二人の男が一緒に旅をしていた。一人が斧を見つけたので、もう一人が、「俺たちは見つけた」と言ったところ、初めの男は、「俺たちはつけたではなく、君が見つけたと言うべきだ」と注文を付けた。暫くすると、斧をなくした人たちが追ってきた。斧を持つ男は追いかけられて、道連れに向かったて、「俺たちはもうだめだ」と言ったところ、こちらの男が言うには、「俺たちはではなく、君がもう駄目なんだ。君は斧を見つけた時だって、僕と共同にしなかったくせに」。

幸運の分け前にあずからなかった人は、災いに際しても確かな友とはならぬ、ということをこの話は解き明かしている。

 

 

「出典:イソップ寓話集67」

大分県の昔話

むかしむかし、山の中の竹藪に囲まれた一軒家にお爺さんとお婆さんがおりました。二人とも年を取っているうえに、その年は長雨が続いて、とうとう家には食べる物がなくなってしまいました。

そこで、久しぶりに晴れ間がのぞいたある日、お爺さんは笠を売って米を買おうと町へ出かけました。ところが、もう少しで町に着く所で土砂降りの雨が降り始めました。

お爺さんは慌てて十六羅漢様が並ぶ木陰に入りました。雨宿りをしながら、お爺さんは冷たい雨の中立っておられる十六羅漢様が気の毒に思えてきて、持っていた傘を全部、羅漢様に一つ一つかぶせてあげました。

 

 

そんな訳でお爺さんは何も買えずに家に戻ってきたのでした。お婆さんはそんなお爺さんを優しく迎えました。その夜、二人が寝床に入る頃には雨も上がっておりました。

真夜中、どこからともなく葬式の鐘の音が聞こえてきました。葬式の行列はどんどん近付いてきて、家の前でぴたりと止まりました。そうして、葬式の人々は家の中に入って来て棺桶を置くと、お経を唱えながらしくしく泣き始めました。その恐ろしさに、お爺さんとお婆さんは部屋の隅で耳をふさいで震えていました。

やがてお経は止み、人々は立ちあがると来た時のように黙ったまま家の外に出て行きました。家の中には棺桶とお爺さんとお婆さんだけが残されました。そうして、どうしたことか、お爺さんが作って十六羅漢様に差し上げた笠が一つ、戸口の前に落ちておりました。すると突然、棺桶が光り輝き、中からたくさんの小判があふれ出してきたのです。

 

 

夜が明けるのを待ってお爺さんとお婆さんは十六羅漢様の所に行ってみました。すると思った通り、一つだけ数が足りず、最後の羅漢様には笠がありませんでした。昨夜の小判は笠のお礼にと十六羅漢様が下さったものなのでした。

それからのお爺さんとお婆さんは毎日羅漢様へのお参りをかかさず、何不自由なく幸せに暮らしたそうです。

 

出典:まんが日本昔話データベース

北風と太陽がどちらが強いかで言い争いをした。道行く人の服を脱がせた方が勝ちにすることにして、北風から始めた。強く吹き付けたところ、男がしっかりと着物を押さえるので、北風は一層勢いを強めた。男はしかし、寒さに参れば参るほど重ねて服を着こむばかりで、北風もついには疲れ果て、太陽に番を譲った。

太陽は、穏やかに照り付けたが、男が余分の着物を脱ぐのを見ながら、だんだん熱を強めていくと、男はついに暑さに耐えかねて、傍らに川の流れるのを幸い、素っ裸になるや、水浴びをしにとんで行った。

説得が強制よりも有効なことが多い、とこの話は解き明かしている。

 

 

「出典:イソップ寓話集46」

熊本県の昔話

昔、天草の近海には、多くの種類の魚が住んでいました。その中でもオコゼとヒラメは、いつも海底にじいっとへばりついていますが、以前はこうではなかったのです。

オコゼとヒラメは仲の良い若者同士でした。オコゼは、頭が馬鹿に大きく口は横に広がって、いかにも醜い顔でした。こんなオコゼが、魚の中でも美しいボラという魚に惚れてしまいました。

 

 

オコゼは自分の容姿がみにくい事を恥ずかしがって、とても告白することなどできませんでした。でも友達のヒラメが「やってみないとわからない、当たってくだけろだ」と、一生懸命オコゼを励ましました。

 

 

後押しされたオコゼは、ボラのところへ行きました。ちょうどボラは風呂からあがったばかりで、涼んでいるところでした。オコゼは勇気を出して「ボラさん、ワシは生まれつき醜いが心はキレイだ。どうか嫁になってくれ」と必死に頼みました。

ボラは突然の事で驚いたうえに、醜い顔のオコゼに告白されてもう泣きたい気持ちでした。必死に追いすがるオコゼから逃げるように、海面を飛び跳ねながら行ってしまいました。オコゼは「ワシの腹の中はきれいだ。腹わたを喰ってくれー」と叫びました。

恋に破れたオコゼは海底に沈んで過ごすようになり、ヒラメも哀れに思ってそれにつき合うようなりました。オコゼの腹わたが美味しいのは、こういう事たあったからだそうです。

 

出典:まんが日本昔話データベース

農夫の息子たちが喧嘩ばかりしていた。いくら言っても聞かせても、言葉ではとうてい改心してくれないので、行いで教え込むしかないと悟り、棒の束を持ってくるように命じた。息子たちがいいつけどおり持ってくると、農夫はまず、棒を束のまま渡して、折ってみろと言った。いくら力を入れても折れないので、今度は束をほどき、棒を一本ずつにして渡した。息子たちが易々と折っていくのを見て、農夫が言うには、「よいか、お前たちも心を一つにしている限り、敵も手が出せまい。しかし、内輪もめをしていると、安易に敵の手におたるぞ」。

