12 Years a Slave 2013年に公開されたアメリカ・イギリス映画
監督:スティーヴ・マックイーン(アクション俳優とは別人の黒人監督)
脚本:ジョン・リドリー
原作:ソロモン・ノーサップ(英語版) 『Twelve Years a Slave』 1853年
製作:ブラッド・ピット他
出演者:キウェテル・イジョフォー/ルピタ・ニョンゴ/マイケル・ファスベンダー
おすすめ度 ★★★★☆ 95点 辛い映画ですが、この作品を鑑賞して、キリストの教えの国なのか?正義の国家なのか?考えてみてください。
アメリカという国はキリスト教国家で世界の警察で自分たちこそが正義だと自負していますが、彼らの歴史を見る限りその成り立ちは血なまぐさい暴力が支配する歴史でした。
この映画はそんなアメリカの不都合な真実である、奴隷制度がある時代の物語です。アメリカの学校の授業でも飛ばして教える部分を、決して美談にすること無く正々堂々と正面から立ち向かった勇気ある映画で、たった3本しかない数少ないアメリカ奴隷映画の1つです。見て楽しむ娯楽作品ではなく目をそむけてはならない歴史です。
「私はこの本を読み、愕然とした」、「そして同時に、この本のことを知らなかった自分に腹が立った。私は国民的英雄であるアンネ・フランクがいたアムステルダムに住んでいるし、私にとってこの本は『アンネの日記』にように読めるが、それよりも97年前に書かれていたのだ。私はこの本を映画化するために情熱を持った」 スティーヴ監督
◆ストーリー
1841年(公開日から約172年前)、ニューヨークに住む自由黒人の音楽家ソロモン(キウェテル・イジョフォー)は家族と一緒に幸せに暮らしていた。しかし日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。(半)
◆豆知識 アメリカの黒人はアフリカから連れてこられた奴隷
アメリカはコロンブスがたどり着いたことで、その名前が知れ渡りヨーロッパ諸国からの入植が始まり、イギリス・フランス等が探検しながら植民地宣言をし開拓されていきました。その時に労働力としてアフリカ人などをアフリカから拉致して奴隷として働かせていました。
その数は17世紀から19世紀にかけておよそ1200万人です。しかも、奴隷制度という法律までひいて合法化させていました。
※アメリカには先住民であるインデアンがいましたので、力ずくで土地を奪い取り、なんと200万人以上いたインディアンは24万人にまでになってしまいました。
◆難航した映画化
アメリカ南部出身のブラッド・ピットが制作に関わっていますが、パラマウント映画は奴隷制度は「掘り出したくない過去」であり業界内でもタブー視されており制作を拒否しています。しかし実際に起こったことを風化させてはいけないという、制作陣の「情熱」よって、多くのイギリス人(監督や俳優)の手によって作られ20世紀フォックスの子会社からの配給作品となりました。
◆アカデミー賞
第86回アカデミー賞9部門にノミネートされ、作品賞と助演女優賞を受賞。黒人監督の映画として初の作品賞受賞作となりました。
◆ローリング・ストーンズ ブラウンシュガー ←クリックで過去のページに飛びます。
◆感想その他 ネタバレ含むので鑑賞後にどうぞ
同じアメリカなのに南部と北部では全く黒人の扱い方が違っており、南部では合法化されているので、奴隷たちに対する扱いはまったく悪いことをしているという自覚がないので、白人をより残酷な人間に変えていきます。そこに住む人達は時代に順応して生きている普通の人たちなのですが、主従関係がエスカレートしていき、戦争でもないのに何故ここまで残酷になれるのだろうと思いました。鑑賞しているだけで辛いのに、当の黒人たちは本当に辛かったと思います。
中でも残酷なエドウィン・エップスはやり過ぎなのではと思いますが、彼はクリスチャンであり聖書を読んでいるにもかかわらず、全く悪びれることがありません。そこからわかるのは、キリスト教という宗教がキリストの教えに反して名ばかりのスタイルに過ぎなかったことが如実に示されます。
また、エドウィンは大勢いる奴隷主のうちのたった一人に過ぎないと思うと底知れぬ恐怖を感じます。地獄はあの世に有るのではなく、黒人にとって南部こそが地獄だったにちがいありません。
変わるのはもちろん白人だけでなく、主人公ソロモンも騙されて連れて行かれ、家畜のように黒人を扱う南部人達の元に突然放り込まれ、多くの絶望感を味わい無力感から自信を喪失して、終いには自由の象徴であるヴァイオリンを粉々にしてしまいます。
印象的なシーンは、つま先立ちで吊るされているソロモンの後ろで何事もないように、黙々と働く他の奴隷達に唖然とします。「お前ら仲間が吊るされているのに黙っているのか?」と、言いたいですが、まるで抵抗感がなくなってしまっているようです。
それはまるで自分たちをみているようでした。それはブラック企業に勤めていても会社に文句を言えば例え正論であっても、反抗者として上司からレッテルを貼られいじめにあい、厳しい仕事ばかり押し付けられどんどん待遇が悪くなるので、文句を言えずに我慢するサラリーマンのようです。
