イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』 | 文学どうでしょう

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精霊たちの家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-7)/イサベル・アジェンデ

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イサベル・アジェンデ(木村榮一訳)『精霊たちの家』(河出書房新社)を読みました。

池澤夏樹個人編集=世界文学全集(全30巻)の中の1巻で、ぼくが読むのは9冊目です。

イサベル・アジェンデは、ペルー生まれの作家です。特にこの『精霊たちの家』の評判がものすごく高くて、ラテンアメリカ文学で、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と双璧をなしていると言っても過言ではありません。

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))/ガブリエル ガルシア=マルケス

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その重厚的な文章スタイルだとか、歴史を内包した物語性だとか、『百年の孤独』に影響を受けていることがよく指摘されていて、それはたしかにその通りだろうと思います。

ただ、『精霊たちの家』は、はっきり言って面白いです。ずば抜けて面白い小説だと思います。どこかが決定的に『百年の孤独』とは違います。

両方を読み比べた方はそう多くはないと思いますが、『百年の孤独』と『精霊たちの家』は似たようなスタイル、内容です。ところが、読んでいる時の感覚、そして何より、物語が行き着くところが全く違うんです。

それは物語の〈核〉になるようなものと言い換えてもいいんですが、もう少し分かりやすく言うと、〈どこ〉からこの物語が書かれているか、の違いです。

百年の孤独』に対して、〈どこ〉から、あるいは〈誰〉によって書かれたかと問いかけることは、ほとんど意味をなしません。

ふっと気を緩めると空中分解してしまいそうなものを、なんらかの力でぎゅっと押し込めたような小説が、『百年の孤独』なんです。

一方で、『精霊たちの家』というのは、時間にせよ場所にせよ〈どこ〉から書かれた物語なのか、〈誰〉によって書かれた物語なのかが、非常に重要な意味を持ってきます。

ぼくはガルシア=マルケスの『百年の孤独』を世界文学の金字塔だと思っていますが、それは小説の完璧さというのを意味していて、感情的に引き込まれる物語性とはまた違う素晴らしさなんです。

マジック・リアリズム〉という驚きの技巧、くり返される歴史の物語はただただぼくら読者を圧倒します。

『精霊たちの家』で描かれるのは、『百年の孤独』のようにある意味においては重なり合い、くり返される歴史ではなく、代々流れていく歴史です。

クラーラから娘ブランカ、そしてさらにその娘アルバという3世代の物語が語られます。それぞれ誰と結ばれるのか、その後どうなるのか、という物語としての吸引力としては、『精霊たちの家』の方が『百年の孤独』よりも圧倒的に強いです。

だからこそ、『精霊たちの家』はずば抜けて面白いんです。

もうページを開いた時点で、文字がぎっしりしています。ラテンアメリカ文学に馴染んでいないと、あまりの重厚さ、文体の濃厚さにちょっと抵抗を感じてしまうかもしれません。

ただ、文章的にはそれほど難解なものではないので、じっくり時間をかけて読んでいくとよいと思います。クラーラどうなるんだろう? ブランカどうなるんだろう? アルバどうなるんだろう? と心の中で問いかけながら。

3世代に渡る一家の歴史が描かれるということは、社会全体の大きな変化を描き出すことでもあります。愛があり、戦いがあり、絶望があり、希望があり。

この小説が〈どこ〉から、誰によって書かれたのかが分かった時、ぼくらは歴史というなにやら大きくてあたたかいものに包まれるような、そんな感覚に陥ります。物語内世界に入り込んでしまったような。

ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだ方は、ぜひ読み比べてみてください。おそらく、読んでいる時の感覚と読後感はかなり違うはずです。

技巧的な完成度は『百年の孤独』には及びませんが、物語性や感情として引き寄せられる感じは、『精霊たちの家』の方が強いだろうと思います。

作品のあらすじ


こんな書き出しで物語は始まります。バラバースというのは、やがて飼うことになる巨大な犬のことです。

 バラバースは海を渡って私たちのもとにやってきた、少女クラーラは繊細な文字でそう書きつけた。その頃から彼女はなにか大きな事件が起こると、ノートにつけるようにしていたが、その後誰とも口をきかなくなると、日常の些細なことも書き留めるようになった。それから五十年後、私はそのノートのおかげで過去のできごとを知り、突然襲ってきた不幸な時代を生き延びることができたのだが、当のクラーラは自分のノートがそんなことに役立つとは夢にも思わなかったにちがいない。(7ページ)


クラーラの一家は、正午のミサに出かけていきます。クラーラの美しい姉、ローサの描写がされます。天使のように美しい娘なんです。「陶器の人形のようにしわひとつないすべすべしたまっ白な肌」(11ページ)をしているローサ。