内輪でもめるほど敵に敗れやすく、一致団結するほど強くなる、ということをこの話は解き明かしている。

 

 

「出典:イソップ寓話集53」

長崎県の昔話

むかしむかし、九州の長崎の時津の浜の近くの村に、権助という怠けものの百姓が住んでいました。

時津の浜では年に一度、秋に近い一日に、百姓が海へ出て漁をして良い日が決められていました。代わりに山の畑には漁師たちが入り、野良仕事を楽しむことが出来るのでした。

 

 

この日、皆が楽しんでいるのを見て、権助も漁に出てみると、思いがけず鯖がたくさん獲れました。権助は獲れた鯖を皆に分けることをせず、時津街道を通って長崎の町まで売りに行くことにしました。

権助が時津街道の山道を登っていくと、右手の斜面に大きな岩があって、その岩の上にもう一つ大きな岩が乗っかっている所にさしかかりました。岩はグラグラと揺れて、今にも落ちてきそうです。権助は途方に暮れて、行こうか戻ろうか何度も迷っているうちに、とうとう日が暮れてきてしまいました。

すると、権助が背負った籠の中からプ~ンと嫌な臭いが漂ってきました。鯖は足が早い(腐りやすい)魚なので、籠の中の鯖は全部腐ってしまっていたのです。

権助がガッカリしていると、通りかかった村人が「この岩はグラグラ揺れてもけして落ちることはないんじゃ。このことを知らなかったのは、怠け者のお前だけじゃ。」と笑いました。

 

 

やがてこの話が人から人へと伝わり、この岩を『鯖くされ石』と呼ぶようになったそうです。

そして今でもこの岩は、長崎の時津に近い時津街道の森の間に見えるということです。

 

出典:まんが日本昔話データベース

農夫の子どもがカタツムリを炙っていた。カタツムリがパチパチ音を立てるのを聞いて言うには、「どうしょうもない奴らだ、家が焼けているというのに、歌なんか歌っていやがる」。

 

「出典:イソップ寓話集54」

佐賀県の昔話

昔、ある所に貧しい村がありました。この村近くの山が三年程前に噴火したので、火山灰の被害により作物がとれなくなっていたのです。

ある時、この村に、お腹ぺこぺこの旅人がやってきましたが、どの家にも食べ物を分けてあげる余裕はありませんでした。とうとう旅人は、村はずれで倒れてしまいました。そこへ、一人暮らしのお婆さんが通りかかり、可哀そうな旅人を家に連れて帰り、わずかばかりの雑炊をご馳走してあげました。

しかし、たった一口の雑炊ではとても足りず、もう少しだけ何か食べさせてあげたいと、お婆さんは考えました。そこで、お婆さんは庄屋の畑から大根を引き抜いてきて、大根汁を作って食べさせてあげました。

 

 

翌朝、お婆さんはまだ夜も明けぬうちに旅人を起こし、早々に旅立たせました。その頃、早起きの庄屋が、荒らされた自分の畑と火山灰のおかげではっきり残っている足跡を見つけました。足跡はそう簡単に消えはしないので、庄屋は一旦家に戻って、夜が明けたころに代官所へ向かう事にしました。

 

 

やがて日が昇り、庄屋が支度をして家を出ると、なんと雪が降っていました。まだ雪が降るのにはひと月も早いのに、そして空は晴れていたはずなのに、不思議な事でした。足跡はもう見えなくなっていました。

 

出典:まんが日本昔話データベース

イルカとクジラが戦っていた。争いは長びき、激しさを増すので、ハゼが現われて両者を仲直りさせようとしたところ、イルカの一頭が遮って言うには、「お前ごときに仲裁されるくらいなら、戦って殺された方がましだ」。

この様に人間の中にも、数ならぬ身でありながら、乱に遭うと、ひとかどの人物だと思い込む手合いがいるものだ。

 

 

「出典:イソップ寓話集63」

福岡県の昔話

昔、筑前の海辺の村々を行商して歩く、赤ん坊連れの女がいました。十年後、その赤ん坊はみなしごの娘となり、若松で子守奉公をしていました。

春になり、娘は春の陽気に誘われるように、花が満開の山へ入って行きました。つつじの美しさに、娘は思わず背中の赤ん坊をそっと草むらに降ろしました。

 

 

すると、まるで羽でも生えたような身の軽さを感じて、夢中になって花の合間を飛び回りました。

ふと気が付くと、娘は今まで何をしていたのか思い出せなくなっていました。立ち尽くす娘の目の前に、大きな一本松が立っていました。その松を見ているうちに、娘はハッと思い出しました。「そうだ、子守をしていたんだった」慌てて赤ん坊のところへ戻ると、まさに野犬が赤ん坊に襲いかかろうとしていました。

 

 

娘は、飛びかかってくる野犬の鼻を噛み千切って、どうにか追い払いました。そして、もう二度と背中から赤ん坊を降ろさないと心に誓い、子守を思い出させてくれた一本松に感謝しました。その後、若松の人々は、つつじの道を「子忘れの道」、一本松を「見返りの松」と呼ぶようになりました。

 

出典:まんが日本昔話データベース