まともな日本に02 東大廃止のチャンス
まともな日本に02 東大廃止のチャンス
組織が腐敗するのは、その組織にいる人が悪いからではありません。
第二次世界大戦の後、あれほどの戦争をし、敗戦国は焦土と化して優れた人の多くが命を落としたのに、負けた日本とドイツが30年もしないうちに世界一になり、勝ったイギリスやソ連は没落したのはなぜでしょうか。
人間の心には「今を良くする改善の心」と「老廃物を捨てられない未練の心」があります。人間に今を良くする改善の心があるかぎり、人間社会は将来に向かってさらに良くなっていくのは間違いありません。
それと同時に老廃物を捨てられない未練の心が強く、それが社会を腐敗させます。日本やドイツは敗戦という現実によって否応もなく未練を捨てましたが、イギリスやソ連はそれを捨てられませんでした。
人類の歴史を見ると、国の大きさにもよりますが、おおよそ50年で老廃物がたまりはじめ、100年でその老廃物(ゴミ)のために没落します。超大国は面積が大きいので時間の過ぎるスピードがルートの法則で遅いので、50年が100年ぐらいになることもありますが、結局は老廃物のために没落します。
でも、それが歴史的教訓なら、人智を活かして没落する前に老廃物を整理してしまったらどうでしょうか? 老廃物の中にいる人は自らを整理することができませんから、外から整理する必要があります。
選挙で自民党が没落しました。その数代前の自民党総裁が「自民党をぶっつぶす!」と言いましたが、やはり内部からは老廃物を捨てることはできませんでした。まして、東大などのように外部からの打撃を受けない組織は老廃物がたまるばかりです。
東北大震災と福島原発事故で東大教授がウソを連発したのは、その人の責任というより東大に蓄積した老廃物の力です。東大の先生方も心の奥底では「東大をつぶしてくれ!」と叫んでいるに違いないのですが、哀しいことに本人たちではどうにもならないのです。
東大が「9月入学」を実施しようとしています。これで東大の命運は尽きるでしょう。そして入学者ゼロのもとで東大が瓦解してくれれば、日本の老廃物組織の一つが無くなります。それが日本の子供たちの希望でしょう。
中部大学武田邦彦
(平成24年2月9日)
組織が腐敗するのは、その組織にいる人が悪いからではありません。
第二次世界大戦の後、あれほどの戦争をし、敗戦国は焦土と化して優れた人の多くが命を落としたのに、負けた日本とドイツが30年もしないうちに世界一になり、勝ったイギリスやソ連は没落したのはなぜでしょうか。
人間の心には「今を良くする改善の心」と「老廃物を捨てられない未練の心」があります。人間に今を良くする改善の心があるかぎり、人間社会は将来に向かってさらに良くなっていくのは間違いありません。
それと同時に老廃物を捨てられない未練の心が強く、それが社会を腐敗させます。日本やドイツは敗戦という現実によって否応もなく未練を捨てましたが、イギリスやソ連はそれを捨てられませんでした。
人類の歴史を見ると、国の大きさにもよりますが、おおよそ50年で老廃物がたまりはじめ、100年でその老廃物(ゴミ)のために没落します。超大国は面積が大きいので時間の過ぎるスピードがルートの法則で遅いので、50年が100年ぐらいになることもありますが、結局は老廃物のために没落します。
でも、それが歴史的教訓なら、人智を活かして没落する前に老廃物を整理してしまったらどうでしょうか? 老廃物の中にいる人は自らを整理することができませんから、外から整理する必要があります。
選挙で自民党が没落しました。その数代前の自民党総裁が「自民党をぶっつぶす!」と言いましたが、やはり内部からは老廃物を捨てることはできませんでした。まして、東大などのように外部からの打撃を受けない組織は老廃物がたまるばかりです。
東北大震災と福島原発事故で東大教授がウソを連発したのは、その人の責任というより東大に蓄積した老廃物の力です。東大の先生方も心の奥底では「東大をつぶしてくれ!」と叫んでいるに違いないのですが、哀しいことに本人たちではどうにもならないのです。
東大が「9月入学」を実施しようとしています。これで東大の命運は尽きるでしょう。そして入学者ゼロのもとで東大が瓦解してくれれば、日本の老廃物組織の一つが無くなります。それが日本の子供たちの希望でしょう。
中部大学武田邦彦
(平成24年2月9日)
知の侮辱(8)・・・副流煙(結論が先にある罵倒合戦)
知の侮辱(8)・・・副流煙(結論が先にある罵倒合戦)
