石原慎太郎『太陽の季節』 | 文学どうでしょう

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石原慎太郎『太陽の季節』(新潮文庫)を読みました。「太陽の季節」は芥川賞受賞作です。

昭和の大スター石原裕次郎の兄であり、その強気な姿勢に賛否両論あるものの、長年東京都知事をつとめるなど、政治家としても活躍している石原慎太郎の初期短編集です。

同人雑誌に発表された実質的な処女作「灰色の教室」や、当時最年少23歳での受賞となった芥川賞受賞作「太陽の季節」などを収録。

石原慎太郎を知らない人はそういないと思いますが、その作品を読んでいる人は少なく、さらに言えば、読んでいてかつ作品を正当に評価している人は、今ではほとんどいないように思います。

確かに内容的にはなかなかにひどいことが書かれているんです。収録されている短編はどれも、ギャンブルやケンカに明け暮れ、ナンパしてものにしては女を捨てる、そういう言わば不良の物語ばかり。

読んでいて胸くそ悪いという感じは、ぼくも分からなくはないです。

ただ非常に興味深いのは、主人公たちが単に非行に走っているのではなく、暮らしには困らない裕福な環境にあって、退屈でやることがないが故に、享楽的な生活を送っているのだということ。

共感するのは難しいですが、単なる不良ではないだけに、何事にも空虚な感覚を伴う感じは、全く理解できないわけでもないのです。内容的にはひどいことが書かれていますが、ぼくは面白く読みました。

石原慎太郎原作の一連の映画化作品がヒットしたことによって、享楽的な遊びにふける若者たちを指す「太陽族」という言葉も生まれ、倫理的な問題を問われつつも、一種のブームになったそうです。

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「太陽の季節」の映画化作品は、長門裕之が主演、ヒロインを南田洋子が演じています。この映画がきっかけで結婚したことでも有名ですね。石原裕次郎のデビュー作でもあり、ちょっとだけ出てますよ。

石原慎太郎が描く自由奔放な若者たちの姿は、当時としてもセンセーショナルだったと思いますが、「草食系男子」が流行の昨今、より一層の鮮烈さを持って、ぎらぎら輝いて見える感じがあるんですね。

たとえば、「太陽の季節」で最も有名なこの場面をちょっと読んでみてください。

 風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
 部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突き立てた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。(40~41ページ)


同じような場面自体は、武田泰淳の短編「異形の者」に先例があるのですが、そちらは鬱屈した環境の打破的な意味合いが強いです。

その点、これから性的な関係を持つかも知れない女性を前にして男性を誇示している「太陽の季節」は新しい意味合いを持っていて、それだけにより一層印象深い場面になっていると思います。

拳闘(ボクシング)に明け暮れ、障子にペニスを突き刺す主人公の物語だなんて、これはもう現代の日本文学では考えられませんよ。

比べるのが適切かどうかは分かりませんが、最年少記録を塗り替えた、綿矢りさの芥川賞受賞作『蹴りたい背中』に登場するオタク系の男子にな川には、とてもそんなことは出来ないでしょう。

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『太陽の季節』は、愛するのではなく、落とせるか落とせないかのゲーム的な恋愛が描かれ、女性を大切にしない描写が多々ある短編集ですが、現代の日本文学にはない輝きが間違いなくあります。

興味を持った方には、ぜひ手に取ってもらいたい一冊です。

作品のあらすじ


『太陽の季節』には、「太陽の季節」「灰色の教室」「処刑の部屋」「ヨットと少年」「黒い水」の5編が収録されています。

「太陽の季節」

麻雀の賭け金を取り立てに、拳闘クラブのマネージャーの江田に会いに行った高校2年生の津川竜哉は、おふざけ半分でスパーリングをし、負けてしまったことから、かえって拳闘の面白さに目覚めます。

拳闘に夢中になる一方、仲間たちと街へくり出した竜哉はくじで負けて、帽子屋にいる3人組の女性に声をかけることになりました。

しどろもどろのアプローチは何とか成功し、一緒に食事をした3人組の中で、竜哉は特に英子という女性と親しくなります。英子は後日、約束通り拳闘の試合を見に来てくれ、交流は深まっていきました。

やがて肉体的にも結ばれた竜哉と英子でしたが、英子にとって竜哉は数多くの男性の一人に過ぎなかったのです。英子がナイトクラブで見知らぬ男と踊っているのを見てショックを受けた竜哉。

英子はかつて、好きになった男性を戦争で亡くしたことがきっかけで、肉体的な空虚な愛に走るようになったんですね。本当に誰かを愛することが出来なくなってしまったのです。

夏にヨットで海に遊びに行き、英子はようやく竜哉を心から愛するようになったのですが、今度は英子が竜哉に夢中になればなるほど、竜哉は英子に対して冷たい態度を取るようになっていきました。

竜哉はわざと他の女と遊び、英子を兄の道久に金で譲り渡すようなことさえします。竜哉が本当に自分のことを嫌いなのだとしたら、そんなことはしないと分かっている英子は泣きながらこう言うのでした。

「それならなんでもっと、――もっと素直に愛することが出来ないの。私もそれが出来なかった。でもあの夜から貴方だけにはそれが出来るようになったの。二人とも片輪だったのよ。皆だってそうかも知れない。でもそれはきっと直せるのよ」(72ページ)


