喉の乾いた鹿が泉にやって来た。飲み終わり、水に映る自分の姿を見て、大きな角が見事に枝分かれしているので得意になったが、脚が細くて弱々しいのが悲しくてならぬ。思いにふけっている所へライオンが現われ、追いかけてきた。鹿は一目散に逃げ出すと、ライオンを遠く引き離した。

さて、水のない平原を先に立って走る間はよかったが、樹木の生い茂る場所に来ると、角が枝に絡まって走れなくなり、とうとう捕まってしまった。

鹿は殺されるまぎわに独りごとして言うには、「ああ、情けない。裏切られると思っていたものに助けられ、一番頼りにしていたものに滅ぼされた」。

このように、危難に際しては、疑われていた友が救いとなり、信任あつい友が裏切り者となることがよくあるのだ。

 

 

「出典:イソップ寓話集74」

―広島県の昔話―

昔、安芸の宮島の厳島神社(いつくしまじんじゃ)へ続く街道筋に、とても欲深い夫婦が一軒の宿屋を営んでいた。強欲ぶりが旅人にもわかるのか、客はめったに来なかった。

 

 

その宿に、久しぶりに景気の良さそうなお客がやってきた。強欲な夫婦は、茗荷(ミョウガ)を食べると物忘れする、という話を思い出し、この客にたくさん茗荷を食べさせて大金の入った財布を忘れていかせようと計画した。

強欲亭主が、暑気払いに効果があるからと「茗荷の重ね食い」と名づけたその献立は、茗荷の串焼き、茗荷の浅漬け、茗荷の三杯酢、茗荷の煮つけ、茗荷のお汁、茗荷飯、にお酒。ミョウガのフルコースだったが、どれも美味しかったため客は大喜びだった。

 

 

翌朝、客は朝食にも茗荷づくしの料理を食べさせられて、なにやらフワフワとした気持ちで厳島神社へ出発した。さっそく亭主は客室をくまなく探したが、何も忘れているものは無かった。がっかりした夫婦だったが、財布に気を取られて宿賃をもらい忘れていた事に気が付いた。

がっくりと気落ちした夫婦だったが、あの客が茗荷料理のうまさをあちこちで吹聴してくれたので、それからその宿は「茗荷の宿」と呼ばれ、たいそう繁盛したそうです。

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜 

―岡山県の昔話―

昔、備中国中津井(なかつい)の蝋燭売りの女が鳥取県の根雨(ねう)の旅籠に泊まった時の事。夜更けに隣の部屋から何やら読経の声が聞こえてくるので、隣の部屋の男へ声をかけてみると読経を上げているのは男が持っている観音様であり、その顔は盗まれた「中津井の観音様」にそっくりであった。中津井の観音様にはこんな話があるという。

 

 

昔、中津井の村に庄作爺さんという齢七十になる老人がいた。庄作爺さんは村の外れのいもが丘に建っている十一面観音を拝む事を日課にしており、村は貧しかったが観音様のおかげで人々の心は豊かであった。しかし平和な村にも戦の波が押し寄せてくるようになり、とうとうある日、宇喜多と尼子の軍勢数千騎が斉田城を目指し真夜中の村を戦火を交えながら通り過ぎていった。村が焼け野原になった上、いもが丘の観音様も野党に盗まれてしまい庄作爺さんは深く悲しんだが、ある時村人の前から姿を消してしまう。

ところが庄作爺さんは納屋に閉じ籠って観音様を彫っていたのであり、ろくに何も食べずに彫り続けて数十日目かの朝、ついに観音様は彫り上がるが同時に庄作爺さんも息絶えてしまった。半年ぶりにいもが丘の庵に観音様を迎えた村人はこの観音様を「身がわり観音」と呼んだ。やがて一年が過ぎ、村人が庄作爺さんを偲んでいもが丘に集まった時の事、庵の中から読経の声がするので村人が振り仰ぐとそれは身がわり観音から聞こえてくるのであった。

 

 