これまでこのブログを10年ほど書いてきましたが、その中でもっとも読者の方の反撃が厳しかったのが「タバコ」の問題です。日本人の40%がまだ喫煙しているというのに、タバコのことを話そうとすると、猛烈なバッシングを受けるのですから、これも異常な社会現象の一つでしょう。
タバコを忌避する人には2種類があって、一つは日本人を健康にしなければならないという強い使命感を持った医師で、この人たちは他人が「不健康」な生活をするのに異常なほどの嫌悪感を持っています。
私の知っている医師で、大きな病院に勤めていて「タバコを吸っているような人は健康に注意をしていないのだから、診察は断る」と言っている先生がいます。そこまでになると、職業倫理としてもやり過ぎと思います。
もともと医師というのは戦場でも負傷兵を治療しますが、「戦争など、人殺しをやる人の治療はしない」というのではなく、「医師は患者がどんな状態であっても、治療する」というのが医師の大切な倫理なのです。
もう一つは、「煙が臭い」、「タバコを吸う人は図々しい」ということで喫煙を嫌っている人たちです。確かに日本人はきれい好きで臭いのない国で生活をしていますし、タバコの臭いはタバコを吸う人が少なくなればなるほど敏感になりますから、気持ちはわかります。
また、タバコを吸う人は確かに図々しく見える人が多いようです.特に人混みでタバコを吸って、プーッと息を吐いているときなど実に図々しい人に見えるし、こちらがタバコも吸わずに仕事をしているのに、「タバコを吸わないと続かない」などと言って仕事中にサボってタバコを吸っている集団を見るとイヤな気がしない方がおかしいと思います.
でも、それだけでは社会的にタバコを排斥する理由にはなりにくいと思います。臭いについては人によって違いがありますし、体質的に臭いのきつい人もいて、うっかりすると差別になります.現在の日本のようにタバコを吸うところが限定されていて、日常的にはそれほどたばこ臭いところが無いのですから、問題は無いように思います。
また、「図々しい」というのは人の感じですから、これも排斥しようとすると危険でしょう.日本国憲法で保証された基本的人権とは、過度に人に迷惑をかけなければその人の自由な人生を保証しているのです。多くの人が一緒に住んでいる日本、この素晴らしい規定の精神も尊重したいものです。
ところで、タバコの問題を「知」として取り扱う場合、喫煙が吸う人の健康に関わるかという問題と、タバコを社会から追放しなければならないほどの毒物かという疑問の二つがあります。喫煙と吸う本人の健康の問題については少し前に整理して、まだ未完成ですが、ここでは「副流煙」を取り上げます.
副流煙の人体への害を最初に証明したと言われる有名な平山論文を読んでみましたが、すでに多くの人が指摘しているようにこの論文で「副流煙が肺がんの元になる」ということはまったく言えません.ただ、平山先生が意欲的なご研究をされたことに敬意を表します.
この論文を読むと、タバコを吸う人と長年、一緒にいると脳腫瘍になる可能性が高いことは判りました。しかし、この脳腫瘍が一緒に暮らしてきた方のタバコの煙によるものか、別のものが原因かはわかりません。先日のブログに書きましたが、私が学生に注意すること「なにかが原因ではないかと考えて、それで整理をするとほとんどのものが何らかの関係があることになる」という原理原則があるからです.
肺がんは脳腫瘍よりかなり少なく(タバコを吸わない人と一緒に住んでいる場合に比較してですが)、副流煙での影響は肺より脳に強いようです。実験結果を忠実に整理して「肺より脳」と言いますと、「そんなことはない。タバコが脳に影響があるはずがないじゃないか」という反論があるのですが、それならもともと「実験や調査」をする必要はありません。
人間の脳は不完全なので、実験や調査を行います。その時には、「自分はタバコを吸う人と一緒に住んでいたら肺に影響を受けるとおもうが、(それは自分の浅はかな考えなので自然に聞いてみるという意味で)実験や調査をしよう」ということですから、意外な結果がでるのが大切なのです。
その他の資料にも目を通しましたが、現在のところ科学の心を持った人はこの問題に近づかない方が良いように感じました。というのは、どれもこれも非常に感情が高ぶった論文や調査、論評が多く、先入観や最初から「タバコの副流煙は肺に悪いに決まっている」という前提で行われているからです。まるで「魔女狩りとその対抗勢力」のような状態です.
