¥940
Amazon.co.jp
トルーマン・カポーティ(佐々田雅子訳)『冷血』(新潮文庫)を読みました。
ぼくはわりと幅広い読書家だと思われることが多いんですが、実はそんなこともなくて、ある意味においてすごく偏っています。
つまり物語的なものが好きなんですね。小説ならいくらでも読めますが、ノンフィクションあるいは学術書になると、実はあまり読んでいない方だと思います。
トルーマン・カポーティの『冷血』は、カポーティ自身が〈ノンフィクション・ノヴェル〉と呼んだ作品です。実際にあった一家4人の惨殺事件を徹底的に調べて、それを小説にしたものなんです。
カポーティの傑作だと耳にしてはいたけれど、う~ん、ノンフィクションかあと思って、ちょっと敬遠していた『冷血』。そんなぼくがなぜ読むにいたったかを少し書きます。
先日、ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』を紹介したんですが、『予告された殺人の記録』も実際にあった事件を元に書かれた小説なんです。その訳者あとがきでカポーティの『冷血』に触れられていたこと。これがまずきっかけの1つです。
それからなんといっても、『カポーティ』という映画ですね。この映画の影響です。
カポーティ コレクターズ・エディション [DVD]/フィリップ・シーモア・ホフマン,キャサリン・キーナー,クリフトン・コリンズJr
¥3,990
Amazon.co.jp
『ティファニーで朝食を』を読んだ時に、同時に収録されている短編が結構面白くて、もっと読んでみたいと思ったんです。カポーティ。それでふと、そういえば『カポーティ』という映画があったなと思い出して、早速観てみました。
『カポーティ』は、カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー賞の主演男優賞を受賞して話題になった映画ですが、『冷血』で扱っている事件を取材している様子を描いた映画なんですね。
映画を観て、事件の概要も犯人のキャラクターのイメージもつかめたので、実際にカポーティはどんな風に書いているのだろうと思って、早速読んでみたわけです。〈ノンフィクション・ノヴェル〉というのは一体どんなものなのか。
ぼくは小説は好きですが、ノンフィクションはどちらかと言えば苦手な方です。ところがそんなぼくでも、『冷血』はすごく面白かったです。映画でイメージをつかんでいるからということもあったとは思いますが、これは元々、意外と読みやすい本なのではないかと思います。
つまり1つの事件を多角的に描いているわけで、色んな人が事件について話すんですが、それは重層的になってはいきますが、複雑になっていくわけではないんですね。中心に1つの事件がありますから、物語全体がぶれないんです。
そしてノンフィクションなので、犯人が〈誰か〉は最初から分かっていますが、〈どうやって〉捕まったのか、犯人は〈何故〉殺したのか、実際には〈どうやって〉殺したのか、そうしたいくつかの謎は、物語が進むに連れて徐々に明かされる仕組みになっているので、読んでいて全然退屈しません。
600ページくらいあるので、ボリュームはありますけれど、〈ノンフィクション・ノヴェル〉ってどんなものなんだろうと興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。
作品のあらすじ
物語は4章から構成されています。「Ⅰ 生きた彼らを最後に見たもの」「Ⅱ 身元不詳の加害者」「Ⅲ 解答」「Ⅳ ”コーナー”」。すごくいい章立てだと思います。タイトルもいいですし、そこに書かれる内容もいいです。”コーナー”がなにかは読めば分かります。
物語はカンザス州西部のホルカム村の、のどかな風景の描写から始まります。田舎の平和な村なんです。小麦畑の広がるホルカム村。そこにある侵入者がやって来るわけです。こんな風に書かれています。
そのとき、眠りに落ちていたホルカムでは、その音ーー結果的に六人の命を絶つことになる散弾銃の四発の轟音ーーを耳にしたものはいなかった。それまで、村人たちはお互いに警戒心を抱くこともなく、家のドアに錠をおろすこともめったになかった。しかし、それ以後は、何度となく空想でその轟音を再現してみるようになった。その陰にこもった響きは、不信の炎を掻きたてた。炎のぎらつく光の中で、古くからの隣人同士も、見知らぬ間柄のように、お互いを猜疑の目で見るようになったのだ。(16ページ)
この文章を読んで、みなさんはどんな風に感じたでしょうか。これが〈ノンフィクション・ノヴェル〉ということだろうと思います。4人の人間が殺されたのに、「六人の命を絶つことになる」というのはつまり、犯人が2人組であり、その犯人の最後までをも示唆しているわけです。
従来のノンフィクションと同じように、文章が書かれている時点ですべてのことは確定していて、文章の書き手はその事実を動かすことはできないんです。すべてのことが終わっている時点から文章は書かれています。