ローサにはエステーバン・トゥエルバという婚約者がいます。エステーバンは、一攫千金を狙って、鉱山で働いています。

物語には突然、〈わし〉という1人称が入り込みます。これはどうもエステーバンが回想して書いているものらしいんです。物語にはたまにそんな風に〈わし〉というエステーバンの語りの部分があります。

クラーラは未来を予知できたり、精霊と交流できたりとちょっと不思議なところがあるんですが、「でも、今度はまちがえてべつの人が死ぬことになるわ」(40ページ)と予言します。

美しいローサが熱を出して寝ていたので、医者の処方通りレモネードにブランデーを少し飲ませるんです。朝になると、「鮮やかな緑色の髪の毛に真新しい象牙のような肌をしたローサが、蜂蜜のように黄色い瞳を大きく見開き、いつ変わらぬ美しい顔のまま冷たい死体となって横たわっていた」(41ページ)んです。

何者かがブランデーに毒を入れていたらしいんですね。家族みんなは悲しみに暮れ、クラーラはまったく喋らなくなってしまいます。それ以来9年間沈黙し続けます。

そしてなにより絶望したのが、エステーバンです。夢も希望もなくなって、自暴自棄になります。新しい土地へ行って、農場をやり始めるんですが、エステーバンはもうひどい農場主で、インディオの娘を見ると、手当たり次第に手をつけるんです。

そんな荒くれた生活を10年ほど送っていたエステーバンですが、離れて暮らしていた母親が死に際に結婚しなさいと言うんです。トゥエルバ家を代々受け継ぐ子供を作りなさいと。

クラーラが9年ぶりに口を開きます。その場面がこんな風に書かれています。

当時クラーラは、大気、水、大地の精といっしょに空想の世界に生きていたが、幸せな毎日を送っていたので、九年間は人と話す必要を感じなかった。十九歳の誕生日を迎えた日、その頃はもうクラーラは一生口をきくことはないだろうと誰もが考えていたが、その日チョコレート・ケーキの上の十九本のローソクを吹き消したあと、長年守りつづけてきた沈黙を破って初めて口をきいたが、その声は調子の狂った楽器のような声だった。
「近々結婚するわ」と彼女は言った。
「相手は誰だね?」とセベーロが尋ねた。
「ローサの婚約者よ」と彼女は答えた。(114ページ)


愛しているとかそういうことではなく、そういうことになっているから、結婚するんです。クラーラは運命的なものを予言したんです。そうしてクラーラとエステーバンは結婚することになります。

やがて出産予定日を過ぎても全然産まれず、お腹を切る形で、ブランカという娘が生まれます。その後、双子の男の子も生まれます。

クラーラは精霊たちと交流したり、どこかふわふわしているところがあって、あまり家事とかはできないんですが、フェルラというエステーバンの姉がよくやってくれます。

フェルラは病気の母親をずっと看護していたために、恋愛や結婚には縁がなかったんです。このフェルラがクラーラに対して特別な感情を抱くことになるんですが、それはまあ、あまり触れずにおきましょう。

エステーバンとクラーラの3人の子供たちが成長していきます。恋愛が描かれ、人生の様々な出来事が起こっていきます。そしてその次の世代になると、革命が起きる時代になっていて、年老いたエステーバン世代は否定されます。

農場を経営する、どこかのんびり時代から、階級を否定し、革命が起こる時代まで。激動の歴史の流れを生きていくエステーバンとクラーラの子供たち、そして孫。はたして、物語はどのような結末を迎えるのか!?

とまあそんな物語です。子供世代、孫世代のストーリーには触れませんでしたが、恋愛など、色んなことが起きます。まあ本編でのお楽しみということで。結構面白いんですよ。

『精霊たちの家』は、文章のスタンスとして、トルーマン・カポーティの『冷血』に似ているところがあります。

冷血』というのは、カポーティ自身が〈ノンフィクション・ノヴェル〉と呼んでいますが、現実に起こった事件を描いた作品です。

小説というのは普通、先になにが起こるのかは分かりませんよね。ところが、『冷血』というのは、もうすべてが終わってしまった事件を書いたものですから、時おり予言じみた書き方がされます。

のちになになにすることになる、みたいな感じです。つまり物語が現在進行形で書かれていくのではなくて、書き手はもうすべてを知っていて、出来事が終わったところから書いているわけです。

冒頭の文でも分かると思いますが、この『精霊たちの家』も、すべてが終わったところから書かれています。このスタンスというのは、ありそうでなかなかない感じだと思います。それがどんな効果をあげているのかは、実際に読んで確かめてみてください。

池澤夏樹個人編集=世界文学全集は次、トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』を紹介します。