ことは人の健康、子供の健康に関することですから、もう少し冷静に議論できないのでしょうか? データは不十分で先入観に満ちていますし、あまりに攻撃が激しいので、反論もまた科学とは言えない状態にあります.
私たちがもし「知」というものを尊重するなら、それは相手を誹謗することでも、自分の得になることでもありません。あくまでも人間の「知」を信じて、お互いに憎しむことなく、少しでも前進することです。
日本に住む誇るべき民族:アイヌは平和を愛し、戦争をしなかった民族ですが、人間が戦争をしないというのはかなり大変なことで、それを達成するためにアイヌはタバコを愛しました。ケンカをしそうになると相手にタバコを勧め、一服して争いを収めたのです.
人間には体の栄養とともに、頭脳の情報を整理するための栄養が必要です.多くのタバコを吸うかたの随筆を読むと、タバコが情報整理の栄養になっていることを否定することは難しいように思います.
人間は理解しがたいものであり、体は複雑で、人は多種多様です.その中で、このタバコというものをどのように考えるのか、それを冷静に進めることで人間の「知」を一つ高める方向に行けばと願うところです.
「takeda_20120211no.419-(11:54).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成24年2月9日)
これまでこのブログを10年ほど書いてきましたが、その中でもっとも読者の方の反撃が厳しかったのが「タバコ」の問題です。日本人の40%がまだ喫煙しているというのに、タバコのことを話そうとすると、猛烈なバッシングを受けるのですから、これも異常な社会現象の一つでしょう。
タバコを忌避する人には2種類があって、一つは日本人を健康にしなければならないという強い使命感を持った医師で、この人たちは他人が「不健康」な生活をするのに異常なほどの嫌悪感を持っています。
私の知っている医師で、大きな病院に勤めていて「タバコを吸っているような人は健康に注意をしていないのだから、診察は断る」と言っている先生がいます。そこまでになると、職業倫理としてもやり過ぎと思います。
もともと医師というのは戦場でも負傷兵を治療しますが、「戦争など、人殺しをやる人の治療はしない」というのではなく、「医師は患者がどんな状態であっても、治療する」というのが医師の大切な倫理なのです。
もう一つは、「煙が臭い」、「タバコを吸う人は図々しい」ということで喫煙を嫌っている人たちです。確かに日本人はきれい好きで臭いのない国で生活をしていますし、タバコの臭いはタバコを吸う人が少なくなればなるほど敏感になりますから、気持ちはわかります。
また、タバコを吸う人は確かに図々しく見える人が多いようです.特に人混みでタバコを吸って、プーッと息を吐いているときなど実に図々しい人に見えるし、こちらがタバコも吸わずに仕事をしているのに、「タバコを吸わないと続かない」などと言って仕事中にサボってタバコを吸っている集団を見るとイヤな気がしない方がおかしいと思います.
でも、それだけでは社会的にタバコを排斥する理由にはなりにくいと思います。臭いについては人によって違いがありますし、体質的に臭いのきつい人もいて、うっかりすると差別になります.現在の日本のようにタバコを吸うところが限定されていて、日常的にはそれほどたばこ臭いところが無いのですから、問題は無いように思います。
また、「図々しい」というのは人の感じですから、これも排斥しようとすると危険でしょう.日本国憲法で保証された基本的人権とは、過度に人に迷惑をかけなければその人の自由な人生を保証しているのです。多くの人が一緒に住んでいる日本、この素晴らしい規定の精神も尊重したいものです。
ところで、タバコの問題を「知」として取り扱う場合、喫煙が吸う人の健康に関わるかという問題と、タバコを社会から追放しなければならないほどの毒物かという疑問の二つがあります。喫煙と吸う本人の健康の問題については少し前に整理して、まだ未完成ですが、ここでは「副流煙」を取り上げます.
副流煙の人体への害を最初に証明したと言われる有名な平山論文を読んでみましたが、すでに多くの人が指摘しているようにこの論文で「副流煙が肺がんの元になる」ということはまったく言えません.ただ、平山先生が意欲的なご研究をされたことに敬意を表します.
この論文を読むと、タバコを吸う人と長年、一緒にいると脳腫瘍になる可能性が高いことは判りました。しかし、この脳腫瘍が一緒に暮らしてきた方のタバコの煙によるものか、別のものが原因かはわかりません。先日のブログに書きましたが、私が学生に注意すること「なにかが原因ではないかと考えて、それで整理をするとほとんどのものが何らかの関係があることになる」という原理原則があるからです.
