あなたの保険大丈夫ですか?将来の年金支給額知ってますか?直ぐに計算出来ますよ -146ページ目

福島2号機と4号機、それにセシウム(速報)

福島2号機と4号機、それにセシウム(速報)

【結論】原発に危険はありません。セシウムは問題です。
【簡単な説明】2号機の燃料は、もともとの場所、炉の下、格納容器の下の3つに分散しているが、水に浸っていて水にはホウ素が含まれている。このことから、核爆発、水素爆発、水蒸気爆発のいずれもが起こらない。

水は中性子を減速して臨界に達する働きをするが、ホウ素が溶解している時には中性子の吸収が大きくなり臨界にならない。このことは東電も計算ができ、大きな核爆発は東電の社員を著しい危険に陥れることになること、ホウ素は準備されていることからも問題は無い。もし水蒸気爆発をするようなら2号機からもうもうと蒸気がでているはずだが、蒸気は見られない。さらに2号機はすでに孔だらけなので、水素が滞留して爆発限界に達する可能性はない。

4号機は燃料プールの崩壊があり得る。このときに、少しの放射性物質が飛散する。その理由は落下する途中で、燃料棒から若干の放射性物質が飛散するからである。さらに燃料棒同士が落下途中で特別な立体配置になり、小規模核爆発が起こる可能性がある。東電が燃料プールに十分な量のホウ素を入れているかどうか不明だが、入れていると推定できる。

4号機の燃料プールが崩壊したら、燃料は原子炉建屋下部に落ちるが、そこで再び水で覆われるので、放射性物質が飛散するのは少量にとどまる。

また、10月頃からの福島原発付近の線量率からみると、4号機や2号機から新しい放射性物質が出た形跡はない。

[カメラBandicam_20120215_221120072]

定時降下物のセシウムは2月に入っても多く、危険な状態が続いています。下に表を出しましたが、1平方メートルで100ベクレルぐらいは危険です。1平方メートルにたとえばキャベツが4ヶ植わっていると、4日で規制値を超えるからです。

何とか早く原因を突き止め、減らさないと被曝が増えて心配です。

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【見解の差異について】私は専門家なので、自分で事実を確認して、政府、東電、他の専門家、外国人などのコメントに左右されずに、自らが事実と思うことを、自分の力で判断しています。その点で、日本の専門家、外国の専門家のコメントは一応目を通したり、動画は見たりしましたが、上記の結論で、それらと違う場合もあります。

専門家以外の人はやむを得ないのですが、「誰がこういっている」ということでご判断されている方が多いのですが、私は科学的に見て自分で事実を判断しています。その点をご理解ください。データが不十分なので、間違いもあるとおもいますが、私の家族が福島、あるいはその付近にいても原発が危険だからという理由で移動することはしません。しかし、セシウムと空間線量が高いところで生活するのはお勧めできません。


中部大学武田邦彦
(平成24年2月15日(水))

「takeda_20120215no.423-(7:47).mp3」をダウンロード

まともな日本に03 その年暮らしの年金制度

まともな日本に03 その年暮らしの年金制度

年金問題はのどに刺さった骨のようなものですが、これを明るく解決することができます!!

1970年代の記憶をそのままにして役人が「社会保険庁の不祥事」を起こし、「後期高齢者なる言葉」を使ったために、年金問題は大混乱に陥ってしまいました。現在は、その混乱を整理することなく「高齢化社会は必然だ」という変な理屈のもとで増税が叫ばれています。

しかし、この問題は将来の日本社会の根幹に関わるので、役人の悪さに引きずられないでしっかりした考え方を作ることが大切です。

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人間は集団性の動物ですから、平均寿命が43歳(今から90年前の1920年の日本)の場合も、現在も、そして平均寿命が100歳になるころも、「教育専業年限」も「引退後期間」も一定で、その比率は若干の議論があるでしょうが、教育専業比率が20%、引退後期間が20%、働く期間が60%というのが常識的でしょう。

