昔、どこかの国の山奥にキコリがいました。深山で、キコリが斧をふるって大木を伐(き)っていたとき、いつのまにか来たのか、サトリという異獣が背後でそれを見ていました。

 

 

キコリが「何者ぞ!」と、聞くと「サトリと言う獣に候」と言いました。あまりの珍しさに、キコリは生け捕ってやろうと思ったとき、獣のサトリは赤い口をあけて笑い、「その方、今、ワシを生け捕ろうと思ったであろう!」と、言いあてた。キコリは驚き、「この獣め容易に生け捕れぬ、斧で打ち取ってやろうと思った」。

 

するとサトリは「その方、今、斧で打ち取ろうと思ったであろう」と言う。キコリは、「こうも思うことを言い当てられては栓もない」と、ばかばかしくなり、「相手にならずに木を伐っていよう」と斧を持ちなおすと、「そのほう、今、もはや致し方なし、木を伐っていようと思ったであろう」と、あざけ笑った。しかし、キコリはもはや相手にならずどんどんと木を伐っていた。

 

そのうち、はずみで取っ手の先から斧が抜け、斧は無心に飛んで行き、異獣の頭に当たり、サトリの頭は無残にくだけた。サトリは二言と発せずに死んでしまった。

剣術でいう無想剣の極意とはそこにあります。

 

 

神田お玉が池で剣術道場を開いていた千葉周作は、この話が好きで、門弟に目録や皆伝を与えるときは、かならず、「剣には心妙剣と無想剣とがある」と言っていたという。

 

心妙剣とはなにか、別名を実妙剣といい自分が相手に加えようとする狙いがことごとくはずれぬ達人のことで、剣もここまでゆけば巧者と言うべきである。しかし、この剣もサトリという異獣のように、それ以上の使い手が来れば敗れてしまう。

 

無想剣とは、「斧の頭」なのだ。斧の頭には、心がない。ただひたすら無念無想でうごく。異獣サトリは心妙剣と言うべきであり、無想剣は斧の頭なのです。剣の最高の境地であり、ここまで達すれば百戦百勝が可能です。

心妙剣は凡人の到着できる最高の位であり、無想剣は天才の到着できる最高の位なのです。

 

参考文献《物語は、インターネット上に掲載されている文章を基にアレンジしています。イラストは、インターネット上に掲載されている無料画像を使用しています。》