The life is time killing till I die. -145ページ目

一昨日のタイトル、土曜なのに日曜って書いてしまった。迂闊。

俺の苗字は全国で74世帯しかない。


これは結構希少種だろう。

日本全国で200人程度しかいない計算になる。


ん~、なんとしてもこの名前、残したいものだ。

次男だからといって、婿には絶対行かない。


そりゃね、夫婦別姓でもいいじゃないって気もするけど、なんかね。

社会的に別姓を名乗る必要があるのならば、社会という範疇においてのみ、許す。

例えば、社内結婚で、名前に区別を付けないと誰を指しているのか分からず混乱が生じてしまうとか、さ。


婚姻上は、私生活では、同じ姓を名乗っていたいなって気持ちはあるなぁ。


とはいえ、結婚する予定もなければ、伴侶もいない。

切ない独り身の今日。


妄想だけは、ただ只管、明るい未来をボンヤリ見せてくれる。


あ、相手も珍しい苗字だったら、残したいって思うんだろうな。

やべぇ、どうすっかな。


そうえば、去年卒業した先輩の名前を調べてみると、1世帯という結果が出た。

つまり、その先輩の家だけ。

これは大変だ。

先輩彼女できたのかな。


まぁ何かとデキル人だからうまいことやってんじゃないのかな。

この前携帯変えたの教えてくれなかったけど。

ふん。


そういえば、珍しい苗字を持っていると、いろいろ困ることがある。

例えば、印鑑をオーダーで彫ってもらわないといけない。

だから余計に金がかかる。


名前を読み間違える、そして聞き間違える。

読みはしょうがないとしても、聞き間違えられるのは辛い。

相手の人のアタマにその苗字がインプットされてなくて、音の似ている別の苗字に区別される。


初対面で、珍しい名前ですね、と言われても特にリアクションが出来ない。

というか苗字で話を盛り上げることが出来ない。


俺の苗字なんて、地元にいっぱいいるからな。

多分74世帯のうち、40くらいはウチの地域だと思う。



でも結局、自分の名前は凄く気に入ってるからね。

この家に生まれて良かったよ。

と、一日遅れの父の日コメント。

つっても親父は見てないだろうが。

毎日忙しいからな。


そういえば、「地震・雷・火事・親父」っつーけど、この「親父」は当てつけなんだよね。

大体親父は自然災害じゃないし。


元々は、「山嵐(ヤマジ)」から来ている。

山嵐とは、嘗て、突風の吹き荒れる状況のことを指して言われていた言葉。

そして、台風のことを山嵐より強い山嵐ということで「大山嵐(オオヤマジ)」と呼ぶようになり、「大山嵐」が簡略化されて、「オヤジ」と呼ばれるようになったんだって。


そうすれば合点がいくと思うけど。

自然災害だし。


以上、プチ薀蓄でした。

野球

野球とは完全に攻めと守りが区別されている。
戦い、という点においては理不尽な競技だ。
しかし、ちゃんとルールがある、生死から遠く離れたものであるからこそ、多くの人に愛されている。

その野球という競技を日本に知らしめたのは正岡子規というのは有名な話。
彼は本名の「昇」から、俳号を「野ボール」とし、ベースボールの日本名を「野球」としたのだ。

そんな歴史のあるスポーツは、今となっては国民的なスポーツとなり、18人集まれば素人でも難なく楽しめる競技となった。

その歴史の英知を享受しながら、僕は今日、野球をやった。

センター。
6番。

5打数2安打1打点。

5対2での勝利。

打つと楽しい。
投げると楽しい。
走ると楽しい。

勝つと楽しさは何倍にも膨れ上がる。

勝利の美酒に酔い痴れる。
自分のプレーに、酔い痴れる。

疲れも厭わず、凱旋。
心の中では、気取っている。

なぜなら、地元に着けば誰も知らないから。
シャープな流し打ちも、右中間でのファインプレーも、矢のような返球も、その場にいた人しか知らないから。
心の中で顔は笑う。

確かに、シャープな流し打ちも、右中間でのファインプレーも、矢のような返球も、存在したんだ。

どうだ、最優秀選手は俺だ。

メジャーで誰が打とうが、日本で誰が記録を残そうが、そこは譲れない。

わりぃな。

日曜

いやぁ、いいなぁこんなダルダルした日。

 

今日は朝からバスケするかもだったけど、人数が集まらなくて、結局しなかった。

といってもフツーに寝坊してた。

俺。

今日は中止ってメールも昼頃見た。

すまん。

 

明日は野球。

アイロンプリントで即席のユニフォームを作った。

思いっきりドラゴンボールのパクリで。

 

すげぇ阿呆。

一緒に莫迦できる友達。

すげぇ阿呆。

 

昼に起きて、洗濯して、部屋の掃除は後回し、家を出る。

 

井の頭公園はいつもどおり活気に溢れていて、耳を澄ますと聞きなれない言語も聞こえてくる。

木漏れ日を避けて歩く。

他愛もない遊び。

 

ホントどーでもいい。

 

プリンタが使いたかったから学校へ来て、Tシャツのデザイン考えて、Illustratorで遊んで、これから友達の就職(?)祝い。

あ、もう時間だ。

 

考えてみると色んな友達がいるな。

 

学校の、サークルの、地元の、ゼミの、バイトの。

 

やべーよ、みんな好きだ。

やべぇ。

俺の着メロはHIFANAだぜ。

エヴァンゲリオンの第3話のタイトルは、「鳴らない電話」

 

就職活動で辛いもの、それも「鳴らない電話」

 

あぁ、辛い…。

 

電話が、鳴らない。

 

まぁ手応えがなかったからな。

鳴らなくて当然。

 

大人の階段登りきれません。

途中で躓いて、怪我して、立ち往生。

 

 

こんなときは音楽聴いてるのが一番いい。

 

最近ハマってるのは暖かい国の音楽。

ラテンとか、ブラジルとか、ボサノバとか。

ウェストコーストなやつもいいなぁ。

 

気がつけばもう夏なんだもんなぁ。

 

梅雨が明ければ、ギンギンに光る太陽が、肌を痛めつけ、メラニンを増殖させるのか。

ぃゃ、夏が嫌いなわけじゃないんだけど。

 

むしろ好きさ。

雪国出身だけど、夏好きさ。

この前一緒に面接受けたやつから雪国出身ぽくないって言われた。

どこが?