平均寿命が70歳の時には、15歳で働きにでて、55歳ぐらいで定年を迎えるという感じですし、寿命が100歳になったら、20歳まで勉強、80歳で引退するということで合意が得られると思います。健康状態によっては25歳まで勉強し、85歳まで働くということになる可能性もありますが、5歳ぐらいの差をあまり過度にいわずに、おおよその概念を決めておく方が大切でしょう。

今後は女性のほとんどが仕事に参加するでしょうし、電子化も進みますので、60%の就労率なら、「年金問題での増税」はまったく不必要なことがまず判ります。そして、80歳で引退ですから、「高齢者問題」などは存在しません。

繰り返しますが、「ある年齢を区切って「高齢者」と決める」のではなく、「平均寿命に合わせて仕事を引退しても良い年齢を決める」ということで「どんなに平均年齢が伸びても高齢化社会は来ない」ということになります。従って、「増税」も「高齢者」の問題も存在しません。

もう一つ、年金の問題を解決するために、決定しておかなければならないことがあります。それは「年金に役人を入れない」ということと、「日本人なら誰でものたれ死にしない」という原理原則を決めておくことと思います。その理由は拙著「国債は買ってはいけない(東洋経済新書)」に載せています。

年金が破綻する理由が3つあります。一つが役人が悪さ(中間マージン、運用失敗を含め)をすること、二つ目がインフレが避けられないこと、三つ目が国民が甘い夢を見ることです。

一つ目は当然ですから説明をはぶくとして、二つ目は「インフレにならないこと」もありますが、「インフレになったら俺の老後は破綻する」と思っていると、気が気ではないからです。現在の政府はインフレをコントロールすることができませんので、弱いインフレが来ると、50歳までの年金の積み立ては無意味になります。このことは過去の実績から前出の拙著に詳細に解析してあります。

三番目は政治家が国民に甘いことを言うから、それに期待して失望するということです。この3つを克服するには、わたしはたった一つの方法しか無いと思います。それを下に示します。ここから先は「年金」という文字が消えますので、頭を少し切り換えていただく必要があります。

1) 現在の65歳から将来の80歳まで、「年齢比率」に合わせて、定年と無条件生活保護資格年齢をスライドする。

2) 生活保護費はすべて「税金」でまかない、無条件生活保護資格年齢に達した人で生活保護の申請があった人に支給する。

3) すべての生活保護費はその年の内に決算する(積み立てゼロ)。同時に、20歳から仕事をするべき人も含めて「人生はできるだけ生活保護を受けないように自分で計画する」という教育を20歳までに行う。

4) 生活保護費の上積みは「銀行預金」などで個人がしておく。

「役人がタッチしない」、「その年の内に決算してインフレの危険を避ける」、「よりよい生活は本人の貯金で」というのが基本的な考え方で、要するに「年齢に関係なく、何かの事情で働くことができなくなったら生活保護費を貰う」ということです。

病気(心の病気も含む)、体力などの理由で自分で生活ができない人について、国家が生活保護をするというのが原理原則で、そのうち、「無条件資格取得年齢」を決めて、それ以下の場合は生活保護の審査を、それ以上の年齢の人は無審査というだけの違いです。

「老人は尊敬し、いたわるが、社会の一員である」というハッキリした立場をつくり、合わせて「働ける内に生活保護を受けるのは恥だ(乞食は恥だ)=国民の誰かは働かないと日本は成立しない」ということを学校で明確に教育しておくことが良いとおもいます。

幸い、憲法には「勤労の義務」があり、それを免れるのは20歳までだけで、20歳になると親も扶養を止め、本人が勉学したい場合は、返済しなければならない奨学金や生活費の支給を受けるという制度を念頭に置いています。

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このような社会を実現するためには、役人の数を減らし、補助金を止め、**財団などの建造物を民間に売り渡すなど「自分で働いたお金で自分が生活する」、「非常時は必ず国が助ける」という二つの基本思想を明確にするということです。

私はエコポイントや太陽電池のような「乞食政策」をすると、年金も破綻するという考えです。これについてはまた機会を見て詳しく説明したいと思います。

中部大学武田邦彦
(平成24年2月13日)

知の侮辱(9)・・・知に働けば角が立つ?