肺がんは脳腫瘍よりかなり少なく(タバコを吸わない人と一緒に住んでいる場合に比較してですが)、副流煙での影響は肺より脳に強いようです。実験結果を忠実に整理して「肺より脳」と言いますと、「そんなことはない。タバコが脳に影響があるはずがないじゃないか」という反論があるのですが、それならもともと「実験や調査」をする必要はありません。
人間の脳は不完全なので、実験や調査を行います。その時には、「自分はタバコを吸う人と一緒に住んでいたら肺に影響を受けるとおもうが、(それは自分の浅はかな考えなので自然に聞いてみるという意味で)実験や調査をしよう」ということですから、意外な結果がでるのが大切なのです。
その他の資料にも目を通しましたが、現在のところ科学の心を持った人はこの問題に近づかない方が良いように感じました。というのは、どれもこれも非常に感情が高ぶった論文や調査、論評が多く、先入観や最初から「タバコの副流煙は肺に悪いに決まっている」という前提で行われているからです。まるで「魔女狩りとその対抗勢力」のような状態です.
ことは人の健康、子供の健康に関することですから、もう少し冷静に議論できないのでしょうか? データは不十分で先入観に満ちていますし、あまりに攻撃が激しいので、反論もまた科学とは言えない状態にあります.
私たちがもし「知」というものを尊重するなら、それは相手を誹謗することでも、自分の得になることでもありません。あくまでも人間の「知」を信じて、お互いに憎しむことなく、少しでも前進することです。
日本に住む誇るべき民族:アイヌは平和を愛し、戦争をしなかった民族ですが、人間が戦争をしないというのはかなり大変なことで、それを達成するためにアイヌはタバコを愛しました。ケンカをしそうになると相手にタバコを勧め、一服して争いを収めたのです.
人間には体の栄養とともに、頭脳の情報を整理するための栄養が必要です.多くのタバコを吸うかたの随筆を読むと、タバコが情報整理の栄養になっていることを否定することは難しいように思います.
人間は理解しがたいものであり、体は複雑で、人は多種多様です.その中で、このタバコというものをどのように考えるのか、それを冷静に進めることで人間の「知」を一つ高める方向に行けばと願うところです.
「takeda_20120211no.419-(11:54).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成24年2月9日)
保険は「定食」より「単品」がいい
ある大手生命保険会社の「保険がわかるサイト」というページを見て、ちょっと驚きました。
「ランチをするとき単品にするか定食にするか迷ったことはないでしょうか? どちらかというと単品を数種類選ぶよりも定食の方が、値段が安く栄養のバランスも良いように思います」とあったからです。
この後に「生命保険も同じです」と続き、単品を組み合わせるデメリットが2点挙げられています(番号は筆者が振りました)。
(1)単品の組み合わせの場合、保障の重複もあるため、保険料が割高になることもあります
(2)生命保険の場合、給付金の手続きも保険会社ごとに必要となるため、煩雑になることもあります
そして、「生命保険も定食のように必要な特約が組み合わさっている商品の方がメリットがあるかもしれません!」と結ばれています。
単に「自社の都合」による記述に感じられます。個々に反論します。
まず(1)です。「単品」と書かれているのは、死亡に備える「定期保険」や「終身保険」、入院や大病に備える「医療保険」や「がん保険」など、利用目的に応じてバラ売りされている保険のことです。
確かに、単品を組み合わせることで保障の重複が発生することはあります。たとえば、「医療保険」と「がん保険」に2本加入する場合です。がんで入院した際、双方の契約から入院給付金の支払いがあるので、「保障が重なっている、重複部分の保険料が無駄ではないか」と指摘することもできるでしょう。
とはいえ、それは単品の組み合わせでなくても起こることです。現実に大手生保の主力商品で、死亡保障を主体にした契約に、病気による入院の際、給付金が支払われる「入院特約」に加えて、がんによる入院のみに対応している「がん入院特約」がセットされているケースは多々あります。
単品の組み合わせが、より日常的かつ本格的に(?)行われているのは大手生保の主力商品なのです。ただ、あらゆる単品の機能を「特約」と呼んでオプション扱いにしているだけでしょう。
そこでは、多数の保障がパッケージされているため、仮に保障の重複を嫌う方でも、そのことに気づきにくいだろうと思えます。また「それぞれの品目にいくらお金がかかるのか?」検証することが容易ではありません。
実際、私は、死亡保障に要する保険料が、他社の単品の倍くらいに設定されている例などを再三見ています。コースメニューを頼むと、単品では500円のコーヒーが1000円で計算されているようなものでしょう。
