綿矢りさ『蹴りたい背中』 | 文学どうでしょう

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蹴りたい背中/綿矢 りさ

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綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)を読みました。

芥川賞受賞作です。金原ひとみ『蛇にピアス』と同時に受賞して、受賞年齢の若さで大きな話題になりました。

『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』を並べてみると、綿矢りさと金原ひとみの作家性の違いがはっきり浮かび上がってくるような気がします。

ぼくはどちらの作品も好きなんですが、こちらでは、『蹴りたい背中』を中心に扱います。興味がある方は、『蛇にピアス』のページも是非ご覧になってください。タイトルをクリックすると、リンクで飛べます。

『蹴りたい背中』が非常にすぐれているのはどの部分かと言うと、ハツの心理だろうと思います。ハツというのは、主人公の女の子ですけども、心理描写がすぐれているとか、文章が上手だというのではないんです。

ハツの心理のポジショニングというか、物語はハツの持つ世界観で描かれているわけですが、その世界の中の、ハツの位置がとてもいいんです。ちょっと分かりづらいと思うので、少しずつ説明していきますね。

簡単にあらすじを紹介しつつ。〈私〉はクラスの班決めで、取り残されてしまうんです。それで、わらばんしを引きちぎったりしている。ここで重要なのは、〈私〉がいじめられているとか、〈私〉がみんなから拒絶されているのではなくて、〈私〉がみんなを拒絶しているということです。みんなのレベルが低いぞと。

これはもう、鶏が先か卵が先かという不毛な議論のように、拒絶されているから拒絶しているのか、拒絶しているから拒絶されているのか、まあともかく、クラスでちょっと浮いた存在なんです。

そういった、この〈私〉がハツなわけですが、このハツの、クラスでしめる位置だとか、心理状態だとかが、非常にうまく設定されているなあと思うわけです。

班決めでハツの他にもう一人、取り残されている人がいます。にな川というやつです。『蹴りたい背中』は、このハツとにな川の奇妙な関係性を描いた作品なんです。

あることがきっかけで、にな川とハツは仲良くなるというか、仲良くはならないんですけど、にな川の家に遊びに行ったりする。にな川の家はちょっと変わっていて、にな川の部屋だけ別棟みたいになっているんです。

具体的な内容には触れませんが、にな川には大切なものがあるんです。にな川の目は常にそっちに向いていて、そのことしか考えていない。そんなにな川をハツはある感情を込めて見ているわけです。

恋でもなく、愛でもなく。そのハツの奇妙な心情は、うまく言葉ではまとめられませんけども、その心情がなんだか伝わってくるんです。それがいい。言語化できない感情を伝えるなんて、なかなかどうして大したものです。

ハツとにな川の関係性が分かるちょうどいい文があったので、ちょっと長いですが、引用しておきます。

教室での私と彼の間には、なぜか、同じ極の磁石が反発し合っているような距離がある。授業の合間の十分休み、クラスのみんなが友達としゃべったりしているなか、にな川はいつも、背骨が弱っているみたいに机に片頬と片耳をべったりくっつけて寝ている。すると私はどれだけ疲れていて眠くても、なぜかその格好だけはしたくなくなる。しようがないので、顔の前でいただきますをするみたいに両の手を合わせ、合わせた二つの親指の上に顎を置き、二つの人指し指に鼻と口を軽くつけて目を閉じる格好で、十分間をやり過ごす。(68ページ)


ここの部分からも、にな川に対するハツの屈折した心理が読みとれます。こういうのが面白いんです。ハツはにな川のことを見ているのに、にな川はハツのことを全く見ていないところとかも。

ストーリーラインにはあまり触れられませんでしたが、ストーリーはともかく、こうしたハツの心理ですね、そういうのがすごく面白い小説だと思います。

売れた本はそれだけで否定される傾向にあって、とくに作者が若いとそれがさらに顕著なんですが、『蹴りたい背中』、ぼくはとてもいい小説だと思います。

野山を駆け回って育ったアクティブな人はちょっとあれですが、教室の片隅で、ぼんやり青空を眺めて過ごしたインドアな人は、共感できる部分が多々あるかと思います。