村上龍『限りなく透明に近いブルー』 | 文学どうでしょう

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新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)/講談社

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村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)を読みました。

群像新人文学賞を受賞した村上龍のデビュー作であり、芥川賞受賞作です。

ドラッグに溺れ、乱交を繰り返す若者たちを描いた小説で、その過激な内容から当時は賛否両論分かれましたが、今では村上龍の代表作として、認められていると言ってよいでしょう。

本の表紙はずっと、登場人物のリリーと思われる女性の横顔のイラストだったんですが、綿矢りさの解説がついて、2009年に出版されたこの新装版では、青一色のデザインになりました。

この小説は褒めることも、また、否定することも難しい作品だろうと思います。

褒めるのが難しいというのは、まず何と言っても薬物中毒や乱交が描かれてますから、テーマ的に素晴らしいとは到底言えないことがあります。

もっとも、深いテーマ性を読み取ろうと思えば出来ないことはなくて、よく指摘されるのが、傍若無人に振る舞うアメリカ人、そしてそれになすがままになる、或いは影響を受けてしまう日本人の対比が、そのままアメリカと日本の力関係を示しているという読み方です。

それはまあともかく、この小説を否定するのが難しいというのは、薬物中毒や乱交の場面を、村上龍はとても巧みに描いているからです。猥雑かつクリアな文体で。

テーマの是非云々は置いておくなら、同じ内容のものを、これだけ上手く書くことは、他の誰にも出来ないだろうと思います。ちょっとすごいですよ。

男女が入り乱れる場面でも、そこに感情的なものはほとんど含まれず、ミクロな(小さな)な視点とマクロな(大きな)視点が乱雑に入り混じりつつも、それは常に冷静さを保っているんですね。

そうしたこの小説の独特の文体は、いい悪いの価値判断を押しのけて、誰もが認知せざるをえないという領域まで、この小説の価値を高めました。

発表から36年が経った現在でも、新しさを感じる部分がたくさんあります。読者の好き嫌いの感情を越えて、日本文学史に残り続ける名作だろうと思います。

折角なので、その特徴的な文体について少し見てみましょう。

まず前提として、普通の小説の場合は、会話文と地の文は明確に区切られ、どこから見た何が書かれているのかという視点が、しっかりしているということがあります。

〈ぼく/わたし〉など、一人の人物の視点であれば、その人物が見聞きしていないものは描かれませんし、一人の人物ではなく、全知全能の視点から描かれているにせよ、結局は作者の意識に統御されているわけです。

しかし、『限りなく透明に近いブルー』では、場所によって違いますが、時として会話文は地の文に溶け込み、誰の視点かは明確には分からないような描写で書かれます。

たとえば、ある乱交の場面はこんな感じです。

 僕はここは一体どこなのだろうとずっと考えている。テーブルの上にばら撒かれた葡萄を口に入れる。舌でクルリと皮を剥いて皿に種を吐くと手が誰かの女性器に触れて、見るとケイが跨がって笑いかける。ジャクソンがぼんやりと立ち上がって制服を脱ぐ。吸っていた薄荷入りの細い煙草を揉み消してオスカーの上で揺らされているモコに向かう。(中略)僕はポケットカメラで歪んだモコの顔をアップにして写す。ラストスパートの陸上選手のように鼻がヒクヒクと動いている。レイ子はやっと目をあけた。ベトベトするからだに気付いたのかシャワー室の方へ向かう。口を開き目は虚ろで何度も足をもつれさせて転ぶ。抱き起こしてやろうと肩に手をかけた僕を見て、あ、リュウ助けてよ、と顔を近づける。レイ子の体からは変な匂いがして、僕はトイレへ駆け込んで吐いた。タイルに座ってシャワーを浴びているレイ子はどこを見ているのかわからない赤い目をしている。(51ページ)


どうでしょうか。ちょっと独特な文体ですよね。まず、「あ、リュウ助けてよ」は、会話文ですが、鍵カッコ(「 」)などは使われていません。

そして、この小説自体は〈僕〉という語り手がいるわけですから、一人の人物の視点から描かれた一人称の小説です。

しかし、ジャクソンの動作や、シャワーを浴びているレイ子の様子の描写などは、誰かの感覚を通して語られる一人称的というよりは、客観的描写の三人称に極めて近い筆致と言えます。

短い文章の連なりで、映像的かつ色々な人物の動作が同時進行的に描かれていますよね。それは、必ずしも〈僕〉の視点を必要とはしていないんです。

そもそもが、部屋にはハシシが焚かれ、〈僕〉は自分がどこにいるかさえ分からない酩酊状態なわけですから、起きている物事を呆然と眺めているだけです。

会話文が地の文に溶け込み、ただ淡々と描写が積み重ねられていくこうしたスタイルは、どんよりとした〈僕〉の酩酊状態を巧みに表していると同時に、性的な表現はポルノグラフィのように扇情的なものではなく、透き通るようなクリアな質感のものになっています。

ストーリーらしきストーリーはほとんどないといってもいいので、こうした独特の文体が印象に残る作品です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。(7ページ)


