山上古墳の西方250mの近接地に単独で存在している。この一帯は、南及び東側に展開する平地部分からは、かなり奥まった山間の地点であり、これら2古墳を除くと周囲には古墳はいっさい認められない。いわば、人里離れた同一の地点に意図的に2基の古墳が造られたことがわかる。本墳の所在する地点の標高は約140mであり、さきの平地部分との比高差は約60mを有している。周辺で認められる古墳群としては、南西約1300mの鏑川左岸に広がる平坦地に6世紀後半から7世紀にかけて形成された山名古墳群が主要なものです。

現在の古墳の現状

 

 

 

【墳丘及び外部施設】

従来、山上西古墳に対して行われた発掘調査は、昭和34年(1959)に短期間を利用して行われた石室を中心とした簡易な調査が唯一の機会であった。そのため、墳丘が丘陵の南斜面を利用して造られた、いわゆる山寄せ式小型円墳と推定される以外は、詳細は明らかでない。墳丘の直径は、約10mほどとされているが、石室規模から考えてほぼ妥当なものであろう。近接する山上古墳で実施された墳丘調査では、葺石が確認されていないことから、本墳にも施されていないと考えていいだろう。周辺の踏査からは埴輪は一片も採集されてない。

截石切組積石室をもった山上西古墳は、山上古墳ときわめて類似した石室構成をもち、切組積を多用するところから山上古墳につづく時期のものと考えられている。

 

截石切組積(きりいしきりくみづみ)石室

古墳時代後期の古墳に見られる横穴式の石室における、側壁の石組技法のこと。截石(きりいし)とは、切石(きりいし)の表面を磨いたものの呼び方であるのだが、厳密な定義はない。ちなみに、切石とは、自然石(古墳などに使われるときは河原石とよばれる)と区別して使う表現で、加工した石という意味だろう。いづれにしろ、石室に使う截石は、上に何十トンもの巨石が乗るため、四隅を直角に切り出した石でないと側壁が崩れてしまう。

切組(きりくみ)とは、隣り合わせの石の形状に合わせて石を加工する技法のことで、上から何十トンもの重量がかかったときに、途中の石が壁面から飛び出してしまわないための、重要な技術なのです。

【ものさし】

なお、山上古墳、山上西古墳には、「高麗尺」の使用、宝塔山古墳、蛇穴山古墳には「唐尺」が使用されている。古墳を築造するにあたっては計画性かつ企画性が要求されたと考えられる。特に前方後円墳には一定のモデルプランが存在し、「前方後円墳体制」とも言えるようなモデルプランを媒体とした畿内の中央政府と地方豪族との密接な関係の存在も考えられている。実際の造墓作業では、墳丘の規模を決定するための長さの単位に23cmを1尺とする漢尺、24cmを1尺とする晋尺(しんじゃく)、さらに35cmを1尺とする高麗尺、30cmを1尺とする唐尺、あるいは両腕の全長をⅠ尋とする単位などが基準尺として用いられたと考えられる。4~5世紀代には漢尺、晋尺、6~7世紀代には高麗尺、終末期古墳の横穴式石室の構築には唐尺が用いられたと考えられる。

 

以前に撮影された石室の内部

 

「高崎市史 資料編1」に記載されている昭和34年の調査記録