椎名誠『本の雑誌血風録』 | 文学どうでしょう

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本の雑誌血風録 (新潮文庫)/新潮社

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椎名誠『本の雑誌血風録』(新潮文庫)を読みました。残念ながら現在は絶版のようです。

記憶に新しい所で言うと、次世代DVDの争いがありましたよね。ブルーレイ・ディスクとHD DVDの規格争い。それ以前にも同じように、家庭用ビデオで激しい規格争いが行われていたんです。

それがベクターのVHSとソニーのベータ・マックスとの戦い。勝った方がビデオ市場で圧倒的なシェアを占めることになるわけですから、どちらも会社の威信をかけて負けるわけにはいきません。

ビデオの規格争いを描いた佐藤正明の『陽はまた昇る 映像メディアの世紀』というノンフィクションがあります。2002年には渡辺謙、西田敏行らが出演した映画版も作られました。映画もいいです。

陽はまた昇る映像メディアの世紀 (文春文庫)/文藝春秋

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こうしたビジネス・ノンフィクションって、小説とはまた違った面白さがあって、読んでいて胸が熱くさせられてしまうんですよ。中でもテーマとしてとても興味深い『陽はまた昇る』は特におすすめです。

やりたいことがあっても、予算の制限や上の思惑との食い違いがあってうまくいかなかったり、チーム内で不和が生まれてしまったり。それでも、みんなで一つの目標に向かって努力を続けていって――。

さて、ここからが今日紹介する本の話なんですが、これは小説ではなくて「実録」で、まさにビジネス・ノンフィクション以外の何物でもないんですよ。物語ではない「実録」の面白さがある作品です。

単なるビジネス・ノンフィクションだけでも面白いのに、本を紹介する雑誌を作る話だなんて、もう本好きにはたまらないわけですよ。

椎名誠を筆頭に「本の雑誌」に関わった人々はみんな有名になってなっていますから、読んでいてぞくぞくさせられる面白さもあります。

「本の雑誌」メンバーではないですが、今では有名な人が無名だった時代が描かれ、思わずぞくっとさせられる名場面を一つ紹介しましょう。椎名誠と目黒孝二が、深夜に編集作業をしていた時のこと。

 ラジオを低くつけていた。
 原稿の整理と割付仕事はタイトルを考えたり、字数計算などするので、ラジオはほんのBGMがわりだ。聞くともなしに深夜のおしゃべりや音楽を耳にしているうちに、なんだかとてつもなくおかしなことばかり喋っている男が登場し、その話があまりにも異様におかしいので、ぼくも目黒も妻もついに自分の仕事をやめてラジオの男の話に集中してしまった。
 世界のいろんな国の人がマージャンの卓を囲んで話をするとどうなるか、などということを言っている。あまりのおかしさについ三人で声をあげて大笑いしてしまった。
 その面白話の男は「タモリ」と名乗った。(176ページ)


こんな風に、「本の雑誌」と深く関わる北上次郎(目黒孝二)や群ようこは勿論、嵐山光三郎や糸井重里、村松友視など本にかかわる世界の有名な人々が、そのまま実名で出て来るのが面白いんですよ。

「本の雑誌」を作るその楽しさや喜び、だけでなく、思いがけないことの連続で、辛く苦しい日々も描かれています。仲間たちとの絆が語られる一方で、意見の対立からいさかいが生まれてしまったりも。

ビジネス・ノンフィクションが好きな方、椎名誠とその仲間たちが好きな方、そして何よりも本が好きな方は、ぜひ読んでみてください。

「本の雑誌」は椎名誠の物書きデビューのきっかけとなった雑誌でもあるので、『さらば国分寺書店のオババ』や『わしらはあやしい探検隊』の誕生秘話が語られているのも魅力的。ファン必読の一冊です。

作品のあらすじ


銀座八丁目の「ストアーズ社」につとめて、業界の専門誌「ストアーズレポート」の編集長をしている26歳の〈ぼく〉。ある時、後輩社員、菊池仁の紹介で、2歳年下の目黒孝二が入社して来ました。

本が大好きで、暇さえあれば本を読んでいるという目黒は、特にSFが好きな〈ぼく〉と話が合ってすっかり意気投合したのですが、8ヶ月ほど経つと目黒は会社に姿を現さず、電話がかかって来ました。

「うんいい天気だなあ。それで寝坊したのか?」
「いや、ちゃんと起きたのですが、あまりいい天気なので考えてしまったのです」
「何を」
「会社を辞めさせて下さい。突然ですが……」
「え?」
 どうしていい天気だと会社を辞めたいのかそこのところがにわかにはわからない。
「会社勤めをはじめてわかったのですが、会社員になると本が思うように読めないんです。それでしばらく悩んでいたのですが……」(14ページ)


そうして本当に会社を辞めてしまった目黒でしたが、仕事終わりにみんなで飲みに行って、わいわい本の話などをする場には参加を続けていて、本好き仲間としての付き合いは続いていったのでした。

たまたましばらくみんなが集まれなかった時、目黒から「彼が読んだSFやミステリの感想がその問題点や今後の期待値などを含めてどおーんと書かれている」(38ページ)手紙が送られて来ます。