しかし、ノンフィクションと決定的に違う部分があることにお気づきになったでしょうか。ノンフィクションは事実の積み重ねです。つまり、聞こえた音を書くならまだ分かりますが、ここでは、聞こえなかった音について書かれています。そしてそれが住民の心にどんな影響を与えたかということも。
クラッター氏という人物が登場し、クラッター氏がどんな人物で、どんな生活を送っていたかが書かれていきます。クラッター夫妻とその子供、ナンシーとケニヨンの姉弟。平和な日常。
そしてクラッター家の生活と交互に描かれるのは、カフェで朝食をとっているペリーという男とやがてそこへやって来たディックについてです。ペリーとディックはなにかしらの”ヤマ”を計画しています。2人がどんな人間なのか、そして準備をしている様子が描かれていきます。
もうみなさん大体お分かりですよね。クラッター一家が殺される4人で、ペリーとディックがその犯人です。実際にどんな風に犯行が行われたかはここでは書かれません。それが明かされる最後の章がこの物語の1つのクライマックスになっています。
ナンシーの友達が、家に訪ねていって、一家が惨殺しているのを発見するんです。そしてそれを見た人々の話が書かれていきます。この時点で村のみんなは犯人が誰かは分からないわけですから、お互いに疑心暗鬼になってしまいます。目の前にいる人が犯人かもしれない。
こうして事件は起こり、「Ⅱ 身元不詳の加害者」では、ペリーとディックについて書かれていきます。2人がどういう人間なのか。ペリーとディックは非常に対照的な人間です。
ディックは知能指数が高く、小切手の詐欺をしたりするなど、豪胆なところがあります。この”ヤマ”の発起人でもあります。性的に倒錯しているところがあって、少女のことが好きだったりもします。
一方で、ペリーはどちらかと言えばナイーヴな印象があり、絵をよく描き、本をたくさん読みます。悪いことをしているやつと言えばそうなんですが、家庭環境など色々あって、単純に冷酷なやつという感じはしません。
このペリーとディックの逃避行が書かれていくんですが、この2人はほとんど事件のことを気にしてもいません。捕まるわけがないからです。そんな2人が何故捕まることになるかにも注目してみてください。
結局、ペリーとディックは捕まり、尋問などのやり取りから、徐々に事件の全貌が明らかになるという仕組みです。ここはやはり非常に面白いです。ペリーとディックはばらばらに取り調べられるわけですが、お互いの言い分が食い違ったりもします。
ペリーとディックは一体、〈何故〉一家を惨殺しなければならなかったのか? どちらが〈どうやって〉殺したのか? そして物語の結末は・・・。
とまあそんな話です。物語はすべて終わっているところから書かれています。一家4人が惨殺され、犯人は処刑されたというところからのスタート。すべてが分かっている話のどこが面白いんだよと思われるかもしれませんが、これが面白いんです。結構夢中になって読んでしまいました。
このペリーとディックという犯人の魅力というか、魅力と言うと語弊がありますけども、単に猟奇的な犯人なのではなくて、カミュの『異邦人』のムルソーを思わせるようなところもあります。どこか虚無的なような。
犯した罪についてペリーが語るところがあります。そこは納得というか、色々なことを考えさせられました。まあ戦争で人を殺せば英雄みたいなことなんですけど。命の軽重はあるのかとかそんなことを思わされます。
この小説の中で、ぼくが最も印象的だった文章は次の文章です。刑務所に入っているペリーの様子を描いた文章。
ペリーは自分が”深い水底”にいるように思われた。それはおそらく、”死人長屋”がふだんは深海のように灰色に静まりかえっていたからだ。いびき、咳、上靴で歩きまわるかすかな足音、刑務所の塀に巣くう鳩の羽音を除けば、あたりは深閑としていた。(577ページ)
この描写は完全にノンフィクションの域を超えています。ペリーが実際にそう思ったかどうかは問題ではなくて、ペリーがそう思ったであろう空間をカポーティが作り出しているんです。静けさ、かすかな音、そこにいる1人の男。まさに〈ノンフィクション・ノヴェル〉の真骨頂だと思います。
今までノンフィクションだからと敬遠していた人も、機会があればぜひ読んでみてください。ミステリを読むのとはまたちょっと違った感覚の小説だろうと思います。
最近では様々な視点、複数の人の語りから構成される小説というのもわりとありますけれど、そうした形式としてもある種の斬新さをいまだに感じることのできる小説でもあります。
村の描写から始まり、村の描写で終わるこの小説は、事件のことでもなく、犯人のことでもなく、村のかすかな、それでいて決定的な変化を描いた小説です。それはぼくら読者に不思議な余韻を残します。風が吹き抜けていって、まだかすかに揺れている木の枝を見ているような・・・。
明日は、イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』を紹介する予定です。