次に(2)です。単品で複数の保険会社の商品を利用すると、手続きが煩雑になる可能性は否定しません。
しかし、もとより複数の保障を確保すべきでしょうか? 本連載で繰り返している通り、私は、保険での対応が適しているのは、小さな子供がいる世帯主の万が一に備えるくらいで、他に幾つもないと考えています。
さらに、記憶に新しい「保険金の不払い」も、多様な特約が付加された契約で多発した事実があります。平成20年(2008年)7月の金融庁の文書を確認すると、平成13年(01年)度から17年(05年)度までの5年間で「支払い漏れ」件数の発生割合のトップは手術給付金で55.7%、「請求漏れ」件数では通院給付金が78.4%となっています。報告したのは38社ですが、いずれも単品で販売されている保障ではありません。
私自身、大手生保に在籍していたこともあり、自戒の念も込めて書きますが、保険を食事にたとえると、「本当に食べる必要があるのか?」を検討することが最重要で、「定食」を前提に検討する必然性はないはずです。
最後に、大手でも日本生命は、昨年から「商品の単品化」への路線変更を打ち出していることを付記しておきます。注目すべき動きだと思います。
「ランチをするとき単品にするか定食にするか迷ったことはないでしょうか? どちらかというと単品を数種類選ぶよりも定食の方が、値段が安く栄養のバランスも良いように思います」とあったからです。
この後に「生命保険も同じです」と続き、単品を組み合わせるデメリットが2点挙げられています(番号は筆者が振りました)。
(1)単品の組み合わせの場合、保障の重複もあるため、保険料が割高になることもあります
(2)生命保険の場合、給付金の手続きも保険会社ごとに必要となるため、煩雑になることもあります
そして、「生命保険も定食のように必要な特約が組み合わさっている商品の方がメリットがあるかもしれません!」と結ばれています。
単に「自社の都合」による記述に感じられます。個々に反論します。
まず(1)です。「単品」と書かれているのは、死亡に備える「定期保険」や「終身保険」、入院や大病に備える「医療保険」や「がん保険」など、利用目的に応じてバラ売りされている保険のことです。
確かに、単品を組み合わせることで保障の重複が発生することはあります。たとえば、「医療保険」と「がん保険」に2本加入する場合です。がんで入院した際、双方の契約から入院給付金の支払いがあるので、「保障が重なっている、重複部分の保険料が無駄ではないか」と指摘することもできるでしょう。
とはいえ、それは単品の組み合わせでなくても起こることです。現実に大手生保の主力商品で、死亡保障を主体にした契約に、病気による入院の際、給付金が支払われる「入院特約」に加えて、がんによる入院のみに対応している「がん入院特約」がセットされているケースは多々あります。
単品の組み合わせが、より日常的かつ本格的に(?)行われているのは大手生保の主力商品なのです。ただ、あらゆる単品の機能を「特約」と呼んでオプション扱いにしているだけでしょう。
そこでは、多数の保障がパッケージされているため、仮に保障の重複を嫌う方でも、そのことに気づきにくいだろうと思えます。また「それぞれの品目にいくらお金がかかるのか?」検証することが容易ではありません。
実際、私は、死亡保障に要する保険料が、他社の単品の倍くらいに設定されている例などを再三見ています。コースメニューを頼むと、単品では500円のコーヒーが1000円で計算されているようなものでしょう。
次に(2)です。単品で複数の保険会社の商品を利用すると、手続きが煩雑になる可能性は否定しません。
しかし、もとより複数の保障を確保すべきでしょうか? 本連載で繰り返している通り、私は、保険での対応が適しているのは、小さな子供がいる世帯主の万が一に備えるくらいで、他に幾つもないと考えています。
さらに、記憶に新しい「保険金の不払い」も、多様な特約が付加された契約で多発した事実があります。平成20年(2008年)7月の金融庁の文書を確認すると、平成13年(01年)度から17年(05年)度までの5年間で「支払い漏れ」件数の発生割合のトップは手術給付金で55.7%、「請求漏れ」件数では通院給付金が78.4%となっています。報告したのは38社ですが、いずれも単品で販売されている保障ではありません。
私自身、大手生保に在籍していたこともあり、自戒の念も込めて書きますが、保険を食事にたとえると、「本当に食べる必要があるのか?」を検討することが最重要で、「定食」を前提に検討する必然性はないはずです。
最後に、大手でも日本生命は、昨年から「商品の単品化」への路線変更を打ち出していることを付記しておきます。注目すべき動きだと思います。