 

A学院大のやつ。

ウチの兄貴に似てた。

見た目もノリも。

 

あんまり好きくないノリ。

 

そいうえば、兄貴もA学院大だ。

こぇーぜ、青学。

青学のやつは皆あーなっちゃうのかな?

 

どこが雪国ぽくないんだろう、と勝手に考察。

肌が黒い。(そんな黒くない)

顔が濃い。(そんな濃くない)

 

そんなもんか。

 

もしかしたら、雪国出身であろうがなかろうが、どうでも良かったんだよきっと。

他愛もない話だったんだ。

 

俺には出来ないな。

 

話をするとき何かしら俺は相手に求めている。

例えば、質問や答え、予想もしない切り替えし、新しいトピックス、etc…。

 

実のない話ってのが出来ない。

何も生み出さない話。

 

例えば…


「ドコ住んでんの~?」

「○○だよ。」

「じゃあ反対方向だね!」

 

で?

 

アタマのいいやつは話が面白い。

これは間違いない。

そういった点では漫才師は天才だと思う。

 

実のない話をされると、リアクションに困る。

 

そして、そういう話ができるのは、女性が多い、気がする。

女性は基本的にはコミュニケーションの中に身を置いて生活している動物。

太古の昔、男性が狩猟に出かけている間、女性はコミュニティの中で、家を守り食物の採集なんかをしていたから、コミュニケーションせざるを得なかったらしい。

だから、人と話す能力が発達した。

他方で男性は、動物に気付かれないように声を殺し、目や素振りで意思の疎通を図った。

 

だから会話は、男性より女性のほうが上。

 

とりあえず、実のある・ないに関わらず、女性のほうがよく喋る。

言葉の絶対量が違う。

俺は実のない会話するなら、黙ってしまうタチだから。

まぁそういう会話をしたいってのもあったりするんだけど、めんどくさがりだから無理かな。

 

それにそんな話し方ができる男性は、どうも敬遠してしまいそうだ。

いや、意図的にそんなことできるんだったら、もしかしたら物凄いデキル奴なのかもしれない。

 

A学院大の彼は多分前者のほうだろうな。

あの雰囲気には馴染めそうもなかったから。

 

 

あ~電話鳴らないかなぁ~。

ひとしきり降る雨 独りきり 車で

車に乗ってたわけじゃないんだけどね。

なんとなく車で日本一周しようみたいな話してたから思いついた。

ただそれだけ。

日本一周するのか?

 

なんだろうな。

後輩がインターンの話とか、就活関連の話をしてるのを耳にする。

いいなぁ、夢があって。

 

去年のこの時期は特にそんなこと考えもしなかった。

そこまで意識していなかったってのもあるし、自分はサークルでいろいろ貴重な経験してるから、それが就活では役に立つって思ってたし、周りで始めてる人が少ないからまだダイジョブだって思ってたから、それとなく安心を感じていた。

 

実際掛け持ってやっていたサークルはどちらも忙しかったし、責務を果たすために尽力した。

でもその経験を最大限自分に昇華できなかったのではないか。

とも思う。

経験主義を掲げる自分としては、実際にやって感じること、学ぶことは多々あって、それは机に向かって何か書いたり読んだりするより、ずっとためになるものだと信じている。

それは今も変わらない。

 

でも、経験して学ぶことが目的であるはずなのに、経験するという手段のほうに重きが置かれていたようにも思える。

今顧みたところ。

 

なぜならやることが楽しかったから。

結局人は楽なほうがいいんだな。

 

そこから学び取ることを疎かにしていた。

 

就活で、これらの経験を突きつけても、それほどの威力を発揮しなかった。

特異な経験をしても、そこから学んだことは、他の人と大して変わりはない。

ただ過程が違っただけ。

 

もっと普通の生活の中でも簡単に得ることのできるものだったかもしれない。

 

絶対もっと大切なことがあったはずだ。

 

自己分析は、一種、自分を仕立て上げるための手段でもある。

むしろ、大学で何もしてこなかった人は自己分析を経て自分を一人前の人間に見せかけるのがほとんど。

 

逆に僕はいろんなことをしたけど、それをどう使うか上手くできなかった。

そして追い討ちをかけるように、僕は自分を表現するのが下手。

 

自分のココが凄くて、アナタの会社ではこんな風に役に立つから採用すべきですよ!

こんなことは、譬え事実でも言えない。

ガメツイというか、浅ましいというか、美徳に反するというか、そんなふうに感じてしまう。

清く正しく慎ましく、までとはいかなくても、自分を押し殺して人と接するのが和。

 

古い人間なのかもしれないけどさ。

そう簡単に変われないのよ、地域性というか県民性というか、染み付いた性格はさ。

 

三代目魚武はこんなことを言っていた。

「俺は約束していないことを守ったりする」

 

アメリカナイズされたこの世の中、そんなジャポネスクはナンセンスなんだろうか。

今や出る杭を打つ奴はいなくなって、出るだけ出た奴が勝つんだろうな。

 

まず俺には杭があるんだろうか。

それも今となっては悔いなのか。