椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』 | 文学どうでしょう

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哀愁の町に霧が降るのだ〈上巻〉 (新潮文庫)/新潮社

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椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』(上下、新潮文庫)を読みました。残念ながら現在は絶版のようです。

意外に思われるかどうかは分かりませんが、ぼくが高校時代に最も愛読していた作家は、椎名誠だったんです。とにかく面白いんですよ、椎名誠は。ぼくは好きですねえ。

今はわりと旅人兼エッセイストみたいなイメージを持たれている作家ですが、その内、文学的にもっと高く評価されるんじゃなかろうかと、ぼくが勝手にそう思っているほどの作家です。

椎名誠はとにかく幅広いジャンルのものを書いているんですが、食べ物や旅のことを綴ったエッセイは、はちゃめちゃでとにかくユーモラスですし、私小説的だったりSF風だったりする小説もそれぞれ個性豊かで面白いです。

旅、仲間、当たり前の日常から少しだけずれたへんてこな物語世界。椎名誠の書く文章の世界には、高校生のぼくが憧れるきらめきみたいなものがたくさんあって、随分夢中になって読んだのを覚えています。

さて、『哀愁の町に霧が降るのだ』は、椎名誠の自伝的小説で『新橋烏森口青春篇』『銀座のカラス』『本の雑誌血風録』と続いていくシリーズの第1弾です。

『哀愁の町に霧が降るのだ』で中心となって描かれるのは、20歳前後の椎名誠が、仲間たち3、4人と克美荘というおんぼろアパートの六畳一間で暮らしていた頃の話です。

脚本学校に通う椎名誠、大学生の沢野ひとし、同じく大学生で司法試験を目指して勉強中の木村晋介、サラリーマンのイサオの4人で暮らし始め、友達が遊びに来てどんちゃん騒ぎをしたり、途中で住人が入れ替わったりもします。

皿洗いなど、それぞれアルバイトをしたりするものの、まともに働いているのはイサオだけですから、とにかくお金がないんですね。

それでもみんなうまいものは食いたいし、酒も飲みたいぞというので、色々苦労したり頭を悩ませたり・・・。馬鹿馬鹿しくも微笑ましい、がむしゃらな青春時代を描いた小説です。

椎名誠の私小説的な作品の魅力というのは、何と言ってもその絶妙なバランス感覚にあります。何のバランスかと言うと、ダサさとかっこよさのバランスです。

学生時代には町でケンカしたりするんですね。マンガで言えば、それこそ高橋ヒロシの『クローズ』とか、森田まさのりの『ろくでなしBLUES』の世界です。

不良もの或いはヤクザものの、クールに突き抜けたかっこよさを、出そうと思えば出せたはずなんです。

或いは、悩みながらも成長して行く姿を描いていますから、本当に真面目に書けば、”ブンガク”の香り豊かな、たとえば井上靖の『しろばんば』から始まる自伝的シリーズのようにもなったはずです。

でも、決してそういうタッチではなくて、心地いいどたばた具合というか、独特なコミカルさを持つ小説なんです。

失敗してしまったり、状況としてはみじめだったとしても、決してダサいだけではない一抹のかっこよさがある、今風に言わば「ダサかっこいい小説」が、『哀愁の町に霧が降るのだ』です。

そもそもタイトルからしてそうですよね。「哀愁の町に霧が降る」でいいじゃないですか。「のだ」が繊細でセンチメンタルなイメージを、ある意味ではぶち壊しにしているんです。

似たタイトルの歌謡曲があるので、そこからあえて変えているのかも知れませんが、この「のだ」の2文字に込められた照れと開き直り、そして繊細なものをどっしりしたものに変えてしまう「ダサかっこいい」感じに、椎名誠の魅力があるように思います。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 これから書く話はいったいなんなのだろうかと、ぼくは早くも分からなくなっている。
「書きおろし」
 なのである。書きおろしというのは、書いたものを雑誌とか新聞とか回覧板等に載せずにそのまま本にしてしまう、ということである。(上、10ページ)


A出版社から書きおろしを依頼された〈ぼく〉は、いざ書きおろそうと頑張るんですが、なかなか書きおろせずに困ってしまいます。

第1章は「話はなかなか始まらない」で、第2章は「まだ話は始まらない」で、そのタイトル通り、全然話は始まりません。徐々に身辺を綴ったエッセイのようになっていきます。

