あなたの保険大丈夫ですか?将来の年金支給額知ってますか?直ぐに計算出来ますよ -170ページ目

「外貨建て保険」を薦められる本当の理由

 「ドル建ての保険に入っていて、失敗したかなと……でも、円高なので、解約したくてもできないんです」

 秋以降、増えてきた相談です。私は「たしかに円高は響きますよね。ただ、『もともと入らない方がいい保険』だと思います」とお答えしています。

 外貨建ての保険が売られている理由は、販売手数料が高いことと、営業担当者の教育が間違っているからではないかと、想像しているからです。

 「ドル建て終身保険」という商品を例にします。一生涯の死亡保障が確保できる保険ですが、営業現場では「老後の生活資金準備に」などと案内されることが多いでしょう。

 私が、保険会社の代理店担当者から説明された「この商品の魅力」は、

(1)同じ大きさの保障を持つ場合、運用利回りを高く見込んでいる分、円建ての保険より保険料が安くなる

(2)外貨で運用するため、解約時に払い戻されるお金の殖え方が、円建て商品より大きくなる

というものでした。よくある説明です。ただ、安い保険料で多額の払戻金が得られるという説明には、人の「願望」に訴える部分もある気がします。為替レートによって、その金額は大きく変わるからです。

 もとより、青年期や壮年期のお客様に、老後の資金準備のための商品を案内する際、10年後・20年後の為替相場の予想ができる人などいないはずです。すると、資産形成のためにふさわしい商品かどうかを判断するポイントは、一つだと考えられます。契約にかかる「コスト」です。

 残念ながら、いや、極めて不可解なことですが、情報が開示されていないので、コストを把握する方法はありません。しかし、ヒントはあります。「週刊ダイヤモンド」2011年4月30日・5月7日合併号に、数社の商品について、手数料率が掲載されているからです。

 ドル建て終身保険について見てみると、最上級代理店では契約後1年目に54%、5年間の累計で90%となっています。数字を簡単にして試算しましょう。仮にお客様が毎年1万円の保険料を30年間にわたって払い込む契約だとします。代理店手数料の支払いが5年間で終わる場合でも、5年分の保険料の90%、つまり4万5千円が手数料です。30年間で平均しても30万円の保険料に占める割合は15%に達します。

 手数料率そのものが頻繁に改定されるので、一般化するつもりはありません。とはいえ、今回の試算に用いた手数料にしても、お客さまが負担するコストの一部に過ぎないはずです。

 ある保険会社の方は、「代理店に払うボーナスもある。売り上げが大きな代理店には、人材を採用する際の支援金を出す会社だってある。手数料率だけでは、代理店にかかるコストなど把握できない」と言います。

 さらに「保険会社の取り分」もあるはずです。こうしたことを考えると、ドル建て終身保険には、20%くらいのコストがかかっている可能性もあります。資産形成に利用すべき商品でないことは明らかでしょう。

 それでも、この類の保険に加入なさっている方からのご相談は絶えません。「販売手数料が大きい商品を優先して売るのがプロ」と割り切っている売り手が多いのか、「外貨建て商品ならではの魅力」といった、誤ったセールストークを指導する保険会社を疑わない売り手が多いのか、私にはわかりません。

 外貨建て保険のパンフレット等には「払い込み保険料から、契約の締結・維持・保険金支払い等に必要な費用を負担いただきます」といった文言があります。為替リスクについても触れてあります。

 為替リスクは資産を大きくすることもありますが、多額のコストは、運用の足を引っぱるだけです。「10%を優に超えるコストがかかります」と、一言、伝えなくていいのでしょうか。

東電に単独抗議の主婦 「勝俣邸前で命賭した山口青年が羨ましい」

tanakaryusaku

 東電の非情な仕打ちに一人の主婦が決起した。ハンドルネーム、ハルオさん(38歳・埼玉県南部在住)だ。2人の子供を連れて国家をも支配下に置く東京電力の本店前(内幸町)で敢然と抗議の声を挙げた。
 ハルオさんが立ち上がったのは2つの理由からだ。
昨年末(12月28日)、福島の母親たちがアポを取って申し入れに来たにもかかわらず、東電は門前で対応した。彼女らは1時間30分も寒空の下に立たされたのだった。ハルオさんはこの日、東電前の車道を挟んだ場所から福島の女性たちを応援していた。
 「東電の非情な対応に怒りが収まらず、改めて抗議の声を挙げにきた」。ハルオさんは憤懣やるかたない様子だった。「福島の女性たちは帰り道、どんな気持ちだったろうかと考えると、いたたまれない」とも話した。これがまずひとつ。
次は―
 東電・勝俣会長邸そばの公園でハンストを敢行した山口祐二郎さんの影響だ。「暴力に行きたいところだけどグッと抑えている。山口青年のように自己犠牲に押さえ込まれたのがつらい。じっとしてたらコイツ(東電)らの思う壺。怒りのエネルギーは彼と同じ…」。