私の上司はそんなタイプが多く、「文句をいう人間に嫌な仕事ばかりを回すようにしすると、終いには文句を言わなくなる」と言ってました。例えば労働時間が長いと文句を言えば、一番長くなる仕事を毎日まわすわけです。
結局何も言えなくなり、本心を隠しながら影で悪口を同僚と言い合ってお互いの傷口をなめあうしかないのです。給料をもらっていても、無抵抗の奴隷と何ら変わりません。
結局最後は、黒人奴隷のなかから、主人公一人だけが他の仲間の奴隷たちを残し助かるのですが、言い知れぬ後味の悪さ残ります。逃げのびただけで残された人達は何一つ変わらぬ地獄のような毎日がつづき、奴隷制度は何ら変わること無くあり続けます。
タイトルは直訳すれば「12年間の奴隷だった」ですが、南部の奴隷たちは12年間では済まないのです。
◆バプティスト派聖職者ウィリアム・フォード (ベネディクト・カンバーバッチ)
南部では聖職者でありながらも、この制度を利用し黒人を売買し労働力としている人もいました。彼もまたその中の一人で奴隷市場で、全裸の黒人たちの姿に眉をひそめることもなく、まるで自分の服を買うように黒人を品定めして買っていきます。
「すべてを救うのが神であるのなら、黒人も救われなければならいが、南部では神の前で白人が罪人とならないように整合性を持たせるために黒人は人間では無いと教えられていた。」町山智浩
奴隷制度自体間違っていると気づいていても法律である以上何も言えない人でした。また、ソロモンには教養が有りもともとは奴隷でないことに気づいていましたが、助けないばかりか、自分の借金の清算のために早々に他の雇い主エドウィンに売り渡してしまいます。
聖書を奴隷たちに読んで聞かせていたのはそんな無力な自分が出来る最低限の罪滅ぼしなのかも知れません。
「フォードが一番苦悩するのは合法とはいえエップスにソロモンを引き渡す時だ。自分の借金の清算のためにね。これはローンの抵当権みたいなものだけど本物の人間を担保にする。借金の代わりにね。ひどいことだ。彼はライオンに聖者を差し出すんだ。しかも 自分が何をしたのか理解しているからとても苦しむ。でもやめないんだそこが境界線だ。彼がどんなに良い人間でも
罪だと知りながら目をつぶるなら、彼は真に善人ではない。21世紀の目で彼を裁くのは簡単だ ソロモンに同情するのも容易い。彼の置かれた環境とかね。でも客観的に言えばあの時代に人間の良心を見つけるのは難しい」べネディクト・カンバーバッチ
◆農園主エドウィン・エップス (マイケル・ファスベンダー)
エップスはパッツィーに夜這いなどをしていましたが奴隷は家畜だと考えていたので葛藤します。当然奥さんは気づいており、自分よりも奴隷に心うばわれる屈辱と嫉妬でパッツィーに辛く当たります。
「アメリカの黒人の男性の65%に白人の血が混ざっているらしい つまり大農園で どれほどレイプが横行していたかってことだ」マイケル・ファスベンダー
ある日パッツィーがショー婦人から石鹸をもらいのきましたが、逃げたと勘違いしたエップスは無断でショーの屋敷に行った罰を与えようとし服を脱がせて木に縛り付けた。そこへタイミングよく奥さんが登場します。彼は自らの手でムチを打とうとしますがなかなか出来ませんが、ここぞとばかりに奥さんが「Do it 死ぬまで打つのよ」とせかします。
しかし、自分では打てないのでそばにいたソロモンに命じますが、手加減をするソロモンに業を煮やし自らの手でムチを打ちます。
ソロモン「人でなしめ・・いつか・・・永遠の正義によって汝の罪は裁かれる」
エップス「罪だと? これは罪じゃない 所有物で遊んでるんだ 今私はすごく楽しいんだ これ以上気の晴れる遊びはない」
◆アメリカ南部
アメリカ南部はキリスト教徒が多く集中していて、福音主義またはキリスト教根本主義のプロテスタント(特にバプテスト、そしてまたメソジストや長老派など)が普及しており、南部を「バイブル・ベルト」として呼ぶ由縁になっています。
南部の法律では黒人を殺してもペットを殺す罪と同じだった。
奴隷主が自分の奴隷を殺すのは自由だった。人権などまったくない。
奴隷の売買は高く売れたので子どもを生ませて売り払っていた。
病院も獣医に連れて行く。
こんなことが200年間もずっと続けられていた 町山智浩
◆その後のアメリカ
南北戦争に負けて奴隷制度が廃止になりましたが南部では根強い人種差別が残っており1890年にルイジアナ州は、黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案を可決しました。
キング牧師などを中心に行われた公民権運動により1964年7月2日の公民権法(人権法)制定まで黒人には選挙権も与えられませんでした。
◆何故黒人奴隷の記録が少ないのか?
南部では奴隷に字を教えなかったので、自ら記録を残す人がいなかった。
又、映画の最後でその後のソロモンに触れられていますが、大方が殺されたと考えられています。
※まだ書き足りないですが、書き疲れたので随時追加していきます。
※今回この記事を書くにあたり初めて町山さんの記事を参考にさせてもらいましたが、流石にアメリカに住んでいるだけあって詳しいですね。奴隷制度に対する知識を広めることができました。あの○○映画実写版進撃の巨人の町山さんと同じ方とは思えません。