そこに登場するのが、目黒孝二です。〈ぼく〉が流通雑誌を作っていた頃、会社に面接に来た青年ですが、「一番好きなのは本を読むことなのです。仕事をしないでずっと本を読んでいられたらどんなによいかと思います」(上、46ページ)と言うような人物。

目黒孝二のことは、ご存知の方はきっとご存知だろうと思います。北上次郎という名前の方が聞き覚えがあるかも知れませんね。また続巻で触れる機会もあるので今回は触れませんが、とにかくすごい人ですよ。

現在と過去を行ったり来たりしながら、少しずつ物語は進んで行きます。中学に入った〈ぼく〉は、沢野ひとしと出会いました。

背の順で校庭に並んでいると、「髪の毛をボッチャン刈りにしたおかしなかんじの男」(上、82ページ)が、自分よりも背が低いにもかかわらず、後ろへまわるんですね。そこで後ろに行くと、また後ろへまわるんです。

そして突然、「空気銃で撃つぞ!」(上、83ページ)とわけの分からないことを言われて、おかしな学校に来てしまったなあと〈ぼく〉は思うのですが、結局その沢野とは仲良くなって、他のクラスの女子の弁当をこっそり食べに行ったりするような仲になります。

しばらくすると沢野は転校してしまいましたが、付き合いは続き、沢野の町へ遊びに行って、沢野の友達の木村晋介とも親しく付き合うようになりました。

高校を卒業した〈ぼく〉は、「親もとのところでそのまま暮らしていてもよかったけれど、それではいかにも無能のような気がした」(上、222ページ)ので、サラリーマンをしている友達のイサオと共同生活を始めることにします。

そこで、大学に通ってる沢野と木村も無理矢理誘って、小岩にある克美荘の六畳一間で一緒に暮らし始めました。

家賃がべらぼうに安いのはいいことですが、それもそのはずで、隣の建物のせいで、なんと日中でもまったく陽がささない部屋だったんですね。

それでもなんとかかんとかうまくやっていきます。一家の財政を管理する「とうちゃん」であり、料理番の「おかあさん役」も果たすのが、しっかりものの木村晋介。

生活スタイルがばらばらの仲間たちですから、みんながそろうと木村は「そうか、よおし、今日は十の字だな」(下、36ページ)とうれしそうに言います。

つまり、炊き上がった釜の飯を四等分するということです。3人ならば「Yの字」です。

二人だとまあ二人きりなんだからそんな固いことを言わずごくごく平均的にノーマルにそれぞれの食欲に応じてさりげなくやりましょうよ、なんていう妥協一切容れず、その場合もきちんと厳格に「一の字」の境界線を入れてから食べはじめたのである。(下、37ページ)


お金はみんなから集めたり、ある者が出すという感じで、封筒に入れられています。なんだかお酒が飲みたいなあという時でも、お金を持っている者はほとんどいません。

お金はありませんが、封筒にお金があることはみんな知っています。もちろんそれは一ヶ月の生活費なわけですから、使うわけにはいきません。使うわけにはいかないのですが・・・。

「だけど晋介、この部屋にまったくお金がないというわけじゃないんだよねえ」
 おれは部屋の隅からいやらしく眼を光らせながら言った。
「あっ、そうかそうか!」
 木村はおれの言っている意味を即座に理解した。
「そうだそうだ、金は一応あるんだ!」
「そうなんだよ晋ちゃん」
 沢野が台所のほうからヘンに明るい声で言った。
「そうなんだよ晋ちゃん!」
 おれも言った。さあ一気に攻め込んでここで勝負だ! とおれは思った。(上、254~255ページ)


で、結局お金を使ってお酒を飲んじゃうんです。友達が遊びに来たり、愉快な暮らしが続きます。

ぼくが最も印象的だったのは、みんなで布団を干しに行く話です。陽のささない部屋ですから、いつも布団はじっとり湿ってしまっています。

そこで河原に布団を干しに行くわけですが、面倒だからと行きたがらないみんなを奮い立たせたのが、木村の「諸君、めしは今日は『とんちゃん』のカツ丼ということにしようではないか」(下、138ページ)の一言です。