リリーはストッキングを脱ぎ、化粧を落としています。どこか水商売のお店で働いている女性のようです。〈僕〉とリリーは、ハウスで起こった出来事について話をします。

外国人の持つハウスにみんなで集まって、薬をやったり、乱交をしたりしているらしいんですね。そこでの出来事について、リリーは〈僕〉に尋ねたのです。

リリーは戸棚から注射器を取り出し、茶色の小瓶に入った液体を吸わせて太股に注射します。

〈僕〉が流しに這い回るゴキブリを新聞紙で叩きつぶしていると、「ねえ、こっちおいでよ」(13ページ)とリリーの甘い声がしました。

リリーと〈僕〉との生活と、仲間たちとの乱交が、ほぼ交互に描かれていきます。オスカーの部屋で開かれた乱交パーティーにレイ子、ケイ、モコを連れて参加したりする〈僕〉。

ある時、全然知らない黒人が突然〈僕〉の所へやって来て、得体の知れないカプセルを百錠近く置いて行きます。そしてこんな不思議なことを〈僕〉に言いました。

 いつか君にも黒い鳥が見えるさ、まだ見てないんだろう、君は、黒い鳥を見れるよ、そういう目をしてる、俺と同じさ、そう言って僕の手を握った。(63ページ)


裸のモコを見ても興味を示さず、怯えた顔の黒人はそのまま去って行きます。

〈僕〉はまた女を連れてハウスのパーティーに参加します。ジャクソンは、〈僕〉のことを気に入っていて、ある時、化粧をしろと言いました。

モコに念入りに化粧してもらい、ヘロインを打たれると、もう何が何だか分からなくなります。

 自分は人形なのだという感じがますます強くなる。あいつらの思うままに動けばいい、俺は最高に幸福な奴隷だ。ボブがエロティックだと呟き、ジャクソンが静かにしろと言う。オスカーは灯りを全部消してオレンジのスポットを僕に向ける。時々顔が歪んで恐怖の表情になる。目を大きく開き体を震わせる。叫んだり、低く喘いだり、ジャムを指で舐めワインを啜り髪をかきあげ笑いかけ、また目を吊り上げて呪いの言葉を吐いたりする。(64ページ)


いつものように乱交が始まり、〈僕〉は黒人女と交わりますが、やがてジャクソンの屹立したものが口の中に入って来て・・・。

雷が鳴り響くある雨の日。リリーはベランダの戸を閉めるように言いますが、〈僕〉はもう少し外を見ていたいと言いました。

そして〈僕〉はリリーに、空想についての話をします。ドライブに出かけたとすると、目的地に着くまでの間に考えた事と移りゆく風景が混じり合い、頭の中に記念写真みたいな情景が出来上がると。

その情景の人間たちはやがて動きだし、宮殿が出来上がります。その宮殿は、「まるでこの地球を雲の上から見てるようなもの」(74ページ)で、自分の空想で作り上げた一つの世界です。

ドライブの目的地に着くと、他の人たちが話しかけて来て、折角作り上げた空想は台無しになってしまうのですが、ともかく、こうして雨の日に外を見ておくと、そうした宮殿を作るのに役立つというわけです。

宮殿は最近では都市として現れるようになったんですが、リリーは〈僕〉からその話を聞くと、「あなたもう効いてきたのね、リュウ、ドライブしようよ、火山に行こうよ、また都市を作ってあたしに話して聞かせてよ」(77ページ)と言い、2人はドライブに出かけて行って・・・。

仲間たちといつものように集まっていると、ある時、部屋に3人の警察官がやって来てしまいました。それから、少しずつ狂い始めていく歯車。

リリーと〈僕〉の関係の行方は? そして〈僕〉が頭の中で作り上げていた都市はどうなってしまうのか?

謎の黒人が言っていた黒い鳥とは一体!?

とまあそんなお話です。登場人物の設定は、詳しくは書かれていないので、よく分からないのですが、リュウに関してはリリーがあなたにそっくりの男が出て来る小説を見つけたと言い、こんな風に語っています。

「ねえ、その男って言うのはね、ラスベガスで売春婦を何人か持ってるのよ、いろんな金持ち相手にパーティーをやって女を提供するわけ、リュウと同じじゃない? でも若いの、リュウと同じだと思ったな。あなた十九でしょ?」(140ページ)


リュウはリリーの話を全然聞いていないので応答はなく、真偽は定かではないんですが、リュウのおおよその年齢と、パーティーでのリュウの役割がここで大体分かります。

ハウスでの乱交を除けば、物語はリュウの頭の中で作られた、空想の都市の物語であるとも言えます。

その都市がリリーとのドライブでどうなってしまったのか、また、やがては黒い鳥がその都市にどんな風に関わって来るのかにぜひ注目してみてください。

今なお斬新さのある小説だと思います。文体は独特でやや読みづらいですが、興味を持った方にはぜひ手にとってもらいたい一冊です。

明日は、ヘルマン・ヘッセ『デミアン』を紹介する予定です。