、プラスチック、ポリ袋、割れにくいガラス、携帯電話、電子メール、ナビなど数え上げればきりがないぐらいです。
つまり、私たちの生活は100年で大きく代わり、街もすっかり変わってしまいました。ほとんどスギでできた簡単な木造平屋だった町並みにはビルが建ち並び、駅前などはきらびやかな高層ビルが林立しています。さらに平均寿命はこの100年で約40年も伸び、若い内に病気になること自体が少なくなったのです.
「昔の生活は良かった」という人に「昔に返りたいですか? でも、そんなにお元気ではいれないかも知れません」と言うことがあります。なぜ、100年前より今の方が良い生活ができるのでしょうか?
それは「日本人のほとんどの人が、今日より明日を良くしようと思っているから」というのが私の考えです.だから、誰もが「今日より、少しでも明日を良くしよう」と思えば、必然的に良くなる、そして「何が良いのか」も一人一人が自由に考えた方が良いと思うのです.
多くの人が贅沢が良いと思えば、そちらに行くし、質素でも心の満足を希望すれば社会はそうなるでしょう。「みんな」は「じぶん」ではないので、自分から見ると少し不満でも、みんなの平均では良い方向に進むと思います。
でも、いわゆる「偉い人」が「こんな社会が良い」というのは当てになりません.それは山片ばんとう(難しい字)の「大知」・・・つまりどんな偉い人の考えも、多くの人に知恵には勝てない・・・の原理があるからです.
原子力のように日本人の多くが不安に思っていたこと、それこそ「小知」(専門家の知恵)を重んじ、「大知」(みんなの不安)を軽んじた結果のように思われます. 石油や石炭はまだ十分にあるのだから、なにも原子力をやらなくても、何だったら節約すればよいという判断は正しかったのです.
新年にあたって、私は民主主義には欠点もあるけれど、日本は日本人によって作られ、日本人のためにあるのですから、再度、明治天皇の「五箇条のご誓文」に立ち返ることが大切と思います. 五箇条のご誓文の精神を活かした現代意訳を下に示しました.
1. 議論を尽くし、あらゆることを公開で、
2. 誰もが心一つにして、日本が平穏なように、
3. 偉い人を作らず国民が一致して、途中で挫けず志をまっとうし、
4. 風習にこだわらず、論理と正義に基づき、
5. 知識は世界に求め、盤石な日本の将来を作ろう!
五箇条のご誓文は1868年に明治天皇が新年に誓約されたもので、戦争に負けた1946年に昭和天皇が日本が民主主義を目標としていたことを強調するために、占領軍(アメリカ軍)に申し入れて入れたものです。
多くの人が天皇陛下は民主主義とは違うと思っていますが、私が原発の事故で言って来たことはまさに五箇条のご誓文に基づいていたのです。何でも「公開」、ジャジャ漏れで、明るくさわやかな毎日を過ごしたいですね。
中部大学武田邦彦
(平成24年1月2日)
人間には不安や恐れがあるので、時に「社会は悪い方向に行っている」と思うことがあります。確かに、短期的には戦争に突入したり、バブルがはじけたりしますから注意が必要ですが、だからといって「この世の終わり」と言うように悲観的に考える必要は無いように思います。
私は良く「1000年後まで考えなくても良い」と言うのですが、それは1000年前、つまり紫式部の時代を考えてみたらわかります。京都に住む一部の貴族は別にして、一般国民はまだ多くが縦穴住宅に近い家に住み、土間で気を燃やし、飢えと寒さに震えていたのです。
それは江戸時代になっても変わらず、貧困で食糧不足だった江戸時代の人は平均寿命は短く、体重も軽く、背も低かったと言われています。江戸時代は道徳心も高く、リサイクルもして資源も節約していたと言われますが、そうしないと生きていけない時代でもあったのです.
そういえば、現代の日常生活で利用している多くのものは、この100年で発明されたり、実用化されたものです。自動車、航空機、電車、蛍光灯、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、ガス風呂、水道、エレベータ、エスカレータ、新幹線、高速道路、高層ビルから、レトルト食品、カップラーメン、電気炊飯器、電子レンジ、コンピュータ、パソコン、ファックス、DNA、原子力、レーザー、インタホン、プラスチック、ポリ袋、割れにくいガラス、携帯電話、電子メール、ナビなど数え上げればきりがないぐらいです。
つまり、私たちの生活は100年で大きく代わり、街もすっかり変わってしまいました。ほとんどスギでできた簡単な木造平屋だった町並みにはビルが建ち並び、駅前などはきらびやかな高層ビルが林立しています。さらに平均寿命はこの100年で約40年も伸び、若い内に病気になること自体が少なくなったのです.
「昔の生活は良かった」という人に「昔に返りたいですか? でも、そんなにお元気ではいれないかも知れません」と言うことがあります。なぜ、100年前より今の方が良い生活ができるのでしょうか?
それは「日本人のほとんどの人が、今日より明日を良くしようと思っているから」というのが私の考えです.だから、誰もが「今日より、少しでも明日を良くしよう」と思えば、必然的に良くなる、そして「何が良いのか」も一人一人が自由に考えた方が良いと思うのです.
多くの人が贅沢が良いと思えば、そちらに行くし、質素でも心の満足を希望すれば社会はそうなるでしょう。「みんな」は「じぶん」ではないので、自分から見ると少し不満でも、みんなの平均では良い方向に進むと思います。
でも、いわゆる「偉い人」が「こんな社会が良い」というのは当てになりません.それは山片ばんとう(難しい字)の「大知」・・・つまりどんな偉い人の考えも、多くの人に知恵には勝てない・・・の原理があるからです.
原子力のように日本人の多くが不安に思っていたこと、それこそ「小知」(専門家の知恵)を重んじ、「大知」(みんなの不安)を軽んじた結果のように思われます. 石油や石炭はまだ十分にあるのだから、なにも原子力をやらなくても、何だったら節約すればよいという判断は正しかったのです.
新年にあたって、私は民主主義には欠点もあるけれど、日本は日本人によって作られ、日本人のためにあるのですから、再度、明治天皇の「五箇条のご誓文」に立ち返ることが大切と思います. 五箇条のご誓文の精神を活かした現代意訳を下に示しました.
1. 議論を尽くし、あらゆることを公開で、
2. 誰もが心一つにして、日本が平穏なように、
3. 偉い人を作らず国民が一致して、途中で挫けず志をまっとうし、
4. 風習にこだわらず、論理と正義に基づき、
5. 知識は世界に求め、盤石な日本の将来を作ろう!
五箇条のご誓文は1868年に明治天皇が新年に誓約されたもので、戦争に負けた1946年に昭和天皇が日本が民主主義を目標としていたことを強調するために、占領軍(アメリカ軍)に申し入れて入れたものです。
多くの人が天皇陛下は民主主義とは違うと思っていますが、私が原発の事故で言って来たことはまさに五箇条のご誓文に基づいていたのです。何でも「公開」、ジャジャ漏れで、明るくさわやかな毎日を過ごしたいですね。
中部大学武田邦彦
(平成24年1月2日)