『とんちゃん』のカツ丼は安くてそれはもううまいカツ丼なんです。ところが、「期待と空腹に狂いそうになりながらわっせわっせと駆けつけていくと、暖簾は店の中に入ったままであり、ガラス戸も鍵がかかっていた」(下、143ページ)んですね。

『とんちゃん』は休業日だったんです。「どうしてくれるんだ、どうするんだ、楽しみにしてたのに。どうすんだよ、どうするつもりなんだ!」(下、143ページ)と沢野は怒り出し、みんなの怒りの目が木村に向けられます。

どんな代案も、胃袋がすでに『とんちゃん』のカツ丼モードに入ってしまっているみんなには受け入れられません。

するとイサオが、「あの、んと・・・・・・一応参考までにということだけどサ、カツ丼なんていうのわりあい簡単に作れるんだけどね。普通のヒトでもサ。あの、ん・・・・・・と、トンカツさえあればね・・・・・・」(下、146ページ)とコペルニクス的転回の発言をします。

急遽始まったカツ丼作り。はたしてどうなることやら・・・。

やがて、貧しくも愉快に暮らしていた仲間たちは、それぞれの道を歩むことになり、一人また一人と克美荘を離れて行って――。

とまあそんなお話です。「おまえおまえおまえおまえ」とずっと呟き続けている隣の人や、当番制の便所掃除をちゃんとしているかをチェックする口うるさい人など、克美荘に住んでいるのは個性豊かな住人たち。

若者たちはそれぞれ恋をしたりします。”ブンガク”好きの女性と恋愛しているらしき沢野は急に「ヘッセの『車輪の下』はいいねえ、とてもいいよ。やっぱりこれからの青少年はこういうのをたくさん読まないといけないねえ。おれなんか心が洗われるような気がしたものねえ」(164ページ)と言い出して、周りをびっくりさせます。

〈ぼく〉が仄かな想いを寄せているのは、羽生理恵子という物静かな女性で・・・。

こうした若者たちの共同生活というものは、出来そうでなかなか出来ないですよね。どんなにひどい生活も振り返るからこそ美談になるわけで、実際生活してみたら、そりゃあもうしんどいでしょう。

そして何よりも、これだけの仲間たちにめぐまれることは滅多にないだろうと思います。

それだけにぼくにとっては、『哀愁の町に霧が降るのだ』は、どこか懐かしいどたばた青春ものであると同時に、永遠に叶わない憧れの物語でもあります。

おすすめの関連作品


リンクとして、マンガを1タイトル、映画を1本紹介します。

夢見る若者たちが集まっていたアパートと言えば、もはや伝説となっているのがトキワ荘です。

入居している時期はそれぞれ少しずつずれてはいるものの、手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Aなど、そうそうたる顔ぶれのマンガ家たちがトキワ荘で暮らしていました。

まずはマンガから紹介しましょう。藤子不二雄Aが、トキワ荘時代などマンガ家を目指していた頃を描いているのが『まんが道』です。

まんが道 (1) (中公文庫―コミック版)/中央公論新社

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『まんが道』の中でぼくが特に印象的だったのは、マンガにとって映画がいかに大切なものだったかということです。『ジキル博士とハイド氏』を観て、これはすごいぞと興奮したりするんですね。

ストーリーの作り方、そしてコマとしての演出方法は、映画から得た感動なしには発展していかなかったんだろうなあと思わされました。

マンガにかける情熱、そして藤子・F・不二雄との友情が描かれた名作マンガです。

では続きまして映画を紹介します。トキワ荘を描いた映画と言えば、『トキワ荘の青春』がおすすめです。これほんとにおすすめですよ。

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『トキワ荘の青春』は、手塚治虫がすでに去った後のトキワ荘の生活を描いた映画で、本木雅弘演ずる寺田ヒロオというマンガ家が主人公です。

寺田ヒロオはみんなの兄貴分というか、個性あふれる住人たちを束ねる存在です。

なかなか売れなかったり、辛い生活がありながらも、みんなで楽しく過ごしていくトキワ荘の面々ですが、やがて人気が出て仕事が忙しくなったり、夢を諦めてトキワ荘から去って行く者も出て来ます。そして・・・。

劇的な展開のある映画ではありませんが、静かでとてもやさしく、そしてどこかせつなさを感じさせる映画です。とても心に残る映画なので、機会があればぜひ観てみてください。

明日は、北杜夫『船乗りクプクプの冒険』を紹介する予定です。