やがて、竜哉はどこか顔色の悪い英子から、思わぬ知らせを受けることとなったのですが・・・。

「灰色の教室」

K学園のハイスクールに通う石井義久は、麻雀が得意で、時折仲間と学校を抜け出して、麻雀屋へ行ったりしています。

化学の実験で作ったかんしゃく玉でいたずらしたり、万引きをしたり、3歳年上の女性と付き合ったり、義久たちは自由奔放な日々を送っていますが、どこか満たされないものがありました。

 こんな盗みだけでなく女でも賭事でも、喧嘩でも他のいかなる事柄であっても、彼等が本気で行うと言う背後に有るものは決して考えで割出されたものではなく、くるくると物を掻き立て舞い上げる旋風のように、落ちつきの無い動物のそれに近い欲望であった。
 それは咎められるべきことかもしれぬ。しかし彼等はそうした行動の中で始めて自分を見出すことが出来るのだ。(117ページ)


ある時、教頭先生がやって来て、クラスメイトの宮下嘉津彦が2度目の自殺を図って重体だと知らされます。しかし、クラスメイトの誰もが、何故宮下が自殺しようとしたのか理由が分からず・・・。

「処刑の部屋」

島田克己の高校からの親友の良治は、パーティーを開いてお金を稼いでいましたが、その上がりを他大学の連中に狙われてしまいます。

最近めっきり大人しくなってしまった良治を奮起させようと、克己はあえて竹島という他大学の男に情報を流しますが、予想していた乱闘は起こらず、良治らは簡単に竹島に屈してしまったのでした。

良治に失望し、また、結果的に親友を売ってしまったことに内心忸怩たるものがある克己は、分け前をもらう約束をしていた竹島の所へ行くと、わざと生意気で挑発的な態度を取ります。

竹島らに縛りつけられ、痛めつけられ始めた克己ですが、そこへたまたまやって来たのは、かつて遊ぶだけ遊んで捨てた顕子で・・・。

「ヨットと少年」

伊豆大島周航レースの船に同乗させてもらってから、高校1年生の少年は自分のヨットを持つのが夢になりました。

港でアルバイトをするようになった少年は、貸しヨットの船頭(スキッパー)をつとめる時、わざと時間を超過したり、軽く恐喝なようなことにも手を染めながら、こつこつとお金を貯めていきます。

やがて素行の悪さがたたって高校を退学になってしまった少年は、不良の吹き溜まりのような新しい学校へ移りました。友達に誘われて女を買いに行くようになった先で出会ったのが娼婦の春子。

 少年の「自分のヨット」に知らず込められた、船と女に対する影像は、春子によって彼が女を知ったが故に二つとなりはしたが、ぴったり重なっていた。彼の胸に「自分のヨット」を焼きつけたものが、スタート前の夜の海であり、帰りの夜のあの光景であったが故に、少年にとって「自分のヨット」は、未知の二つの世界に浮ぶ船であり女の体でもあった筈だ。(272ページ)


少年は自分のヨットを持ったら、必ず乗せてやると春子に約束し、ひたすらお金を貯めていったのですが・・・。

「黒い水」

河井は妹の恭子がラグビー選手の松崎に恋していることに気付きました。「快活で明るくは見えても、松崎には真底、恐ろしく暗い何かがある」(312ページ)と河井は思っています。

それだけに、孤独な戦いの世界に生きる松崎には、残念ながら恭子が入り込む隙間はないようにも思えるのでした。

数年前、河井がふとした気まぐれで松崎を航海に誘うと、松崎は海が好きになり、ちょくちょく河井の船「北斗」に乗るようになります。

そして河井と恭子、松崎の3人で外洋レースに出ることになりましたが、航海中の「北斗」を激しい雷雨が襲い始め・・・。

とまあそんな5編が収録されています。「太陽の季節」におけるゲーム的な恋愛というのは、当時の若者の享楽的な生活をとらえているということもあるでしょうが、同時に文学的なものも感じます。

たとえば、ラクロの『危険な関係』や、ラディゲの『肉体の悪魔』など、フランス文学には、恋愛関係にありながら心はどこかさめているゲーム的な恋愛が描かれた作品がわりとよくあるんですね。

そうしたフランス文学の、心で感じるのではなく頭で考える恋愛小説に影響を受けたのが三島由紀夫で、ラディゲ―三島由紀夫―石原慎太郎という一つの系譜が読み取れるような気もします。

表題作以外で特に面白かったのが、「ヨットと少年」でした。恐喝とかは勿論真似しちゃ駄目ですけど、憧れのものがあってこつこつお金を貯めるというのはなんだかいいですよね。

そうした少年のとても純粋な思いが、ある出来事をきっかけに打ち崩されてしまうんです。そしてそれはさらなる悲劇を生んで・・・。

いわゆる不良少年の不器用な生き方が描かた、ストーリーとして面白い短編でとても印象に残りました。ぜひ注目してみてください。

石原慎太郎は、政治家としての印象が強いだけに、今ではあまり読まれなくなっていると思いますが、あまり先入観を抱かずに、機会があればぜひ、改めてじっくり読んでみてください。

明日は、開高健『パニック・裸の王様』を紹介する予定です。