そして隣の部屋の観音様の読経も、身がわり観音の読経とそっくりなのだと蝋燭売りの女は言う。隣の部屋の男も、実はこの観音様は村の者がどこかの戦の折に盗んできた物であり、夜になると読経を上げて恐ろしいので元の場所に返してきて欲しいと頼まれていたと言う。盗まれてから二十年経った今でも観音様同士で呼び合っていたのだろうと蝋燭売りの女は思い、こうして二十年ぶりに中津井の観音様はいもが丘の庵に戻る事になり、庄作爺さんの身がわり観音と共に中津井の村を見守っているという。

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

二匹の犬を飼う人がいて、一匹には狩りを仕込み、もう一匹は番犬にした。猟犬が狩に出て何か獲物をとってくると、男はその分け前をもう一匹の犬にも投げてやった。腹にすえかねるのは猟犬の方、相棒に向かって、俺は外に出てあるだけの苦労をしているのに、お前はのほほんとして、俺の稼ぎで贅沢三昧だと非難した。それに対して番犬の言うには、「僕じゃなく、主人に文句を言ってくれ。何もせず、他人の稼ぎを食いつぶすよう僕を仕込んだのはあの人だ」。

このように子供の場合でも、両親のせいで怠け者に育てられた者は、非難されるべきではない。

 

 

「出典:イソップ寓話集92」

 

―島根県の昔話―

昔ある山寺に、たいへん蕎麦好きな和尚さんと三人の小僧さんがいました。

このお寺の小僧さんは、普段のおつとめ仕事の合間にソバ畑でも忙しく働いていました。ここの和尚さんはでとってもケチで、夜に小僧さんたちが寝静まると、自分一人でこっそりそばを食べていました。

 

 

そこで、小僧さんたちは相談して妙案を考えました。翌朝、小僧さん達は自分たちの名前を変えてもらうように和尚さんに申し出ました。それぞれの名前は、「ガスガス」「ガラガラ」「マイマイ」というちょっと妙なものでした。

その晩、いつものように和尚さんが一人でそばを打ち始めました。鰹節をガスガスと削る音を聞いた小僧さんは、大きな声で「呼びましたか?」と台所にかけこんでいきました。呼んでもない小僧さんがやって来た事に和尚さんは驚きましたが、「まあ仕方がない、一杯だけそばを食べなさい」と、ご馳走してあげる事にしました。

小僧さんは喜んで、お椀を取り出そうとガラガラまさぐっていると、もう一人の小僧さんが「呼びましたか?」と台所にかけこんでいきました。またまた起きてきた小僧さんに和尚さんは驚きつつも、「まあ、仕方がない」とそばをご馳走してあげる事にしました。

 

 

三人でそばを美味しそうに食べ始め、二人の小僧さんが嬉しそうに「あぁ、ぅマイぅマイ」と大きな声で言いました。すると、最後の小僧さんが「はーい!」と言いながら寝床から飛び出してきました。そして「私もそばを食べたいです」と囲炉裏の前に座りました。

和尚さんは「やられた」と思いながらも、三人の小僧さんに蕎麦をご馳走してあげました。

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

狐が彫物師の仕事場に入り込んで、中の物をクンクン嗅ぎまわっているうち、悲劇役者の面を見つけ、手に取ってみて言うには、「何だ、この頭は脳みそがないぞ」。

押し出しは堂々としているが心はからっきし、という人にこの話はぴったりだ。

 

 

「出典:イソップ寓話集27」

―鳥取県の昔話―

昔、兵六(ひょうろく)というお人好しの男に美しい気立てのいい妻がいて、二人は仲良く幸せに暮らしておりました。

兵六は妻があまりにも美しいので、その顔にずっと見とれてばかり。結婚してからというもの畑仕事もまともにできないありさまでした。それに困った妻は、自分の絵を兵六にもたせて仕事に行かせることにしました。妻の絵姿をもらった兵六は、それを板に貼り付けて絵を見ながらようやく畑仕事をしっかりすることができるようになりました。

 

 

ところがある時、その大事な絵姿が風に煽られて飛んでいってしまったのです。兵六は追いかけましたが、取り返すことはできませんでした。その絵は、城に飛ばされていました。絵姿を見た殿様はひと目で彼女を気に入り、家来にこの女性を探して連れてくるように言いつけました。自分の妻にするためです。