これが面白いということで仲間内で評判となり、「メグロ・ジャーナル」として段々と定期的に発行されるようになっていきました。

徐々に読者が増えていったのはいいものの、読者が増えれば増えるほど、コピー代などもろもろの経費がかかるので目黒は困ってしまい、やがてわずかながらみんなからお金を取ることにしたのでした。

ある時、〈ぼく〉はいつしか考えるようになっていたアイディアを目黒に持ちかけます。「なあ目黒、いまのあの『メグロ・ジャーナル』をもっと本格的な雑誌にしないか」(106ページ)と。

 ぼくと目黒の向かい側の席から、しきりに「ジョナサンがさあ……」とか、「ジョナサンの場合だとねえ」などという声が聞こえてくる。学生ふうのカップルだった。男は長髪で顎の輪郭のはっきりしない少々ネムタゲな顔をしていた。このところベストセラーになっている『かもめのジョナサン』について話しているらしい。
「あんなふうにけっこう酒のみながらいろんな人が本の話をしているだろう。だから本だけをテーマにした雑誌でもイケルと思うんだよな」
 皿の上のはんぺんに箸をのばしながらぼくは少し声をひくめて言った。
「あんなふうにって……?」
 目黒は向かい側のカップルの話が耳に入っていなかったようだった。ぼくが急に言いだした新雑誌発行プランが、彼の目下の思考の殆どを奪ってしまっているのだろう。
「いや、まあそれはいいよ……」
 はんぺんに軽く味がしみ通っていて旨かった。よく練ってある辛子がくうーんと鼻の奥に小さな槍を突きたててきてそれが心地いい。(108ページ)


こうして椎名と目黒がお金を出し、仲間内で寄稿者を募って作られた「本の雑誌」創刊号。採算度外視だっため、売れば売るほど損する計算でしたが、とりあえず雑誌を作れたことにみんな大喜びです。

目黒が中心となって書店を回って、置いてもらえる場所を増やし、新号を出す度に「本の雑誌」は確実に読者を増やしていったのでした。

ところが、「本の雑誌」の方向性をめぐって、仲間内に亀裂が入ってしまうんですね。新宿東口の中華料理屋「石の家」で起こったため、後に目黒によって「石の家のクーデター」と語られる事件です。

娯楽性を強めて購読者を増やすべきだというみんなの意見と、購読者数にこだわらず、純文学や評論などかたいものも取り上げるべきだとする目黒の意見が、真っ向から対立してしまったのでした。

こうした様々なぶつかり合いや、いくつもの問題を乗り越え、「本の雑誌」は大きくなっていき、ついに小さいながらも事務所を借り、電話番やその他もろもろの仕事を頼む社員を雇うまでになったのです。

採用することにしたのは、〈ぼく〉の会社に「本の雑誌」が好きだからという理由で応募して来て、不採用になった24歳の木原ひろみ。後にエッセイなどを書き、文筆家として活躍する群ようこです。

 とりあえずいつのまにか社長のような立場になってしまっている目黒も、編集長のぼくもそこに出社するわけではない。電話もかからず誰もこない、というコンクリートの狭い部屋で群ようこは、窓をあけてしめて、机の上のボールペンを右と左に少し位置を変え、あとはただもうじっとしていた。
 最初の日は電話がまったく鳴らないので群ようこは壊れているのではないかと思い「177」や「117」にかけてみたらしい。きちんと通じている。しかしそれは単に通じている、というだけの話であった。(308ページ)


〈ぼく〉こと椎名誠の特集やおもしろおかしいコラム、沢野ひとしのイラスト、北上次郎などのペンネームを使った目黒孝二の評論など「本の雑誌」は、少しずつ注目を集めるようになっていって・・・。

はたして、〈ぼく〉に持ち込まれた思いもよらない依頼とは一体!?

とまあそんなお話です。「本の雑誌」に関わる人々の中でも、椎名誠や北上次郎、群ようこなどは今ではもう有名ですよね。そうした人々の出会いや、無名時代の様々な出来事が綴られている作品です。

小説としての面白さは「青春小説三部作」(『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』『銀座のカラス』)と比べるとやや劣りますが、そうしたノンフィクション的な面白さのある作品。

勿論、「実録」とは言いながら、椎名誠のオモシロオカシイ文体で書かれているので、気楽に読むことが出来るのでおすすめです。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

おすすめの関連作品


折角なので、北上次郎でおすすめの本を一冊。北上次郎は書評は勿論、様々な本の解説やアンソロジーの選定などで活躍していますが、まとまった本で最も面白いのはやはり『冒険小説論』でしょう。

冒険小説論―近代ヒーロー像100年の変遷 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集)/双葉社

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日本と海外両方の、文学ではなく、いわゆるエンターテイメント小説を扱った大作評論です。歴史小説からスパイものに至る様々なヒーローが紹介されていて、読んでいてとにかくわくわくさせられます。

「とにかく面白い本が読みたい!」という方は、この本を参考に小説を探すのがおすすめですよ。エンタメ界最良のブックガイドです。

明日は、フリードリヒ・シラー『ヴィルヘルム・テル』を紹介する予定です。