 ハルオさんは吐き出すように話した後、「勝俣邸前で命を懸けた山口青年が羨ましい」とポツリ。
 「命懸けでやって原発が止まるんだったら、ハンストだってやる」。ハルオさんのツイッター仲間も山口さんに強い影響を受けて、こう呟いた。
 「単独でも東電に抗議する」。ハルオさんの呟きに横浜市の主婦が呼応した。
 二人の娘(6歳、8歳)を連れたハルオさんと横浜の主婦(30代)は4日、東電前でシュプレヒコールをあげた。「原発よりも命が大事」「子供の未来に東電いらない」…。真冬の冷たい風が容赦なく吹き付けるなか、手製の紙メガホンを通したハルオさんの声が響いた。
 東電正門前で警備にあたる制服警察官が職務質問にやってきた。

警察官は「所属団体は?」「いつまでやるのか?」などと一通り尋ねた後、「寒い中頑張って下さい」と告げて去って行った。
 「東電の窓ガラスひとつ割れていないのが不思議。他の国だったら暴動が起きているだろう」。ハルオさんは巨大な東電ビルを忌々しそうに見やりながら、一人ごちた。

南葛西第二小学校と教育の目的

南葛西第二小学校と教育の目的

南葛西第二小学校は、2012年2月14日より3泊4日の日程で、福島県国立那須甲子(なつかし)青少年自然の家に児童を連れて行く計画を強行しようとしている。行く先の住所は、福島県西白河郡西郷村大字真舟字村火61で、放射性物質が落下した危険な場所である(那須と言えば栃木県だが、この場所はギリギリ福島県)。

具体的には空間線量が1時間あたり0.25マイクロシーベルトの範囲にあり(学校では0.14という説明をしているが、児童が最大のところに行く可能性があることを考慮して上げる必要があるので)、外部被曝だけで1年2ミリに相当する。また文科省の土壌調査の結果では日本の法律で立ち入りが禁止される1平方メートルあたり4万ベクレルを超えている地域でもある。

よく「福島に住んでいる人は被曝は仕方が無い」という意見もある。私はまったく違う考えで、日本人は誰もが東電のミスで被曝する義務があるとは考えていない。さらに、多くの東京の人が西の方に避難して少しでも被曝を減らそうとしている時に、「苦情を言わない子供だから」という理由で、より放射線の多いところに連れて行くのは、常識外れである。

でも、おそらく日本の法律もこれまでの被曝を避ける指導もご存じないのだろう。また教育は政府と独立しているということも、文科省の締め付けの中で、普段の教育活動の中で取り入れにくい(つまりは教育基本法違反だが)と思う。


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まず第一に、日本の法律では、ここに示すように被曝をできるだけ減らすように努力を求められている。文科省、教育委員会、校長など、教育の主要な人たちは、これまで日本人を被曝から守ってきた法律を無視せず、子供たちを被曝させ無いようにしなければならない。

那須よりも南にあり、いくらかは放射線量が少ない日光でも観光客は1日3000人が20人に減少した。つまり大人は自由意思だから日光はわざわざ出かけるなら「行きたくない場所」なのである。大人が行きたくないのに子供を(結果的に)強制的に連れて行くことは指導者としては望ましくない。

政府は除染や住民の移動にお金を使いたくないという方針であり、福島県は住民が福島県から出て行くと収入が減るということで、移動させないようにあらゆる手段を執っているが、教育は子供を守るのだから、国家予算や地方財政を守るために使っている手段を子供に適応しないほうが良い。


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外部被曝はもちろん、食事からの内部被曝で抽象的な文章を保護者に出している。ここで「安全」と言っているのは政府基準だからセシウムだけで1年5ミリシーベルト、全放射線核種では実に17ミリシーベルトなのである。法律は外部被曝、内部被曝あわせて1ミリシーベルトだから不適切だ。

事実、昨年11月には文科省が今の食材の基準の500ベクレルを12分の1にした40ベクレルを児童には適切と発表した。この発表は「測定器がない」という教育委員会の反対で実施が遅れているが、児童の健康に対する数値はそんなことでは変わらないのもまた当然でもある。

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西葛西第二小学校はなぜ、わざわざ福島に児童を連れて行くのだろうか? 福島のお母さんができれば福島から脱出して我が子の被曝を減らしたいと思っておられるさなかである。

考えられないが、もしかすると「那須の人の生活費」を確保するために「自分の学校の児童を被曝させる、健康と交換」という論理なのだろうか? 日本は法治国家だから、教育担当の責任者はよく考えて貰いたい。

教育とは、一つ一つのことに他人の言動や政府の方針に盲従せずに、また自分の栄達などを中心とせず、善良で人格の高い人材を育てることを目的としている。それは「国家のために個人が犠牲になる」ということではない。独立した人格を形成しようと教育している学校が、みずから法律を犯して政府の短期的な政策に盲従するのは望ましくない。

中部大学武田邦彦
(平成24年1月4日)