知の侮辱(9)・・・知に働けば角が立つ?

「知に働けば角がたつ。情に棹させば流される」とは夏目漱石の小説に有名なものですが、確かに理屈を言うと角がたち、そうかといって情に訴えると流されると言われるとさすが漱石!という感じです。

でも、私のこれまでの人生のいろいろな場面を振り返ってみると、知に働いたから角がたつのではなく、知に働いているのに情が絡むと角がたつという感じです。

たとえば、原発の問題で、原発推進派と反原発派の間で「知に働いたこと」は無かった様に思います。原発推進派は政府や権力者からの豊富な資金と権限をもって強引に原発を進めようとしましたし、それに対して反原発派も「知は要らない。運動だけ」ということで反原発運動を繰り返しました。

どちらが正しかったかというと、押し切ろうとした推進側が強引だったのが最初です。本当は国民が主人公なのですから、隠し事をせずに民主的手続きを貫く必要がありましたし、反原発側も民主主義の手続きを求める必要があり、その結果を尊重しないのは問題がありました。

日本では長く自民党が政権をとっていて、原発についてはハッキリと推進でした。ですから、全体として原発が推進されるのは民主的な国家として適切だったと思います。しかし、原発は作るけれど「核廃棄物の貯蔵所」はどこにも作れないという状態でした。

奇妙なことです。ある人がアパート経営を志して営業を開始したとします。その時に「部屋は快適ですが、トイレがついていません」と宣伝したら入居する人はほとんどいないでしょう。家主にとっては部屋は貸してもトイレがなければずいぶん、管理は容易になりますし、アパートも汚れません。

でも、「家賃は欲しいけれど、トイレを作るのはイヤだ」と言ったら、アパート経営アドバイザーから「それでは入居する人はいないでしょう。お金は欲しい。損はしたくないでは・・・」というでしょう。

大人なら原発を作って電気を買うなら核廃棄物の貯蔵所は必要です。私は「トイレの無いマンション」というのは反原発のスローガンとしては適切ではないと考えています。原発はトイレがないからダメというのではなく、原発も電気も核廃棄物貯蔵所も一緒に考えて賛否を言うようにしないと、いかにも子供のようです。

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原発推進派と反原発派の人は「知に働くと角が立つ」ということで、まったく議論をせず、妥協点を探ることもしませんでした。この過程で原発の安全議論は硬直化し、「安全だ」という人と「危険だ」という人が感情的にいがみ合い、それが今度の福島の子供たちを被曝させる原因の一つになったのです。

かつての日本は社会が単純で、純情な人がほとんど、それにまれに見るほど庶民のことを考えるお殿様・・・という構成でした。だから、政治も人生もお殿様に任せておけば良かったのですが、今は違います。

選挙と代議員制度をとっている日本で、「何が民意なのか?」ということもハッキリしていないと感じます。歴代の首相の交代を見ても、マスコミが世論を形成するために特定の人の人気をあおり、その人が首相につくと突然マスコミが態度を豹変させて、悪いことばかりを報道するというのが続いています。

首相を選ぶときも政策的ではなく、選ばれた首相は直ちに考え方が変わるわけではないのに、マスコミは1ヶ月も経つと叩きにたたきます。今の原発再開問題も、「原発を再開するべきかどうか」についてのエネルギー、環境、安全性、温暖化などの主要な課題を議論することなく、「ストレステスト」なる用語だけが宙に浮いて活字が踊っているのでは、また同じことの繰り返しでしょう。

ここらへんで日本も「知に働いても角がたたない」という社会風土を作りたいものです。

中部大学武田邦彦
(平成24年2月12日(日))