 

 

そうして見つかった兵六のお嫁さんは、家来に連れて行かれることになってしまいました。お嫁さんは「桃の種」を兵六に渡して、「三年経ったら実がなります。必ずお城に売りに来てください」と泣きながら言い残して連れて行かれました。兵六はしょんぼりとしていましたが、妻の言い残したとおり桃の種を植えて三年間育て上げ、桃をお城に売りに行くことにしました。

一方その頃、お城では無理やり結婚したはいいが、妻がこの三年間全く笑わないので殿様は困っていました。そこへ聞こえてきた兵六の桃売りの声。兵六の声を聞いた妻は嬉しそうに笑い出しました。それを見た殿様は嬉しくなって兵六を城にあげ、「もう一度桃を売ってみせよ」と所望しました。妻は兵六の姿を見てまた嬉しそうに笑い、殿様はもう嬉しくて嬉しくて今度は自分が妻を笑わそうと、兵六と着物を交換しようと言い出しました。

桃売りの姿になった殿様は、妻が笑ってくれるのを見ながらはしゃぐうちに、そのままの格好で城の外まで出てしまいました。そうとは知らない門番は、桃売りが帰ったのだと思って門を閉めてしまい、再び中に入ろうとする殿様を「怪しい桃売りめが」と外に追い出してしまいました。こうして、兵六は美しい妻とともに殿様として、幸せに暮らしたということです。

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

蝮が茨の束に乗って、川を運ばれていた。通りすがりの狐がこれを見て言うには、「悪い船頭には悪い船だ」。

災難に出くわした悪人にあてはまる。

 

 

「出典:イソップ寓話集96」

―和歌山県の昔話―

昔、紀州の山には沢山の恐ろしい獣がおりました。そんな時代のお話です。

ある山里に、黒八(くろはち)というお爺さんが、街道沿いの村はずれに住んでおりました。この黒八爺さんは、昼は山に芝刈りに行き、夜は家で草鞋(わらじ)を編んで、家の軒先に吊るし、街道を通る人々に無償で提供しておりました。

ある時、草鞋の代金として米が置かれていたので、黒八爺さんはそれでおむすびを作って、次の日にいつも入る山とは違う山へ出かけることにしました。

 

 

そして山に入り、芝を刈ってお昼になったのでお弁当を食べようとすると、茂みの中から恐ろしい狼が現れました。さすがの黒八爺さんも慌てましたが、自分を食べるのなら「わしの命」をやろうと、おむすびを狼に与えました。黒八爺さんは「明日もやるでな」と言ってわかれ、狼は嬉しそうに山へ帰って行きました。

そして次の日、狼は自分の妻を連れてきていました。こうして、2匹の狼におむすびをあげているうちに、2匹の狼と黒八爺さんはとても仲良くなりました。

 

 

そんなある時、狼たちは黒八爺さんと一緒に里へ降りてきてしまいました。村人達はびっくり仰天して黒八爺さんに抗議をしましたが、黒八爺さんは「この狼たちはおとなしいから大丈夫じゃ」と言って、それから狼たちと一緒に暮らし始めました。

その年の秋、村は稀に見る大豊作になりました。黒八爺さんの狼たちのおかげで、山の獣が警戒して里に下りて田畑を荒らさなくなったためだったので、村人達はとても感謝して毎日米を三升届けるようになりました。

そうして、黒八爺さんが長生きをして亡くなったのち、村人達は感謝の念をこめて「黒八大明神」として祀ることにしました。このお祭りでもらったお札を持っていると、どんな山奥に入っても獣に襲われないということです。

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

(まむし)が銅匠の仕事場に入り込んで、施しを集めてまわった。いろいろな道具から貰えたので、鑢(やすり)のところへも来て、何かください、と頼んだところ答えて言うには、「俺様から何かを持っていけると思うとは、お目出たい奴だ。与えるのではなく、あらゆるものから刮(こそげ)取るのが俺の仕事なのに」。

守銭奴から儲けを期待する者は抜けているということをこの話は解き明かしている。

 

 

「出典:イソップ寓話集93」